雑誌『広告』
2023年3月31日に発行された雑誌『広告』文化特集号(Vol.417)の全記事を公開しています。 (2023年8月24日追記)「124 ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか」は、対談者・矢野氏の意向によりnoteでの全文公開を見送ることとなりました。ご了承ください。
『広告』文化特集号に関わりの深いゲストをお招きして開催するトークイベントについての情報をお知らせします。
『広告』の編集部員が全国の書店に足を運んで販路開拓を行なった記録を、順次公開していきます。
2022年3月1日に発行された雑誌『広告』虚実特集号(Vol.416)の全記事を公開しています。
2021年2月16日に発行された雑誌『広告』流通特集号(Vol.415)の全記事を公開しています。
秀吉は悪趣味?みなのために「よかれ」と思ってやったことが、どうにも想定していたような賛同・共感を得られずじまい……。そんな例は世にいくらもある。文化芸術の世界…
2022年の国際カミングアウトデーのことだった。「カミングアウト」の真の意味にまったく無自覚なまま、日本の複数の企業や機関は、商品や組織のあまり知られていない情報を…
ウォルト・ディズニー・カンパニー(以下、ディズニー)が、世界最大級のエンターテインメント・カンパニーであることは疑いない。現在はその長い歴史のなかでももっとも好…
かつて、「大衆文化」と「サブカル」の間にははっきりと境界線があった。もともと日本では、漫画やアニメ、ヒップホップ音楽など一部の人たちが享受するコンテンツなどを指…
2007年8月31日、あるPC向けDTMソフトウェアが発売された。ヤマハの「VOCALOID2」技術をベースにし、声優の藤田咲の声をサンプリングしたそのソフトは「初音ミク」と名づけ…
インターネットやSNSによって、あらゆる文化が公共の場に晒されている現代。誰もが様々な文化にアクセスしやすくなった反面、かつては閉じたコミュニティだからこそ醸成さ…
2023年8月30日 12:00
秀吉は悪趣味?みなのために「よかれ」と思ってやったことが、どうにも想定していたような賛同・共感を得られずじまい……。そんな例は世にいくらもある。文化芸術の世界においても、パトロンを気取ってドンと大盤振る舞いし、表現者や作品の保護普及に努めたつもりだったのに、温かい目で見てもらえなかったという人はいつの時代にもたくさんいる。たとえば、戦国時代を勝ち抜いて天下人にまで上り詰めた、かの豊臣秀吉。織
2023年8月28日 11:59
2022年の国際カミングアウトデーのことだった。「カミングアウト」の真の意味にまったく無自覚なまま、日本の複数の企業や機関は、商品や組織のあまり知られていない情報を「カミングアウト」する、と軽く冗談めいた投稿をして、案の定、炎上した。性的指向を打ち明けるという繊細な意味を持つ「カミングアウト」は、社会的弱者の立場に置かれがちなLGBTQの人々の尊厳に関することなのだが、炎上、撤回、謝罪した企業
2023年8月25日 11:59
ウォルト・ディズニー・カンパニー(以下、ディズニー)が、世界最大級のエンターテインメント・カンパニーであることは疑いない。現在はその長い歴史のなかでももっとも好調で、巨大化している時期だろう。ディズニーが提供する作品のことは誰もが知っているし、ある種のイメージも持っている。子どもから親、高齢者となっても引き継がれる、全年齢を対象とした「ディズニーというエンターテインメント企業」「ディズニー流の作品
2023年8月21日 11:59
かつて、「大衆文化」と「サブカル」の間にははっきりと境界線があった。もともと日本では、漫画やアニメ、ヒップホップ音楽など一部の人たちが享受するコンテンツなどを指して(「サブカルチャー」の本来的な意味ではなく)「サブカル」と呼んでいたが、いまやすべて大衆文化となっている。サブカルは商業的な力学のもとに大衆文化へと同質化していく特性があるのだ。だが、そこには数少ない例外がある。そのひとつが二次創作
2023年8月18日 11:58
2007年8月31日、あるPC向けDTMソフトウェアが発売された。ヤマハの「VOCALOID2」技術をベースにし、声優の藤田咲の声をサンプリングしたそのソフトは「初音ミク」と名づけられた。人気イラストレーターKEIによるキャラクターイラストがプリントされたDTMソフトとして異例のパッケージだったが、発売前から予約が入り、1カ月で15,000本を超える大ヒットとなった。当時人気を集めつつあったニ
2023年8月16日 11:58
インターネットやSNSによって、あらゆる文化が公共の場に晒されている現代。誰もが様々な文化にアクセスしやすくなった反面、かつては閉じたコミュニティだからこそ醸成されていた何かが失われているのではないか? 文化やそれを育むコミュニティに、ある種の“閉じた”排他性がもたらす意義とはいったい何なのだろうか?これらの問いに答えるのは、種々多様な言論人やプレイヤーを招いて広範な議論を展開する批評誌『ゲン