122 文化を育む「よい観客」とは
2007年8月31日、あるPC向けDTMソフトウェアが発売された。ヤマハの「VOCALOID2」技術をベースにし、声優の藤田咲の声をサンプリングしたそのソフトは「初音ミク」と名づけられた。人気イラストレーターKEIによるキャラクターイラストがプリントされたDTMソフトとして異例のパッケージだったが、発売前から予約が入り、1カ月で15,000本を超える大ヒットとなった。
当時人気を集めつつあったニコニコ動画を舞台に、当初はネタ曲を歌わせたり、ネギを振らせてみたりといったお遊びのためのソフトだった初音ミクは、同年の冬には本格的な楽曲を歌うようになっていた。楽曲制作者は「◯◯P」と呼ばれ、楽曲にアニメーションをつけたものや肉声で歌ったものなど数多くの関連動画がつくられるようになった。ニコニコ動画のなかではIDOL M@STER(通称アイマス)、東方Projectと並ぶ「御三家」として、一大カルチャーに成長した。いまではボーカロイド楽曲は人間が歌う楽曲と同列に聴かれているし、商業で活躍する元「P」も数多く見られるようになっている。
CDが売れなくなり、『だれが「音楽」を殺すのか?』(翔泳社)という本が出るほど危機感、閉塞感に覆われていた音楽シーンに起こったこの大変化を、1960年代のアメリカと’80年代のイギリスから始まったカウンターカルチャーの盛り上がりになぞらえて、第三の「サマー・オブ・ラブ」と見る声もある。ニコニコ動画という「遊び場」のなかで、まだ何者でもない「おもしろいもの」を前に、誰もが素人で、自由に楽曲をつくって発表し、発表されたものをアレンジしてまた発表していた。新曲紹介動画や解説動画などの派生作も自然発生的につくられるようになっていた。たとえ自身では楽曲をつくらず、動画を視聴するだけだとしても、コメントや弾幕の書き込み、再生数という形で貢献できた実感があった。当時ニコニコ動画でボーカロイドに触れていた誰もが、つくり手、受け手関係なく、ボカロムーブメントへの参加者という自覚を多かれ少なかれ持っていたのではないだろうか。筆者にとっては、目の前でボカロという「文化」がつくり上げられていくのを見ることができた稀有な事例だ。
文化をつくるのは誰か
「シェイクスピアの演劇」「○○Pのボカロ楽曲」……作品について語るとき、私たちは「誰の作品である」「誰が演じている」といったことを気にかける。スポットライトを浴び、文化を牽引するのはつくり手──いまの私たちには、それが当然のように思える。しかし、歴史を振り返ると必ずしもそうではないようだ。確かに世阿弥やベラスケスのように、現代に名を残すつくり手は存在する。だが、能楽では作品づくりに際して将軍の意向を無視することはできなかったし、西洋でも芸術家は道化師と同等の扱いで、たとえ真実だとしてもパトロンを悪しざまに描くことはできなかった。作品に制約を受ける代わりに、つくり手はパトロンから長期間にわたって金銭的な支援を受ける。このような時代、つくり手はあくまで特定の誰かのために作品をつくる「職人」に近く、いま私たちが想像するような、自らの創造性を発揮して作品をつくる「芸術家」ではなかった。作品の良し悪しを判断してつくり手に指針を示し、文化を牽引していたのは力を持った少数の受け手だった。
しかし、パトロンの力が弱まり、民衆が力を持つようになると様子が変わってくる。つくり手はパトロンを見つけなくても「芸術家」としてやっていけるようになった。一方で、発注や指示をして作品を買い取ってくれる者がいなくなった以上、つくり手は不特定多数に「売れる」ことと否応なく向き合うことになったのである。そのあり方は、民衆のなかから生まれたとされる歌舞伎や話芸のような「芸能」に近づいたと言えるかもしれない。
ともあれ、時代を問わず、文化をつくるのはつくり手だけではなかったことがわかる。冒頭に挙げたボカロカルチャーでもそうだったように、どんな作品が、なぜ優れているのかを決めるのも、お金を出してつくり手を支えるのも、受け手、現代ならば多数の受け手で構成された社会の役割だ。文化の発展にわたしたち受け手の果たす役割は思いの外大きいのである。しかし、文化の発展に寄与するような受け取り方をしていたか、つまり自分がつねに「よい観客」だったかと問われると心許ないところがある。
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