文化の生成と更新
社会学者 吉見俊哉 × 美学者 松永伸司 × 『広告』編集長 小野直紀
『広告』文化特集号イベントレポート
底地から文化を見通す
小野:本日のトークテーマは「文化の生成と更新」です。最近は文化の更新、言い方を変えると、価値観のアップデートについてよく話題になっています。これはなにも最近の事象ではなく、文化や社会の価値観は長い歴史のなかで何度も生まれ、更新されてきたものだと思います。
今日お越しいただいた吉見先生には、そうした人間の長い歴史も踏まえた議論をお聞きしたいです。また「まじめな遊び、ふざけた遊び」を寄稿いただいた松永先生には、遊びの観点から文化の更新についてお話いただきたいと思っています。まずは吉見先生、よろしくお願いします。
吉見:みなさん、お越しいただきありがとうございます。今日はこの穴倉のような会場(青山ブックセンター本店の大教室)で、秘密会議のような雰囲気が出ていていいですね。
会場である青山ブックセンターがある場所について、ちょっとお話していいですか。みなさん、ここに来るときに、階段を降りてきたでしょう。その先が広場のようになっていますね。これは地下なのか、地下にしては広い空間だし……と思いながら僕も歩いて来たんですけど、そもそもここは窪地だったんじゃないかと気づいたんですね。
この青山ブックセンターの近く、青山通りの裏側には、琵琶池という池があり、湧水がたまっています。うっそうとした森のなかにあって、いまは再開発計画がある関係で、フェンスで囲まれています。もともと武家屋敷の庭園の池だったようです。
こうした池のある底地から青山通りを眺めていると、文化の底地から見上げるように、表面でうごめいているきらびやかな文化を見るような気持ちになります。最近、僕はそうした表面的な文化よりも、底地のほうで蠢いているものに興味がある。底地からどうやって文化を見渡すのかについて最近考えていますし、今日はそうした話をしたいですね。
小野:文化を語るときに表面的に見えているものに注目されがちですが、その底に何があるのかを考えることも重要ですよね。
吉見:そうそう、もうひとつ編集長である小野さんに、今日はお聞きしたいことがありました。文化を特集したこの『広告』がなぜこの赤い色と文庫版サイズの判型なのか。直前の打ち合わせで答えを聞いて、なぜ僕は気づかなかったんだろうと自分を恥じたのですが、文化大革命だとおっしゃっていた。
60年前の中国では、みんなが赤い本、つまり毛沢東語録をこう(掲げて)持っていた。そうか、毛沢東語録だったんだと。気がつかなかった……。しかも、文化大革命でありながら、この本はひとつひとつ赤の色味が違いますよね。
中国の文化大革命では、国民を全部ひとつの色にしようとした。でも『広告』ではそれぞれ違う色になるようにデザインしている。こういう深い意味があるデザインですね。
小野:文化大革命に限らず、文化という言葉の背景にある観念を見てみようと思ったんです。文化の背景にはイデオロギーや政治があり、これは共産主義や毛沢東語録がかかわってきます。一方で風土も文化にかかわりますよね。たとえばイタリアで赤はトマトのイメージ、フランスだったらワイン。アメリカだったらコカ・コーラで、これはグローバリゼーションにもつながっていきますね。宗教で言えば、キリスト教での赤は、キリストの血液を意味するでしょう。
このように様々なイデオロギーや政治、風土、宗教などによって、文化は多様な顔を見せる。そうした文化の多様性とその背景にある観念や事象を考えていくうえで、赤という色を選びました。
吉見:日本においては、日の丸を連想する人もいるかもしれない。確かに、文化の多様性を連想する色として、赤は適しているような気がしますね。
小野:本日のもうひとりのゲストは松永伸司さんです。松永さんゲームを通じて美学や社会について考えられています。『広告』の赤い表紙を見たときの率直な感想はどうでしたか。あるいは、今日の「文化の生成と更新」というテーマについてお話したいことがありましたら。
松永:まずパッと見て、かっこいいなと思いました。原色の赤いパンチの効いた感じが僕はかなり好きなんです。自分がかかわった本も赤い装丁にしていて、翻訳したミゲル・シカールの『プレイ・マターズ──遊び心の哲学』(松永伸司訳、フィルムアート社)も赤ですし、著作の『ビデオゲームの美学』(慶應義塾大学出版会)も黒と赤。グッとくるな、好きだな、かっこいいなというのが最初の感覚です。
この色でこの判型なのは、文化大革命だというお話がでましたが、これは文脈を意識した読み取りですよね。一方で美的判断では、パッと見て「ありか、なしか」を判断します。僕は美学が専門なので、そうした美的判断にすごく関心があります。
そうした美的判断をする文化はたくさんあって、美術作品も音楽もそうです。そのときに「ありか、なしか」を感覚で判断しているのだけれども、同時にそれまでの歴史や流行、文脈といったものが、美的判断をするときに効いている。美的判断は感覚的だけれども、知識や文脈が大きく作用するんですね。
そうした美的判断をするカルチャーと更新を考えたときに、それは変わっていくものなのですが、それは人々の好みが単に変わったのではなく、同時にその文化にある蓄積があって、固まったり、逆に流れ出すような動きが出てくるからです。美的文化に関しては、なぜ変わるのかはわからないけれど、とにかくなにかしら変わる動きというのが、つねにあるような感覚がありますね。
今回僕がテーマにした「遊び」も同様で、人間はずっと同じことをしていると飽きてくる。そうすると変わりたいモチベーションが生まれてきます。何か理由があるわけではなく、変化のきっかけは最初からインストールされている感じがありますね。とくにゲーム文化についてはそう感じます。
「文化」は何を耕しているのか?
小野:まず松永さんは、吉見先生にお聞きしたいことがあると。
松永:はい。『広告』での吉見先生と小野さんのおふたりの対談「108 文化とculture」を読みました。吉見先生が「culture」の語源には「耕す」という意味が本質的に含まれているのだというところから、お話を展開させていますよね。この「耕す」は、文字どおりの土をいじって農業をすることではなく、メタファーですよね。
でも僕はあまり、この比喩にピンと来ませんでした。そこで耕されているものはいったい何なのか。耕すのであれば、そこから作物ができるはずで、そこでできる作物とは具体的にどのようなものなのでしょうか。
吉見:土壌が人々であり、人々は作物ではありません。耕されているのは人々です。個人に限らず、村人や町の人々であったり集団でもあったりすると思います。人々の生活や日常、人生が耕されていくプロセスが文化であると。文化は作物ではありません。
松永:土地を耕すプロセスであると。
吉見:ええ、プロセスが文化です。私は、文化と農業を限りなく近いものだと捉えています。農業には土地を耕すプロセスがあり、そこからスイカやトマトが産み出されます。この作物が、文化においては作品と同じです。出荷して売れたり展覧会に出されたりする。でもその作物自体を農業とは呼びませんよね。同じようにそのプロセスそのものが文化だと思っています。
松永:そのメタファーを引き継いだうえで、「豊かな文化」や「貧しい文化」は、どのように考えることができるのでしょうか。
仮に文化が人々の生活や、個人の内面を耕していくプロセスだとするなら、作物は人々がつくり出すプロダクトやアクティビティであるという話ですよね。
それならば「豊かな文化」というときに、それは多く作物をつくり出せる土壌のことなのか。それとも、つくり出される作物の質が高いことなのか。あるいは持続可能か否か、作物を毎年つくっていけるのが豊かさなのか。そのあたりで吉見先生が考えていることはありますか?
吉見:すごく乱暴な答え方をするならば、そういった「豊か」「貧しい」といった価値づけが重要になってくるのは、文明的なものであり、時代でいえば近代以降の話だと思うのです。
文化特集号の対談でもお話しましたが、私は文明(cilivization)と文化(culture)を分けて考えています。前者は都会的で普遍的、後者は土着的なものです。文明化とは地域社会や共同体を超えた広域的な価値基準が成立していくこと。「中華文明」や「イスラム文明」「ギリシャ=ローマ文明」というときには、中心となる地域があり、ほかの地域の共同体が巻き込まれています。中華文明であれば中華的な価値観のなかで、それぞれのローカルソサエティが位置づけられていく。「お前らは野蛮だ」「俺たちこそが文明の中心だ」と。
そして近代以降は、その文明的な価値づけが文化にも流れ込んで来ました。いままでは「おらが村」でよかったローカルな社会に、近代の普遍的な尺度が入りこみ、価値づけが重要な問題になってしまった。ある地域で営まれてきた文化が、「再発見」されたり、市場的な流通で高い価値を与えられるようになりました。
ですが、このような文明ないし近代の規範がよりも、もっともっと底地の部分に、ローカルな様々な人々の営みがあると私は思います。価値が必要でないことは、価値がないことと同じではありません。それぞれの地域でその文化は即事的な価値を持っているのです。
松永:そうすると、人間が生活していたら、勝手にできてしまうものが文化だと?
吉見:人間の集団というのが近いかな。
松永:ある種のパターン化はされますよね。
吉見:地域によって大きく違うと思います。砂漠のなかの小さな集落が営む文化と、日本のように山あり谷ありで海もある地形の文化は違う。無数のものがあると思うんです。違うからこそおもしろいし、違いはなくさないほうがいいと僕は思います。
松永:人間はそれぞれが様々な条件のもとで、生活していかなきゃいけない。先ほどこの会場の裏に池があるというお話をされていましたが、これは地理的条件ですよね。ここが窪地で、青山通りはもともと高い場所になっていたからこそ、昔からとおり道になっていて、いまのような立派な道がとおった。
このようにあらかじめ与えられている条件のもとで、なんとか生活を営んでいかなければならないとき、土地の条件によって、その上に乗っているカルチャーも変わっていくということですね。
吉見:ですからこの話は、いまの僕自身の関心とも重なっていて、最近、自分はメディアから離脱して、都市の場所性に戻っていく感じがあります。
少しだけ、青山通りの話をしたいと思います。東京というのはもともと武蔵野台地の東の端っこ、東京湾と接する入り組んだリアス海岸のような部分に、家康が最初に基礎を築きました。太古の昔、東京湾は今の浦和のほうまで入り込んでいて、人々は海や川のそばで集落をつくって文化を育んでいて、貝塚や祠もありました。青山もそうした地域であり――琵琶池は武家屋敷の庭園のなごりですが──いまでも池や川が残っています。
青山通りはもともと大山街道としてありました。江戸の庶民たちが大山信仰のために使っていた古道で、これが明治以降に重要な道となっていったのは、まず軍隊があったからです。青山通りは、赤坂から六本木、世田谷、相模大野、厚木にいたるまでつながっており、日本陸軍の軸となる道路でした。軍用車が通る道だったので、立派に整備された。
戦後は日本軍の施設がアメリカ軍に接収され、米軍カルチャーの中心地となったため、青山や六本木は「オシャレな街」として発展します。そして1964年の東京オリンピックでは、大規模に改修され、青山通りと原宿一帯はオリンピックシティの目抜き通りとなりました。
こうして青山通りは東京のメインストリートになったのですが、どちらかといえば、表層的で文明的だといえます。でも私は青山通りを底地から考えたいのです。ごく最近までは、軍事施設群やオリンピックシティという顔だけではなく、この青山や渋谷も池のような窪地があり、林があって、太古の記憶を持っていた場所です。
いまの東京では、あらゆる台地に窪地に超高層ビルを建設している。バブル以降、技術的にそうした地形と無関係な開発が可能になりました。再開発地のほとんどは窪地で、そこを開発し、「○○ヒルズ」と名づけられる。谷がなくなり、すべて丘ばかりになっていく。
僕は天邪鬼なので、文化にこだわるためには、文明の先端のヒルズではなく、沼や谷、窪地といった谷だとか穴だとか底だとかから、東京を裏返したいなという欲望があるんです。
文化への制約と「遊び」
小野:ここまでのお話を踏まえて、「遊び」の観点から松永さんが考えられたことはありますか?
松永:地理のような物理的な性質に根ざした文化のあり方の重要性を吉見先生はおっしゃっていますよね。最近は都市開発によってフラットにしてしまう動きがあり、そうすると画一化してしまうと。文明というのは「やりたいことができてしまう」。一方で文化とは、制約された条件のもとで出てくるものであり、それこそが多様性であるのだというお話だと僕は理解しました。
では遊びにおける条件とは何かを考えたときに、ひとつは道具が挙げられると思います。たとえばトランプはゲームに使われる伝統的な道具ですが、実はトランプの4種類で各13枚という数字には、意味がないんですよね。タロットから派生してつくられているのですが、必然性は何もないのです。ただなぜか、その枚数のカードを使って、ゲームをすることになっている。誰もデザインしていないのに、なんとなくそうした条件ができあがっていった。ある種の「自然」ですよね。
それを使ってどのようなゲームをつくろうか考えるのは、自分ではデザインしていない条件に縛られて工夫するという点でカルチャーだなと感じました。山や谷に根ざした文化と同じように、トランプの枚数という与えられた条件から、遊びをつくり出そうとする。
それと対比されるのは、ビデオゲームでしょう。技術上の制約はあるでしょうが、ルールを最初からつくり出せるもので、物理的な制約の縛りはほとんどありません。
小野:松永さんが文化特集号に寄せてくださった論考「111 まじめな遊び、ふざけた遊び」では、ホイジンガとシカールのふたりの対照的な「遊び」についての論を比較していますよね。ホイジンガが、ルールの明確な「まじめな遊び」に注目した一方、シカールはルールから逸脱した「ふざけた遊び」に注目したと。
ルールや慣習を転覆させようとする「ふざけた遊び」が、だんだんと時代を経るに従って、ホイジンガ的な「まじめな遊び」になってしまうことが興味深かったです。
松永:それはよくありますよね。転覆したものが、ある型になっていく。いまだと歌舞伎は伝統芸能的な扱いですが、もともとは大衆娯楽であり、バカバカしいものでした。「中村屋!」と声をかけるのだって、アニメの応援上映を見る感覚とほとんど変わらないでしょう。でも伝統芸能になることで、高尚な芸術のような扱いをされていくのは、よく見る光景ですよね。
小野:先ほど吉見先生は、地理的な条件に根ざした文化のあり方についてお話されていましたが、法律や宗教や政治といった条件はどのようにかかわってくるのでしょうか。それらは厳しい制約と言えますよね。制約を持ったなかで何かが生まれるのであれば、それはどのようなものなのか。
松永:私も吉見先生に聞いてみたいです。小野さんがおっしゃったように、宗教や道徳が文化の制約として機能することは当然にあると思います。それは物理的、地理的な縛りと同じ話なのか、違う話なのか。
吉見:大きな質問をいただきましたね。こうした法律や宗教や、政治、道徳というのは人間がつくったもので、この根本は全部文化だと言えると思います。そして文化の根本には遊びがある。ホイジンガがいったように、人間は遊ぶ動物であり、遊ぶという実践から文化になり、その派生として法や政治、宗教があるのではないか。
乱暴に言うなら、おそらく18世紀以前には、文化という概念はほとんど問題ではなかったと思います。宗教が圧倒的に重要だったからです。文化より宗教がずっと大きな社会でした。
19世紀に社会学者のマックス・ヴェーバーは「魔術からの解放」「脱呪術化」と言いました。近代とは基本的に魔術からの解放であり、宗教からの離脱の時代になったと。これに対する批判はいくらでもありますが、宗教が相対化されていくなかで、「文化」というカテゴリーで物事が語られるようになった。
ですから、文化という概念自体が近代の歴史的な産物なんだと思います。少なくとも「文化」自体が18世紀末以降に社会的な地位を確立していったものです。その背景には国民国家の形成や、ヨーロッパの政治的な状況がありました。
ではなぜ僕は、文化について考えているのか。「文化」が18世紀末に注目された概念であったとしても、それ以前から人々が価値を生み出してきた実践があります。それを語るうえで、「文化」や「カルチャー」という枠組みで捉えるのがいいのではないかと考えたからです。これは私の価値判断ですね。ですから、もっと古い人でいえば、私が「文化」と言っているものを「信仰」と別の形で表現するかもしれない。
当然ながら、「文化」というカテゴリーそのものが、所与の概念ではなく、動的なものです。「文化」の枠組みを使って様々な問題を考えていくこと自体が、ある種の実践だと言えると思っています。
それは「遊び」について語ることも同様でしょう。私が学生時代に買ったホイジンガの『ホモルーデンス』の本を持ってきたんだけど、なんと昭和52年、1977年のもの。赤線が結構引いてありましたね。
オランダのライデン大学の学長であったホイジンガが『ホモルーデンス』を書いたのは1939年であり、ナチスが議席を取りヨーロッパへ侵攻を開始しようとしている直前でした。彼の窓の外には、明確にナチスが見えているんです。そのなかで「人間は遊ぶ存在である」と書いた。ものすごいファイティングスピリッツです。ですから、遊びについて書くのは、そこでは戦いなんですよね。
実際ホイジンガは、ナチス批判のために収容され、収容所から出されたあとも軟禁状態だったといいます。そしてホイジンガ自体はヒットラーが亡くなる前に亡くなっていて、ナチスからの開放は見ていない。彼はそれでも人間の本質に遊びを見て、それを書いた。僕は、ホイジンガの戦う姿勢にとても感動しました。
それには遠く及びませんけれども、文化を語るとき、語る人は何かと戦っているんです。学者とはそういうもので、出版もそういうものだと思います。今号の『広告』は何と戦ったのか。そこが大切かなと思います。
なぜ古い価値観は変わらないのか
小野:ここからは、文化の更新についてお話していきたいと思います。最近は、様々な場面で、価値観の更新が議論されているように思います。
一方で、みなさんご存じだと思いますが、文化特集号の記事「124 ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか」のなかで、ジャニーズ事務所に関する記述が博報堂の広報室長の判断によって一部削除される事態が起こりました。
『広告』の編集長として、たとえビジネスパートナーであっても、社会問題や犯罪にかかわる場合は、忖度や配慮を過剰にすることは避けるべきだと僕は思います。なので、削除への拒否と抗議をしましたが力が及ばず、「本記事は、ビジネスパートナーであるジャニーズ事務所への配慮の観点から、博報堂広報室長の判断により一部表現を削除しています。」と記事内に掲載することになりました。
今回の事態を通じて、博報堂グループが持っている古い価値観については変えていくべきだと僕は思っています。
いままで明らかにおかしいことだったのに、誰もがおかしいと気づくことができなかった。気づいていたかもしれないが、責めるべきことだとは思っていなかったと言うほうが近いかもしれません。最近になって、多くの人が声を上げはじめたから、やっと動くようになってきたのだと思います。
そうした明らかにおかしいことが封殺されることは、この件に限らず、日々の業務のなかでたくさんあるでしょう。松永さんは論考のなかで「ブルシットジョブ」について書かれていましたよね。「神エクセル」のような非合理的なルールと書式が維持されるのはなぜかと。このような古い文化を更新するために、「遊び」にヒントがあるような気がしたんです。
松永:ブルシットな仕事って多いと思うんですが、なぜ、みんななくしたいと思っているはずなのに、なくならないのかというところですよね。
僕は変わらないほうがデフォルトだと思っています。カルチャーは成り立っちゃっているものなので、続けるほうが、抵抗が少ない。変えるほうにむしろ理由が必要となるのではないか。
変える理由は明確にあって、たとえば非合理的なのでもっとマシな仕事の仕方をしましょうというのもひとつの方法でしょう。いま話題になっているジャニーズの件でいうと、倫理的に悪いことだから変えましょうと。
そうした変える力と、理由はないけれどとにかく続ける力の戦いなんだろうなと思います。変わらない文化は、いまのところ続ける力のほうが勝っている。
小野:なるほど。続けることも、文化のひとつの側面ですが……。
松永:続けることのほうが、抵抗が少ないと思うんですよね。そしてホイジンガ的な「まじめな遊び」は、むしろそうした古いルールをむしろ維持していると思います。たとえば大学の研究費の書類は、複雑なルールと書式があり、非合理なものが多いんです。「不正の防止」というそれなりの理由もありますけど、それよりも細かいルールをまじめに遊んでいるから――それは官僚的なごっこ遊びや、ルールを十全に理解してスマートに課題をこなす挑戦の遊び――をしているからではないか。
小野:なるほど。遊びがルールを維持している面もあるんですね。吉見先生はいかがですか?
吉見:僕は社会学者なので視点が微妙にズレると思うんですが、広告代理店の問題は今回に限らず、オリンピックでもネガティブな意味でニュースをにぎわせてきましたよね。
世界を見ると、1990年代からグローバルゼーションは始まっていて、垂直統合から水平統合へ世界は構造転換をどんどんしていきました。しかし日本はその構造転換についていけなかった。垂直統合というのは、親会社、子会社、孫会社のような、縦軸の社会です。大学であれば、東大や京大をトップとする偏差値のピラミッドのなかで、親が子に受験をさせて、それでいい大学に入ればそれで人生がうまくいくと思っている。そうした日本社会の構造は、いまのグローバル化やネットワーク化の水平統合の社会と合わなくなっています。
平成は「失われた30年」などと言われますが、それはこの垂直統合の仕組みを変えられなかったからなんですね。みんなが薄々危機意識を持っているはずなのに、なぜ変わらないのか。変わってもらっては困る人たちがたくさんいるからです。
日本社会は1960年代から1980年代まで成功した社会であり、そこで既得権益のような美味しい汁が社会のなかにいっぱいできた。独裁者がいて、それを全部ガメているわけではないんです。独裁者が全部俺のものだと言っているのであれば、あいつを倒せ! と言って終わりです。ですが、日本の場合は少しだけいい思いをしている人が無数にいるんですよね。そうすると変わらないんですよ。
日本人のかなりの数の人々が「変わらなくちゃ、このままじゃまずい」と言っている割には、総論賛成、各論反対なんですよね。「賛成なら、あなたの業界を変えてください」と言うと、「いやぁ、私のところはうまくいっているんで」とか「いますぐ全部壊してもらっちゃこまる」という話になる。そうした細かい既得権益が、日本のあらゆる産業、教育も含めて存在しているように思います。こう言っている私も含めて、そのことによって恩恵を受けているし、受けてきた面がある。それをどう断ち切るかだと思うんです。
文化を変えるには「外圧」しかない?
松永:外圧で変わることはないんですか? たとえば、明治維新も強い外圧によって日本が変わったケースですよね。
小野:ジャニーズも、BBCが報道したことで潮目が変わりましたしね。
吉見:むしろ、外圧以外で変わったことがほとんどないというのが、この国の悲しいところですね。大化の改新も、明治維新もそう。戦後もマッカーサーが来て変わっていった。それ以外でこの国は変わったことはあるんだろうか……。
小野:とはいえ、外圧を待っているだけでは何もできない。それ以外の変え方はないんでしょうか。
先ほど松永さんは、ホイジンガ的な「まじめな遊び」が、むしろブルシットなジョブを維持している可能性についてお話していましたよね。ではシカール的な「ふざけた遊び」はどうでしょうか。シカールは、ルールを「まじめに」守ってプレイするプレイヤーよりも、目的を無視してルール破りをするプレイヤーの「遊び心」に注目したように思います。そうしたふざけた遊びによって、そのルールを転覆させていくのだと。
この「ふざけた遊び」の働きを利用して、あらかじめ決まってしまったルールに対して、何か変化を起こしていくことはできるのでしょうか。文化を変えていくことはできるのか。
松永:遊びのなかでのルール破りは、きっかけにはなりうると思いますが、それ自体が生産的なのかはかなり微妙だと思うんです。
たとえばもうすでに固まった組織や社会があり、それがなかなか変わりづらい。そのときにあえてルールを読まずにルールを転覆させる人がいると、動きは出てきますよね。ほころびが出はじめる。
ですがよりよい形に文化を変えていこうとするときは、理念や価値観のようなものが必要になってくるでしょう。明確にこれが価値として高い/低い、いい/悪い、というある種の同意、規範や道徳がないと、ルールを転覆させてもぐだぐだになってしまうのではないか。でもきっかけとしては使えると思いますよ。
小野:今回の件で規範についても考えさせられて。社会倫理と職業規範がぶつかるケースだったと思うんです。職業規範としては、クライアントやビジネスパートナーの利益、及び自社の利益があった。社会倫理としては、人権にかかわるもの、犯罪にかかわるものは容認できないだろうと。
そうしたそれぞれの規範や倫理がぶつかることがある。僕らは、ひとつの文化のなかで生きているわけではない。僕は日本文化で生き、博報堂の文化で働き、大阪生まれなので大阪の文化に馴染んでいる。それぞれの規範を使い分けていて、そのなかで規範がぶつかってしまう。
そのときに、どういうふるまいをするのか。今回の場合は企業規範と社会倫理がぶつかり、社会倫理がないがしろにされそうになった。そういうことって、外圧でしか変えられないのでしょうか。
吉見:先ほどはネガティブな言い方をしてしまいましたが、じゃあどうすれば外圧を利用しながら社会や文化を変えていけるのかを考えると、日本の社会ではいくらでもそのケースがあると思うんです。たとえば明治維新につながっていったのは、半脱藩志士たちの働きがあったからでした。
さきほど小野さんがおっしゃったように、大阪人でもあり、『広告』編集者でもあり、会社員でもあり、といくつかの顔を持っていますよね。僕だって大学教授であり、物書きであり、演劇好きであり、といろいろある。
その個人の多数性や複数性が現代社会ではどんどん強まっていると思います。だから私は広告代理店の人間だけれども、半分は外の人間であるということが比較的容易なのではないか。そうやって、個人が会社を超えて外でつながっていくことには可能性があると思います。
話を外圧に戻すと、過去の日本を振り返ると、外圧が起こってきているのは、グローバリゼーションの時代です。古代からアジアの交流や流通が発達すると、人の流れも出てきて、それが「外圧」と感じられるようになる。江戸幕府が壊れたのも、ヨーロッパやアメリカからいろんな人が流入してきたからです。松下村塾などの様々な私塾があって、侍や商人の若者たちは、藩や村のような組織から旅をし、様々な場所へ散らばり知識を学んでいました。
社会の規範が緩んで、ちょっと嘘っぽくなっていく、みんながいままでの建前を信じられなくなっていく時期に、流動化が起きるのだと思います。そして流動化のなかから次の芽が出てくると思うんですよね。
ホイジンガは『中世の秋』という素晴らしい本も書いています。その導入では、社会が腐っていく、腐食していくなかに、新しい時代や歴史、文化の誕生があるのだと書いている。それがすごくよくわかります。
ですから、半脱藩するのはいい手なんじゃないか。全部辞めてしまうのは生活もあるので困るけれども、半分外に出てつながるネットワークをたくさんつくっていく。そうしたことでしか、次の時代は出てこないと思っています。
松永:いまの吉見先生のお話は、個人の努力で半分外につながるというお話でしたが、テクノロジーは、ある種の外圧として考えられないですかね。古い世代が使えないけれど、新しい世代は使えるときに、強制的なルールチェンジが起こりやすい。それがある種の外圧を持つ機能もあるのではないか。
たとえば、いままでは地元の権力者に若者がつぶされていたのを、SNSで発信してバズることで一石投じることができるようになった。テクノロジーを政治的なものとして使うわけです。それは従来できなかった手段で、いいか悪いかは別にして、使える人と使えない人がいることが、ゲームチェンジとして機能する。
小野:外圧を喚起する仕組みとしてSNSを利用するということですね。
松永:その場合の外圧とは何なのか。バズみたいなものだと思うのですが、理念があるわけではなく、多くの人はおもしろおかしく盛り上がりたいだけなんですよね。あれはまさしく「遊び心」ともいえます。それを利用していいのか悪いのか、そしていい方向に持っていけるのかには疑問が残ります。
小野:いわゆる炎上に加担する人たちは、おもしろおかしくやっていて、まさに「遊び心」なんですね。利用すること自体のよし悪しも考えてしまいますね……。
松永:利用すること自体はいいと思うんですけど、それ自体に価値はない。既存の枠組みを変えるために、「遊び心」がどこまで使えるのかを考えると、先ほども言ったように、きっかけにしかならないわけです。何かを変えるには、単なるバズりとは違う努力が必要になってくると思います。価値観だったり、規範だったり、道徳だったり。
小野:SNSの炎上以外で、外圧をつくり出す回路がないことに問題があるのかもしれません。
吉見:SNS自体が外圧なのではなく、外圧を生むことを可能にする仕組みですよね。テクノロジーが変化することで、自然と社会は変わらないけれども、私たちの他者や社会に対する感覚も変わっていくと思います。ですから過去の「外圧」と、いま私たちが話している「外圧」は違いますし、テクノロジーが進むにつれて、われわれが何を「外圧」と感じるのかも変わってくるでしょうね。ネット社会は、空間的な距離に関係なく、水平的に様々なセクションをつないでいきますから。外圧がいたるところに出てきやすい社会になっていくと思います。
SNSと外圧を考えると、私がハーバードで教えていた2017年は、ドナルド・トランプが大統領になって1年目でした。いちばんやりたい放題の時期です。トランプは非常に巧みに「外圧」をつくり出し、自分がやりたいように持っていくように感じました。ですから「外圧」はいま、そうしたポピュリズムに利用されるほうが優勢である気がしますね。
小野:SNSによって外圧をつくりそれを利用していくのは、ひとつの手段だとは思いつつ、注意も必要ですよね。もっとポジティブに変わっていくような回路が発明されたり、思想的に発見されたりするのか。僕自身も考えていきたいところです。
まだまだ話し足りないですが、時間が来てしまったので今回はここまで。吉見先生、松永先生、ありがとうございました。
文:山本 ぽてと
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