『広告』文化特集号での広報室長判断による一部表現の削除について
『広告』編集長の小野です。
以下の矢野利裕氏のnote(3月31日公開)およびJ-CASTニュースの記事(4月3日公開)の内容について、編集責任を持つ『広告』編集長として経緯の報告と見解を書きたいと思います。
まず、上記のnoteおよび記事に書かれているとおり、3月31日に発刊された『広告』文化特集号に掲載された記事「ジャニーズは、いかに大衆文化たりうるのか」において、矢野氏の発言の一部が博報堂広報室長の判断により削除されたことは事実です。
当該記事の対談を実施したのは2022年12月1日。対談者両名の確認を経て原稿が完成したのは12月22日でした。すぐに広報室への確認を投げました。そして、そこから約1カ月後の2023年1月24日、ビジネスパートナーであるジャニーズ事務所への配慮を理由として、広報室長から一部表現の削除要求がありました。編集長としてその場で削除要求の拒否および抗議を行ないました。しかし力およばず、最終的に削除する結果となりました。
こちらからの拒否・抗議の論理は以下の3点でした。
3つめは社会的には重要ではありませんが、広報室長の忖度の意図と異なる結果を招くことを理解してもらうために伝えました。
また、僕個人としての覚悟を示すため「もし、そのまま掲載してなにか問題が起きたら、自分がクビになることはまったく構わない。自分がとれる責任はすべてとる」と伝えました。しかし、残念ながら聞き入れてもらえませんでした。
この議論をしている時点で、設定していた校了予定日を1週間ほど過ぎていました。雑誌そのものの発刊が危ぶまれたため、最終的には要求を呑むかわりに以下のふたつの選択肢を広報室長に提示しました。
提示した翌日、広報室長が選択したのは②でした。今日、この投稿についての話し合いの場で、「批判があることを覚悟して選択した」と話していました。
広報室長は非常にまじめな方だと思います。まじめが故に博報堂およびビジネスパートナーへの配慮(忖度)に集中してしまい、社会や著作者・著作物に対する配慮(敬意)が後回しになったのでしょう。広報室長の個人としての人格を非難するつもりはありません。そして誰も非難するべきではないと考えます。ただ博報堂広報室長という立場が与える人格に対しては、そのスタンスの不適切さや危うさを覚えます。立場や職務が、個人本来の価値観に優先して行動を決めてしまうアイヒマン(ユダヤ人移送局長官)的な現象なのだと思います。
ことなかれ主義、隠蔽体質、ブラックボックスでのやりとり。これらは広告会社の悪しき「文化」です。すべてが不正とは思いませんが、今回のような不適切なケースについては決定権を持つ上層部が先導してなくしていくべきだと考えます。
最後に、雑誌の発刊を優先し、削除要求に対する抗議・拒否を徹底しなかったことは僕の過ちです。矢野さんおよび関係者、世の中に対して心から謝罪します。
また、博報堂のいち社員として、間接的にでも博報堂の悪しき慣習に加担していることを自覚したうえで、博報堂の善い部分が強化され、悪い部分が浄化されることを心から願います。
『広告』編集長 小野 直紀