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108 文化とculture 〜 社会学者 吉見俊哉 × 『広告』編集長 小野直紀

「culture」という語は英語においてもっとも複雑とされる言葉のひとつである。同様に日本語の「文化」も様々な場面で多義的に用いられる言葉だ。その複雑性や多義性はなぜ生まれたのか。そして近代から現代における「culture」や「文化」にまつわる議論はどのような広がりと変遷をたどってきたのか。長年、文化にまつわる幅広い研究・執筆を行なっている社会学者・吉見俊哉氏に、本誌編集長・小野直紀が「文化とculture」をテーマに疑問をぶつけ、その全容をひも解く。


「culture」とはカウンターだ

小野:本誌にて「文化」を特集するにあたり、まず吉見さんの『現代文化論』(有斐閣アルマ)を拝読しました。よく使われるわりに、その意味がぼんやりとしていた「文化」という言葉の全体像をつかむヒントがたくさんありました。

吉見:この本の英題は『Introduction to Contemporary Cultural Studies』です。現代の日本で多くの人が自明なものとして「文化」という言葉を使ってしまうときの、その「文化」概念の前提を壊していくための入門書、イントロダクションなのです。

小野:まさに、自分のなかの「文化」の枠組みが壊れるような読書体験でした。今回は、その壊れた枠組みを再構築するために、日本語の「文化」と英語の「culture」についていろいろとお話を伺っていきたいと思います。

吉見:そうですね。まず、「culture」を「文化」と訳してきたのは、極端に言えば「誤訳」だったと私は思っています。

英語の「culture」は「agriculture」と同語源です。「agriculture」は「農業」であり、農業は土を耕し、種を植えて、芽が出て、木になり、実をつけて、作物ができ、また土に戻って……と循環していくものです。農夫は種を育てるために土壌を耕します。「agriculture」では自然を耕すわけですが、人を耕す、社会を耕すのが文化、というか原語である「culture」です。「culture」の語源には「耕す」という意味が本質的に含まれています。比較的近い日本語としては、「養生」や「修養」を挙げられるかもしれません。

小野:確かに「文化」という語感からは「耕す」という意味合いはまったく感じられませんね。

吉見:日本語の「文化」はどちらかと言えば、「武」に対する「文」、つまり「軍事」の対抗概念として理解されてきました。「武官」と「文官」の対比が、今日では「経済」と「文化」の対比にシフトしているようなところがあるのです。その結果、そもそも「文化」とは耕す行為であり、社会を肥やし、人や地域を育てていく循環的なプロセスであるという認識が欠落してしまった。それが、日本における文化事業のマズさにもつながっているように思います。

小野:文化とは「耕すプロセス」であると。その視点はとても重要そうですね。のちほど詳しく聞かせてください。その前に、初歩的なお話から伺っていきたいのですが、西洋において「culture」という言葉、概念はどのように発生したのでしょうか。

吉見:ヨーロッパの場合、近代を通じて「culture」と「agriculture」が分岐し、自然だけではなく人間の発達過程にも「culture」が使われるようになりました。そして18世紀以降、「culture」は「civilization」の対義語として強調されていきます。「civilization」とは「文明」です。18世紀のヨーロッパにおいて、文明の中心はフランスでした。フランス革命後、ナポレオンが権力を持ち、ヨーロッパを制圧していきます。そしてフランスの「civilization」を周縁に広めようとしたのです。

それをおもしろくないと思っていたのが、ナポレオン戦争で敗北したドイツでした。だから、フランスが主張した都会的で普遍的な「civilization」に対抗して、土着的で国民固有の価値を持つ「culture(ドイツ語ではKultur)」を主張したのです。農業は土着的な活動ですからね。

小野:フランスが「civilization」なら、ドイツは「culture」でいこうと。

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