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曖昧さの中の輪郭線

雑誌『広告』歴代編集長インタビュー|第2回 尾形真理子

平成以降に雑誌「広告」の編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューをする連載企画。第2回は、平成27年1月~平成28年10月に編集長を務めた尾形真理子に話を聞きました。「なぜか愛せる人々」をテーマに掲げ、抽象的な特集タイトルとともに、いつも独特な空間を誌面に展開させていた尾形『広告』。その意図と背景にあったものを探ります。

掘り下げたかったのは、なぜか愛せる“無敵”な人々。

小野:尾形さんはどういった経緯で編集長に就任されたんですか?

尾形:私は辞令に近い打診だったんですね。雑誌『広告』は自分の会社生活と関係のない存在のように思っていたんですが、ある日突然打診されて。あまりにも想定外だったので、真っ先にどうやって断ろうか考えました(笑)。

小野:かなり悩みました?

尾形:編集長を務めている間もずっと悩んでいましたし、今も私にとって『広告』がなんだったのかよくわからないというのが正直なところなんです。

小野:悩める尾形さんが掲げたテーマは、「なぜか愛せる人々」でした。

尾形:歴代の編集長は多かれ少なかれ前任の編集長を意識すると思います。共食いにならないように(笑)。掲げるテーマも好みやそれぞれの理由に左右されると思いますが、私の場合は文化人類学的なことに興味があって、端的に言えばやはり「人」だったんですね。

具体的にいうと、思いがけない魅力のある人。実はそういう人ほど無敵というか、その理由をはっきり言葉にはできないけれど「なぜだか気になるという人」ほど社会の中で力があるような気がして。そんな感覚を掘り下げていければいいなと思っていました。

小野:誌面づくりに広告業界での経験を生かしたり、逆に別の視点で取り組んだりしましたか?

尾形:全然違うスタンスでやろうと思っていました。でも、できなかったです(笑)。編集者の仕事がどういうものか知らない訳ではなかったけれど、自分にはその仕事の進め方が馴染まなかったんですね。自分でテーマを決めて、企画を考えて、自分で書く。それしか自分にはフィットしなかったんです。結果として寄稿の少ない雑誌になってしまいました。私、結構自分で原稿を書いていたんですよ。

小野:聞いています(笑)。

尾形:「編集長ってそういうものじゃない、君に何か書いて欲しい訳じゃない」と社内からも助言をいただいたんですが、どうしたらいいのかわからなかったんですよね。

特集タイトルは、「抽象的だけどちょっと気になる」。

小野:ライティングもそうだと思いますが、編集長としてこだわった部分は他にありましたか?

尾形:毎号、特集テーマをわざと抽象的にしました。「抽象的だけどちょっと気になる」くらいの加減ですね。特集タイトルも「おいしいコーヒー」や「東京の休日」といった具体的なものではなく、読者の方が表紙を見て「なんなんだろう?」と自分で考えてくれるような。

記事を読むと、ぼんやりとその輪郭が見えてくる。その輪郭の補助線となるようなものを企画にしようと思ったんです。たとえば「70年と1歩」(『広告』vol.403)という特集も、なるべく多面的な企画で構成したかったんですね。でも、まだこの特集タイトルは分かりやすい方で、「人の間(ま)」(『広告』vol.401)とかになると、もう……(笑)。

小野:すごく抽象的ですよね(笑)。

尾形:私自身も編集委員も悩みながらつくり、そして読者の方にも考えながら読んでもらう、みたいな雑誌を結果的に目指していたように思います。

小野:お話を聞いていると、尾形さんの『広告』は「輪郭」がキーワードのような気がしてきました。

尾形:だれかに「これは大切だよね」と伝えたいことって、個人的な価値観だったり、社会の時代性が背景にあったりしますけど、誌面ではそこまで踏み込むことはできないと思ったんです。企業の広報誌として思想を持てないこともありますし、私自身にもないからなんですが、思想を持たずして受け手へ伝えるために、「大切だ」という感覚を込めながら曖昧な感じで雑誌をつくりたかったと言えばいいんでしょうか。「輪郭」にはコンテンツの選択と主張の波長の長さという2つの意味があったかもしれませんね。

小野:全体的に曖昧さの中に何かを感じさせるつくりになっています。

尾形:雑誌って、すべての記事を完読するのは難しいですよね。だから構成も、それを前提につくっていました。一部分を読んでもらうだけでも、読者の方に少しは伝わるようにと。

私が感じる雑誌のよさは、巻頭から読まなくてもいい自由なところなんです。映画ならそうはいかないですよね。巻頭に大きなインタビュー記事を持ってきたのは、そこから読んでもらうためではなくて、他の記事を先に読んだ人が「もう少しじっくり読みたいな」と巻頭に戻ってきてくれることを想定していました。これも、読み手の行動を予測しながら、委ねるようにつくった「輪郭」のひとつだったのだと思います。

渾身の一冊、イチオシの記事。
委ねながらつくりだした雑誌の「雑」感。

小野:尾形さんが編集長時代の2年間に手がけた8冊の中で、一番思い入れのある号とその理由を教えてください。

尾形:「戦後をどう捉えるか」をテーマにつくった特集「70年と1歩」です。この号をつくるのはチャレンジでした。やはり、楽しんでつくれるテーマではないですから。

小野:そうですよね。

尾形:本来なら、この特集を企画すべきは戦後70年の節目となる平成27(2015)年だったのですが、最初からあえて1年ずらそうと決めていました。1年ずらすことで、70年の区切りの年ではなく、より普通の戦後をとりあげたかったんです。戦後71年、72年はあまり他のメディアはとりあげないですし。私は毎年毎年の「戦後」を考えたかったんです。

尾形元編集長が選んだ“渾身の一冊”は、平成28(2016)年の夏に発行された『広告』vol.403 特集は「70年と1歩」
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小野:「あえて」だったんですね。なぜ70年ではなくて「70年と1歩」なんだろうと考えていたものの、その話を聞いてはっとさせられました。この号の中でイチオシの企画はどれですか?

尾形:巻頭の「太平洋が見える家で」ですね。沖縄戦を経験した元米軍兵士を父親に持つ、デール・マハリッジさんにインタビューしました。デールさんは兵士達のみならず、その家族を含めて沖縄戦や戦争がどのような影響を与えたかを取材し、『Bringing Mulligan Home』という本を執筆したアメリカを代表する作家なんです。

小野:デールさんは大学教授、ピュリツァー賞を受賞されたジャーナリストでもありますね。

尾形:はい。当時彼は休みになると仕事場のニューヨークを離れて、北カリフォルニアの人里離れた田舎にある別宅で過ごされていました。「ここに来てくれるなら会えるよ」とデールさんから返事をいただいて、私もその別宅へ取材に行きました。

舗装されていない野道を行くような場所にあって、電気もご自分でひかれていて。デールさんは『Bringing Mulligan Home』をそこで執筆されたんですね。そのお家からは太平洋を望むことができて、広い海を隔てて戦った日本とアメリカのことをお互いに想像できるような場所でした。

小野:広大な太平洋の写真はすごく印象的です。この「70年と1歩」特集でデールさんを取材しようと思った理由はなんだったんですか?

尾形:「平和な戦後がずっと続けばいいな」「どうしたらそれを続けることができるのかな」と思いを巡らせるものの、私には自分で言葉にできるほど明快な考えがないんですね。でも、何かかたちにしたい。そう思った時に頭に浮かんだのは1995年の「ドレスデンの和解」でした。ドレスデン空襲の追悼式でアメリカ人、イギリス人、そしてドイツ人も当時の敵味方を越えてみんなで犠牲者のために祈った光景こそが、本当の戦後の姿ではないかと。

日本人としてその「和解」を考えた時、私が想像する相手のひとりとしてデールさんが思い浮かんだんです。彼自身、沖縄戦を経験した父親を通じて戦争の様々な影響を受けていたにもかかわらず、アメリカ社会や国とは違った別の視点であの戦争を全身で捉えようとしていました。そんな彼が考える戦争についてお聞きしたかったんです。彼がはるばる海を越えて沖縄を訪れたように、私たちも野山を越えて行きましたけど、お会いできてよかったなと思います。

尾形:もうひとつ選んでいいですか?

小野:どうぞ!

尾形:編集委員として連載を担当していただいた、井村光明さんの「一週間禁○生活」をぜひ読んでほしいです。井村さんが日常生活で何かを禁じてみるという企画なんですが、毎回誰にも予測できない展開になるんです(笑)。巻頭はデールさんの真摯な記事で始まりましたけど、巻末は井村さんが自分自身に一週間座ることを禁じる体験記になっているんですよね。

井村さんは広島出身なんですが、文中にオバマ大統領が広島でスピーチする映像を社内で見ている描写があるんです。もちろん井村さんも広島出身者としていろいろ考える部分があったと思いますが、立ち尽くしてテレビを見つめる井村さんの姿に気づいた私の同期が、「広島の人にはやはり思うところがあるんだ」と、グッときたと話してくれて……(笑)。

小野:確かに、それは予測できないですね(笑)。

尾形:もちろん彼は井村さんが企画上ずっと立ち続けなければいけないことなんて知らないのですが、その姿を見て広島に目を向けようと思ったと話してくれました。

人の姿や行動がまわりに影響を与えて連鎖していくシーンを私も目撃した訳で、人は何を見て何を感じ、何を考えるか、誤解も含めてやはりわからないものだなと思いました。そういった意味では、井村さんの企画は雑誌っぽいなとも感じましたね。手を離れてからが勝負というか。

小野:なるほど。

尾形:普段の広告業務は、誰に対してどうやってバズらせるかを考えたり、コントロールまでしようとするものですが、その意味では私は雑誌をコントロールしようとしなかったと思います。雑誌の「雑」をできるだけたくさんつくる。しかも、その「雑」を読者に委ねながらつくるという考え方で、私にとっての「雑」感はレベルや方向性のばらつきだったかもしれません。

9冊目があっても、テーマは「なぜか愛せる人々」。

小野:広告やコピーライティングって人を見る職業だと思うのですが、「人」をテーマにした雑誌づくりを通じてその視点は変わりましたか?

尾形:自分に見えている「人」の姿は一部分でしかない。それは頭では理解しているけれど、どうしても自分が抱いた印象や関係性なりで、人は「人」を見てしまうものではないかと思います。雑誌で「人」を取り上げる時も、360度の姿を見せることはできません。だから、その「人」のどこかにフォーカスを絞る。でも、そうするとフォーカス以外の部分が削られて、その「人」の姿は真実ではないことになる。フォーカスの過程で、何がこぼれ落ちたのか。そんなことを考えるようになりました。これは井村さんの「誤解」のエピソードも含めてです(笑)。

小野:最後の質問になりますが、今、もう一度『広告』の編集長をやることになったら、どのような雑誌にしますか? 断れない状況にあるとして(笑)。

尾形:う〜ん……。私の場合は延長をつくりますかね。やはり、テーマは「なぜか愛せる人々」にすると思います。これは、本当に普遍的なテーマではないかと思っていて、その9冊目を、また頑張ってつくることになると思います。


尾形真理子
平成13年、博報堂入社。コピーライター、クリエイティブディレクターとして数多くのTVCFやグラフィックキャンペーンなどをマルチに手がける。平成27年1月に雑誌『広告』編集長に就任。平成28年10月まで8冊の『広告』を世に送り出した。平成30年にTangを設立、博報堂フェローとなる。著書に小説『試着室で思い出したら、本気の恋だと思う。』(幻冬舎)がある。
撮影:石川清以子
フォトグラファー。平成18年、博報堂プロダクツ入社。尾形編集長の最後の号となった『広告』vol.404 特集「勝手な使命感」で巻頭インタビューの撮影を担当した。

インタビュー:小野直紀 文:宮田 直

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インタビューにてご紹介した尾形元編集長 渾身の一冊をオンラインにて無料公開します。

『広告』2016年8月号 vol.403
特集「70年と1歩」
こちらよりご覧ください

さらに、その中のイチオシ記事をnote用に再編集しました。

The Other Side of the Good War|太平洋が見える家で|71年前からわたしたちが持ち帰ったもの (尾形元編集長イチオシ記事 #1
こちらよりご覧ください
タバコ以外ならやめてやる! 出てこい禁断症状「一週間禁◯生活」 (尾形元編集長イチオシ記事 #2
こちらよりご覧ください




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