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The Other Side of the Good War|太平洋が見える家で|71年前からわたしたちが持ち帰ったもの (尾形元編集長イチオシ記事 #1)

Dale Maharidge(ジャーナリスト コロンビア大学大学院教授)
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尾形真理子(『広告』編集長 コピーライター)

 終戦記念日が、今年もやってくる。玉音放送で国民に敗戦が告げられた日だ。日本では8月15日だが、アメリカでは9月2日。日本側が降伏文書に署名をした日で、彼らの「Victory over Japan day」、つまり対日戦勝記念日なのである。

 デール・マハリッジというジャーナリストがいる。彼は1956年にアメリカで生まれ、社会が抱える光と影に向き合ってきたドキュメンタリー作家である。彼が今まで執筆してきた数々の本の中に『Bringing Mulligan Home』という一冊がある。「マリガンを故郷に帰還させよう」。マリガンとは沖縄戦で遺体が未回収のままの海兵隊員で、デールの父の戦友だった。

 デールが子どもの頃、忍び込んだ屋根裏部屋には父親の黒いトランクがあって、その中には日本人のパスポートや日の丸の旗など、謎の物品がたくさん入っていた。父親は誰もいない地下室で、「黙れ! もうママはここにはいない!」と叫んでいた。そして2000年に迎えた死の床で「自分は沖縄で日本兵を殺した」と息子に告白した。「やるかやられるかだった」。

 この本には、副題がついている。「The Other Side of the Good War」、これは「良き戦争の向こう側の側面」というのがデールの意図に近いだろう。裏側というよりは、異なる視点。相手側の視点。デールは父の死をきっかけに、太平洋戦争が自分たち家族の生活に大きな影を落としてきたことに気づく。その後おとずれた母の死にも背中を押され、父の沖縄での体験を本気で知らなければならないと思った。帰還兵の息子としてではなく、ひとりのジャーナリストとして。物事は「This Side」だけでなく「The Other Side」まで視なければ、決して見えてこない。

 デールは13年間かけて、沖縄戦で父と同じ中隊に属した元海兵隊員を探し出し、インタビューをした。人生の最晩年を迎え、長い沈黙を破った彼らの声に耳を傾け続けた。そして2011年4月1日。66年前にアメリカの大艦隊が沖縄本島に上陸した日。デールは父の戦友の遺骨を探すために、戦地から持ち帰った物品を遺族に返却するために、何より「The Other Side」の話を聞くために、沖縄の地を訪れた。

第二次世界大戦が終わり、
大勢の男たちがアメリカに帰還した。
けれども「良きの戦争」の名のもとに
無数の美談が語られるばかりで、
遠い場所で男たちが本当に体験したこと、
そして彼らが家に戻ったあとのことは
無視されている。

『Bringing Mulligan Home』 邦題『日本兵を殺した父』より引用

『Bringing〜』の前書きにデールが書いた一文だ。自分の父親は「正義の戦争」によって、心に闇を抱え後遺症に死ぬまで苦しんだ。

 デールがこの本を執筆した北カリフォルニアの別宅でインタビューをする。奇しくも6月22日。71年前、沖縄島の制圧を米軍司令部が宣言した日。太平洋に面した緑あふれる小さな家に、彼はあたたかくわたしを招き入れてくれた。

我々は記憶力がない
記憶の消去をする

Dale Maharidge(デール・マハリッジ)
age 59
1956年生まれ アメリカを代表する作家・ジャーナリスト。コロンビア大学大学院教授。1990年、『And Their Children After Them』で、ピュリツァー賞ノンフィクション部門を受賞。現在までに10冊の著書を発表している。『日本兵を殺した父 ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち 』(原書房)、『繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ 果てしない貧困と闘う「ふつう」の人たちの30年の記録』(ダイヤモンド社)の2冊が和訳されている。

尾形:太平洋戦争が終わって、この夏で71年が過ぎようとしています。戦争体験者の方々は高齢となり、亡くなられる方も多いです。終戦後に生まれたわたしたちが、戦争を繰り返さないために何ができるか。国というより個人として、記憶を受け継ぐ時期に差しかかっていると感じています。

Dale:太平洋戦争を経験した米兵たちの多くはすでにこの世を去った。いちばん若かった人たちでも89歳、90歳になっている。ここからは、自らが努力をして覚えていかないといけない。まさにそうだと思うよ。

尾:『Bringing Mulligan Home』で取材された方々の多くも、ここ数年でお亡くなりになったと聞きました。

『Bringing Mulligan Home』(2013)
沖縄戦に参加した元海兵隊員のスティーブ・マハリッジ(デールの父親)と、沖縄で戦死したハーマン・ウォルター・マリガンが表紙の写真になっている。この写真は沖縄から帰還したあと50年以上マハリッジ家に飾られていた。

D:4、5人を除けばみんなね。これはアメリカ人の立場からしか言えないんだけれども、アメリカって、ちゃんと歴史を覚えてない。スタッズ・ターケルという作家が「我々は記憶力がない。記憶の消去をする」という言い方をしていたんだけど。

尾:わたしたち日本人も耳が痛いところがだいぶあります。

D:コロンビア大学を受験してくる生徒に「第二次世界大戦で、日本、イタリア、ドイツは連合軍として戦っていたか? 」と出題したら、約20%が正しい答えがわからなかった。そのぐらい昔の出来事になっているんだよ。

尾:そうですね。今の自分たちとは、価値観がまったく異なる時代にあった出来事って、捉えてしまいがちです。わずか70年前だとしても、ちょんまげしてた頃と同じような遠さを感じてしまう。

D:たとえばアメリカの南北戦争だって、戦地にいたのは自分のおじいちゃんのおじいちゃんたちだ。そう考えればわりと歴史の浅い出来事だけど、今ではもうアメリカ史のトピックのひとつになっている。過去がどんどん歴史の一部になっていくのは自然なことで、それ自体は別に悪いことではないんだけど。

尾:あえて悲惨な過去をほじくり返さなくてもという意見もありますよね。向き合うべき問題は、現代にもっとあるだろうと。

北カリフォルニアにあるデールの別宅
NYのコロンビア大学で教鞭を執るデールは、マンハッタンで暮らしている。本を執筆するときなどに、人里離れたこの家に長期滞在する。水道を自ら引き、エネルギーを自給自足するオフ・ザ・グリッドハウス。


Life is not a still picture. It is a moving picture.

デールの父がシュガーローフから持ち帰った日章旗
父やマリガンと同じ中隊だった海兵隊員たちのサインがある。デールはこの名前を手がかりに彼らを探すことになった。銃殺された日本兵がヘルメットの下に巻いていたため、血痕が残っている。

D:だけど危ないのが、すぐに歴史を忘れて、同じ過ちを繰り返すこと。太平洋戦争の後も、アメリカは何度も何度も戦争をしている。今もしている。その間、日本は戦争を一切してない。でも、ちょっと危うく感じるのは、日本で、変に偏った愛国主義者が増えていること。71年間ずっと戦争をしてなくて、何も知らない世代に入れ替わっていることで、日本がアメリカの真似をして戦争を始めたりしないことを願っている。それが歴史を忘れることのいちばんの恐ろしさだ。

尾:70年以上も戦争を知らないがゆえに、リアリティーを持った議論ができなくなるのは事実かもしれません。とてもいいことだと思いますけど。だけど実際に火種が生まれたときに、戦争をすべきか否かって、簡単な2択に逃げてしまいそうで、それは怖いです。「やるかやられるか」みたいな非常に幼稚な議論で、自分たちを追いつめてしまう。

D:人間というのは、「恐怖」でダークサイドに陥る。すぐに邪悪なものに転換してしまう。「恐怖」というのは、本当にたやすく人を暗闇へ押しやるんです。だから戦後71年で、若い人たちに戦争の非道徳さを教える、伝えることは、すごく大切なんです。ジャーナリストは、歴史を記録する使命もあるから、歴史を掘り返して、それを現在に引き出す必要がある。

尾:「恐怖」を理由に、物事を判断しないためにですね。

D:ぼくが生徒たちによく言うのは「人生というのは写真じゃない、動いていく映像だ」って。だから自分たちにいま何が起こっているのかをちゃんと知るには、必ずその前があって、過去は今に影響している……。

尾:そして、今が影響して、未来はつくられていく……。

D:そうそう。我々がこの先どこに行くのか予想できる。だから何かが起こったとき、その両サイドから物事を理解することがすごく大切なんだ。

尾:『Bringing〜』はまさにその視点で書かれていらっしゃいますね。

D:兵士だけでも11万人が殺されたという場所で、それでも生き残っている人たちがまだいる。アメリカには、第二次世界大戦の本がいっぱいあるけれど、ほとんどが「アメリカは勝った」「俺たちは強いんだ」みたいな、そんな話ばかり。両方の立場から書きたかった。

尾:たしかに敗戦した日本だって、結果が違えば軍国主義の反省はなされなかったかもしれません。太平洋戦争の意味すら、大きく変わっていたかもしれない。

D:もちろんパールハーバーを爆撃した日本は悪いけど、1853年にペリーが東京湾に大砲で討ち入ったのも悪かった。そうやって強引にアメリカと商業をさせたことが、日本の歪んだナショナリズムや軍国主義を生み出す結果に繋がっている。太平洋戦争は、ひとつの帝国主義国と、もうひとつの帝国主義国の争いだった。

尾:アジアの国々をどちらも侵略していた、と。

D:日本は悪かったけどアメリカも悪かった。ふたつの間違った国を合わせても正しくはならない。けどアメリカ人はそんな事実は聞きたくない。だからアメリカ人はこの本が好きじゃない。ウォールストリートジャーナルに至っては、ハードな酷評をくれて、それはある意味で、誇りに思ったんだけど。

日本人の教本や手帳
返還先がみつからなかった数々の日本の物品。デールは「大切な品々だから、キープしたい日本の博物館があればぜひ寄贈したい。自分が死んだらどうしたらいいかわからないから」と言っている。

認識証
海兵隊員の名前が刻まれた認識証で、みんな首から下げていたため「ドッグタグ」と呼ばれている。2011年、沖縄を訪れたとき、「父と一緒に」という思いからずっと身につけていた。

方位磁針
戦時に軍隊から支給されていたコンパス。いまだに正確な方角を指す。 

手ぬぐい
国民の戦意高揚を狙う「War Propaganda Design」が、日本でも行われていた。戦闘機や戦車が描かれた着物なども量産されていた。

黒いトランク
マハリッジ家の屋根裏にあった古い黒いトランク。父親が戦争から持ち帰った物品が入れてあった。日本国籍のパスポート、日本刀や沖縄の地図、海兵隊のメンバーと撮った写真なども入っていた。


どんな戦争も人間の命を粗末にする

日本兵の集団写真
元海兵隊員のチャールズ・レパント氏が持ち帰ったもの。約140名の日本兵が写っており、オテロ半島で米軍と戦火を交え全滅した部隊だったといわれている。レパント氏は彼らの死が、帰還した後も心に重くのしかかっていたという。※『日本兵を殺した父』(原書房)を撮影

尾:実際にお父さまと同じ部隊にいらっしゃった方々を全米から探し出し、沖縄を訪れ、本を書き上げるまでには、たいへんな苦労があったと思います。

D:父が持ち帰った日章旗に書かれた米兵たちのサインがスタートとなった。電話帳で名前を調べて、ひたすら電話をする。たとえば、A・ロバートソンという人は、テキサスだけでも何百人もいるわけだ。そうやってやっとひとりをみつけ、その人がまた別の誰かに繋げてくれる。すべてが手探りで、少しずつ進んでいった。

尾:元米海兵隊員12名の証言は、日本人にとっては「もうひとつの側」でした。あの戦争はアメリカの兵士にとってどんなものだったのかを知ることができる。

D:チャールズ・レパントさんという帰還兵が、日本兵の集団写真を背嚢にしまって持ち帰っていたんだ。とても小さな写真で、140名が写っていた。

尾:その写真をデールさんがスキャンして拡大したんですよね。

D:うん。それでレパントさんは、日本兵の顔を初めてちゃんと見ることができた。その写真をじっとみつめて「彼らの顔を見てみろよ、みんな居心地が悪そうじゃないか」って言ったんだ。

尾:レパントさんは60年以上が経って、敵であった日本兵が一体どんな表情で写っていたかを、知ることになったんですね……。

D:あそこで戦った日本兵と会って話ができたら、聞いてみたいと彼は言っていたよ。任務だったのか、それとも憎しみだったのか。でもきっと、自分たちがそうだったように、上官に命令されたことをやったまでなんだろうって。「どんな戦争も人間の命を粗末にする。勝ったやつなんているのか?」とも言っていた。

尾:一方で証言者の中には、いまだに日本が大嫌いな人もいましたね。日本食を一切食べない人や、「ジャップをもっと殺すべきだった」と言う人も。国が戦闘をやめたって、戦争とは心の中でそう簡単には終わるものではない。

D:沖縄で取材した元日本兵のの中には、一言も発せず、ものすごく厳しい表情で立ち上がって去ってしまった方もいた。アメリカ人の話など何も聞きたくないと全身で語っていた。

尾:沖縄の地を訪れるというのは、精神的にキツくはなかったですか?

D:この本を書こうと決めたときには、日本に行かねばならないのは自分の中で明白だったんだよ。ジャーナリストとしても、人間の道徳的にも。父が持ち帰った物品を返還し、沖縄で何があったのかアメリカ人に伝えるためにも。



My whole career was almost built to do this book.

尾:お父さまは「戦争さえなければバケーションするにはすごくいい。美しい場所だよ」って言っていたそうですね。

D:そうなんだよ。だけどぼくは美しさとかはまったく目に入らなかった。インタビューした元海兵隊員たちの説明どおりの場所に石の囲いが残っていたり、お墓があったり。洞窟の前にはいっぱいお供えものがあったり。

尾:その土地で、恐怖が狂気になっていったことを知っていたから。

D:父たちがサインをした日章旗は、撃ち殺した日本兵がヘルメットの中に巻いていたものだった。本当に恐ろしいことだけど、血の染みがついている。

尾:国旗を頭に巻いて突撃する精神状態も、遺体から奪って自分の名前を書く精神状態も、殺し合いという極限状態にある人間の感覚を、どうしても想像できないです。

D:日本はそもそもおもてなしの国だけど、沖縄の人たちは本当にナイスだったし、数々の素晴らしい出会いがあった。だけど滞在の終盤には、家に帰りたくて仕方なかった。二度とあの場所に戻れないと思う。

尾:戦下における人間の邪悪さや狂気と向き合って、これだけたくさんの人々の話を一身に受けて、ご自身の中ではどのように消化されていったんですか?

D:ぼくはジャーナリストとしては、ものすごく珍しい仕事の仕方をするんだけど、いくつかの異なるテーマを同時に進行させるようにしているんだ。この本に取り組んだ12年間は、3つのテーマを持っていた。

尾:バランスを意識的に保つために、そうなさるんですね。

D:そのとおり。だけど悪夢で目覚めるような夜が何年間も続いたし、本が書き終わったとき、自分の人生で初めて何もできなくなった。1年半もの間、取材することも、書くことも、一切できなかった。自分でうまく消化できないほど、衝撃は大きかった。

尾:デールさんのジャーナリストとしてのすべてが、この本に詰まっているんですね。

D:もし死ぬときに、一冊の本が残るとしたら、これ。

尾:ピュリッツアー賞を受けた作品じゃないんですね。

D:ぼくの学生たちはそっち(『And Their Children After Them』)ばっかり読んで、『Bringing〜』はあまり読んでないけど……(笑)。

尾:暗い過去を知るというのは、全然楽しいことじゃなくて、苦しいから避けたいという人もたくさんいますね。

D:たしかに聞きたくないという人に、それを強要することは誰もできないし、口から突っ込んで流し込むわけにもいかない。だから歴史を伝えるものが社会の中に存在すること。それしかない。存在していれば、誰かの目に留まることがある。たとえば、東京の若い女の子が、アフリカの歴史を本で読むとする。それは彼女がアフリカの抱える問題を考えるきっかけになり、友だちに話す機会もあるかもしれない。それによって社会に広がっていく。ジャーナリストというのは、そのチャンスに賭けるしかない。

尾:存在しないものは目に触れることができない。だから言論の自由は守られなければならないということですね。


手作りのアプリコットコブラー
デールがわたしたちのために焼いてくれていたお菓子。コブラーとはアメリカではお馴染みのパイの一種。絶品!! 料理が大好きなデールは、「もっと大きいのを作れば良かった」と嬉しそう。

北カリフォルニアのシーサー
デールが沖縄で買ってきたもの。太平洋の遥か向こう、沖縄に向かって位置する場所に飾った。

デールのデスク
別宅の仕事デスク。この机で『Bringing Mulligan Home』も執筆されたのだろう。TwitterやFacebookで、読者から感想が寄せられる。


"You shoot, you write, I do songs.
                                            That’s all we can do".
「君は撮れ、君は書け、俺は歌う。
                                   それが俺たちにできるすべてだ」

D:アメリカが政治的にひどいことが続いた90年代、ブルース・スプリングスティーン(*1)とフォトジャーナリストのマイケル・ウィリアムソン(*2)と話をしていた。一体どうすればいいのか? この社会に何ができるんだろう? って。そうしたらブルースが、マイケルとわたしに「お前は撮れ。お前は書け。俺は歌う。作品を世の中に出すことしか方法はない」と言ったんだ。それに期待をかけることしかできないと。出さなければ、人々が情報を得るチャンスさえもなくなるって。

(*1)Bruce Springsteen
1949年生まれ。アメリカを代表するミュージシャン。マハリッジとウィリアムソンの共著”Journey to Nowhere: The Saga of the New Underclass”にインスパイアされて、”Youngstown”と”The New Timer”の2曲を書き下ろしている。
(*2)Michael Williamson
1956年生まれ。2度のピュリツァー賞を受賞したフォトジャーナリスト。1993年からワシントンポスト紙に所属。マハリッジ氏とは『And Their Children After Them』、『Journey to Nowhere: The Saga of the New Underclass』などでタッグを組んでいる。

尾:何が正しい情報なのか、それを判断するのは個々人だけど、偏った視点からの情報だけでは、その基準さえ持てない。だからこそジャーナリストは、歴史に対しても、社会に対しても、一方的な光を当ててはいけないんですね。

D:ぼくはそう思う。何が真実かというのはジャーナリズムの永遠のテーマだけど、世に出すテーマを選んでいる時点でポイントオブビューがあるわけで、ジャーナリストの主観はもちろん入ってくる。だから何よりも単純に、「Intellectual Honesty(心ある知性)」を大切にしないといけない。あらゆる「The Other Side」から視るのが重要なんだ。わたし自身、誤ることも多々あるんだから。

尾:物事を多角的に見るということは、謙虚であるということと同義なんですね。それは社会が多様化を目指すときに、すごく大切な感覚なのかもしれない。

D:人間というのは、自分の知っている範囲内で心地よく過ごしたい。それ以外のところに出てしまうと、恐怖を感じてしまうものなんだ。だから、自分がまったく話したこともないような人に会いなさい、話しなさいと学生たちには言っている。偏見を持たずにその経験を重ねることで、恐怖というものをなくしていける。

尾:違和への恐怖から、他者を攻撃しなくて済むように。「自分の心地よい範囲外を積極的に知る」ということが、免疫というか、訓練になっていくんですね。

D:「Comfort Zone Jailbreak」って言うんだけど。快適な範囲の牢破りってことで。

尾:5月27日にオバマ大統領が広島を訪問されたことは、日米双方にいろんな感情がある中で、ある種の「Comfort Zone Jailbreak」というか、勇気ある1歩だとわたしは感じました。デールさんはどう思われましたか?

D:広島に行ったということは、非常に良いことだと思うけど、彼の政治的立場ゆえに、大事なことをどこまで言えたのかっていう残念な気持ちもある。原爆の非道徳性について、ちゃんと真に迫った話ができるのは、次の次くらいのプレジデントかもしれない。

尾:戦後に生まれたわたしたちの世代が「This Side」も「The Other Side」も同じ気持ちで、過ちを繰り返さない努力をしていく。『Bringing〜』の中で、すごく印象に残っているのは、沖縄戦から帰還した海兵隊員のひとりが、お孫さんに向かって言った言葉です。

D:トム・プライスさんだね。9・11の後、彼の孫は「ぼくもイラクやアフガニスタンで戦う」と血気盛んに海兵隊に入ろうとした。そのときトムは言ったんだ。「いや、やめておけ。相手を殺しても、全然何もならない。もう戦争なんてする必要はない」。

『日本兵を殺した父』ピュリツァー賞作家が見た沖縄戦と元兵士たち
『Bringing Mulligan Home』は邦訳され、原書房から2013年に出版された。



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 『広告』2016年8月号 vol.403
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※2016年7月19日発行 雑誌『広告』vol.403 特集「70年と1歩」より転載。記事内容はすべて発行当時のものです。


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