タバコ以外ならやめてやる!出てこい禁断症状「一週間禁◯生活」 (尾形元編集長イチオシ記事 #2)
第七回 禁座
期間 2016年5月21日〜27日
私はセブンスターを愛するスモーカー。と、いつものように書き出してはみたが、前回「禁煙」などしてしまったものだからバツの悪い私である。一大決心、編集長の猛反対を押し切って禁煙したものの、よく考えてみると、やはり「禁煙」は「タバコ以外なら」というタイトルとうまく繋がっていなかった。いや、よく考えなくても明らかか。部活以外ならやめてやる、と言ってた桐島が部活やめるってよ。(笑)、である。しかし、よくよく考えてみると、このご時世に喫煙ではなく禁煙に猛反対してくれる仲間がいるなんて、桐島も再入部してシーズン2が始まる方が自然な流れというものだ。
セブンスターにちなんで一週間、タバコの代わりに何かをやめてみる体験企画の第七回。私は初心に戻るべく、タバコの聖地「たばこと塩の博物館」を訪ねることにした。通称「たば塩」。昭和53年の開館以来巡礼者が絶えないという。
あのスカイツリーから歩いて10分ほどの所に「たば塩」はあった。平日の昼間にもかかわらず、「たばこ」目当てなのか、それとも「塩」なのか、私の前にも後ろにも人が続いている。
「たばこ」と「塩」。実は私は当初、この連載の最終回は「禁煙」ならぬ「禁塩(きんえん)」にしようと目論んでいた。同じ「えん」と読む「煙」と「塩」を、なぜか両方あの会社が作っているという不思議な「縁」。わずか百円の入場料に油断していると、そこには驚くべき光景が広がっていた。
いきなり神殿がある。タバコが描かれた世界最古の石のレリーフ、古代マヤ文明の「たばこを吸う神」がそびえ立っていた。
「マヤ文明と来たか…」
ジャガーの毛皮をまとった神が、館内禁煙をものともせず、堂々と立ってタバコを吸っている。タバコに厳しい現代への無言のメッセージのようだ。その威厳ある姿は、私の心の中のタバコに再び火をつけたのであった。
しかし、その神様。別の絵文書には座って吸う姿が描かれていたのだが、別人のように威厳がない。むしろヤンキーのようだ。普段座って吸う私もこう見えているのだろうか。そういう目で展示を追うと、浮世絵の花魁も、パイプ咥えた半裸の未開人も、立ち姿が粋である。すると、専売公社時代のポスター、あの名コピーが現れた。
「今日も元気だ たばこがうまい!」
タバコが健康かどうかはすっ飛ばして、いきなりその上位概念の「元気」。凄すぎる。タバコは「元気」。だから立ち姿が似合うのだ。
「たば塩」を出ると、巨大なスカイツリーが「超元気だぜ!」とそびえ立っていた。これも偶然ではあるまい。健康的かもしれないが元気の無い現代、私に「立て!」と言っているのだ。
5月21日(土) 立ちお宅訪問
とはいえ立って寝るわけにもいかず、「座らない」ということにした。朝、腕立て伏せの要領で慎重に起き上がると、うっかり座らぬよう家にある椅子を片付け、「禁座」をスタートした。貧血にならないようしっかり食べねば。立ち食いといえば蕎麦だろうと、まずは頂き物の蕎麦を茹でた。食後のタバコを立って吸うと、天井が近く煙がまとわりつくようである。
家事をしながらいろいろ考えた。サッカーの反則を「ハンド」というなら、「禁座」の場合は「ヒップ」だろうか。自転車も「ヒップ」、トイレも「ヒップ」。お尻はつかないが「しゃがむ」も「ヒップ」だろう。ならば、太ももとふくらはぎが付かない「中腰」はセーフとするか。友人からの電話が鳴った。飲みの誘いだろうが、座れないことには外食も無理だ。
が、電話に出ると、新居を見に来ないか、とのこと。こんな込み入った状況の中、針の穴を通すようなお誘いも来るものである。
美大出身ご夫婦の新居は、随所にこだわりが見えるR C三階建て。広いルーフバルコニーには、なんと屋外シャワーがついていた。
「夏とか、外でシャワー浴びたいじゃないすか」
と、おしゃれ映像ディレクターの友人。しかも場所は誰もが羨む代々木上原だ。この夏は立ちシャンしながら「サクセス!」と叫ぶことだろう。好都合にも、そのままルーフバルコニーで飲むことになった。外なら立っていても不自然ではない。
しかし、手料理がふるまわれリビングに入ると、みんな何か言いたげな顔をし始めた。さて、どうしたものか。しばらくして、「座れば」と友人が言ったのを皮切りに、「ていうか、」と今日初対面のMさんが、
「屋上からずっと座ってないですよね? どうしたんですか?」
意外にも、自然に立ってたつもりの屋上から気になっていたようで、しきりと突っ込んできた。
「ちょっと今日は座れないんですよ」
「何で? 何で?」
「…」
理由を話しても変人と思われそうで口ごもっていると、突然奥さんが、
「男の人は立つの好きですよねぇ。彼(旦那)も、私が座ってしてって言ってるのに、立ってトイレしちゃうんですよ〜」
話は立ちションへ脱線し、私へのツッコミはそれきりとなった。
帰宅すると、片付け忘れていたお風呂の椅子に、シャンプーでうっかり「ヒップ」。しかし、それまで15時間立ち続けていたわけだが、座りたいと思うことは一度も無かった。拍子抜け、疲れも全く無い。が、意味があったかというと、それも無い。
5月22日(日) 立ち見
この日は昼から結婚パーティー。立食だ。私としては昨日と同様「禁座」しているのだが、今日はみんな普通に接してくるのがどこか可笑しい。会が終わっても外は明るく、まっすぐ帰るのも淋しかった私は、立って楽しめることを考えた。
が、中々思いつかない。美術館にはもう遅いし、一人でダーツやボウリングもつまらない。スタンディングといえばクラブだろうが、そういう柄でもないしなぁ。すると、見ておきたい映画があったのを思い出した。
最後に立ち見したのはいつだったろう。が、懐かし半分で劇場に入ると、今の映画館は入り口が場内中程になっており、かつて客席の後ろにあった立ち見スペースなど無いことに気がついた。仕方なく最後列一番端の席に立ってみたが、客が続々と入ってくる。早く場内暗くなれよとヤキモキ。しかし意外にも、客は皆自分の席を探すためうつむきながら入ってきて、背もたれが高いせいか、座ると一切後ろを見ない。上映中は言うに及ばず、誰一人私を見る者はいなかった。人間には映画館では振り向かない習性があるようだ。ホッとしていると、「世界から猫が消えたなら」が始まった。
この映画にしたのは、原作を読んだわけでもなく、猫を飼っているからでもなく、かつて一緒にC Mを作っていた同世代の監督が撮ったものだったからだ。最後列で立っていると観客の反応がよく見える。同世代のあいつは、難しくも効果的な演出で観客を泣かせていた。井村は成長しねえな、そこで立って反省してろ、と言われてるようだった。が、それも私が勝手に思うだけ、あいつは私を思い出すこともないのだ。
座るのと立つのとでは消費カロリーが2倍も違うのだそうだ。ご飯を炊いた。炊きあがりを待つ間、映画のせいか何もする気がおきず、体育の「休め」のポーズ。しかし、ぼーっと突っ立って、とよく言うが、景色が見えるわけでもない狭い部屋で、うろうろもせず立っているのは意外に辛い。畳に寝転び、飼い猫が爪研ぎした痕をぼんやり見ていた。
5月23日(月) 立ち面談
出社すると、年に一度の上司との面談だったのを忘れていた。立っていても失礼とはならないだろうと会議室に入ると、当然こう仰った。
「ま、座って」
「いえ、このままで結構です」
しばらく間があって、
「腰か? 腰だろう。大丈夫か?」
と面談が始まった。
上司から、そんな時に悪いんだけど、と前置きされて伝えられたのは、査定が下がる、とのことだった。
「そうですか…」
しかし、こう続いてしまった。
「で?」
おかしい、自分が。なぜか気分が堂々としている。映画館での「立たされてる感」は全く無く、逆に座っていたらみじめな気がしたように思った。ゴルゴ13のようだ。ゴルゴは必ず立って話を聞く。座って依頼主に向き合ったりしたら、ただの角刈りの営業マンに見えるだろう。人と向き合う時は、立っている方が自信につながるのだ。面談を終えたその足で、近頃評判の立ち食いステーキを豪快に食べ、打ち合わせに向かった。
打ち合わせとはいえ、明日の大阪でのプレゼンの準備物をテーブルに並べチェックするだけ。立っていても不自然ではなかった。大阪へ同行してくれるJ君が、「新幹線一緒に取りますか?」と訊いてきた。私はどうせ座れない、「各自で」。仕事は早々に終わった。
立ち仕事は足にくると聞いていたが、全くの余裕。立ち飲み屋でも寄るか。この機会に立ち仕事の話でも聞こうとパーサーの知人を誘ってみると、「香港日帰りだったから立ち飲みは厳しいなあ。また今度、ゆっくり腰を据えて笑」と返ってきた。うまいこと言うなぁ。立ち仕事仲間では定型文なのだろう。
この夜、友人より怖い電話もあった。私らしい写真がインスタにアップされているという。見ると、
「ずっと立ったままのI氏」
投稿主は土曜に友人宅で会ったMさんで、ホッ。しかし「立ったまま」は投稿するほど気になることなのだろうか。
5月24日(火) 立ちプレゼン
新大阪まで新幹線で二時間半。しかし正月実家の広島に帰省する時など五時間立ちっぱなしはざらにある。平気なはずだが、荷物だけでも置こうと指定席に行った時のことだ、「えーっ!」×2。
隣の席にJ君が座っていた。のぞみ号は1323席もあるのに、別々に買って隣の席とは。が、これではもう誤魔化しがきかない。「電話してくる」とデッキに出た私を、J君が追って来た。
「昨日の打ち合わせでもずーっと立ってましたけど、一体どうしたんすか?」
なんと昨日からバレていた。立っている私が思う以上に、座ってる側から見る「立ったまま」は、相当不審に見えているのだ。が、
「事情があってね…」と言うと、
「ははぁ、『痔』情ですね」
J君は含み笑いであっさり席に戻った。
お得意先は座ってのプレゼンが通例だ。痔ならよいが、不審と思われるのは避けたい。私は社長さんから「どうぞ」と椅子を勧められるより前に、
「今日は気合いが入っております!」
と、大袈裟に喋り始めてみた。話を遮ってまで「椅子をどうぞ!」とは言われず、質疑応答もプレゼン物を片付けるフリでなんとか終えた。すると、
「続きまして」
と、うちの営業が別件のプレゼンを始めてしまった。喋ってる営業は座っているのに、私は立っている。さすがに変だ。実はこの連載の「禁トイレ」で、オムツをしてプレゼンしたのも同じ社長さん。社是に「ユニークヒューマンアドベンチャー」を掲げていらっしゃる。バレても大目に見ていただけるとよいのだが。
5月25日(水) 立ち疲れ
ホテルで目が覚めると、ついに足に疲れが出ていた。ふくらはぎから下が赤く重く、何しろ熱い。昨夜は裏なんばの立ち飲み屋をハシゴしてしまい立ち時間も長かったが、原因は革靴だろう。プレゼンでもなければスーツを着ない私は、革靴を履くのは月に3回ほどである。足が靴に入らず、帰りの新幹線、立ってるだけで痛い。東京駅に着くなり足裏マッサージに駆け込んだが、「腸が弱ってますねえ」と言われるばかりで肝心の足は楽にならず、出社のはずが直帰。靴を脱ぎ、たまらず横になった。靴が違うと「立ったまま」がこんなに辛いとは。ヒールを履く女性はなおさらだろうと思った。
すると思い出すことがあった。かつて着圧ストッキングのプレゼンをしたことがある。女性が足のむくみを取るためのアレだ。私が考えたCMは、「デートに誘われハイヒールで出かけた女性。水族館から流行りの立ち飲み屋、そして『ちょっと歩こうか』と夜の公園へ。が、草食系の彼はもじもじ歩くばかり。あげく終電も立ちっぱで、もう足パンパン!」というもの。CMは実現しなかったが、今の状況と近い。そういえば貰ったサンプル品があるはずだ。
果たして朝、思わず「足スッキリ!」とCMと同じセリフを口にしてしまい、私は笑ってしまった。
5月26日(木) 立ちヒール
駅までの道、カッ・コッ・カッ・コッとヒールで走る女性がスニーカーの私を追い越していった。足、大丈夫かな。いつもの光景が健気に見えた。が、走ってる様子を見ると、案外ヒールは楽なのだろうか。見送りながら、その女性が「禁座」をしたらどうなるのだろうと思った。ヒールがある分、男の私より面白く書けそうだ。大変だろうが、なんだか悔しい気もしてくる。
「…今でしょ。」
私の一生でヒールを履くことがあるとしたら、明日で「禁座」も最終日の、と思ってしまった。
検索すると、都内に二軒ある大きいサイズの女性靴専門店は、なぜかそろって本日木曜が定休日。が、ダメ元でスタイリストの友人に電話してみると、撮影衣装の返却で偶然リースショップにおり、すぐ28cmのサンダルが二足見つかってしまった。ヒールが10cmのものと6cm。普通は6cm程度らしいが、私はブランドにつられ10cmをレンタルした。お店は骨董通り、どうせならオシャレな靴で街に出たい。melissaだお。とはいえベルボトムの裾を下げ、すっぽり隠して駅に向かった。
店の試着では平気で歩けたのに、表参道駅に着くと早くも足が痛い。歩き方だろうか。「ヒールは脚ではなく、腰で歩く」そうだが、意味がさっぱりわからない。よちよち歩きながら女性の足元を観察することにした。すると何やら様子がおかしい。すっかり忘れていたが、伊勢志摩サミットがこの日開幕していた。
行く先々で警官が私を見る。歩き方も変だが、身長180の私がヒールで190cm。しかも、トイレの鏡で見てみると、慣れぬヒールでただでさえ猫背の私が海老のようになっている。怪しい。職質だけならよいが、交番で座れと言われたらやっかいだ。警官を見かける度によちよちから無理矢理スタスタ。みるみる両足に豆ができた。
昼の打ち合わせは今日もJ君。海老のような私を見ても、「『痔情』、悪化してますねぇ」と言うきりで楽だったのだが、夜、広告学校に行くと、この連載を知る生徒さんが、「ひょっとして座るの禁止してます? そうでしょう!?」と大騒ぎ。
「はいはい、そうですそうです」
ヒールの痛みでそれどころではない。しかし、普段より私の身長は10cm高く、ベルボトムからは尖ったつま先が覗いているというのに、誰一人ヒールに気づく者はいなかった。
深夜の帰り道、人目が無くなると気力も無くなり耐えきれず、飲み過ぎたホステスのように路上でヒールを脱いでしまった。すると、
(アスファルトがへこんでる!?)
ヒールを履いて14時間。足が、指の付け根と踵の10cmの高低差を覚えてしまい、裸足の踵が地面にめり込むように感じるのだ。
5月27日(禁) 立ちオバマ
明らかに足がヒールを嫌がっていた。しかし今もどこかで女性がヒールで走っている。履け! 履くんだ、俺。今日はデスクワークだけ、会社にさえ着けばさして歩くこともない。
私の職場の在席率はいつも3割ほどで、しかも個人個人で案件が違う。出社して様子を見ると、立っている私を不審に思ってはいるのだろうが、今時の若者たちはイヤホンをしてMacに向かい我関せず。早速仕事に取り掛かった。幸運だったのは、向かいの席が不在だったことだ。10cmヒールで立っていると、パーテーションを越えて丸見え。しかもお向かいは女性、席にいたらかなり不快に思っただろう。PCを開き、立ったままキーボードを打っているとLIVEな気分になる。座ってするより仕事がはかどった。
しかし夕方、向かいの女性が席に来てしまった。気まずい。チラチラと私を見る視線を感じる。席をはずそうとしていると、一足速く「井村さん、」と声。ドキッ。が、
「オバマ、見ないんですか?」
その女性Nさんは私と同じ広島出身。現職としては初のオバマ大統領被爆地訪問の日であった。
NHKをつけると、星条旗のついた走る黒塗りの車が映った。「羽衣町」という交差点標識が見える。
「嘘ぉーっ!」
私は声をあげてしまった。それはほんの1、2秒前に、私の実家の前を通ったことを意味していたからだ。
その道は「吉島通り」といい、私の実家と平和記念公園を一直線に結んでいる。通学路でもあった。完全に封鎖された四車線の道を走る大統領専用車は、ほどなく私が学んだ「中島小学校」の前を通った。そこから平和公園は歩いて数分、車は10秒ほどで到着し、広島の地にオバマ大統領が立った。
「座らないんですか?」
中々終わらないオバマ大統領のスピーチの間、Nさんは怪訝な顔。
「オバマが立っとるのに、儂が座るわけにはいかんよお」
私は広島弁で嘘を言った。オバマ大統領の言葉はどうだろう。しかし広島の地に、立っている、その姿に嘘はないのだ。
「ちょうど病院から帰ったとこでね。でも(車は)あっという間じゃったよ」
夜、私の着信を見た母から電話があった。大統領はヘリコプターで来るとの噂だったらしく、母たちも驚いたそうだ。昭和19年生まれの母も被爆者だ。
「ゆっくり見てほしかったけど、来てくれちゃっただけでも良かった」
しかし声に元気がない。てっきり腰痛の病院だと思っていたら、胃カメラを飲んできたとのことだった。
「…」
言葉に詰まるとヒールが痛い。そういえば母も昔はヒールを履いていたのだろうか、話題を変えた。
「若い頃はね。でも私ゃ背が高いけぇ、ヒールいうても3cmぐらいよね」
母は大女で身長170cmあった。が、
「この前測ったら、160.2cmになっとったよ」
ちょうど私のヒール分、10cm縮んでいる。
電話はお決まりの、仕事はどうなんね、となり、
「無理だけはせんようにね」
で締めくくられた。
お宅の息子さん、査定下がって、10cmヒール履いてるってよ…。金曜の夜、立って遊ぶといえばクラブ。最後の夜はヒールでオールのつもりでいたのだが、帰ろう。思わぬオバマ大統領の来広から、「禁座」はしょんぼりした気分で終わりを迎えてしまった。
ヒールを脱ぐと絶大な解放感。一週間ぶりに座っても、ヒールに全部持っていかれ、感慨など無いだろう。最後に立ったまま一本タバコを吸い、くたびれ儲けか、と座った。
と、
「ニャーッ」
途端に飼い猫がやってきて私の膝で丸くなり、もう一度私を見て、
「ニャー」と啼いた。
「……」
そうか、一週間ソファーが無くて、お前も座ってなかったか。今日からお前の名前は、「ヒップ」にしよう。
文:井村光明
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『広告』2016年8月号 vol.403
特集「70年と1歩」その中のオススメ記事を「note」に再編集
▶ こちらよりご覧ください
※2016年7月19日発行 雑誌『広告』vol.403 特集「70年と1歩」より転載。記事内容はすべて発行当時のものです。