見出し画像

デザインにおける物理と非物理の間

グラフィックデザイナー 上西祐理 × 建築家 大野友資 × ウェブデザイナー 田中良治
『広告』虚実特集号イベントレポート

3月1日に発売された雑誌『広告』虚実特集号にかかわりの深い方々をお招きし、オンラインでのトークイベントを開催しました。今回は、3月16日にSHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS(SPBS)の主催で行なわれたイベントレポートをお届けします。建築やグラフィックをはじめ様々な領域のデザインにおいて、コンピューターで制作することがあたりまえになった現代。デジタルメディアや仮想空間のなかで、いかに物理的な体験や感覚をつくるか。反対に、物理的なものや空間に、いかに物理を超えた体験を生み出すか。グラフィックデザイナーの上西祐理さん、建築家の大野友資さん、ウェブデザイナーの田中良治さんをゲストに迎え、編集長の小野とともに、デザインにおける物理と非物理をどう捉えているかを語り合っていただきました。

ウェブと紙を横断するグラフィックデザイン

小野:本日は3名のゲストをお招きしています。ひとりめは、雑誌『広告』の装丁やコンセプト設定にリニューアル創刊号から携わってくださっているアートディレクターの上西祐理さん。ふたりめは、リニューアル創刊から毎号寄稿いただいている建築家の大野友資さん。そして、ウェブデザイナーの田中良治さん。田中さんは、昨年開催されたクリエイションギャラリーG8での展覧会「光グラフィック展0」を拝見して、ウェブデザインを中心にしつつその領域を超える活動が興味深く、ぜひお話したいと思っていました。
田中さんにさっそくお聞きしたいのですが、今回の「デザインにおける物理と非物理」というテーマは、ウェブの世界ではよく語られているテーマという印象でしょうか?

田中:僕の場合、非物理はすなわち“情報”を指すと思っています。そう考えると、ウェブデザインが扱うのは情報が主になるので、このテーマをわざわざ取り上げて話すことがないですね。展覧会などの依頼があったりすると向き合うこともあるんですけど、普段はあまり気にしていないかもしれません。

小野:建築家である大野さんは物理的な“もの”を扱うと思いますが、このテーマについてどう感じましたか?

大野:僕も田中さんに近くて、非物理と聞くと“情報”、物理は“物質”のイメージが強いです。建築家は物質を扱う仕事と思われがちですが、実際は図面を描いたり業者とやりとりをしたりと、情報を扱っている時間のほうが圧倒的に長いです。素材や仕上げについて検討しているときも少なくとも僕は物質そのものというよりも、物質の持っている情報=物性を取り扱っている感覚があります。現場での施工が始まってようやく、物質としての建築の存在感が現れてくる。以前から、そうした建築における情報と物質の関係性に興味を持っていましたし、仕事のアウトプットにおいてもそのバランスについては考えることがあります。

小野:上西さんはどうでしょうか? グラフィックデザイナーはまさに情報を扱う職業だと思いますが。

上西:そうですね。私の場合は、情報と物質をつなぐ仕事が圧倒的に多いと思います。お題や課題に応えていくにために、このふたつを行ったり来たりしながらものをつくっていくというか。ただ現代は落とし込む先としての物質がないことも多いなとも感じています。紙メディアも減っていますし、グラフィックデザイナーの仕事としてもデジタル的な表現や映像が多くなってきています。加えて、そもそも与えられるお題が必ずしも“もの”を必要としていなくて、テーマを翻訳していろんな人に伝えていくという目的を達成するには、物性がないことも普通に選択肢のひとつにあるとも感じています。

なので、物質/非物質の違いにあまりこだわっていません。伝えたいことを伝えるためにどうするか、イメージをビジョンとして集約していくにはどうするか、あるいは伝えたいこと自体をいっしょに探す。そんなことをやっている気がします。職能のベースとして印刷物のプロといった専門性もありますが、それに囚われなくていいのかなと。

小野:田中さんは主にスクリーンのなかで展開されるもののデザインをされていますが、紙メディアで発展していったグラフィックデザインも意識されていると思うんです。紙とスクリーンの境界や共通点はどんなところでしょうか?

田中:僕としては、紙だろうがスクリーンだろうが同じように扱うぞという気持ちが強いですね。できあがったグラフィックに合うバックグラウンドをその都度選んでいますし、印刷物に対するフェティッシュな感じもないです。こだわるのもおもしろそうと思いつつ、自分の役割ではないかなと。紙という物性に対しては、それくらいがちょうどいいです。

小野:事前の打ち合わせのときに紙のポスターをデザインした話をしていましたよね。

田中:OUR FAVORITE SHOPのプロジェクト「POSTERS」に参加した際に制作したものです。

画像6

田中良治『blank/96』(2021年)

UVインクジェットプリンタで印刷したポスターを、30くらいのエディションにして販売しています。ポスターには罫線が引かれた表のようなものが印刷されています。これは、購入者の名前と出力サイズを記すための管理表がグラフィックになっているんです。実際に買ってくれた人の情報を僕が管理表に記入して、それ自体をネットで公開しています。家のなかにポスターを飾っても、持ち主以外がそれに気づくことはほぼないですよね。購入者リストをスプレッドシートとして公開すれば、所有者のある種の自己顕示欲も満たせておもしろいなと。

現在はGoogleのスプレッドシートを使用していますが、本当は仕組み自体も自前でつくりたくて。近年、SNSなどプラットフォームにすべてを預けてしまうと、運営の方針に表現の場を握られてしまう恐さも感じてます。そいう意味ではNFTには共感できるところもありますが、もっとアナログにもできるよねという気持ちで制作しました。

小野:ポスター自体は罫線が引かれているだけで、購入するとネット上の表に自分の名前が記されていくと。ある種のインタラクションが生まれているんですね。

田中:そうですね。こんなもの誰が買うのかな? という興味本位から公開された表を見る人もいると思いますが(笑)。作品のタイトルは『blank/n』(nはblank=空欄の数)で、今後制作予定の自分のウェブサイトのなかに、この表が見られるページをつくろうと思っています。

小野:紙メディアに向き合う場合でもコンピューターやウェブの文脈を起点とすることが、田中さんの表現の核になっていると。

田中:両方にちょっとずつ存在しているような。両方あるから成立するようなバランスを考えながらやっていますね。

小野:おもしろいですね。NFTってデジタルの文脈で語られがちですが、実際に物質として存在するものとNFTが今後結びついていく可能性もあるでしょうし、それにも近い試みだと思いました。

デザインは何に定着される?

小野:上西さんは先ほど、ご自身のデザインについてアウトプットの形よりも、受け手に届くかどうかが重要だと話されていました。一方で非常にフェティッシュなデザインもお好きですよね。印刷で黒の濃度をひたすら試すとか、凝った仕様にも挑戦するじゃないですか。
僕自身がプロダクトをデザインするときは、実際に手を動かしてものをつくることとCGといったデジタルで検証する作業を、何度も往復するんですね。上西さんもデザインの多くの場面でコンピューターを使うけれど、最終的には紙などの物質に定着されることもある。この行き来はどう考えますか?

上西:グラフィックデザインやADの仕事は、ロゴマークとかキービジュアルとか、シンボルをつくることが多いと思うんです。見た人が込められた情報や思想を連想したり、心のなかでイメージと概念を紐づけて記憶してもらえるように、ぎゅっとビジュアルに凝縮することを仕事にしている。一方で、リアルなものが持つ手ざわりなど、感じることや体験としての記憶も重要です。そこに美しさや感動や、心動くものが多くあると思う。人間誰しも感じるであろう、空がきれいだなと思ったりするような、心がつかまれることは大切にしたい。だから概念を形づくっていくプロセスは最初から最後まで唯物論的なんだけど、やはりどこかで物性は伴うし、概念と物質の間で循環が起こっている。最終的には物質的なものに落とし込んだとしても、起点は必ず概念を規定してビジョンと紐づけていく仕事のような気がしています。

小野:ビジョンや偶像として人々の頭のなかに何らか残る情報的なものと、紙に印刷されたものを見たときの差はありますよね。物質的なものに定着されたものを見るのと、単にデジタル上で見るのとでは、受け取り方の深さが違うと思いますか?

上西:どうでしょう? たとえば白いキャンバスの中央に大きな赤い丸があったら、多くの人は日の丸を連想するのでは? と思います。でも日の丸が定着しているものが布なのか紙なのかバーチャルなのか、共通認識として概念が規定できていたら支持体は何でも、必ずしも物質的なものじゃなくてもいいのでは、というのはあります。とくに若い世代やこれからの世の中はその方向にいくのかも?とも。

ただ、より多くのイメージや複雑な情報は、物性の持つ要素によって補強されますし、物性で補強されたイメージが、概念のみになったときにも想起される循環が起こることもおもしろいです。具体物に落とし込むうえで、たとえば書籍や雑誌のデザインなど専門性が必要な領域もありますが、知識も駆使しながら考え、ものに定着させ規定する。人がものから受け取る情報は多いので、こうやれば正しく、多く、絶対に伝わるという100%のコミュニケーションは難しいですが、最後は自分がプロとしてどこまでやり切るかも大切。神に捧げて細部まで詰める部分です。そこに、説明できないけれど感動する、といった心動くものが潜む可能性も信じています。好きだからやってる部分も大きいのですが。

コンピューターでデザインしたものと現実のずれ

小野:上西さんがいま話していたように物質的なものに落とし込む前にイメージがあるとすれば、スクリーンにアウトプットする場合は、イメージをイメージのまま出すことになるような気もするのですが、田中さんいかがですか?

田中:グラフィックデザインは、世の中に出すタイミングの瞬間勝負といったところがあると思います。でもウェブは、つくって公開したからといって自ずと誰かが見てくれることはないんです。検索やSNSなどで知って興味を持ってもらって、能動的にしか見てもらえない。その場合、「伝わる」タイミングっていつなんだろう? と考えます。相手の心に響くタイミングも含めて設計することは可能なのか。

たとえば、ポスターはウェブとは違って人が受動的に見るタイミングがありますよね。見ようと思うモチベーションがないときに目に入る瞬間がある。実際の空間では角膜にちょっと映るくらいのものがどうウェブに展開されていくか、あるいは実物との関係をどのように継続できるかを考えますね。

小野:物質的なものを扱うにしろ、スクリーン上のビジュアルや仕掛けとのセットありきでデザインされている感じですね。

大野さんに質問したいのですが、建築は実物が大きいので、模型はつくるとしても実寸大は難しいし、CADとかCGで検証することが多いと思うんです。しかも大野さんはコンピューテーショナル・デザインに精通している一方で、物質性にもこだわっている。コンピューター上で検証することと実際に施工していくことの違い、あるいは計算しきれない部分はどんなものでしょう?

大野:CGのなかでの情報と現実がずれている部分は確かにあるし、むしろ自覚的にずらしています。そのずれはいい意味で想像の余地とも言えるので、そうした余白がなくならないよう、いきなり精度を上げすぎないように注意しながら設計を進めていきます。なので、うちはあまりスタディ模型をつくりこみません。ラフスケッチ、ラフ模型、ラフ3Dモデルを使って検証しています。納まりなどを決める段階になって初めて、金具レベルまでつくり込んだ空間全体の3Dモデルを制作します。逆に模型ではそのレベルの検証は部分的にしか行なえません。

クライアントとの打ち合わせにも、完成度の高い模型はあまり使いません。個人的にそういう模型を見るのは好きなんですけど、ものとしてカッコいいと思うほうに引っ張られてついつい満足しちゃうんです。そうなると批評的な検証が進みづらい。むしろ多少ツッコミどころを残したもののほうが、提案のよいところや悪いところの発見に繋がりやすいと考えています。

グラフィックデザインにおける場所性・一回性

大野:上西さんと田中さんのお話を聞いていて、おふたりのお仕事はつくったものがいろんなところに存在することが前提なんだなと思いました。僕は似たようなことをやっている部分もありつつ、方向が逆の場合もある。建築って原則として建てられた場所に行かないと体験できないものなので、建物に情報がぎゅっと集約されています。それをメディアなどをとおして伝えるとなったとき、実物が持っている情報を全部伝えきるのではなく、その空間の抱えている多様性を示すにはどうするのがよいかを考えます。だから建築写真も広角で説明的に撮ってもらうのは好きじゃなくて、空間のなかのシーンを切り取るカットをたくさん用意して、見る人がそれらを頭のなかで勝手に繋いで見えない部分を補完してくれるような情報の出し方を好みます。

おふた方は建築や展覧会のサイン計画も手がけていらっしゃいますが、どう考えるのか気になります。グラフィックのなかでも場所性、一回性がかなり強いアウトプットだと思うのですが。

上西:サイン計画はとても専門性が高いと思っています。私自身は21_21 DESIGN SITEで開催した「2121年 Futures In-Sight」という展覧会のADと空間デザインに携わった際に、グラフィックで空間を埋めていくことを初めてやりました。普段私たちがつくるものって手に取ることはできてもなかに入ることはできない。けれど建築はなかに入っていける。自分の背丈より大きな文字が掲げられた状態が新鮮で、ポスターとも違うなと。

画像5

21_21 DESIGN SIGHT企画展「2121年 Futures In-Sight」展(2021〜2022年)の会場風景 photo : Masaki Ogawa

大野:文字がその意味を超えて独特の空気感をもたらしているように感じますね。たとえば木目に囲まれた空間と同じように、文字に囲まれている空間にも質感があると思いましたか? 手触りというか“目触り”というか。

上西:ありました。空間的に配置されている角柱の表面にはテクスチャーがあり、カッティングシートの文字が貼られていて、体験性が高かったです。それに建築は三次元的であることに加え、ネジとか角の処理などのディテールまでコントロールしているのがすごい。大きいけれど、同時にかなり小さい部分まで練られていて。

大野:検証はどうやって行なったんですか?

上西:20分の1スケールの模型をつくりました。柱がいっぱいある会場で、それも全部つくってグラフィックの見え方もいろいろ検証したのですが、想定と違ってうまくいかなかった部分もありましたね。すごく感覚的に気持ちいい空間とかものって、そういう細かい部分の検証が積み重ねられているんだということを、再認識しました。たとえば、ソリッドな建物の一部が有機的で異質な石でできていたり、何度も重ね刷りされた印刷物の吸い込まれるような締まった黒とか、説明できないけれど感覚的に惹かれるような細部のこだわり。どんなものにも多くの情報が込められているし、人間は目にした瞬間にそれが持つ情報を処理していますよね。

小野:グラフィックデザインは複製を基本としているように、ウェブデザインもひとつつくったものが様々な端末で見られると思います。その場合の一回性について、田中さんはどう思われますか?

田中:まず、ウェブサイトって1個しかないんですよ。正確にはクラウドで複製されていたりするのでひとつではないのですが、形式上はひとつしかなく、それがなくなると世の中から完全に消えてします。みんながそのひとつのウェブサイトを見に来ているという意味では、建築と同じです。

大野:入口はいっぱいあるけど、ものは1個なんですね。

田中:そうなんです。音楽もCDがあった時代は複製物って感じなんだけど、ストリーミングになると形式上ひとつの元データをみんなで聞いているので、1個というイメージに変わりました。これも契約ありきなので切れたらなくなりますしね。

ウェブデザインを実空間に展開する

田中:サイン計画について言うと、京都市京セラ美術館のサイン計画を担当しました。僕がやるなら普通とは何か違うことをしようと思って、デジタルサイネージの代わりに自発光しないE Inkのディスプレイを使いました。京都は市の条例で屋外に自発光するデジタルサイネージのようなものを設置できないのですが、E Inkだと自発光しておらず印刷物と捉えることができると考えて。設計を担当した青木淳さん、西澤徹夫さんの仕事が非常にアノニマスというか上品だったので、サインは出しゃばらず機能で貢献しようと考えました。そのとき考えていたのは、デジタルサイネージを使うことによってウェブサイトの情報更新とサインの変更を連動させる仕組みでした。でもウェブサイトのコンペで落ちてしまって。

画像2

京都市京セラ美術館のサイン計画

小野:それは残念ですね。実現できたらよかったのに。

田中:サイン計画とは違いますが、「光るグラフィック展 0」はウェブサイトのデザインを実空間に展開するというお題がありました。ただ僕の場合は、模型をつくって配置を細かに検証するよりは、先に見せる情報を揃えて、配置はわりと雑に決めていったんです。できあがるまで自分自身も想像できなかったし、細かなディテールは気にしなくても置いてあるものの迫力だけでなんとかなるだろうと考えて(笑)。

コンピューターを使って制作していると、自分の価値観の外側を見せてくれるところがあって、それに近い感覚です。自分もわからないままやって、出てきたものに傷つくこともある(笑)。意図とは違っても、受け入れることが大事になります。

小野:計画できないものをある程度許容していくと。

田中:おかしいかな? と思っても、言いたいことの素材は全部用意して空間に入れられたから、既定値は超えているはず、と。

小野:僕は「光るグラフィック展 0」を観て、スクリーン的なものをハックした展示だと思ったんです。一般的にはスクリーンって単なる画面で非物理的なものだと考えがちなんですけど、たとえばブラウン管を4つ積み上げてひとつのイメージを投影することで各画面の歪みが出るとか、LEDのディスプレイの光が微妙にまばらということが起きていて、一回性というか物質性を強く感じたんです。

画像4

画像4

クリエイションギャラリーG8で開催された『光るグラフィック展0』(2021年)

田中:「光るグラフィック展 0」は「Tokyo TDC」のウェブサイトデザインが第23回亀倉雄策賞を受賞した記念としての個展ですが、展示を考えはじめた当初は、そもそもPCとかスマホで見られるウェブサイトをなぜわざわざ展示として見せるんだ? と疑問を持っていました。そこで、グラフィックデザイナーにとっての紙みたいに、僕はスクリーンにこだわることにして、ブラウン管、プロジェクター、LEDなどのメディアを見せていくことにしたんです。そうすることで、観客の意識がよりメディアに向くようにしたかった。

また、僕の展示空間がVRで見られる「メタバース」的な展開は、2019年にクリエイションギャラリーG8で開催した「光グラフィック展2」でやったことの焼き直しでもあります。つまり、僕なりにモニターと付き合いながら考えてきたことや経験のオムニバスが、「光るグラフィック展 0」の展示なんです。ブラウン管は昔から使っていたし、LEDパネルの展示は15年前は1億円くらいかかると言われて断念したアイデア。今回は数十万円で実現することができました。ずっと考えてきたことを、なんとか空間に押し込めた感じなんです。

スケールレス時代のデザインに必要なもの

小野:それぞれの領域で物理的なものを考えたときに、みなさんスケールが重要なテーマになっていると感じました。ウェブであっても、どの端末か、いつ見るかでも違うし、身体的な体験によって変わりますよね。もちろん建築はスケールが強く影響する分野ですし。

上西:私の場合ビジュアルをひとつつくると、紙、ウェブ、SNSとか、あらゆるものに展開されることが多いです。いまはアウトプットするメディアが多様になり、若い人ほどそれが前提なことが普通な気がします。昔は、ウェブサイトをつくるときもポスターのような要領で、ブラウザのサイズを想定してミリ単位の細かさを気にしていたのですが、レスポンシブルだとそもそも無効で、もっと別の要素が大きいように思います。実物よりも、インスタやウェブでの発表上でよく見えるように設計・編集されたものなども溢れています。そんな風に実態がなくなっていく怖さとよさの両方をよく考えます。実物を確認する前に画像のみで接することも多いので、真実かどうかの判断も難しかったりします。自分の仕事でも、書籍や雑誌のときはこのサイズ感がいいと思っても、それをPRするとなるとわかりづらいから調整するとか。実物でのベストと、伝えるときの“映え”とどちらをとるのか、すごく悩みます。

おもしろかったのは、インスタが流行って以降ハイブランドがこぞって大きいロゴをプリントしたアイテムを増やしたこと。SNSに載せたときにわかりやすいから、よく売れるわけです。同じくグラフィックにもシンボル性が求められるようになっていると思います。私は現物に落とし込まれたときのサイズ感を第一に考えますが、いまはそこが反転しつつもあって、広報用のウェブサイトやSNS、PR画像・動画を見越したデザインも必要だし、でも、現物のクオリティがいちばんだとも思うし、もやもやします。

小野:難しいところです。いろんなスケールに展開することが前提のスケールレス時代において、スケールがはっきりしているもののことだけ考えるのはありえないってことですよね。

上西:ただ私自身は、現物を見たときにすごいって思ってくれる人をどうやって生み出せるか、どのくらいエモーショナルな気持ちを呼び起こして深く心に刺さってくれるか。そこに向き合いたくはあります。

小野:スケールレスであることを前提としつつ、スケールが存在する現実にどう向き合っていくか。ウェブサイトを見る環境は、巨大なサイネージかPCかスマホかみたいな大まかな種類はあるにしても、かなり細分化されています。田中さんは、ウェブサイトとスケール、あるいは身体性についてどう考えていますか?

田中:ウェブサイトにおける見る環境の違いへのバランスのとり方は、とにかくシビアなものを諦める、ですかね(笑)。

(一同笑)

田中:僕はウェブがレスポンシブになったときに心を砕かれて、以降、ポジティブに諦めています。ディテールによって説得することの難しさを理解しているから、こういうことを言っているんだと思います。なのでスケールの問題については、造形というよりはつくったサイトがどのように需要されるか、使いやすさを少し犠牲にしてもインターフェースの使用感が印象に残るような設計をするというところに可能性を感じています。そういう実験は小さいサイトでやることが多いですが、一般的なものでもできることはありそうだと考えています。

アウト・オブ・スケールがもたらす、エモーション

小野:大野さんが今回の『広告』虚実特集号に寄稿してくださった記事「97 建築における『ただならなさ』」のなかに「アウト・オブ・スケール」という見出しがありましたね。

大野:はい。記事タイトルの“ただならなさ”というのは、物理/非物理の話とも関係があります。物理的な建築空間を体験したときに、五感で近くする情報を超えて受け取る印象に興味があって。どんなときにそういう“ただならなさ”を感じるのか、あれこれ考察しています。そのなかで挙げた例のひとつに、空間や時間において自分の身体が把握できる大きさを超えたものに出会ったときに感じるただならなさがあるんじゃないかと。山や海といった自然もそうだし、建築にもある。古くから残る大きな建物の遺跡とかそうでしょう。巨大さ、あるいは古さや悠久さ、自分自身がとてもちっぽけに感じる瞬間。アウト・オブ・スケールという切り口が手がかりのひとつになると考えました。

と言ってもこれは鑑賞者側としての意見で、僕自身がそういうものをつくりたい願望があるわけではないんです。ただ、理解が及ばない、はるかにパラメーターが振り切れたものがおもしろいと思っていて。タワーマンションとか(笑)。計り知れないものには神話が生まれるような気もしています。

小野:ただならなさについては、大野さんはもちろんおふたりも考えていることだと思います。簡単に言ってしまえば、「感動を生み出す力」みたいなことかもしれません。僕自身は、感動って物理的な行為だなと思っていて。そう思った理由のひとつに、最近知った「内受容感覚」という言葉があります。外受容感覚はいわゆる五感を使って外の情報をインプットすること、内受容感覚は内臓などが感情に影響を与えていることを指しています。すると、感情はかなり身体的だし物理的だなと思ったんです。

建築の場合アウトプットは物理的ですが、グラフィックは情報とか非物理的なものを扱うことが多い。でも、そこにある重みとかただならなさもあるじゃないですか。それをどう生み出そうとしているのか。

上西:情報といっても、そこに込めているメッセージや想いはありますよね。大野さんがおっしゃったアウト・オブ・スケールが興味深いと思っていて。巨大なものを畏れてしまう感覚。古代からある山信仰とか巨木信仰もそうですよね。一方ですごく細かいものに畏怖を感じることもある。ただ、心を奪う驚きとか畏怖は必ずしも気持ちいいものではなくて、実際に対峙すると戸惑うと思うんですね。私が起こしたいのもそれなんです。見たことあるものを人は受け入れやすいから、かわいいとかおしゃれとか言葉にできてしまう。プロとしてデザインする以上そのニーズに応えることももちろんやりますが、本質的には簡単に形容できない気持ちを生み出すものがつくれたら嬉しい。みんなが安心するようなものよりもきっと難しいし、惹かれます。

小野:上西さんは、山に行くとか旅行が好きですよね。自然から得られるような感動や畏怖を積極的に体験しようとしているのかなと感じています。

上西:歳を重ねていろいろな経験をすると、簡単に心が動かなくなるんですよ(笑)。人の心を動かしたいと思うんだったら、まず自分がハラハラしたりいろんな感情を受ける体験をしないといけない。それが情報をどう重くしているかはわかりませんが、つくるものにはその人の思考量や視座が投影されているはずなので、様々なことを体験したり、感知しやすい状態に自分自身を置いておくことが大事かなと思います。

デザイナーの主体がないところに、“ただならなさ”が生じる

小野:田中さんはどうですか?

田中:新しいテクノロジーを使った表現の世界は、イリュージョンをいかにつくって感動させるかに終始していた時期が長いんですね。すごく明るいとか、数がたくさんあるとか、でかいとか。ただそれは予算に直結してしまってつまらないので、違うアプローチでつくれないかなと思っています。

でも、自分自身がそれをゼロからつくり出せるとは思っていません。よいテーマやクライアントとの出会いは巡り合わせのような外部から授かるようなかたちで与えれるというイメージがあります。なので、いかに継続して打席に立てるかが重要。希望されたとおりのものをつくるのではなく、打ち返し方にはつねにチャレンジがある。それでもクライアントに愛想を尽かされない。それを続けていくしかなくて、究極的には健康で長生きすることしかないんじゃないかと(笑)。

(一同笑)

SPBS記事内画像


小野:
田中さんの言葉をなぞると、”授かる“とか“捧げる”とか自分に主体がない感じを意識しているのが興味深かったです。ものをつくるうえで、授かるというスタンスは大事な気がしますね。先ほどの質問に戻りますが、建築の体験がもつ重みはどうですか?

大野:重みと言うと、ピラミッドとか海とか森とかになっちゃうので、それに太刀打ちはできないんですが、それらが持っている神秘性には興味があります。人間はいろんなところで因果関係を結ぶことにエンタメ性を感じる生き物で、SFやミステリー、お笑いなどがジャンルとして確立されているのもそういう理由からだと思っています。それがはっきりとした答えが出ないまま終わってしまう不条理なものであっても、わからないことをわかろうとする行為そのものが楽しい。そのわからなさを歓迎したい。その瞬間に理解できたり反応できたりするものではなく、謎みたいなものですかね。でもわざわざ仕掛けるのではなく、自分がつくったものに謎が残っていればいいなと思います。

最近、3D世界でのみ存在するような建築空間を設計する機会も増えているのですが、自分で自在にモデリングできちゃう神のようなポジションで計算しつくした作品のなかに、自律した何かが存在するような……。「超芸術トマソン」(※1)とか「オーパーツ」(※2)みたいな。そういう謎が意図せず生まれるようになれば、ただならなくなるのかな。でもこれ以上言葉にしてしまうと、“ただなる”ものになっちゃいますよね、きっと。

小野:本日は「デザインにおける物理と非物理の間」というテーマで話してきましたが、いろいろな方向に話が展開しました。人間がものをつくって人間が体験する行為に物性は必ずある。その魅力のつくられ方の一端を議論することができて、僕自身も学びが大きかったです。お三方、聞いてくださったみなさま、ありがとうございました。


文:柴原聡子

上西 祐理(うえにし ゆり)
アートディレクター、グラフィックデザイナー。1987年生まれ。東京都出身。2010年多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業、同年電通入社。2021年独立。 ポスター、ロゴなど単体の仕事から、ブランディングやキャンペーン、映像、空間、本、雑誌など仕事は多岐にわたる。趣味は旅と雪山登山。旅は現在42カ国達成。
大野 友資(おおの ゆうすけ)
1983年ドイツ生まれ。建築家。DOMINO ARCHITECTS代表。東京大学大学院建築学修了。カヒーリョ・ダ・グラサ・アルキテットス(リスボン)、ノイズ(東京/台北)を経て2016年独立。建築からアプリまで、様々なものごとをデザインの対象として活動している。2011年より東京藝術大学非常勤講師を兼任。
田中 良治(たなか りょうじ)
ウェブデザイナー。1975年三重県生まれ。同志社大学工学部および岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー卒業。2003年セミトランスペアレント・デザイン設立。主な活動に、「オープンスペース」2008、2015/NTTインターコミュニケーションセンター、セミトランスペアレント・デザイン「退屈」/ギンザ・グラフィック・ギャラリー、「光るグラフィック展」1、2/クリエイションギャラリーG8の企画・キュレーションなどがある。武蔵野美術大学教授。
脚注
※1 超芸術トマソン……美術家・作家である赤瀬川原平らの発見による芸術上の概念。主に都市空間において、不動産と一体化しつつ「無用の長物的物件」となった建築物のこと。
※2 オーパーツ……発見された場所や時代とはまったくそぐわないと考えられる出土品や加工品など。


【関連記事】

今回のトークイベントに参加いただいた大野友資さんには、雑誌『広告』虚実特集号でもご協力いただきました。現在、大野さんに寄稿いただいた記事を全文公開しています。

97 建築における「ただならなさ」
▶︎ こちらよりご覧ください


いいなと思ったら応援しよう!

雑誌『広告』
最後までお読みいただきありがとうございます。Twitterにて最新情報つぶやいてます。雑誌『広告』@kohkoku_jp