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97 建築における「ただならなさ」
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97 建築における「ただならなさ」

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背もたれの壊れかけたバスに揺られ、ポルトガルの内陸独特の湿った草原を羊の群れを追い越しながら進んでいく。するとある地点を境に、遠い年月を想わせる角の取れた巨大な岩が地面にゴロゴロと現れはじめる。少し離れて、その丸まった巨岩をたっぷりと載せた山が見える。ポルトガルの真ん中を走るエストレーラ山脈の一部だ。その山をぐるりと回り込むようにして登っていくと、バスはモンサントの村に到着する。

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巨大な岩に囲まれたモンサントの村 画像:筆者撮影

ほかのポルトガルの小さな村と同じように、ここモンサントも1日もあればすべての道を踏破できてしまうくらいの広さなのだけれど、ほかと圧倒的に違う点がある。

この村の建物は、遠くからでもわかるほど多くの巨大な岩々を拠り所にして建てられている。巨大な花崗岩が折り重なっている隙間に、まるでおとぎ話の世界のように小さな扉が設えられていたりする。ここではある岩は屋根となり、ある岩は壁となる。岩の間で洗濯物を干し、岩の下で編み物をし、岩に囲まれた広場で結婚式を挙げる。

この村の成り立ちについて、大きな石を神として祀る「巨石信仰」を手がかりにして語る人が少なくないのも無理はない。この巨岩の転がる圧倒的な空間のなかに身を委ねてみると、この場所に畏れや神々しさを感じずにはいられない。モンサント(=ポルトガル語で「聖なる山」を意味する)というのは村の名前だけれど、山そのものを指してもいるのだろう。

モンサントに一歩足を踏み入れたとき、もっと言うと、山肌と同化しているこの村をバスのなかから見つけたとき。あのとき感じた「ただならなさ」は一体何だったのだろう。

「なにごとの おはしますをば しらねども かたじけなさに なみだこぼるる(どなたがいらっしゃるのかは知らないけれど、畏れ多くてありがたくて、涙がこぼれてくるよ)」

西行法師が伊勢神宮を訪れたときの気持ちを詠んだこの歌は、あの場所に漂う、何か超常的な存在を感じる空気をよく表している。実際に伊勢神宮を訪れたことがある人であれば、この気持ちにおおいに共感できるのではないだろうか。

建築を生業なりわいとしている筆者も、旅行先なんかで「この建築は神がかっている」と表現するしかない体験をすることが稀にある。冷静になって分析できていないだけなのかもしれないけれど、何度訪れても同じように、ある意味打ちひしがれたような気持ちになる場所があるのも事実だ。フランスの建築家ル・コルビュジェにとって、アテネのパルテノン神殿がそうであったように。

「もしパルテノンの前で立ち止まるなら、それを見て内にある弦が鳴ったからであり、軸線に触れたからである。聖マドレーヌ寺院はパルテノンのように基壇、柱列、切妻壁(同じ一次的要素)を持つが、その前では立ち止まらない。聖マドレーヌ寺院はなまの感覚を越えてわれわれの軸線に触れないからであり、われわれは深い調和を感じず、それを見てもその場に釘付けにされない」
──『建築へ』(ル・コルビュジェ-ソーニエ、中央公論美術出版、2011年)


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コルビュジェによるパルテノンのスケッチ 画像:『ル・コルビュジエ──みずから語る生涯』 (ジャン・プティ、中央公論美術出版、2021年)80頁より

立ち止まって釘付けにされてしまうほどの「ただならなさ」。神がかっているとか、霊的な存在を感じるとかいう直感は認めたうえで、それ以外の言葉で、この感覚にもう少し理性的に近づくことはできないだろうか。

ただならない空間についてひも解く前に、まずはその逆の、いわゆる普通の「ただなる空間」について考えてみよう。非日常ではなく日常の、ハレではなくケの、ただの空間について、あらためて考察してみることで、「ただならなさ」の輪郭が浮かび上がってくるかもしれないから。

・「ただなる空間」は持続している

朝起きたら部屋の大きさが突然変わっていることはないし、どこでもドアみたいに扉を開けると毎回違う場所に繋がることもない。エレベーターなどの一部の例外を除いて、一瞬前の空間と現在の空間は連続しているし、それが永遠に続くと信じることで現実は成り立っている。普段の空間は不断の空間なのだ。

・「ただなる空間」は把握できる

大抵の空間は、人間の身体を基準に設計されている。当然ながら、開口は人がくぐれるようにつくられているし、平均的な身長であれば、高すぎて登れない階段に出くわすことはあまりない。いわゆるヒューマンスケールというやつだ。身体の延長として把握できる空間は、説明されなくても使いやすいけれど、そこに謎めいた奥深さはない。

・「ただなる空間」は不完全である

少し概念的な話になるけれど、現実の空間には完全な平面は存在しない。熟練の左官職人がどれだけ丁寧に仕上げた壁であっても、よくみると凸凹していたり不純物が混じっていたりする。同様に、完全な幾何学立体、完全な質点、完全な透明なんかもない。素材、技術、環境などの様々な制約によって、完全さとか完璧さというものは、現実世界に持ってくることができない。

持続していて、把握できて、不完全。これらの性質は、安心感や親近感といった感覚と密接に関係している。確かに、日常的にドキドキ、ワクワク、あるいはビクビクしていては身が持たない。では、上記の性質をそれぞれ裏返していったら、果たしてそれはどんな空間になるのだろう。

持続しない空間/オルタナティブ・リアリティ

空間を体験するとき、あなたの身体と心はとても複雑で高度な情報処理を行なっている。

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博報堂が発行する雑誌。「いいものをつくる、とは何か?」を思索する“視点のカタログ”として2019年にリニューアル創刊。クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナーの小野直紀が編集長を務める。最新号の特集は「虚実」。