16_世界最高峰の無用

16 世界最高峰の無用

2013年、ロンドン。ハイド・パークに隣接するケンジントン・ガーデンズに、巨人が石積み遊びをしたような、巨大な岩が巨大な岩の上に載った巨大なオブジェが現れた。

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©Peter Fischli David Weiss Photograph:2013 Morley von Sternberg

映像作品『事の次第』などで知られるスイス出身のふたりのアーティスト、ペーター・フィッシュリ(Peter Fischli 1952〜)とダヴィッド・ヴァイス(David Weiss 1946〜2012)が英国・ロンドンのサーペンタイン・ギャラリーの提供で制作したこの作品には、『Rock on Top of Another Rock』という見たまんまの名前がつけられている。

もちろん、こんな巨岩同士が自然の成り行きでこんな状態で組み合わさるわけはないのだけれど、岩の上に岩が載っているだけ、という極めて原始的な佇まいをしているので、ウェブか何かでこの作品を初めて知ったときには(実はその時点で既に展示期間が終了していて実物を見ることはできなかった。見たかった)、とりたてて注目することもなく意識からは流れていってしまった。

その後このプロジェクトにあらためて興味を持ったのは、岩を岩の上に載っけるというシンプルな目的のために、最先端の技術の粋が集められていることを知ったからだ。しかもそのエンジニアリングを担当したのは、世界中のチャレンジングな建築を実現へと導いてきた世界最高峰の技術設計集団Arupだという。

Arupが、本気で岩の上に岩を載せる。

ちょっとただごとではない気がする。彼らが日頃エンジニアリングの対象としているのはもちろん建築だし、建築は人間が生活をする上でもっとも不可欠なもののひとつと言ってもいいと思う。一方で、岩の上に岩が載った件の“彫刻作品”は、建築と比べると生活のなかでダイレクトに役立つものとは言い難い。もちろん、彫刻はそこに存在するだけで感情を揺さぶったり問題を提起したりするし、それ自体も機能だと思うけれど。

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©Arup

ここで芸術論について話すつもりはない。フィッシュリとヴァイスもこの作品における具体的な意義については明言していないし、これからもするつもりはないだろう。それよりも、建築の構造計算という本来「用」のためにある技術を、この(あえてそう言ってしまうけれど)、「無用」なものに注ぎ込んだArupの思いを知りたい。

Arupの日本事務所へ問い合わせたところ、担当したのはロンドンのチームだという。今回この『Rock on Top of Another Rock』を手がけたArupのチームから、アリス・ブライア(Alice Blair)氏に、プロジェクトの舞台裏について伺う機会を得た。

大野:初めまして。今日はまず、アリスさんがArupのなかで通常どういったお仕事をされているかお聞きできればと思います。

アリス:よろしくお願いします。現在はロンドンのArup本社に所属し、通常はシニアエンジニアとして様々な建築の構造設計をしています。私の所属グループには700人ほどのメンバーがおり、外観や設備などのエンジニアリングも行なっています。

大野:『Rock on Top of Another Rock』のような彫刻作品のエンジニアリングの依頼があった場合、建築外の仕事を担当する専門的なチームがArup内にあるのですか? アーティストからの依頼内容や、どこからどこまでをArupが担当する予定だったのかなど、アーティストとの協業体制についてもお聞きしてよろしいでしょうか。

アリス:Arupがサーペンタイン・ギャラリー・パビリオンの構造設計に何度も携わっていることがきっかけで、今回のプロジェクトもサーペンタイン・ギャラリーを通じてオファーをいただきました。過去にも彫刻の構造設計を担当したことはありましたが、これはそのなかでも一番“クレイジーなもの”だったと言えるかもしれません。

プロジェクトの開始時、アーティストによって作成された、巨大なふたつの岩が重ねられたコラージュ写真が送られてきました。そこには今回のプロジェクトで達成したいイメージが示されていたわけですが、このふたつの岩の接合方法について、Arupにエンジニアリングをお願いしたい、というのが依頼内容でした。

サーペンタイン・ギャラリーとしては、パブリックアートとして設置する以上、何があってもこれは崩れない、倒れないということを客観的に確認する必要があります。そこで構造設計の専門家がいるArupをプロジェクトに入れることで、この作品の安全性を保証したかったのです。そういった流れで、岩を組み合わせる方法についてArupからいくつかの提案をすることになりました。

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©Arup

大野:アーティストからというよりは、この作品を配置するギャラリーからの依頼だったのですね。設計だけでなく、施工方法などのディレクションもArupが担当されたのですか?

アリス:ええ。われわれとしては作品制作の一連の流れにおいて協業しました。アーティストが岩の組み方を考えるためのスタディ手法の提案から、施工図面の制作まで。彫刻の基礎部分などは、われわれが一から設計しています。

大野:そういった協業体制だったんですね。先ほどアリスさんからは“クレイジー”という言葉も出てきましたが、『Rock on Top of Another Rock』のプロジェクトを遂行するにあたり、もっとも難しかった点、同時に、ユニークだと感じた点も教えていただきたいです。

アリス:これは、ある意味ではとてもやさしいプロジェクトだったと言うこともできるんです。というのも、通常私たちが相手にしている建築と比べ、最終的に目指す形が圧倒的にシンプルだったので。見ておわかりのように、岩ですから(笑)。

しかも通常の建築の構造計算の頭で考えると、ついついごちゃごちゃと複雑な方法でくっつけようとしたり、足し算的に特注の金物などを設計したりして解決しようとしてしまうのですが、構造解析をしてみると、結論としてはふたつの岩がただバランスを取り合って載っているだけ、というのが実はもっとも理にかなっていたんです。

一方、「ただ載せる」「ただシンプルにやる」ということを関係者全員に納得してもらい実現すること、それがいちばんユニークだったし難しかったなとも思います。

また、岩という不均質な素材を扱っているために、施工精度を保つのも大変だったことのひとつです。クレーン車を使い、岩に岩を載せるのですが、解析した結果、安定する位置と角度の誤差の許容範囲はなんと50㎜以内と非常に小さく、ほぼパーフェクトに遂行しないとぐらついてしまう。そのため、クレーンの操縦者には卓越した技術が必要とされました。

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©Arup

大野:なるほど。このふたつの岩のジョイントについては特別な仕掛けがあるわけではなく、本当に重力だけで保たれている、ということなんですね!

アリス:そう、本当に何もなく、“ただ上に載っかっているだけ”という状態なのです。Arup内でレビューするなかでも「これはやっぱり何かでくっつけたほうがいいんじゃないの……?」というような話にはなりましたが、最終的には、本当に重力だけです。

もともと英国のウェールズにあったふたつの岩を何百マイルもトレーラーに載せてロンドンへ運んできましたが、事前に、ウェールズの現地で予行演習も行ないましたね。そうして、エンジニアリングがきちんと機能しているかどうかを計算上でも予行でも確かめつつ、同時にアーティスト自身にも現場で見て確認してもらった上で、ロンドンにて本番の施工をしました。

大野:結果としてとてもシンプルではあるけれど、そこに至るまでの確証を得るためにはArupの技術を注いでいるわけですね。ちなみに最終的に設置した組み方は、構造上最適という理由でArupから提案したものなのでしょうか? それとも、アーティストによってこう組みたいという理想的なイメージが示された上で、それを再現したものなのでしょうか?

アリス: 両方、ですね。Arupでは岩を3Dスキャンしたあと、3Dプリンタで精緻な縮尺模型をつくりアーティストと共有しました。アーティストはその模型を使って、手で組み方のスタディができるわけです。

まずArup側から、模型を用いてエンジニアリングの観点での組み方を、複数の方向性で提案しました。アーティストはその提案のなかから方向性を絞り、それを元にしたいくつかのアイデアを出す。それを受けてArupが再度計算、検証を行ない、最終的なデザインが完成しました。3Dスキャナと3Dプリンタがあったおかげで、かなり具体的で高い次元で、アーティストと情報共有ができたと思います。

大野:とはいえ、3Dプリントされたプラスチックの模型と実際の岩とでは、いろいろな面で違うこともありますよね? そこのギャップはどのように埋めたのですか?

アリス:おっしゃるとおり岩は自然物なので、全体が同じ密度であることはありえません。内部に重い部分と軽い部分があったり、クラックが入りやすい部分や風化している弱い部分がありますから、岩と岩が重なる際、そういった弱い部分に負荷がかからないようにしなくてはいけません。

そのために、岩石物性のスペシャリストにチームに加わってもらいました。そういう自然界に存在する不均質な部分は、3Dプリントした模型だけではシミュレーションできないですからね。

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©Arup

大野:アーティストとArupで何度も重ねられたシミュレーションの経緯がよく理解できました。この作品はとても直感的で、少年時代に河原で石を積んで遊んでいたようなものが、ただただ巨大化する、というシンプルさ自体にも夢がありますし、同時に、その裏にはたくさんの努力が詰まっている、ということも魅力のひとつだとお話を聞いてあらためて思いました。

ちなみに、建築だと裏の努力がわかりやすいものも多いですが、この『Rock on Top of Another Rock』にはその努力が表立っては現れていないからこそ、おもしろいなと思うんです。こういった非常にシンプルで機能のないものに対するエンジニアリングと、機能の塊のような建築に対するエンジニアリングとでは、何か違いを感じられていますか?

アリス:この作品から20分ほどのところで私は働いているので、たまに足を運んでは人々の反応をおもしろく見ています。みなさん、「こんな現象が自然に起きるわけがない。何かが隠れているはずだ」と感じるようですね(笑)。見た人の気分が「なんだか楽しいな」という風に変わったり、それにより世界の見方が少し変わったり……そんな機能がこの作品にはあるのでしょうね。

いまは建築の仕事のなかでもデジタルツールを使うことで、いろいろと複雑なエンジニアリングが可能になってきていますし、それを表に出したくなる気持ちもわかります。それ自体はとてもおもしろいですし、そういったプロジェクトに自分がかかわれるということはとても恵まれていると思っています。

けれども、ときどきこういった機能のない、目指すべきゴールがシンプルなプロジェクトを担当すると、「倒れない/壊れない」といった構造設計の原則と正面から向き合ったり、エンジニアリングの原則に立ち返るきっかけを与えてもらえたりする。これはとても重要なことだと思います。

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©Arup

大野:確かに、建築だと構造そのものが表現のテーマになることもあるくらい、できることの幅が広いのに対し、『Rock on Top of Another Rock』はArupの役割が非常にシンプルで明解なぶん、より研ぎ澄まされているということですね。この作品にかかわった経験が、日頃の仕事に活きてきたりもするのでしょうか?

アリス:私たちのチームでは、既存の建物を増築するような類のプロジェクトを手がけることがしばしばあるのですが、それと少し似ているなとも感じていました。

今回は“寸法が決まっているふたつの岩をどう組み合わせるか”ということがお題でした。いまここにあるもので最善のものを生み出す。それ以外に選択肢がない、という状況ですね。建築にも、いまある資材ストックをどんどん活用していこうという流れがあります。このプロジェクトで深く追求した“あるもののなかからベストを生み出していく”という考え方は、建築のプロジェクトでも必ず活きてくると思っています。

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©Arup

以上、インタビューをとおして一貫していたのは、「技術的に大変なことをしているように見せない」というArupの黒子としてのこだわりだ。テクノロジーを押し出さず、あくまで裏方として隠していくという態度は、実はここ最近の車や家電の潮流でもある。BMWは“シャイ・テクノロジー”なんていうキャッチコピーを打ち出したし、Googleの出すプロダクトにも布が使われるなど自然に生活へと溶け込む佇まいをしているものが多く見受けられる。ついに、その波が建築にも来た、と言えるのかもしれない。

難しいことを難しいまま見せるのはある意味、素直だ。建築で言えばそれはハイテク建築や環境建築などの構造表現主義的な、技術を表出させて表現する態度として現れてくる。万博で見るパビリオンなんかには、そういった“技術の粋を集めている感”が非常にわかりやすく表れている。

逆に、本当は難しいことを、さも自然でなんでもないことのように見せようとすればするほど、通常以上の経験や努力、工夫が必要になる。言葉でも、難しいことを難しく言うのは簡単だけれど、難しいことをシンプルに言うのは大変だ。武道の世界では達人であればあるほど、高度な動きの連続を、難しげもなく流れるように演武することができるという。

今回の件でも、Arupは技術という意味では興味深いチャレンジをいくつもしている。3Dスキャンを用いた複雑な岩石物性の情報化や、3Dプリントした模型を使ってのアーティストとのコミュニケーション。岩がふたつ載っかっているだけという、究極にシンプルな佇まいを実現するために、アリスのチームは様々な先端技術を駆使した。

駆使していろいろと検討をした結果、複雑な支持材を設計したり最先端の接着剤を使ったりするのではなく、「ただ載せる」という結論に達したことはとってもおもしろい。

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©Arup

ここ最近、既存の建築物の改修や増築といったタイプの案件がArup内で増えているという。彼らが携わった最新のプロジェクトのひとつも、ロンドン市内の5つ星の既存のホテルを、営業を停止させることなく数年がかりでなんと5階分も地下に増築するというものだったそうだ。こちらも別の意味でかなり“クレイジー”である(先ほどのインタビューは、そのプロジェクトの竣工記念パーティーの直前に実施された)。

アリスいわく、既に存在する複雑な環境のスキャニングと解析から始まった点が、今回のプロジェクトと似ているとのことだった。岩の組み方をエンジニアリングした経験が多かれ少なかれ建築プロジェクトにも活きてきているというのだ。

「無用」なもののために開発した技術や培った経験が、まわりまわって本筋である「用」のために還元されている。もしかすると「用」がないことで、日頃とらわれていた常識やしがらみから解き放たれ、そこで生まれた余裕や余白が、実験的・投資的な思考を生むのかもしれない。

そんなことは言われなくてもあたりまえのような気もするが、「無用」なものを自主的につくったり研究したりすることは、実は決して簡単なことではない。しかし、クライアントを持たない自主研究は制作において自らと純粋に向き合う時間でもあり、それを充実させることの重要性を疑うつくり手はいないだろう。

こうして裏側にある制作背景やプロセスを知ると、それまで何とも思っていなかったものやことに対する見方や感じ方がどんどん変わってくるということがある。インタビューをとおしてこのプロジェクトについて知れば知るほど、実物を見たい気持ちが高まり続けている。でも繰り返しになるけれど、本稿執筆時点で既に展示期間が終了している。見たかった。

文:大野 友資/編集協力:鈴木 絵美里

Arup (アラップ)
建築・インフラや都市を対象に、総合的な技術設計、それに伴うコンサルティング業務を提供する国際エンジニアリング・コンサルティング会社。世界34カ国、89の事務所に14,000人以上のスタッフを擁する。日本では約30年にわたり活動、国内外に様々な業務実績を有し、国内の優れた技術を海外展開する業務にも注力する。
大野 友資 (おおの ゆうすけ)
1983年、ドイツ生まれ。建築家。DOMINO ARCHITECTS代表。東京大学大学院建築学修了。カヒーリョ・ダ・グラサ・アルキトットス(リスボン)、ノイズ(東京/台北)を経て2016年独立。建築からアプリまで、様々なものごとをデザインの対象として活動している。2011年より東京藝術大学非常勤講師を兼任。

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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。

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