流通
昔、自分がプロダクトデザイナーとして携わった商品が、いつのまにか発売されていたことがありました。つくるところだけを依頼され、納品したら「あとはこちらでやっておきます」と、あたりまえのようにそうなったのでしょう。このように、いまの社会では、「つくる」と「届ける」が分断されていることがよくあります。でも僕の場合、自分がつくったものが、いつどうやって受け手に届くのか知りたいし、かかわりたいという思いがあります。
だから、本誌『広告』の制作においては「どう届けるか」にも向き合うようにしています。もともとは大手取次をとおして季刊誌として販売されていたのですが、2019年のリニューアルの際に、「1円で販売したい」「毎回、価格も判型も変えたい」「発行スケジュールは柔軟にしたい」と、既存のやり方にあてはまらない要望を実現しようとした結果、取次で扱うのは難しいとなり、いちから自分たちで販路を開拓することになりました。
やってみると、はっきり言ってとても面倒くさい。そして、商売として成立させるには人件費がかかりすぎる。効率を求めるなら既存の取次を活用するほうが圧倒的に楽だと思います。でも、この面倒を引き受けるかわりに実現できることがいろいろとあるのも事実です。
『広告』は、商売っ気をあまり考えずにつくれる、ある種“広告的”な面があるので、これでもいいのかもしれませんが、ほかの仕事だとそうはいきません。商売としてのものづくりになったとたんに、「より安くつくって、よりたくさん売る」という商売の原則に絡め取られてしまいます。いったい、いつからつくり手は「商売の部品」になってしまったのだろう。そんな疑問が頭をよぎります。
そもそも、ものをつくるという行為は、人類の歴史からみると商売が生まれるよりもはるか昔から存在しています。世界最古の道具がつくられたのは、いまからなんと300万年以上前だそうです。その後、人類の進化とともに物々交換が始まり、市場や貨幣ができ、商売が生まれました。
古代から中世までは、つくり手はものをつくると同時に、つくったものを自ら市場に陳列し、そこには「人格」としてのつくり手が存在していました。ところが、近代以降、市場にあるのは人格の消失した商品であり、つくり手はそれを供給する商売の「見えない部品」となってしまったのです。
つくり手の“部品化”が加速したのは、近代においてはマーケティングの発明によるところが大きいのでしょう。マーケティングは、20世紀初頭にアメリカ発の量産車T型フォードとともに誕生し、その後、日本が高度経済成長期のまっただなかだった1960年代に、アメリカで4Pの考え方が提唱されました。その4P=製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、販促(Promotion)のうち、つくり手がかかわるのは基本的には製品の部分です。マーケティングの発展とともに、商売を成長させる4つの区分のひとつを担う役割に嵌められ、つくり手の部品化が進んでいきました。
マーケティングの発明によって、もうひとつ加速したものがあります。それが冒頭にも書いた、「つくる」と「届ける」の分断です。自分のためだけにものをつくる場合を除くと、つくられたものを受け手に届ける行為は、つくる行為と不可分であることは明らかです。しかしマーケティングにおける区分が、ひとつの組織のなかに、ひいては産業全体に分断を生んだのです。
ところで、「ものづくり」という言葉がありますが、この言葉はある種のスローガンのような性質を帯びながら1990年代後半から盛んに使われるようになったものです。これは、バブル終焉以降、停滞していた経済を、自動車産業をはじめとした製造業を中心に盛り立てようとした国策に端を発しています。この“ものづくり信仰”は、一見つくり手にとってよさそうなものに思えるのですが、結果として「ものさえよければ売れる」という幻想から抜け出せない、「届ける」と分断された状態を厭わないつくり手を増やしてしまったようにも思います。
ものが同じでも、いつどのように手に入れるかで、そのものの価値の感じ方は異なります。「ものづくり=価値づくり」だとすると、「つくる」と「届ける」が有機的に結合した状態として「ものづくり」を捉えるほうが本質的なのではないでしょうか。しかし、いまの社会では「製造業」と「流通業」と言われるように、このふたつを別の産業だと捉えることで「ものづくり」の意味が矮小化されてしまっているのです。
しかしながら、「つくる」と「届ける」の分断も、2010年代前半から様相が変わりはじめます。世界をつないだインターネットとスマートフォンが、つくり手と受け手を直接つなぐようになったのです。その結果、商品や作品を直接受け手に届けるつくり手が登場します。ものをつくり、情報を発信し、ものを届ける。これらを地続きで行なう人たちです。スポティファイで自分の音楽を配信したり、クラウドファンディングで開発資金を集め商品をつくり届けたり、2013年頃からアメリカで盛り上がりを見せはじめたD2C(Direct to Consumer)と呼ばれる事業形態も象徴的です。
この流れは、「つくる」と「届ける」の前向きな融合、さらには、つくり手の脱部品化を志向し実践する重要な契機だと考えられます。かつて市場にあった「人格」としてのつくり手が、再び顕在化しはじめたようにも思えます。ただ、こうした動きを取り入れようとする企業が増える一方で、その精神性よりも単なる手法としての導入が先行している印象を受けたりもします。さらに前述のD2Cもその規模が大きくなると、結局は従来型の事業形態に展開する傾向があり、再び分断を生む可能性は否めません。
さて、ここまでやや悲観的な態度で書いてきましたが、別に商売やマーケティングを否定したいわけではありません。世の中には、つくり手に理解や敬意を持つ経営者やマーケターもたくさん存在しているし、「つくる」と「届ける」が健全に調和している状況もきっとあると思います。
むしろ、こうしたことに対して、つくり手自身がもっと関与していくべきなのではないか、というのが本意なのです。つくり手の部品化が進み、「つくる」と「届ける」の分断が加速した一因は、商売先行の枠組みのなかで、そこから抜け出そうとしなかった、もしくは、そこにいることを疑おうとしなかったつくり手自身にあるのかもしれません。
でも裏を返せば、つくり手の脱部品化、「つくる」と「届ける」の分断解消の糸口は、このような状況に対するつくり手の能動的な行動にあると言えるのではないでしょうか。「知らないから」「得意じゃないから」「役割じゃないから」と遠ざけてきた届ける行為に、つくり手が積極的に向き合うこと。その先に、本来あるべき「ものづくり」のあり方、新しいつくり手の姿を見出すことができるような気がしています。
こうした期待を込めて、今回の『広告』では、全体テーマである「いいものをつくる、とは何か?」を思索する第三弾として「流通」を特集します。新しい技術やビジネスモデル、さらには2020年に世界を混乱に陥れた新型コロナウイルスによって流通のあり方が大きく様変わりしました。いま、商品や作品がつくり手のもとを離れてから受け手に届くまで、いったい何が起きているのか。流通をとりまく実情や課題、可能性について様々な視点を集めていきます。
2021年2月 『広告』編集長 小野直紀
小野 直紀 (おの なおき)
『広告』編集長。クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナー。2008年博報堂に入社後、空間デザイナー、コピーライターを経てプロダクト開発に特化したクリエイティブチーム「monom(モノム)」を設立。社外では家具や照明、インテリアのデザインを行うデザインスタジオ「YOY(ヨイ)」を主宰。文化庁メディア芸術祭 優秀賞、グッドデザイン賞 グッドデザイン・ベスト100、日本空間デザイン賞 金賞ほか受賞多数。2015年より武蔵野美術大学非常勤講師。2019年より博報堂が発行する雑誌『広告』の編集長を務める。
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