27 本当の請求書
つくり手が「失うもの」と「得るもの」
ものづくりに携わるつくり手にとって、請求書とは、いわばつくり手が仕事を通じて「失うもの」と「得るもの」を記載したものである。つくり手が「失うもの」の代表は時間であり、筆者の属するエンジニア業界では工数といった言葉で表される。ほかに、材料費や外注費、間接経費など、一時的に立て替えたお金も「失うもの」に含まれる。一方で、それらと引き換えに「得るもの」は報酬としてのお金である。
そう、「得るもの」はお金である。請求書の上では、お金以外の「得るもの」は見当たらない。それはあたかも、つくり手が仕事を通じて「得るもの」はお金だけだと主張しているかのように見える。しかし、果たして本当にそうだろうか。
ひとつの思考実験として、「ひとりのつくり手が、ふたりの依頼主からまったく同じ内容の仕事を依頼される」というシチュエーションを考えてみたい。このシチュエーションにおける仕事の結果として、成果物の質に差がなかったとしよう。ここで問題である。このように「成果物の質に差がない」場合であっても、「報酬が異なる」ということはあり得るだろうか。
経済学には「一物一価の法則」という考え方がある。これは「自由な市場経済において、同一の市場の同一時点における同一の商品は同一の価格である」という経験則だ(ちなみに、昨今話題となっている我が国の働き方改革のテーマのひとつ「同一賃金同一労働」は、一物一価の法則を労働市場に当てはめた概念である)。この一物一価の法則にもとづくと、成果物の質(商品)が同一であれば、その報酬(価格)もまた同一であると考えられる。
しかし、筆者の経験にもとづけば、つくり手の仕事において一物一価の法則は必ずしも成立しない。つまり、「成果物の質に差がない」場合であっても、「報酬が異なる」ということがあり得るのである。なぜこのようなことが起こり得るのだろうか。それは、つくり手の「得るもの」がお金だけとは限らないからだと筆者は考える。
つくり手にとって本当の「報酬」とは何か
それでは、つくり手はお金以外に何を得ているのだろうか。具体的な場面を思い浮かべてみよう。仕事を終えたとき、とてつもない充実感が得られることがある。そんなときは、多少もらえるお金が少なくても許容できる。逆に、こんな仕事引き受けなければよかった、と思うようなときもある。その場合は、お金の支払いが少ないことは許しがたい。むしろ、通常より多くのお金をいただきたいくらいである。
このような現象は、つくり手の報酬についてふたつの興味深い特徴を示唆している。ひとつは、つくり手にとって妥当な報酬とは一意に決められるものではなく、ある程度の変動域を持っているということ。もうひとつは、つくり手の感情もまた、仕事の報酬を決める要因だということである。ここで筆者は次のような仮説を立てた。つくり手は仕事を通じて金銭的な報酬だけでなく、感情の起伏として立ち表れる精神的な報酬を得ている、という仮説である。
感情などという主観的なものによって仕事の報酬が左右されるなんて、とんでもないと考えるのが普通の感覚かもしれない。しかし筆者には、つくり手の感情と、彼らが生み出す成果物の質とは無関係ではなく、むしろ大きく関係しているように思える。本記事では、「つくり手の報酬=金銭的報酬+精神的報酬」と仮定し、精神的報酬の作用を考察するとともに、これらの報酬をより正確に記述する「本当の請求書」の作成を試みたいと思う。
つくり手の報酬についての数式的理解
通常の請求書において、つくり手の時間は、そのスキルに応じた時間単価との掛け算でお金に換算される。Tを時間(Time)、Sをスキル(Skill)に応じた時間単価、Rを報酬(Reward)とすると、その関係は次の式で表すことができる。
なお、実際の請求書ではこれ以外に、冒頭で述べたような材料費、外注費、間接経費などが合算されるが、これらは式の両辺に加算され相殺できるため、ここでは省略して論を進めることとする。
ひとつの仕事が複数の工程から成る場合、工程iに費やす時間をTi、その工程における時間単価をSiとすると、工程1から工程nにおける報酬Rは以下の式として表される。
ここで筆者の仮説にもとづいて、報酬Rを金銭的報酬(Monetary Reward)と精神的報酬(Emotional Reward)に分けて考えてみたい。金銭的報酬をRM、精神的報酬をREとすると、報酬Rは次式で表される。
これを式1に代入すると、
したがって、
この式が意味することは、つくり手にとって妥当と考えられる金銭的報酬(すなわち請求額)RMは、精神的報酬REの多寡によって変動するということである。なお、後述するように、REはマイナスの値も取り得る。REがマイナスとなった場合、右辺第二項は正の値となり、RMはより高く見積もられる。
精神的報酬の類型
続いて、精神的報酬の具体的な内訳について考察する。ここでは、筆者の経験をもとに、以下のように分類した。
プロジェクトそのものの性質にかかわる精神的報酬
1.1. つくり手自身の目的への貢献
つくり手自身が、仕事以外に、いわゆるライフワークと呼ばれるような自主的かつ継続的なプロジェクトに取り組んでいる場合がある。そのような自身のプロジェクトに対して、依頼主から依頼される仕事がなんらかのかたちで貢献する場合、その貢献の大きさに応じて報酬を減額できることがある。
たとえば、その仕事を通じて自身のプロジェクトで必要となるスキルや知識を習得できる場合には、つくり手には自己目的の達成というプラスの精神的報酬が生じていると考えられる。この種の精神的報酬にはほかに、自身のプロジェクトで実施しようとしていたこと(の一部)を達成できる場合、自身のプロジェクトにとって有益であろう人々とコネクションを形成できる場合などが挙げられる。
なお、筆者の場合は、「表現」という行為に強い興味があり、自分自身の表現に対する学びを得るために、尊敬する表現者(アーティストやデザイナー、文筆家など)との仕事を積極的に受注することを心がけている。彼らとの仕事は比較的安価な金銭的報酬で引き受けているのだが、これは赤字覚悟のサービスをしている訳ではなく、精神的報酬が多いために金銭的報酬を安くできるのである。
1.2. 投機的感情・下心
一時的に損をしても長期的に見て何かしらの利益が見込めそうな場合、金銭的報酬を減額してもよいという判断をすることがある。たとえば、依頼主が将来出世しそうな相手であるような場合には、投機的感情あるいは下心とも呼べる感情が、金銭的報酬を補填する役割を果たす。
これは一種の精神的報酬と見ることができる。同様に、引き受ける仕事が有効な広報ツールとして利用可能な実績になるときや、継続的な受注が見込めるようなときにも、この種の精神的報酬が生じていると考えられる。
1.3. 倫理・人道的感情
依頼される仕事が、つくり手の倫理観、人道的感情に訴えるものであるとき、つくり手は金銭的報酬を減額、あるいは拒否(自粛)してもよいと判断することがある。このような場合、つくり手には倫理的信念の達成というプラスの精神的報酬が生じていると考えられる。一般的にボランティアと呼ばれる行為は、この種の精神的報酬のみによって動機づけられ、遂行される仕事だろう。
逆に、たとえば軍事目的の仕事や、賭博など社会規範に反する仕事に対して、つくり手が受託を拒絶するというケースがある。このような状況は、倫理的信念を曲げるというマイナスの精神的報酬が、金銭的報酬を大きく上回っている状態と見ることができる。
プロジェクトのプロセスにかかわる精神的報酬
2.1. コミュニケーションコスト
依頼主とのコミュニケーションは、つくり手が仕事を遂行する上で不可欠な要素であるが、基本的にこれは情報伝達のために生じる手間(時間の損失)であり、コストだと考えることができる。
そして、同一の情報を同一の時間をかけて伝達する場合においても、伝達の仕方によってそのコストが変化することがある。たとえば、コミュニケーション相手の言葉遣いが丁寧な場合と乱暴である場合とでは、後者のほうがコミュニケーションに要するコストが大きく感じられる。
このような状況では、つくり手にマイナスの精神的報酬が生じ、必要以上のコストが割かれていると考えることができる。あるいは、現場に手土産の差し入れをする、マメに感謝の気持ちを伝える、といったコミュニケーションを円滑にするための気遣いは、プラスの精神的報酬となることがある。
2.2. 専門家としての信念との相反
つくられるもののあり方に対して、「こうあるべきである」といった信念を持って仕事に取り組んでいるつくり手は少なくない。むしろ、こういった信念や方法論こそが、つくり手のその分野における専門家としての特殊性、優位性を担保していると言うこともできる。
そのため、仕事の成果としてつくり手の信念と相反するものができあがったならば、つくり手の専門家としての価値が毀損される可能性があり、これは彼らにとって耐えがたいことである。しかし、筆者の経験上、このような事態は比較的珍しいものではなく、多くのつくり手が同様の経験をしたことがあるのではないかと思われる。
たとえば、ある設計に対して、依頼主がつくり手の信念に反する修正を指示し、つくり手の必死の説得も虚しくその修正を強制されるようなケースである。結果としてその仕事は、つくり手の実績(ポートフォリオ)に追加されることはなく、彼らの歴史から隠蔽されることとなる。このような状況で生じる落胆、失望といった感情は、マイナスの精神的報酬となる可能性が高い。
2.3. レジャー性
仕事における作業の多くは根気や忍耐を必要とするものだが、遊びに近い感覚でなされるようなレジャー性の高い作業もときとして発生する。どのようなものごとにレジャー性を感じるかは人それぞれだが、レジャー性が高く感じられる場合にはそれはプラスの精神的報酬となると考えられる。
たとえば、海外旅行が好きな人にとって、国外への出張を伴う仕事は、同程度の労力を要する国内完結の仕事よりも魅力的に感じられるだろう。どちらかを選ぶとした場合、たとえ前者のほうが金銭的報酬が少なかったとしても前者が選ばれる可能性は充分考えられる。そのようなケースは、精神的報酬を含めた報酬という観点で、前者のほうが後者を上回っている状況と見ることができる。
2.4. 後味
仕事を終えたとき、大きな達成感や満足感が得られることがある。筆者の場合は、難易度の高い仕事を遂行し自身の成長を実感できるようなときや、手がけた仕事が社会に好ましい影響力を持つようなときがそうである。
このような達成感や満足感といった後味は、次なる仕事への動機を強く刺激するとともに、プラスの精神的報酬となる。反対に、なんらかのトラブルによって後味の悪い仕事となるケースもあり、この場合にはマイナスの精神的報酬が生じることもある。
2.5. プライベートな事情・気分
つくり手が機械ではなく感情を持った人間である以上、刻一刻と変化する自身の気分の影響を完全に排除して仕事に取り組むことは困難である。たとえば、朝の妻の機嫌が極めて悪かったという不運や、通勤電車で隣り合った人が目の覚めるほどの美女だったという幸運を抱えつつも、仕事場に入った瞬間から何ごともなかったかのように振る舞うことは、多くのつくり手にとって至難の業だろう。
体調もまた気分を左右する。胃腸の弱い筆者の場合は、毎日が腹痛との闘いであり、胃腸の状態によって気分が高揚したり鬱屈したりということを日々経験している。
こういったつくり手の気分というパラメータは、そのタイミングで得られる精神的報酬の大きさを増幅あるいは縮減する効果があると筆者は考えている。すなわち、気分がいいときに得たプラスの精神的報酬はより大きく感じられ、マイナスの精神的報酬は減じて感じられる。逆に、気分の悪いときに得たプラスの精神的報酬は減じて感じられ、マイナスの精神的報酬はより大きく感じられる。
この気分の働きを前述のような数式で表すと次のようになる。あるタイミングtで得た精神的報酬をREt、そこにおける気分をMtとすると、タイミング1からmにかけての精神的報酬の総和REは、
となる。ただし、Mtは正の実数であり、平常時の気分は1.0である。
以上の整理によって、筆者の考える精神的報酬についてイメージしていただけただろうか。続いて、通常の請求書と、実際に精神的報酬を考慮した「本当の請求書」の一例を以下に示す。
「本当の請求書」の意味
ここで示した例では、まず「つくり手自身の目的への貢献」による減額(プラスの精神的報酬)が比較的大きいことから、つくり手の興味と仕事の内容がマッチしていたということが窺える。
一方で、「コミュニケーションコスト」や「専門家としての信念との相反」による増額(マイナスの精神的報酬)も大きい。その内訳を見てみると、クライアント担当者の上司であるA氏の言動が、これらの増額の主要因であることがわかる。
もしもA氏の言動がなければ、つくり手はよりストレスなく仕事に取り組むことができ、請求額は大幅に安価になっていた可能性がある。「あのとき、こうしてくれていたらもっとよかったのに」といった気持ちが読み取れる請求書は、依頼主に対する通信簿のようでもある。
このような、つくり手の感情を加味した「本当の請求書」を依頼主に提出することは、勇気がいることかもしれない。しかし、依頼主にとってみれば、このような請求書によってつくり手の感情の揺れ動きを知ることができるのは有益なことだ。
なぜなら、そのつくり手にとってどのようなことが精神的報酬となるのかを知り、それを適切に用意することができるならば、お金がなくとも成果物の質を高めることができるからだ。
このようなことを言うと、それはつくり手に対する「やりがい搾取」ではないか、といった批判があるかもしれない。しかし、つくり手である筆者の見地からすれば、それは暗に、依頼主の立場のほうが上だと決めつけたものの見方である。
つくり手が熱望するものを依頼主があざとくも用意したならば、それは搾取ではなくWin-Winの関係だ。依頼主とつくり手の関係は対等であるべきで、依頼主もつくり手も、自身の欲求の達成のために仕事を利用すればよい(もちろん他人に迷惑のない範囲で、ではあるが)。
また、「本当の請求書」を考えることはつくり手自身にとっても非常に有益なことである。なぜなら、精神的報酬を求めることは、幸せの追求にほかならないからだ。金銭的な報酬は必要不可欠ではあるが、お金のためだけに働くのだとすれば、いつか限界がくる。自分が仕事を通じて、何を失い、お金以外の何を得ているのかを意識することが、人生の幸福にとって重要なことだと思う。
すべてのつくり手にとって、仕事が人生を豊かにするものであることを願う。
文:武井 祥平
武井 祥平 (たけい しょうへい)
エンジニア・研究者。クリエイティブスタジオnomena 代表。ハードウェア、ソフトウェアのエンジニアとして種々のプロジェクトに携わるかたわら、東京大学大学院情報学環にて特任研究員として空間構成・空間演出に関する研究に従事している。
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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。