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時代の先をデザインする

雑誌『広告』歴代編集長インタビュー|第7回 池田正昭

平成以降に雑誌『広告』の編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューをする連載企画。第7回は、平成13年2月~平成14年2月に編集長を務めた池田正昭さんに話を聞きました。掲げたコンセプトは「フューチャー・ソーシャル・デザイン(fsd)」。時代を先取るテーマを掲げ、今でも「伝説」と語られることが多い『広告』を送り出した池田さんに、雑誌編集の裏側をうかがいました。

新しい社会を提示するため、『広告』をぶち壊す。

小野:まず、池田さんが編集長になった経緯を教えていただけますか。

池田:僕はもともとコピーライターで、制作職から『広告』編集部のある広報室へ異動になったんです。それが平成8(1996)年だったかな。当時はいまと違って、一般的な広告の制作業務との兼任ではなく、雑誌づくり専門の部署があったの。当時の編集長は杉本進さん。その次の編集長・細井聖さんの下で編集者として仕事をした後、編集長になったんですよね。

小野:当時の『広告』はどんな雑誌だったんですか?

池田:ちょっと知的で品がいい。そんな、当時の博報堂のイメージから逸脱することのない雑誌でした。昭和の古きよき時代に培われた企業風土の上に、伝統の出版物として雑誌『広告』があったんですよね。

でも、編集部に配属されてすぐに、その雰囲気を僕は嫌だなと思ったんです。それを壊さないと気が済まなかったというか。そこから3〜4年かけて、それまでの『広告』の伝統をぶち壊してしまったんですよ。僕がやったことには功罪があるし、傲慢な話だったと思うんですけど、やりたい放題やっちゃったんですよね。

小野:確かに。池田さんが編集委員として活躍されていた平成11(1999)年から、判型も変わってカルチャー誌感がグンと出てきましたよね。

池田:「何かを変えなきゃ」というモチベーションだけはあったんですよね。そこで、ちょっとずつ喧嘩しながら、ちょっとずつ自分の領域を増やして。言い訳するわけじゃないんだけど、カルチャー誌をつくりたかっただけでもなくて、博報堂のこれから、そして新しい社会のこれからを提示できる雑誌をつくりたかった。ちょうど20世紀の終わり、ニューミレニアムだったし。なんかわくわくするんだけど、いろいろなことがこのままじゃダメなんじゃないか。そんな時代の空気がものすごくて。そういう意味では、時代に踊らされたのかもしれないですけど。

地域通貨を軸に、「雑誌」から「プロジェクト」へ。

小野:そして満を持して、平成13年3月号(『広告』vol.345 特集「future social design vol.1 LET'S EXCHANGE」)から池田さんが編集長に就任します。このリニューアルで地域通貨が雑誌の軸になって、編集方針もかなり変わりましたよね。

池田:変えたつもりは全くないんですよ、実は。編集長になる前から記事にしていたことを、実際に行動に移しただけで。

小野:行動というと?

池田:「プロジェクトをつくり出す雑誌」に変えたんですよね。

小野:誌面で終わらず、実際に企画をプロジェクトとして形にしたということですよね。きっかけはなんだったんですか?

池田:「お店がわたし」特集(『広告』vol.337)っていうのがあって、この号の存在が大きいですね。これから経済の仕組みそのものが変わっていくだろう。お金も土台ごと変わるんじゃないか。いや、変わるに違いない。それくらいの勢いでつくったんだけど、この特集が売れちゃって(笑)。自分がつくった雑誌で一番気に入っているのも実はこの号で、ものすごく手応えがあったわけです。

小野:特集「お店がわたし」でも地域通貨がクローズアップされてましたよね。

池田:当時、場所としてフリマに注目していたんです。フリーマーケットでのやりとりは、実は実際のお金よりも、地域通貨のような「僕たちのお金」の方が気分的にも取引の実態としてもふさわしいんじゃないか。今は当たり前のように円とかドルとか使っているんだけど、本当に信頼している人たちとだけやりとりできる自分たちだけの地域通貨がこれから出てくる。この雑誌を読んでくれた人たちがあちこちで自分たちのお金をつくり出して、新しい文化と経済をつくり出してくれるに違いない! ……なんて期待してたんだけど、いっこうにそういう動きが出てこなかった(笑)。

小野:雑誌は売れたのに。

池田:「おもしろかったよ」って声はかけてくれるんだけどね。それが自分の中でもの足りなくて、だれもやらないなら自分でつくってやろうと思ったわけです。

プロジェクトから生まれたアースデイマネーと、
フューチャー・ソーシャル・デザイン(fsd)。

小野:プロジェクトはどう進めていったんですか?

池田:リニューアル創刊号(『広告』vol.345 特集「future social design vol.1 LET’S EXCHANGE」)で「地域通貨をやるぞ!」と宣言して、毎号の巻頭でプロジェクトの進捗について報告する。っていうのが雑誌の基調になっていったんだけど、渋谷にアースデイマネーという地域通貨ができたんですよね。

小野:さっそく地域通貨をつくっちゃったんですね。

池田:「みんなで渋谷のゴミを拾おう」というイベントを立ち上げたのが最初で、そのお礼としてアースデイマネーという地域通貨を渡したんです。街のゴミ拾いがファッションになったのは、これが最初だったんじゃないでしょうか。

当時の地域通貨ブームはすごかったんですよ。僕が影響を受けた哲学者の柄谷行人さんとか、音楽家の坂本龍一さんも地域通貨に注目していました。坂本さんは“教授”と言われるだけあってのめり込み方が半端ないんですよね。日本の地域通貨研究の第一人者くらいになっちゃって(笑)。そこからいろんな人と繋がって、地域通貨で社会を変えようという活動と、雑誌『広告』のプロジェクトがシンクロしていったんですね。

地域通貨以外にも、『広告』から生まれたプロジェクトがその後NPO法人になったり、「打ち水大作戦」を仕掛けたりね。

小野:いろいろなプロジェクトを軸に、池田さんは「フューチャー・ソーシャル・デザイン(fsd)」を雑誌『広告』のテーマに掲げました。いまでこそソーシャル・デザインという言葉は一般的ですけど、当時はまだ普及してないですよね。かなり早かったんじゃないですか?

池田:早かったって言われますね。まぁ、なにをやるにも僕は早すぎて前のめりになっちゃうんだけど(笑)。そもそも「fsd」という言葉をテーマに掲げたのは、マイケル・リントンというカナダ人の影響なんです。彼は地域通貨の世界的な実践者で、日本に呼んでいっしょにいろいろやってたんですね。そんな彼の言葉に「Just a matter of design」というのがあって、これがものすごく深く刺さっちゃった。まだこのころはね、デザインというと紙に表現されるビジュアルのことだって、そういう観念しかなかったんだけど。

小野:そうですよね。旧来的というか原始的な意味ですよね。

池田:そうそう。空間デザインという言葉はあっただろうけど、まぁ2次元か3次元の話だよね。でも、彼の言葉を聞いてデザインの概念が自分の中で大きく変わった。お金もデザインなんだ。紙幣の肖像を誰にするかとかそういうことじゃなくてね。お金も含め、社会の仕組みを変えていくこと自体がデザインだ。すべてデザインの問題なんだと。

小野:「お金のデザイン」っていう言葉もいまだと平易な言葉ですけど、これも当時は新しすぎて理解されなかったんじゃないですか?

池田:だから……、雑誌は売れなかったんだよね。読者を逃しちゃったと思うんですけど(笑)。

渾身の一冊、イチオシの記事。

小野:池田編集長として、一番思い入れのある号はどれですか?

池田:最後につくった特集「future social design vol.7 HOPE」(『広告』vol.351)。この号はモノクロでつくってるんですよね。裏話をすると、前の号までにいろんなことをやらかしていて、年間予算を使い果たしちゃった(笑)。

池田元編集長が選んだ“渾身の一冊”は、平成14年(2002年)の冬に発行された『広告』vol.351 特集「future social design vol.7 HOPE」
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小野:そうだったんですね(笑)。

池田:「モノクロだったらなんとかいけるかな」という苦肉の号で、原稿を書いてくれた人たちもかなりボランティアでやってくれてね。汗と涙の結晶でできた最後の特集ですね。

小野:どういった内容だったんですか?

池田:『広告』という雑誌では一旦終わるんだけど、フューチャー・ソーシャル・デザインそのものは終わらないよ、というメッセージです。「感じるものがあったら、読者のみなさんもフューチャー・ソーシャル・デザインの試みを続けていってください」と訴えたかった。「終わりだけど、これが始まりだよ!」という。

小野:読者の方々のアクションにつなげる号でもあった訳ですね。イチオシの記事はどれですか?

池田:僕が書いた「fsdとはなんだったのか。どうありつづけるのか。」ですかね。合わせて読んでもらえると嬉しいですね。

次のテーマは「LIFE」。「いのち」の手触り。

小野:振り返ってみて、編集長時代はどうでしたか?

池田:なんかね、僕は過去を振り返るのが本当に嫌で、今日も話すことはなにもないと思ってたんだけど、いまの自分のベースにはやっぱり『広告』があるんだなって、話していて改めて思いました。

地域通貨がまさにそうなんだけど、当時の僕がなにを考えていたかというと、なんでもお金になっちゃう、なんでも商品にされちゃう社会が嫌だったんですよね。これは僕だけじゃないですよ。雑誌に関わってくれた人みんな、それぞれにあったと思う。そういう消費至上主義に対するアンチテーゼをつくりたい。そんな思いでやってきたなというのはすごくありますね。これはいまも昔もまったく変わってない。

小野:もし、再び『広告』の編集長に就任したら、どんなテーマで雑誌をつくりますか?

池田:それはもう自分の中で決まっているんですよ。『広告』をつくっていたころは家庭があるなんて意識もなく突っ走っていたんです。40歳にもなっていたくせに。でも、4人目が最近生まれて、助産院で自分の手で子どもをとりあげるっていう体験をして、人生が劇的に変わっちゃった。「これだよね!」みたいな。あの幸福感って言葉では言い表せないんですけど、人間って本来あの“手触り”を支えに生きていくものじゃないかなって。だから、テーマは「LIFE」=「いのち」。

小野:本質的なテーマですね。

池田:人生にはいろいろとお金を使える場面があって、それが楽しみである部分もあると思うんです。でも、子どもがその選択肢のひとつになっちゃってる気がして。消費社会において子どもの成長が商品化されているというか。「そうじゃないよ、子どもが僕らの生きるソースじゃん」っていうことを、肩肘張ってじゃなくて、いろんな素直な伝え方ができるんじゃないかと思っています。

小野:なんらかの形でアウトプットが見てみたいです。

池田:やりたいんだけどね、世の中がなかなかやらせてくれないから。要するにお金が出ないだろうしね(笑)。挑戦はしてるんですけど、なかなか難しくて。でも、絶対にいい雑誌ができると思いますよ。

池田正昭
昭和60年、博報堂入社。コピーライターとしてさまざまな企業広告を手がけたのち、『広告』編集部へ異動。平成13年、編集長に就任。翌年までに隔月で7冊の『広告』を世に送り出した。会社を退職したのちは編集長時代に仕掛けたNPO活動をベースに、「すごい堆肥」の循環から生まれた「すごい食材」を提供するレストラン「タイヒバン」を東京・吉祥寺に開店するなど精力的に活動中。
谷本 夏
フォトグラファー。雑誌、web、カタログ、CDジャケット、DVDパッケージ、ライブ、車、フード、インテリア、美術など、被写体と媒体を選ばず幅広いジャンルで活動中。池田編集長時代、地域通貨にまつわる企画の撮影を担当した。ちなみに、『広告』vol.326 特集「オヤジ論一九九八」の表紙に写っているガスマスクを被った人物は、谷本さんの父親で同じくフォトグラファーの谷本隆さん。

インタビュー:小野直紀 文:宮田 直

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インタビューにてご紹介した池田元編集長 渾身の一冊をオンラインにて無料公開します。

『広告』2002年 3月号 vol.351
  特集「future social design vol.7 HOPE」
こちらよりご覧ください

さらに、その中のイチオシ記事をnote用に再編集しました。

「fsdとはなんだったのか。どうありつづけるのか。」
(池田元編集長イチオシ記事)
こちらよりご覧ください



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