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56 「簡単に手に入る」流通が見落としているもの

「人間的」とはどういうことか

流通が高度になることで、人々はものを容易に入手することができるようになった。自宅にいながらにして、世界中のものが届く。しかも安価に。いいことずくめに見えるが、副作用や見落としはないのだろうか。

そういわれてまず思い浮かぶのは、リアルな店舗には商品を手にとるとか、店員とのコミュニケーションといった「人間味のある」体験があるが、eコマースは欲しいものをクリックすれば手に届くだけで「非人間的」だ、という批判ではないだろうか。しかし、非効率的だが人間的な旧世代と、効率的だが非人間的な新世代といった対立は、商店街と大型スーパーマーケット、オートクチュールとプレタポルテ、演劇と映画のように、何か新しい製造・流通の仕組みが生まれるたびに繰り返されてきた図式だ。リアルとネットの対立も、所詮その繰り返しでしかないのだろうか。

しかし、「人間的」とは何を意味しているのだろうか? なぜ「人間的」なものがいいのだろうか?

たとえば、リアルの店舗では、予算より高価なものやまったく想定していなかったものを買ってしまったり、店員が親身に相談に乗ってくれたからその店で買おうと決めたりしてしまう。どのような体験をするのかは、実際にそのときにその店を訪ねてみないとわからないし、当初買おうと思っていたものを買うのかすら不確かだ。一方、eコマースでは移動もコミュニケーションも不要。自分が事前に予定していたものを、スムーズに手に入れることができるはずだ。何が手に入るのかすら不確かな店と、欲しいものがほぼ確実に効率的に手に入る店。こう書いてしまうと後者のほうがいいことは明らかなように思える。にもかかわらず、私たちはリアルな店舗にも見るべきところがあるように「感じて」しまう。それを「人間的」と表現しているようにも思える。

そこで鍵になるのは、人間が抱える制約や限界、歪(ひず)みだ。

合理的なeコマースが見落とす「人間の限界」

「この作者のこの本が欲しい」「いつも使っているこの化粧品が欲しい」など、あらかじめ買うものが決まっている「指名買い」の場合には、実店舗でもeコマースでも変わるところはない。eコマースのほうがまさに効率的に手に入れられるだろう。

しかし人は、自分自身が欲しいものを漠然としかイメージできていないにもかかわらず、買い物をすることがある。「新しい服が欲しい」と思ったとしても、具体的にこのブランドのこの服と指名できるわけではない、曖昧な状態で買いに出かける。こうした「気分買い」とでも言うべき買い方のほうが、実際には、指名買いよりも多いのではないだろうか。指名買いと気分買いとの大きな違いは、買い物における「選択」にある。指名買いも気分買いも、最終的に自分が購入するものを選択する点は変わらない。しかし、気分買いの場合には、最終的な選択に先立って、一定の条件を満たす「候補」(マーケティング業界では「考慮集合」と呼ばれている)を選び出す「もうひとつの選択」が行なわれている。

では、考慮集合はどうつくられるのだろうか。2種類が考えられる。ひとつは「この寸法に合うテーブル」のように、商品が持つ属性によるつくられ方。もうひとつが「私の好みに合うジャケット」のように、買い手の評価によるつくられ方だ。これらは互いに排他ではなく、商品属性でまず絞られ、その後、さらに評価で絞られる、という形もありうる。

このふたつの形成にはどのような違いがあるのだろうか。まず思い浮かぶのは客観性だろう。商品属性による選別では、客観的な「スペック」が合致すればいいのに対し、買い手の評価による選別は主観的で、しばしば「理由にならないような理由」で考慮集合に入ったり入らなかったりする。その好例が、有名なものや聞いたことがあるものは考慮集合に入りやすいという事実だ。商品名を連呼するだけで商品のベネフィットがわからないようなコマーシャルが古くからあるのはこのためだが、まさに商品が提供する客観的な価値とは無関係な要素が考慮集合の形成に寄与している。

また、このふたつでは規模感も異なる。何千、何万という考慮集合の候補があった場合、商品属性による選別は機械的な選別が可能なので機能するが、買い手の評価による選別ではそうはいかない。時間的にも、体力的にも「見て決める」ことができる数には限りがある。まさに人間であるが故の制約である。

実店舗では商品の実物やサンプルを見たり触ったりできる点も無視できない。商品が持つ属性といっても、価格、サイズ、素材、メーカーや作者、デザイナーのように数字や言葉で表せる理性的なものとは限らない。重み、香り、肌触り、佇まいといった、言葉で表すのが難しい感覚的な属性がある。こうした感覚的な属性は検索することが難しいうえに、「この万年筆は長さ18.5cm、直径1.8cmで、重さ25g、ペン先から6.3cmの所に重心がある」といくら羅列しても、実際の重みにならないことからもわかるように、理性的な属性で代用できるものでもない。にもかかわらず、商品を実際に手に入れた以降に重要となるのはこうした感覚的な属性だ。

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