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71 映画って何ですか?

筆者・西田による前掲の記事「70 『映画』コンテンツ流通の100年史」では、映画を「ビジネス」の視点から分析した。だがそれだけでは不足だ。やはり映画とは「文化的」「感情的」存在であり、そこについてはちゃんと考えなくてはいけないからだ。ならば、専門家に聞いてみよう。映画ライターのよしひろまさみちさんに、西田宗千佳が「単なる映画好きの代表」として、映画の本質と現状について聞いてみた。


「ひとりで観ていない」ことが映画の本質

西田:「体験こそが映画である」ってよく言うじゃないですか。じゃあその映画での体験って何なのっていう本質的な疑問もあるわけですよ。お金持ちが家に2,000万かけて巨大な試写室をつくって、それをひとりで観ている体験って、もはや質だけで言えば映画館と変わらない。じゃあ僕らが「映画を観た」と満足する体験って何なんだろうっていう。

よしひろ:コロナ禍になってよくわかったのは他者との共有ですよね。共有するのは知らない人でもいいんです。

西田:わかります。自分のなかで「体験って重要だなぁ」って思ったのは、2019年の『アベンジャーズ/エンドゲーム』(※1)を封切り初日に日本の満員の映画館で観た体験です。要は全員知らない同士なんだけどファン。

アメリカで映画を観ると、みんな「ワー」って騒ぐので、それはそれでおもしろいです。でも日本の場合って、いつもは静かだから。なのに、「アッセンブル」ってキャプテン・アメリカが言った瞬間に、周囲から「ズズズッ」っていうすすり泣きが一斉に聞こえた。

よしひろ:その共有ってすごく大事だと思います。

西田:『アベンジャーズ/エンドゲーム』はほんとに劇場で観てよかったって思って。「あんなの映画じゃない」ってずっと言われ続けてきた『アベンジャーズ』シリーズが、あの瞬間に映画になったんだなって。

よしひろ:そう。それは完結したからなんですよね。

西田:すなわち、あのシリーズの場合には、11年かけて培ってきた集大成が、『アベンジャーズ/エンドゲーム』だから。「マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)」としてはそのあとにもう1本、『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』があって一区切りなんですが、『アベンジャーズ/エンドゲーム』である種のエンディングを迎えた。ちゃんと終わってる、っていうカタルシスの存在が、映画館っていう場を最大限に活用するために重要なもの。そのための体験の提供だったりしたのかなあって。

よしひろ:映画館のハコとしての存在は、完全にそれだと思います。とくに『アバター』(※2)以降ですけれども、消費者ニーズに合わせて劇場が変わってきたっていうのはすごく大きいんですよね。IMAXの劇場がどんどん増えて、4DX、MX4Dなどもできた。そうすると、アトラクションとしての楽しみ方が生まれたわけですよね。数年前からは、さらに応援上映や爆音上映などの特別興行がプラスされ、イベントの会場としての楽しみ方が映画館に備わった。

それによって、いままで劇場に行かなかった人たちを動かすポテンシャルがあったっていうことだけはわかってますね。ただ、コロナ禍になって今後をどうするかっていうのはまた課題になっちゃいましたが。

西田:あれだけ映画館が換気してますよとかいろんなこと言っても、みんな怖いって言う。それは当然のことだと思うんですよね。

よしひろ:映画館のなかというよりは映画館に行く過程ですよね、怖いのは。電車に乗ってどっかに行くとか、モールのなかに入らなくちゃいけないとかっていう怖さがあるはずなんですよ。だから映画館にコロナ禍以前のように人が戻ってくるのは、もう何年後になるかもわからない。

だけど、映画体験っていうのを知ってしまった人たちは渇望しているはずなんですよ。どうしても観たい映画、映画館で誰かといっしょに楽しみたい、あの環境で観たい、じゃないと楽しめないっていうような欲求が出たときには、絶対にみんな行ってくれるでしょう。ただ、いままで映画館に行く頻度が低かった人たちは、選択肢から外れた。そういう人は「もう配信でいいよ」っていう感じになっちゃうかもしれない。

西田:それはね、確かにしょうがない。

映画とは「スジ・ヌケ・ドウサ」である

よしひろ:そもそも「じゃあ映画って何なの」って話があるんですが、基本的に「スジ・ヌケ・ドウサ」って言われてるのもあって。

西田:スジ・ヌケ・ドウサ。

よしひろ:「スジ」は脚本。「ヌケ」は映像の美しさ。「ドウサ」は役者の動き。それにプラス編集とかも入ってくるんですけど。基本その3大原則がないと映画って呼べないよねって。昔からいわれてるんです。

テレビの番組と何が違うかっていうと、テレビってスジもヌケもどうでもいいんですよ。スジはお客さんに合わせるものだし、ヌケをつくる余裕はない。なおかつ基本的には15分に1回とか10分に1回CMを挟むので、挟まることを前提とした短尺のものをつなぎ合わせた構成なので。テレビと映画で確実に違うのはそこ。

西田:別の言い方をすれば、映画としてのデリバリーの方法論として、「作品としてはテレビで知ったドラマやアニメだけれど、その続編がテレビで流れないから映画館に行く」っていう流れですよね。それはいわゆる映画っていうものの3要素を欠いている。

よしひろ:スーパー欠いてますね〜。そういう映画は要素を欠いているうえに、「これ正月特番でやったほうがスポンサーつくし絶対金になるのになんでわざわざ映画にしたの」っていうものがすごく多いんですよ。それでも観客動員数が100万超えてたりすると、絶望しちゃう。ほんとに「わかりやすさ至上主義の日本てイヤ!」って思っちゃう。

西田:一方でネットフリックスでつくられるオリジナルドラマのなかには、映画くさいドラマっていうのが多数ある。ああいう割とお金をかけて、いわゆる「ヌケ」の部分がしっかりしているものは、家で観ていても体験としては極めて映画に近い。

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