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96 衣服と人間の関係史 〜 つくること、買うこと、借りること

1.はじめに── 4つの衣服の歴史形態

夏目漱石の有名な『吾輩は猫である』のなかに、つぎのような文章がある。

衣服はかくの如く人間にも大事なものである。人間が衣服か、衣服が人間かという位重要な条件である。人間の歴史は肉の歴史にあらず、骨の歴史にあらず、血の歴史にあらず、単に衣服の歴史であると申したい位だ。(※1)

人間の歴史とは衣服の歴史であり、また衣服の歴史とは人間の歴史そのものである。漱石は猫の吾輩をしてこのように語っている。衣服とは人間の誕生以来、生きるうえで決して欠かすことのできないものである。けれども、この人間の歴史にも等しいはずの衣服という対象を記述することは、実はそう容易いことではない。

たとえば、「わたしたちはこれまでどのような衣服を着てきたのだろうか」、こうした具体的な衣服の変化を問うことがある。一方で、「わたしたちはそもそもなぜ衣服を着ているのだろうか」、このような根本的な衣服の着用の理由を問うことがある。これらはいずれも人間と衣服の関係の不思議を問う、重要な問いかけであるように思う。だが、こうした問いの内側には、わたしたちが意図しないかたちで無意識に前提としている、歴史へのまなざしあるいは時間意識が伏在している。つまり、そこでは「衣服をどのように捉えているのか」、というわたしたちの投げかける、その視線そのものが顕著に表れている。

ここではそれを衣服の歴史形態と呼んでおこう。もちろん衣服を対象とし、分析し、記述するとき、その具体的な内容は様々なバリエーションに溢れている。けれども、その理念的な形式は、後述する以下の4つの歴史形態──直線的な衣服の歴史(第2節)、普遍的な衣服の歴史(第3節)、共時的な衣服の歴史(第4節)、そして曲線的な衣服の歴史(第5節)── に大きく弁別しうる。これはいずれの形態が正しく、あるいは正しくないといった単純な問題ではない。それは人間にとってもっとも近しくそして遠い衣服に、わたしたちが誘惑され、苦悩する歴史でもあるのだから。

まず、本稿ではこの純化された4つの理念型としての、衣服の歴史形態をそれぞれ概観することから始めたい。つぎに、現在のわたしたちの衣服を取り巻く、現実的な問題と研究上の課題について明らかにする(第6節)。そして最後に、このような現状を踏まえたうえで、曲線的な歴史形態にもとづきながら、衣服の歴史の現在を問う必要性とともに、人間と衣服の関係性を問いかける、その具体的なひとつの可能性を呈示してみたい(第7、8節)。わたしたちはいま、衣服をめぐってこれまでの根源的な思考をより深めるような、またさらに本質的な問いへと導くような、大きな岐路を迎えようとしているのではないか。そのためにもまずは、ひとつめの衣服の歴史形態からみていくこととしたい。

2.直線的な衣服の歴史

服飾史やファッション史などと名を冠する著作を手にとってみると、多くの場合、そこには古代からのあるいは近代以降の衣服の歴史が、世紀ごとまたは時代ごとの様々な区分を設けつつ、ある直線的な時間意識に沿って綴られている(※2)。たとえば、18世紀、19世紀、20世紀……、あるいは江戸時代、明治時代、大正時代……などといったように。もちろん、著書の設定する範囲によって、より大きな時代区分や仔細な年代が採用されることもある。

だが、このような服飾史ないしファッション史の多くは、当時のいくつかの社会的出来事や逸話を交えた、各時代の主要な衣服、あるいは流行した衣服の網羅的な紹介に終始している。それゆえに、そのときどきに生じた産業やメディア、政治や芸術などの数多の事象を挙げることで記述が散漫となったり、はたまた19世紀後半までは衣服のスタイル(様式)を中心とした記述であったものが、いつのまにかデザイナーのデザインの歴史へと横滑りしたりする。つまり、そこでは主要ないし流行の衣服とそれらに関連する出来事の表層的な列挙にとどまっており、衣服とその変化の本質的な意味などについて問われることはない。おそらくそれは衣服の歴史を記述する際の、分析者自身の視点や問題意識そのものが明確には提起されていないからであろう。

各時代各年代の衣服を紹介する直線的な衣服の歴史は、立脚するその視点が定まらぬまま、ただ真っ直ぐに延びてゆく。もちろん、このような問題を回避し、変わりゆく衣服を捉えようと試みる議論もある。たとえば、評論家の村上信彦はつぎのような視点に立って述べている。

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