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99 写真と現実の不一致 〜 ぼんやりとした虚実・信じることの怠惰

なぜ「真実を写す」と信じているのか?

「おいふざけんな、地震のせいでうちの近くの動物園からライオン放たれたんだが 熊本」

これは、2016年の熊本地震発生直後に20代の男性が、ライオンが市街を歩く写真とともに投稿したツイートである。写真は南アフリカで撮影されたもので、熊本でライオンの脱走の事実はなかった。しかしツイッター上では広く拡散され、余震が続くなか動物園に問い合わせの電話が相次いだと言う。

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2016年熊本地震発生時、デマのツイートが拡散された。実際の写真は、映画の撮影現場を写したもので、ライオンの名前はコロンブス。写真をよく見ると、信号など日本のものではないことがわかる 画像:「トゥギャッター」ウェブサイトより

2011年の正月には、通販サイトでおせちを購入したが、実際に届いたのはウェブサイトに掲載されていた写真とは似ても似つかないスカスカの商品だったとして、販売業者に多数のクレームが寄せられるといった騒動があった。「若返り」をうたう化粧品やサプリのインターネット広告では、「若返り過ぎ注意!」というテキストとともに明らかにアプリを使用して「幼児化」した顔の写真が掲載されているのが目につく。家探しをしていれば、レンズの効果や写真の加工によって、実際よりも部屋が広く明るく見えるようになっていて、いざ内見に行ってみてがっかり、ということもある。オリンピック開会式当日には、片山さつき議員が、東京の空を飛翔したブルーインパルスが五輪をつくる写真をツイッターに投稿したが、映画『ALWAYS 三丁目の夕日’64』のキャプチャー画像だという指摘が相次いだ(※1)。

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東京五輪開会式前、空に描かれた五輪は風の影響でほぼ視認できなかったなか、映画の1シーンをツイート。片山さつき参議院議員は写真が映画の1シーンだったことについては言及していないが、ツイッターの反応を受けてか、のちに「本来、こう見せるつもり、そう言う航路なのですから。プロトタイプってそう言うもの。」とも投稿している 画像:片山さつき氏のツイッターより

写真は、多様な方法や形式でこの社会に浸透しきっているが、いま挙げたのはいずれも写真と現実の不一致によって起こった虚実の問題である。このような問題があとを絶たないのは、フォトショップやスマホのアプリを介した加工があたりまえとなった現在でも写真がその名のとおり「真実を写す」ものという地位を失っていないからかもしれない。

しかしながら、写真はもちろん真実でも現実でもない。ごくあたりまえの超つまらないことだが、写真は三次元の空間を二次元の平面に写しとるものだし、「決定的瞬間」と言われるように、ある区切られた時間の、限定された光景の模造である。わたしたちが生きる現実と光学的に結びついたイメージではあるが、写真が真実を写していないことくらい、とっくにみんな、いまや小学生でも知っている。

それでもしかし「写真と現実」の不一致は、未だ問われている。たとえば、ロラン・バルトは『明るい部屋──写真についての覚書』(みすず書房)で写真の本質を「それはかつてあった」と感じさせるものと述べ、ロザリンド・クラウスが「指標論 パート2」(『オリジナリティと反復──ロザリンド・クラウス美術評論集』、リブロポート)で、「写真の中で諸対象を結び付けている結合組織は、文化体系のではなく、世界自体が持つ結合組織だからである」と述べたように、アナログであれデジタルであれ、光の痕跡で像を写しとる写真というシステムが「本質的に」現実と結びついているとする考え方は長く共有されてきた。

一方、一般に写真術が浸透した現在では、写真が現実を真に写すものとする考えは、その実態にかかわらず、ほとんど生理的なもののようにも思われてくる。写真に接するとき、それが現実とあまりにもかけ離れているとわたしたちは「騙された」と感じるし、被写体が過剰に美しかったり、稀有な光景を捉えていたりするなどといった場合は、写されたものの実際を知らなかったとしても「虚構だ」と感じて、その写真に騙されまいとしたり、「本当は違うのよね」と警戒してしまう。

では、写真が真実ではないことは世間的な了解を得ているのに、それでも直感的に写真が真実を写すものと信じられてしまうのはなぜだろうか。

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