10 「新しい」はもう古い? 〜 広告クリエイティブの “ねじれ”に時代を見る
ホモ・サピエンスは新・珍・奇がお好き
「新しい」はそれだけで人を魅了する力がある。新しい製品、新しいサービス、新しい暮らし。何の変哲もない言葉もその冠をつけただけで、人の期待は高まってしまう。だが、「新しい」とは結局のところ何なのか? 何に「新しい」を感じるかは人によっても様々だ。
広告は「新しい」が大好きだ。広告産業はいつの時代も「新しい」を探し続けてきた。新しさを表現することがクリエイティブの役割であり、マーケティングというのも結局のところ「新しい」を設計する技術ということに尽きるのかもしれない。
おおよそ10年前、当時キンチョウ(大日本除虫菊)の会長だった故・上山英介氏にインタビューしたことがある。創業家の3代目となる名経営者に、100年以上続く企業の広告哲学とはどんなものかを聞いてみたかった。
「キンチョウのクリエイティブの根底にある考え方とは何でしょう?」という核心の質問を投げかけたとき、上山氏はこう言った。「新・珍・奇ですね。それが世の中を動かすと僕は思っているんです」。
新・珍・奇が世の中を動かす。けだし名言である。「新」に加えて「珍」「奇」を足しているのが、いかにもこの企業らしい。だが、考えてみると「新」はもちろん「珍」にしても「奇」にしても、ある種の新しい印象を人にもたらすものである。
広告が「新しい」もの好きなのにはワケがある。ようは人間というものが「新・珍・奇」が好きなのだ。近年のニューロサイエンスの領域では、そのことが科学的に証明されつつある。あるリサーチでは、見たことのないものを見せられると、人の中脳にある「SN/VTA」という領域が活性化し、ドーパミン濃度が上昇する結果が出たという。ホモ・サピエンスの繁栄の原動力ともいえる「欲望」は、そうやって生まれてくる。
だが、2019年現在、人に「新しい」と思ってもらうことは容易ではない。歴史を振り返ると、ものの乏しい時代は「新しい」をつくりやすかった。よく言われるように冷蔵庫、テレビ、洗濯機はかつての“三種の神器”だった。いままでになかった家電は神々しいほどの新しいオーラを放っていただろう。先に挙げたリサーチが正しければ、昭和の日本人の脳からはドーパミンが大量に出ていたのではないか?
一方で、平成も終わったいまの日本ではものやサービスがすでに飽和状態である。ものではなく「コトの時代」だと言うが、そっちもそこそこはお腹いっぱい。ものもコトも瞬時に消費されてしまう。ちょっとやそっとのことでは、“イノベーティブ”な「新しい」にはお目にかかれない。
若者層を中心に、古民家、銭湯、アンティークなど、レトロなもののなかに“新しさ”を見出す逆説的な現象さえ生じている。戦後のバラック闇市っぽい演出を施した「恵比寿横丁」は若者でいっぱいだ。令和の時代を迎えたいま、なぜか昭和なアイテムや場に新鮮さを感じる人たちが増えている。ひと筋縄ではいかないのが「新しい」というものである。
この50年の広告コピーに見る「新しい」の進化
つまり、人が「新しい」と感じるものは時代に応じて変わる。クリエイターはその変化にどう向き合ってきたのだろう? その一端を知りたいと思い、試みに東京コピーライターズクラブ(TCC)のサイトで、過去の受賞作から「新しい」という言葉が入っているコピーを調べてみた。TCCとは東京を中心に全国のコピーライターやCMプランナーが所属する業界団体だ。TCCは’60年代より毎年優秀な広告を顕彰するアワード(TCC賞)を主催しているのだが、この50年のコピーライティングのなかに、「新しい」の“進化”のプロセスが記録されているのではないか?
もちろん、コピーライティングは「新しい」をそのまま言うのでは芸がない。「新しい」ことの魅力をいかに別の言葉で表すかの技術だから、「新しい」で調べたところで有益な手がかりが得られるかどうかの保証はない。だが、調べてみたところ興味深いことが見えてきた。
半世紀ものスパンで見てみると、キャッチコピーでストレートに「新しい」を謳うコピーもそれなりにある。たとえば、’60年代には「冷蔵庫の新しい時代が始まります!」(松下電器産業、1965年)という、いま見ると無邪気にも思えるコピーが受賞している。わかりやすい「新しさ」の時代だと言えるだろう。
ナショナル冷気急降下冷蔵庫の新聞広告(1965年)
出典:『コピー年鑑1966』(東京コピーライターズクラブ)
’70~’80年代になると「新しい」は洗練されていく。キャッチコピーで見ても「恥ずかしいことは、新しい。」(A.D.O、1979年)「変わらないぶんだけ、新しい。」(サントリーホワイト、1986年)、「名前を変えたいくらい、新しい。」(キヤノン、1987年)など、クリエイターはあの手この手で「新しい新しさ」を探している印象を受ける。「新しい」が多様化していく様が見て取れる。
注目したいのは、’90年代頃からキャッチコピーでおもむろに「新しい」をアピールするコピーが減るということ。「新しい」というワードは派手に前に出すものではなく、ボディコピーのなかにさりげなく埋め込まれるようになっていく。コピーライターが「新しい」を伝えるのに、苦心するようになった時代なのかもしれない。
近頃では「新しい」の伝え方はさらに複雑化している。一昨年の受賞作に、そのことが如実にわかるコマーシャルがあった。
ナレーション:1980年以降、つぎつぎ建つマンションは、みんなの希望だった。
コピー:最新は、必ず古くなる。
ナレーション:これからの日本は、古くなることを価値にできるか。誇りにできるか。
コピー:修繕は、建物の希望。
コピー+ナレーション: 建物の価値を、つくれ。
(カシワバラ・コーポレーション、2017年)
カシワバラ・コーポレーションのCM(2017年)
©KASHIWABARA CORPORATION
このCMでは、「新しい」より「古い」ことのほうに価値があると言っているのがおもしろい。「最新は、必ず古くなる」というフレーズには、「新しい」ものへのシニカルな目線がある。それがいまという時代である。
このように見ていくと、いまや「新しい」よりも「古い」のほうの価値が高いとさえ思えてくる。進化を重ねた「新しい」の最終形は「古い」なのかと疑いたくもなる。
だが、留意したいのは、ものやコトに新鮮さを感じたいという人間の欲望自体が変化しているわけではないということ。レトロな横丁に惹かれる若者たちも、それが「新しい」と思っているのであり、先ほどのリフォーム企業が提供しているのも、結局のところ「古いマンションが新しく生まれ変わる」という価値だ。
VUCAの時代の「新しい」は挑戦から快適へ
直球の「新しい」を避けているのは、この広告だけではない。最近オンエアされている話題のCMには、このリフォーム企業に見られるような「古さの価値化」戦略を志向するものが多く見受けられる。たとえば、懐かしの漫画やアニメなどのキャラを起用する一連のCMはそれに当たるだろう。
ドロンジョとブラック・ジャックを起用したパートナーエージェントや、「一休さん」(イッキューパッ)のNTTドコモ、ガチャピン&ムックのUQモバイルなど例を挙げればきりがない。結構長く続いている家庭教師のトライのシリーズは「アルプスの少女ハイジ」、最近のインディードのCMのネタ元は「ワンピース」だった。CMの懐メロ化の傾向は’00年代の中頃から顕著になったものだ。
懐かしのアニメを使っているわけではないが、昨年から何かと物議を醸しつつ目立っているハズキルーペも、ある意味では「古い」の価値に着目したコマーシャルかもしれない。拡大鏡ユーザーの年齢層を考慮してのこともあると思うが、舞台となるのは昭和な空気漂うクラブだったりする。
パートナーエージェントのCM(2018年)
©TEZUKA PRODUCTIONS ©TATSUNOKO PRODUCTION
家庭教師のトライのCM(2018年)
パッと見は「古い」に見せかけて、企業や商品の「新しい」をアピールするのは、いまや広告クリエイティブの定番とも言えそうだ。「新しい」を伝えることが難しいのは先ほども指摘したとおりだが、それにしても、なぜこんな“ねじれ”が生じてしまうのだろう?
様々な要因が挙げられそうだ。急激な高齢化、デジタル広告が急成長するなかでのトラディショナルなメディアの保守化、イノベーティブな文化やビジネスが育ちにくい日本独特の事情etc. 時代の変化が激しすぎて人々がそれに追いつけず、社会が全体的に後ろ向きになっているということもあるかもしれない。
現代は「VUCAの時代」とも言われている。「Volatility(変動)」「Uncertainty(不確実)」「Complexity(複雑)」「Ambiguity(不透明)」の頭文字を取った造語だが、変化のスピードが速く先行きがモヤモヤした時代において、「これが新しい」を高らかに謳うことは、結構度胸が必要な行為である。スマホやタブレットなど新製品がリリースされるたびに「新しい◯◯」というコピーを打ち出すアップルは、相当プロダクトに自信を持っているのだろう。そう考えると稲垣・草彅・香取の3者による「新しい地図」というのも確信犯的ネーミングかもしれない。
時代が流動化するなかで、「新しい」の意味自体が変質していると考えることもできそうだ。建築界の巨匠、レム・コールハースは次のように言っている。「20世紀は挑戦(Challenge)の時代だったが、21世紀は快適(Comfort)の時代だ」。
コールハースが指摘するとおり、現在はよくも悪くも社会全体が「挑戦」から「快適」へとシフトする過程にある。外食や衣料をはじめ様々なものが、安く早く手頃に最適化されていく「ファスト化」、過酷な長時間労働を是正する「働き方改革」、ロボットや人工知能が主導するであろう「自動化」など、われわれはいわゆる第4次産業革命のまっただなかで、変化の荒波にもまれながら暮らしている。
©2017 ATARASHIICHIZU
「新しい」が花ひらく根を持つということ
いま求められているのは「快適な新しさ」だ。ユーザーの利便性向上のためアプリが頻繁に更新されるように、きめ細やかな手入れの行き届いたものが、人にフレッシュな印象を与える。
そして変化の激しいいまの時代でも、ある種の存在感とフレッシュさをキープしている“老舗ブランド”もある。そういったブランドは挑戦的に、あるいは派手に「新しい」という印象ではなく、どちらかというと淡々とした佇まいなのだが、どういうわけか古くならない。先に挙げたCM群のように「古い」をフックに共感を得るような手法も用いていない。ある意味では“昔ながら”の手法で「新しい」を生み出している。
キユーピーマヨネーズの新聞広告(1998年) ©Kewpie Corporation
筆者が考えるその代表例がキユーピーマヨネーズのキャンペーンである。マヨネーズという商品とのかかわりもあるだろうが、キユーピーの広告表現は「快適」の文脈にもハマっている。1968年から半世紀以上、コピーライター、クリエイティブディレクターとして、このブランドのキャンペーンを手がけてきた秋山晶氏(ライトパブリシティ)には、これまで何度か取材させていただいた。
キユーピーマヨネーズの変わらぬ新しさはどこから生まれてくるものだろう? ふと気になって、秋山氏への過去の取材記事を読みなおしてみたところ、2005年に行なったインタビューにまさに「新しい」と「広告」の関係の核心にふれる部分があった。
いまでは想像しづらいことだが、かつて卵は高級食材だった。「新鮮な卵を使用している」ということが創業以来変わらぬキユーピーマヨネーズの強みで、秋山氏も当初は卵の価値をブランドのコアに据えてコピーを書いていた。ところが’70年代も半ばになると卵の価格が下がり、そこで価値訴求することが難しくなってきたという。一方、競合ブランドは「安さ」を売りにし始めた。そこで秋山氏はどのようにブランドの“リニューアル”を図ろうとしたのか? 少し長くなるが引用したい。
「卵ではアピールしにくい時代になり、別の表現のコアが必要になりました。そこで自然にこう考えたんです。マヨネーズと言えばサラダだろう。サラダと言えば野菜だろうと。野菜を見たら、キユーピーマヨネーズというふうにイメージを刷りこもうと思いました。野菜をキユーピーマヨネーズにしようと。
それ以降、キユーピーマヨネーズの表現は、すべて野菜、もしくは畑とリンクしているんですね。魅力的な食材はほかにもいっぱいあるんですよ。例えば、イカやタコ、魚貝類。そういうものは出したくても出さなかった。野菜だけに絞りました。それが戦略です。そして、このアプローチは30年間変わりません。
しかし、そうは言っても世の中は急速に変わっていく。それに対してメーカーが、そして広告が、どう社会とジョイントしていくかがクリエイティブの核です。社会のうねりと一緒に広告もうねっていく。(中略)
こうしてキユーピーは、時代の表現をしてきたと思います。ブランドにリニューアルはありません。新しくなったように見えても、そのコアは変わらない。メディアを通じたあらゆる表現に、そのことが当てはまると思います」(雑誌『広告批評』2005年、特集「キユーピーのクリエイティブ」より)
広告における「新しい」のつくり方は、ここに集約されているのではないだろうか? 今年の初めにオンエアされていたキユーピーマヨネーズのCMでも、依然として“タレント”は野菜であり、表現はNYのカルチャーを取り上げている。このように変わらない根があるから新しい花が咲く。世間は「新しい」の見える部分に注目するが、優れたつくり手は見えない根からデザインしている。「新しい」は古く、「古い」が新しい——いまの広告が抱えるパラドクスを超える鍵はこのあたりにありそうだ。
キユーピーマヨネーズのCM(2018年) ©Kewpie Corporation
文:河尻 亨一
河尻 亨一 (かわじり こういち)
編集者。1974年、大阪市生まれ。雑誌「広告批評」を経て現在は実験型の編集レーベル「銀河ライター」を主宰。仕事旅行社ほか企業コミュニケーションのディレクションも。伝説の日本人デザイナー・石岡瑛子の伝記「TIMELESS」をウェブ連載中で、2020年の書籍化が決定。翻訳書に『CREATIVE SUPERPOWERS』がある。東北芸術工科大学客員教授。
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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。
【リニューアル創刊記念イベント レポート】
この記事を執筆していただいた河尻亨一さんと、雑誌『広告』のアートディレクターである上西祐理さんをゲストに迎え、トークイベントを行いました。
アートディレクター 上西祐理 × 編集者 河尻亨一 ×『広告』編集長 小野直紀
〜 広告、雑誌、デザインのこれから
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