29_アワードマップ

29  権威と民意のアワードマップ

世の中にはたくさんの賞があふれ、いたるところで「〇〇賞受賞作品」といった言葉が氾濫している。つくり手にとって、受け手にとって、業界にとって、アワードの役割は様々。そもそも、アワードというものは、いったいどんな仕組みで、誰によって決められているのか? 権威が認めたらいい作品なのか? 民意によって支持されるものがいい作品なのか?

本稿では、マンガ・音楽・映画の3つの業界のアワード俯瞰マップをそれぞれ作成し、アワードの役割や意味についての考察を行なう。なお、俯瞰マップはコンテンツ業界に身を置く筆者の見地から独断で作成したもので、横軸は「権威と民意」、縦軸は「世の中への影響力の大小」を表している。


脱ランキング化する民意のマンガ賞

マンガ業界には、他業界に較べて、実に多種多様なアワードが存在している。「手塚治虫文化賞」「小学館漫画賞」に代表される、大手新聞社や大手出版社が主催するアワード。「文化庁メディア芸術祭」のように、国が主催するアワード。

「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」などの全国の書店員や一般の読者を巻き込んだアワード。「ananマンガ大賞」のように、雑誌がいち企画として主催するアワードなどなど。民意や権威を問わず、それぞれの賞がそれぞれ違う切り口で、マンガを評価し続けてきた。

そんな状況のなか、世間的にも認知度が高い「このマンガがすごい!」や「マンガ大賞」といった民意のアワードに、いま大きな変化が起こっている。

図1


2006年から始まった、宝島社が主催する「このマンガがすごい!」。このアワードは、一般の読者、マンガ業界関係者、俳優などが1年でもっともおすすめしたい作品に投票し、投票ポイントの総数で受賞作品が決まる。

過去には、単行本の国内累計発行部数が8,000万部を超える『進撃の巨人』や近年実写ドラマ化も話題になった『聖☆おにいさん』など、国民的マンガを輩出してきた。

マンガ好きたちが投票して決まるアワードということで、毎年結果を楽しみにしている読者も多い。ただ、一般読者の投票も含めて選出するぶん、ノミネートする作品は、本屋に大量に平積みされていて、すでに多くの人の目に触れている(売れている)作品が優位だ。

「各界のマンガ好きたちが選んだいま読むべきおもしろいマンガを紹介する」という理念のもと生まれた賞ではあったが、ある意味、「アワードの順位=売り上げランキング」になっているという課題があった。

しかし、2012〜2013年あたりから、KindleストアやLINEマンガなどの電子コミック・プラットフォームの誕生を境に、その状況が変わってきた。

『さよならソルシエ』『ちーちゃんはちょっと足りない』『マロニエ王国の七人の騎士』といった、マンガ業界における大ヒットの目安とされる累計発行部数100万部に届かない作品が、数多く受賞し始めたのだ。

これは、電子コミックの普及によって、読者が直接的に作品に出会えるようになったことで、売れているかどうかという事前情報にかかわらず、実際に読んでおもしろいと感じた作品が推薦されるようになってきたからだと考えられる。

この傾向は、もうひとつの民意の代表的な賞である「マンガ大賞」においても同様で、2019年に大賞を受賞した『彼方のアストラ』、2位にランクインした『ミステリと言う勿れ』は、どちらも100万部に満たない作品だった。

もちろん、ある程度の初動の売り上げは必要である。ただし、売り上げが少なくても、誰かの目にとまれば、どんなマンガにも受賞のチャンスがあるアワードになってきている。

どのアワードも選考基準の大前提にあるのが、「マンガのおもしろさ」だ。ただ、書店しかマンガとの接点がなかった時代においては、極論、書店で勝ち残った作品のみがエントリー対象だった。つまり、おもしろいかどうかの議論の前に、売れているか、売れる商品か、という条件をクリアしなければならなかった。

そんななか、電子コミックの登場によって、そのフィルターが取り払われ、どんな作品にも読者がアクセスできるようになった。そして、売り上げに関係なく、「おもしろければ、評価され表彰される」というシンプルな構造に、アワードが変わってきた。これは、民意のアワードだけの話ではなく、ウェブで連載している作品の受賞が増えている権威のアワードでも同様である。

マンガ家にとっては、本当におもしろい作品が描ければ誰でも評価される場に。読者にとっては本当におもしろいマンガに出会える場に。マンガのアワードは、つくり手と受け手両者にとって、より健全で価値あるアワードに変わってきていると言えるのではないだろうか。

エンタメとしての音楽賞とリコメンドのための音楽賞

音楽業界でもっとも有名なアワードは、間違いなくアメリカのグラミー賞である。グラミー賞は、NARASという会員組織が主催している。アメリカ合衆国の音楽産業において、優れた作品をつくり上げたクリエイターの業績を讃え、業界全体の振興と支援を目的として1959年に始まった。

このアワードの特徴は、受賞者によるライブ・スピーチが実施される授賞式にある。授賞式の模様はリアルタイムで全世界に配信され、視聴者は毎年2,000万人近くにのぼる。つまり、グラミー賞は、NARASという権威によって決められるアワードでありながら、一般の人々に向けたエンターテインメントとしての側面を持っている。

日本の日本作曲家協会が主催する「日本レコード大賞」やスペースシャワーTVが主催する「スペースシャワーミュージックアワード」もこのグラミー賞にならって生まれたアワードで、授賞式とセットで大規模なライブが毎年開催されている。これらのケースに代表されるように、音楽においてアワードは、受賞者の名誉のためだけでなく、一般の人々が楽しめるエンターテインメント装置であった。

その反面、主催者側の権威を見せつけられている感があることも否めない。そこで2000年代に入り、新しい立ち位置のアワードが登場してきた。ひとつは、全国の書店員が一番おもしろい本を決める「本屋大賞」にならい生まれた、全国のCDショップ店員が1年でもっともおすすめしたい楽曲を表彰する「CDショップ大賞」。CDショップ店員という無名ではあるが音楽に精通した人々の総意を反映するアワードである。

もうひとつは、CDセールス、ラジオ再生数、デジタル・ダウンロード数、ストリーミング再生数、動画再生数、Twitterでの拡散数など、様々なデータを統合して音楽を評価する「ビルボードジャパンミュージックアワード」。昔からあるアワードではあるが、評価データの範囲を広げ、現代に合わせたアワードに変化してきている。

また、後藤正文氏(ASIAN KUNG-FU GENERATION)が立ち上げた「アップルビネガーミュージックアワード」にも注目したい。このアワードは、彼の「文学の新人賞は数あれど、音楽はないですものね、新人賞って(いくつかあるけど『ない』と見做す。笑)」(後藤氏ブログより)という考えのもと、日本のポップ・ミュージックの新人発掘を目的に2018年に始まった。
これらのアワードには、いずれもライブが披露される派手な授賞式はない。共通してあるのは、いい音楽に出会ってほしいというシンプルな想いである。

図2


こういったアワードが誕生した背景には、2001年のiPod発売、2005年に登場したYouTubeなどによって、誰でも世界中の音楽に簡単にアクセスできるようになり、音楽の楽しみ方が変わったことがある。この流れは2019年現在において、Spotify、Apple Musicなどに代表されるサブスクリプションサービスの登場により、さらに加速している。

いまやネットを通じて、再生回数の多い人気の音楽が簡単にわかる時代。その一方で、自分にぴったりな音楽に出会いたい、出会ってほしいというリスナーやアーティストの願いも顕在化し始めている。

これからの音楽のアワードには、権威、民意問わず、ユーザーにとっての信頼できる道標としての役割がますます必要になっていくのではないかと思う。

映画とは? を議論し始めた映画賞

下の俯瞰マップからわかるように、マンガ・音楽と違って、権威のアワードで占められる映画業界。オスカーの愛称でも知られる世界でもっとも有名なアカデミー賞は、映画芸術科学アカデミー会員。

図3


テレビドラマも含め表彰されるゴールデングローブ賞は、ハリウッド外国人映画記者協会。日本でもっとも認知度が高い映画賞である日本アカデミー賞は、日本アカデミー賞協会会員により選出される。

たくさんの作品を観る映画通の権威たちによる作品の評価を経て、その受賞結果がプロモーションとなり、人々へ映画が届けられていく。これが映画のアワードの一般的な構造だ。

もちろん、古くはYahoo!映画ユーザーレビューランキング、現在だとFILMARKS AWARDSといったレビューサイト・アプリ上で開催される民意のアワードも存在しているが、映画業界においては、権威のアワードのほうが影響力を持ち続けてきた。

そんな映画業界のアワードでは近年、映画のおもしろさよりも、“映画の定義”について多くの議論が交わされている。それは、Netflix、Amazon Prime Videoに代表されるストリーミング配信メディアから生まれるオリジナル作品を映画と認めるかどうかということについてだ。

この議論は、2019年にNetflix発の『ROMA/ローマ』(アルフォンソ・キュアロン監督)がアカデミー賞の外国語映画賞や監督賞などを受賞したことから始まった。

こうした動きを受け、アカデミー賞を主催する映画芸術科学アカデミーの役員を務めるスティーブン・スピルバーグ監督は、「いったんテレビのフォーマットにコミットしたら、それはテレビ映画だ。映画作品を審査するアカデミー賞に、ノミネートする資格はない」とアカデミー賞からNetflix作品を締め出すことを公言している。

映画館で観る映画と家のPCで観る映画。一般の人からすると、どちらも映画には変わらない。おもしろい映像をつくりたいと考えているつくり手にとっても、何を映画と定義するかは正直どうでもいい話ではある。

マンガ、音楽と同様に、視聴体験の進化によって、映画のアワードに求められるものも変化し始めている。しかし、誕生から現在にいたるまで、権威と呼ばれる人たちのみによって、“映画の質・おもしろさが表彰される場”であり続けた映画のアワードが変化を受け入れるのは、まだまだ時間がかかるように思える。



文:外川 敬太

外川 敬太 (とがわ けいた)
1988年生まれ。博報堂を経て、2019年に独立。現在はフリーのプランナーとして、音楽・マンガ・ゲームといったコンテンツ業界を中心に活動中。2018年からは「ゲッサン(月刊少年サンデー)」(小学館)にマンガ編集として所属。広告だけでなく、従来のフォーマット化されたつくり方にとらわれない、次世代のコンテンツづくりに邁進中。

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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。

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