65 プライベートブランドの光と闇
PBに対する消費者の意識が変わった
コンビニやスーパーマーケットが独自に企画し、自らのブランド名で販売するPB(プライベートブランド)の歴史は、東日本大震災の前とあとに分けられる。この日を境に、PBに対する消費者の評価が一変したからだ。
大災害に直面した消費者は小売店に駆け込み、棚に並ぶ食品や紙製品など生活必需品を買い求めた。最初に売り切れたのはNB(ナショナルブランド)商品だ。消費者は地名度のあるメーカーや馴染みのある企業の商品、すでにその味や品質を体験している商品をまっさきに購入し、NB商品が完売すると、棚に残ったPB商品に手を伸ばしはじめた。そして、多くの消費者はこのとき初めて、PB商品のクオリティがNBと比べてもあまり遜色がないことを体験する。
NB商品が手に入らなくなり、PB商品を手に取らざるをえなかった場面で、ようやくPB商品のよさが伝わったようだ。「PB商品、意外にやるじゃん」これが当時の消費者の率直な感想だったのではないか。
価格は安いけれど、品質はいまひとつ。NB商品のコピーばかりで商品的にはあまり魅力がない。PB商品に対して消費者が抱くネガティブイメージは未曽有の危機的状況とともに払拭された。
小売業のマーケティング戦略に精通した中央大学大学院の中村博教授も次のように話す。
「日本の消費者のNB志向は非常に強いので、それまでPB商品を試し買いすらしなかった人が多かったと思います。それが、仕方なくPB商品を買ってみたら悪くないことに気づいた。もともとPB商品が備えていた価値が明らかになったんですね」
だが、歴史をさかのぼればPB商品の意義は、長く「安さ」にとどまっていた。日本初のPB商品は、1959年に百貨店の大丸が販売したオリジナルスーツの「トロージャン」だが、1960年にはダイエーがみかんの缶詰を、1961年にはインスタントコーヒーを投入。「よい品をどんどん安く」のスローガンのもと、ダイエーは流通革命の旗手として総力をあげ、PB商品の低コスト化を図り、食品、衣料品、日用雑貨などラインナップを拡大していった。
日本初のPBとなる大丸の「トロージャン」 画像:『年鑑広告美術』(東京アートディレクターズクラブ、美術出版社、1961年)より
その後、ダイエーに続いて、ほかのスーパーマーケットや百貨店、日本生活協同組合連合会も続々とPB商品を投入し、日本のPB市場を切り拓いていったが、この当時、もっとも話題を集めたPB商品はダイエーが1970年に販売したテレビ「BUBU」だろう。
ダイエーによるPBのテレビ「BUBU」 画像:「ダイエー」フェイスブックページより
「価格販売競争で松下電器産業(現在のパナソニック)と対立したダイエーが、松下電器産業の出荷停止への対抗策として、PBのテレビ『BUBU』を発売しました。しかし、価格は安かったものの品質については疑問符がつくものでした。ダイエーはその後、『セービング』をPBとして強化していきましたが、消費者からの支持は得られませんでした。このテレビやセービングの影響は大きかったですね。日本のPBに長く負のイメージを残しました」(中村教授)
1970年代にはイオンが、NBのカップラーメンが値上げされたことをきっかけに「ジェーカップ」を発売した。現在のPB「トップバリュ」の先駆けとなる商品だ。西友のPBとしてスタートし、のちにライフスタイルブランドとして大成功をおさめていく「無印良品」も1970年代に産声をあげた。
1980年代〜90年代に入るとさらにPBの種類は増え、市場規模は広がった。とはいえ、イメージは現在とは異なる。「安かろう悪かろう」とまではいかないものの、せいぜいが「安いが品質はそこそこ」。価格以外の理由で目的買いされることが少なかった時代は2000年代後半まで続く。そして、2007年。日本のPBは大きな転機を迎えることとなる。
製販同盟型のPB「セブンプレミアム」登場
この年の5月、日本の流通業を代表するイオンとセブン&アイ・ホールディングスの2社がPB開発の強化・拡大策を発表した。両者の狙いははっきりしている。ひとつは、売り場の魅力を上げ、他チェーンと差別化し、来店客の増加を図ること。NB商品をただ並べただけでは消費者に選ばれる存在にはなりえない。ともに、PBを集客の武器とする戦略を立てたのだ。
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