17 役に立たないと、いま決めてはいけない
目の前にちょっとした石が転がっていたとしたら、あなたはその石が役に立つと思えるだろうか。
約260万年前、人類は石を道具に変えることによって世界を変えた。その道具とは、HandAxe、つまり石斧だ。肉を切り裂くという革新的な道具の誕生により、食生活は大きく変わり、豊富なカロリー源を得られるようになったことで徐々に脳も大きくなっていった。
石だけではない。落雷などで生まれた火を手に入れ調理や照明に用いるなど、所与のものを異なる用途に転用することでほかの動物とは異なる暮らしを築いてきた。
そして現在では、通信技術、バイオテクノロジー、ロボティクス技術、素材開発、コンピューティングなど複雑に進化した技術とそれらを用いる方法によって、人類は文化的な進化をし続けている。
もともと、われわれの祖先は700万年前、弱肉強食のヒエラルキーにより森を追い出された弱いサルだ。
安全な森のなかと違い、危険の多い草原で生き残るためには新しい生活の方法が必要だった。走る速さも持たず、鋭い牙も持たず、空を飛ぶ翼も持たない人類は、唯一、木にぶら下がるために発達した「木を掴むための手」が取り柄であり、それを「物を持つ手」に転用し、草原で見つけた食料を抱えて運搬し、森の近くに隠した子どもたちに供給することで生き延びた。
いまあるものを生かして新しい価値を生み出す、用途転用に長けた一部の末裔が、いまの人類なのだ。
1969年、3Mの研究員が強力な接着剤を開発していた際、偶然とても弱い接着剤ができた。この接着剤は一度つけても簡単に剥がれてしまうため、使えないものとして死蔵された。1974年に同じ3Mの別の研究員であったアート・フライが、この接着剤が本のしおりに使えるのではないかと試行錯誤を開始。1977年に完成した新商品は、ポスト・イットという名前で世界中に広がり、現在では150カ国以上で販売され使われている。
ポスト・イットは、最初の開発から使い道が見つかるまでに5年間を要し、しかも使い道を発見したのは開発者とは別の人物だった。
さらに長いときをかけて新たな用途が発見されたものもある。
音楽は、狩猟採集の暮らしが営まれていた時代から続く人類最古の文化のひとつだ。現存する世界最古の楽器は、約3万5000年前にマンモスの牙や鳥の骨でつくられた3本のフルートと言われ、ドイツ南西部シェルクリンゲンにあるホーレ・フェルス洞窟の遺跡から発見されている。
生産性や企業活動とは関係が薄いものとして扱われてきた音楽だが、いまも使われているパソコンのキーボードの原型は、ピアノの鍵盤を活用することで生み出された。
われわれが日常的に使っているQWERTY配列のキーボードを考案したと言われているクリストファー・レイサム・ショールズは、ウェスタン・ユニオン・テレグラフ社の『印刷電信機』にヒントを得て1868年にタイプライターの特許を取っている。印刷電信機はピアノ鍵盤を用いた構造で、白鍵と黒鍵にアルファベットが刻まれていた。
提供:アフロ
ピアノからタイプライターへの転換は、イタリアのフィレンツェでメディチ家に仕えていた楽器製作者のバルトロメオ・クリストフォリ・ディ・フランチェスコが、1700年頃にピアノを世に送り出してから150年以上を経て起きたのだ。
ピアノの製作者には、コンピューターテクノロジーの発展を支えようという意図どころか、そもそもアイデアすらなかった。技術史のなかでピアノが重要な発見として保管されてきたわけでもない。音楽を楽しむという文化のなかで生まれ、音楽を楽しむという文化のなかだけで発展し、伝えられてきた。
だが、音楽とコンピューティングの関係を見ると、ピアノだけでなく、楽譜やオルゴールといった、音楽を繰り返し再生するために培われてきた技術も、プログラミングや記憶媒体の原型となって現代のテクノロジーを支えている。
長期的な視点で見ると、音楽はいまの経済の主流を支えるコンピューティング技術の起源になっていたのだ。
何が役に立つかは時代によって大きく異なる。現代社会において長期の休暇を静かな場所で過ごすことはデジタルデトックスや休息として役に立つが、700万年前はただの孤独な時間かもしくは敵に襲われる危険な時間だった。いまここにある価値の源としての可能性(ex.広がる草原や落ちている石)は、いまこのときに価値を発揮できるかどうかと関係なくそこに存在する。
オーストリアの経済学者ヨーゼフ・A・シュンペーターは、1912年に出版した書籍『経済発展の理論』(岩波文庫)のなかで、「われわれが企業と呼ぶものは、新結合の遂行およびそれを経営体などに具体化したもののことであり、企業者(entrepreneur)と呼ぶものは、新結合の遂行をみずからの機能とし、その遂行に当たって能動的要素となるような経済主体のことである」と記し、いままでにない新しい組み合わせにより生まれる企業活動が、信用貨幣の創出を通じて経済を変動させる、価値創造の基盤となると考えた。
もし、「いま役に立つかどうか」という価値の指標だけでものごとを測ったとしたら、多くの「いま役に立たない」もののリストが生まれることになる。一方で、「いずれ役に立つかもしれない」という価値の源泉としてものごとを測ったとしたら、多くのものは未来に向けた新しい可能性を持つ。
MITメディアラボの准教授ネリ・オックスマンは、2016年に発表したレポート『Age of Entanglement(もつれの時代)』のなかで、クリエイティビティを生み出す回路(Krebs Cycle of Creativity)には、Science、Engineering、Design、Artという4つの領域の連結が必要だと述べている。
EngineeringとDesignはものをつくる領域(Production)、ScienceとArtはものの見方と理解の領域(Perception)を担当し、役に立つものの作成だけでなく、新しいものの見方が同時にあって始めて創造性へとつながっていく。
いままで役に立たないと思っていたものに新しいものの見方が加わることで、価値の可能性は突然やってくる。これまで価値を感じていなかったものも、ある見方では新しい価値が生まれ、いま目の前に置かれている何かも、うまく組み合わさるものの見方があれば思いもよらない価値が見出される。
社会がすでに持つ可能性をより発揮していくためには、これまでのものの見方で役に立つかどうかを考えるだけでなく、世界に新しい視点を生み出せたかどうか、新しい視点の実現と実行に寄与できたかどうかを考えることが求められている。
文:西村 勇哉
西村 勇哉 (にしむら ゆうや)
NPO法人ミラツク代表理事。1981年、大阪府池田市生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科修了。ベンチャー企業、日本生産性本部を経て、2011年にNPO法人ミラツクを設立。リサーチチームとともに未来潮流の探索と未来構想の設計、大手企業の未来事業開発に取り組む。理化学研究所未来戦略室イノベーションデザイナー、関西大学総合情報学部特任准教授。
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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。