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91 物語と社会批評 〜 社会哲学者 稲葉振一郎 インタビュー
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91 物語と社会批評 〜 社会哲学者 稲葉振一郎 インタビュー

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地球温暖化、経済格差、ジェンダー不平等など、多くの問題を抱える現代社会。現実に起こる不条理や不均衡に対して、フィクションとしての物語は何ができるのか。社会哲学者の稲葉振一郎氏へのインタビューをとおして、社会批評性のある物語の特性や世の中での受容のされ方について考察する。


「現実についての物語」と「リアリズムのフィクション」

── 今回は「物語と社会批評」というテーマでお話を伺えればと思っています。

稲葉:初めに前提を整理させてください。まず「社会批評」について。これは社会に対する吟味、批判、論評ということですよね。つぎに「物語」とは具体的に何を指すかを確認しておくと、ここでは小説や映画、アニメといったもの、つまりフィクションですよね。だから、今回のテーマは社会に対する論評が、フィクションをとおして成しえるのか、ということですね。

また、「批評」と言った際、人が思いつくのは文芸批評や映画評論といったフィクションを含む「表現」を対象としたものが典型だと思います。ただ、このとき、表現だけを批評しているのかというと、そうではありません。フィクション作品を批評するという行為自体が、実は間接的な社会批評になっている、という構造があるんです。作品を通じて描かれた世界には現実が反映されていて、その物語を通じて人々が現実を考える、というのは割とオーソドックスなあり方です。

もちろんそうしたあり方に対しての反発や反省もありますし、現実と物語はイコールではなく、表現が現実というものを反映しているとしても、そこには歪みがある。あるいは、表現は表現で自己完結している部分もあって、そういう観点でみないといけない、という言い分もあります。これは、現実そのものではなく、作品そのものの事実性を重視して論評する、というタイプの批評ですね。

── 現実と物語、フィクションの関係というのはどう捉えるとよいのでしょうか?

稲葉:単純に言えば、「フィクションはフィクションであって、現実そのものではない」わけです。だから現実を描いたとしても、固有の歪みがあります。

一方、物語というのは“語られ方、語り方”のことなので、何ひとつ虚構を含まない現実についての正確な記録であっても、物語的に構成することができます。“できる”と言うよりも、通常、人間はそういうことをやりがちで、現実を物語的に解釈するというのはあたりまえにやっています。

それでは、こうした「現実についての物語」とは別に、なぜ私たちはわざわざ「虚構の物語」をつくるのか? 単純に娯楽のためにファンタジーのような物語をつくる、あるいは享受する一方で、私たちは現実についての物語をつくるし楽しんでいる。歴史やゴシップといった現実についての語りだけで満足できずに、なぜ私たちはわざわざフィクションをつくるのか? この問いについて考えていきましょう。

── 確かに、私たちは現実についての物語とフィクション、どちらも享受していますね。

稲葉:私たちが楽しむ典型的なフィクションとは何なのかと考えてみると、圧倒的大多数は「リアリズム」なんです。リアリズム──現実主義と呼んではいるけど、あくまでフィクションです。

現実から外れているという意味ではファンタジーやSFは、明白なフィクションです。対して、リアリズムは現実世界を舞台としているものの、そこに出てくる人物も、そこで引き起こされる出来事も現実ではない。けれども、それを受け手はとても「リアルだ」と感じるわけです。

私たちが歴史学や社会科学の文献、ノンフィクションのドキュメンタリーにふれるのは、現実を知りたい、という知的欲求からだと思います。だけど、それだけでは満足できないから虚構をつくる、とも言えるかもしれません。

でもそうやって虚構をつくる際、絵空事を楽しむならとことん楽しめばいいのに、なぜフィクションの本流がリアリズムなのか? これは大きな謎ですよね。

リアリズムのフィクションが持つ機能

── フィクションにおけるリアリズムの台頭は、メディアの発達と深く関係していそうですね。

稲葉:教育水準や識字率の上昇、新聞やジャーナリズムの発達。そういうことともちろん関係があって、人々がメディアを介して現実や世の中について知るという展開が目立ってきたのは19世紀以降です。

さらには20世紀になると放送という手法が出てきて、とくに広告料から対価を得るというビジネスモデルで発展したテレビにおいては、ジャーナリズムよりもエンターテインメントのほうが前面に出てくるようになる。そうやって19〜20世紀ではいわゆるマスメディアの発達にともなってコミュニケーションのあり方が変化し、近代社会における経済のあり方や技術の変化とも密接にかかわって、フィクションや物語の変化も起きています。

それにしても、なぜ私たちはフィクションを求めるのか。そしてなぜフィクションの本流がリアリズムなのか。リアリズムのフィクションが描く“現実”と、ジャーナリズムや評論、あるいは社会科学において記述される “現実”には、どういう関係があるのか。

まったくの絵空事ではなく基本構造は現実世界といっしょで、そこに虚構の人物や出来事が展開する。その虚構の出来事は現実世界で起きても不思議ではないし、虚構の人物も現実世界のなかに存在しても不思議ではないような人物である。そうしたものを描くのがリアリズムなのですが、なぜリアリズムのフィクションを人間は必要とするのか、ドキュメンタリーやゴシップでは満たされず、私たちがつくりものを求める欲望の根源とは何なのか、ということが、リアリズムのフィクションを考える核だと思います。

── なるほど。それでは実際の作品を例に取りつつさらに話を深めていけますでしょうか。

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吉 「出船に船頭待たず」
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博報堂が発行する雑誌。「いいものをつくる、とは何か?」を思索する“視点のカタログ”として2019年にリニューアル創刊。クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナーの小野直紀が編集長を務める。最新号の特集は「虚実」。