104 消費のためのデザイン
これは1971年に発行されたヴィクター・パパネックによる『生きのびるためのデザイン』の冒頭の一文である。産業革命以降、デザインは市場経済の名のもと消費者や企業の欲望に形を与え、利益を生みだす手段として使われてきた。しかし、1970〜1980年代には、経済発展を遂げた欧米や日本において、消費社会に過度に加担するデザインのあり方に疑問符が突きつけられた。
1990〜2000年代には、情報革命とともに、デザインの範囲は電子媒体における体験デザインへと広がりはじめ、時を同じくして、企業の経営、教育や地域活性、社会課題の解決やしくみづくりなど、形のない領域へとデザインの対象が拡張されていった。いまや、こうした文脈でデザインの意義や可能性が語られることは珍しくない。
一方で、相変わらず欲望を喚起し、消費を煽るためのデザインは現代においても存在し続けている。それにもかかわらず、そうしたデザインのあり方の是非には蓋をして、デザインの社会的、文化的意義といった“耳心地のいい”言説のみが目立っているように感じる。
本稿では、東京藝術大学でグラフィックデザインを学ぶ筆者が、「消費のためのデザイン」と向き合い、デザインにかかわる書籍や専門家への取材をとおしてその功罪を考察する。
消費のためのデザインと神話
著書『消費社会の神話と構造』で知られるフランスの哲学者ジャン・ボードリヤールは、ものや商品には使用価値のほかに象徴的価値・記号的価値があると理論づけた。たとえば高級車は単なる交通の手段という使用価値だけでなく、その所有者のステータスやシンボルといった意味を持つと言う。デザインはこのような価値付け、差異付けにおおいに力を発揮し、産業革命以降、資本主義経済の隆盛に加担してきた。利益を生み出す商品をつくるためには何が必要なのか。1986年に発行されたエイドリアン・フォーティーの著書『欲望のオブジェ』の序論にこう書かれている。
つまり企業は消費者の欲望に点火し、上昇欲求を刺激したり個性を表現したいという欲求を満たしたり、未来の生活像と現在の生活を結ぶ掛け橋と言える商品をつくらなければ、この世界での勝者にはなりえなかった。こういった構造によって、利潤を生み出す観念=神話と、それを体現する消費のためのデザインが生まれたのだ。
神話とは、つまり大衆の欲望である。神話にもとづいた消費のためのデザインとは具体的にどのようなものなのか。『欲望のオブジェ』を参照しながら、19世紀末のアメリカにおけるモンゴメリー・ウォード社のポケット・ナイフを例にひも解いてみたい。
モンゴメリー・ウォード社のポケットナイフのカタログ画像。左が婦人用で右が男性用 画像:『欲望のオブジェ』(エイドリアン・フォーティー、鹿島出版会、2010年)84頁より
こうして、ものを切るという機能のほかに、男性らしさ、女性らしさとされる観念、そしてそうありたいという欲望=神話を実体化すべくデザインされた数十種類ものナイフがカタログに掲載され、「これこそ私のナイフだ」と消費者の欲望を掻き立てたのだ。
デザインとは何か、デザイナーとは何か
そもそもデザインとは何を意味しているのだろう。大衆の欲望を実体化する役割に加え、とくにインダストリアルデザインには必然的に生産と消費が絡んだ生産システムが関係する。『欲望のオブジェ』においては、デザインは「ものの外観」と「製品を生産するための仕様の準備」のふたつに定義付けされている。
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