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114 現代における「教養」の危機と行方 ~ 哲学者 千葉雅也 × 『ファスト教養』著者 レジー

“Culture”という言葉に「文化」「教養」両方の意味が含まれていることからも明らかだが、このふたつの概念は密接にかかわっている。「文化」がある種の「時代の空気」を表すのであれば、その空気によって規定される「時代における適切なふるまい」が「教養」ということになるだろうか。

「教養が大事」という言説は、いつの時代にも存在してきた。一方で、最近は「ビジネスやお金儲けに役立つものとして、教養が大事」といった考え方がいままで以上に力を増しつつある時代でもある。筆者は拙著『ファスト教養』(集英社)において、その事象を批判的な立場から分析しつつ、そんな状況が生まれた背景や想定されうる対案について論じた。

本稿は、『ファスト教養』で展開した「現代における教養のあり方」に関する議論をさらに深めていくものである。この大きなテーマと向き合うべく、『勉強の哲学』(文藝春秋)、『現代思想入門』(講談社)などの著書を通じて、学びや生き方のあるべき姿を説いている千葉雅也氏を招いて対談を行なった。「深さ」と「わかりやすさ」を両立した発信を続けている千葉氏ならではの、ストレートながら愛のある言葉に筆者はおおいに触発された。ぜひその感覚を追体験いただきたい。


『ファスト教養』と『勉強の哲学』

レジー:2022年の9月に『ファスト教養』という本を出しました。この本では「幅広い領域の知識を、必要に応じて時短コンテンツを使いながら大雑把にかつ簡易的に取り入れる」「それを短期的な意味でビジネスに役立てる(上司と話が合わせられるなど)ことに過剰な重点を置く」といった行動が「教養」という言葉と結びつけられる状況を「ファスト教養」と定義したうえで、そういったムーブメントが力を持つ背景にあるビジネスパーソンの焦りと不安、それを助長する自己責任の風潮、さらにはそういった時代の流れを生むに至ったキーマンたちの動向などについて批判的な視点から整理しています。そのうえで、最終的に「そういった空気を批判する場合、そのオルタナティブをどうやって提示するのか?」ということを論じようとしました。その過程において、千葉さんが『勉強の哲学』で示されていた「欲望年表」(※1)という考え方を重要なファクターとして引用しています。

千葉:『ファスト教養』、読ませていただきました。いまおっしゃっていただいたところは、まさに本の終盤ですよね。ある種「決め技」的に僕の議論が使われていて(笑)、こういう形で自分が書いたものが読み手の方に伝わっているんだなと興味深かったです。

レジー:自分自身のこれまでのこだわりを列挙して、そこから導き出した抽象的なキーワードを取り組むべき勉強のテーマにつなげていく「欲望年表」のアプローチは、「“お金のため”とは異なる、“好き”から始まる思考の拠り所を持とう」という『ファスト教養』で示した結論の方向性を導出するうえでのポイントのひとつになりました。加えて、僕にとって大きかったのは、『勉強の哲学』の語り口です。たとえば言い切りが必要な場面では力強く言い切る文体だったり、マクロな論考のなかにご自身の主観や経験も交えていくスタンスだったり、そういったものは僕が『ファスト教養』を執筆するうえでの強い後押しになりました。これに関しては、千葉さんはかつて「『勉強の哲学』は自己啓発書に擬態して書いた」とおっしゃっていましたよね。

千葉:『勉強の哲学』は、ある種の人生論をやろうと思って書いたものです。で、それは学者の世界ではアウトなことなんですよね。「自己啓発書はビジネスオリエンテッドだからよくない」というよりも、「自己啓発書として生き方を語ること自体が下品だ」「どう生きるかという話は素人臭い、プロのやることではない」という前提が学者の間ではなんとなく共有されています。いまはそこまでではないかもしれませんが、僕が学部にいた頃には「学問は人生論ではない」とはっきり言う先生がいたくらいですから。ただ、僕が修士で指導を受けた中島隆博先生は生きることについて正面から考えて哲学の研究をしていて、そんな態度には僕も影響を受けていたんです。そういった側面から自分の考えを形にすることで、学問の世界における「境界侵犯」をわざとやってみようというねらいがありました。

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