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92 ビデオゲームの虚構と現実 〜 美学者 松永伸司 インタビュー
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92 ビデオゲームの虚構と現実 〜 美学者 松永伸司 インタビュー

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演劇や小説、映画など、フィクションを楽しむ娯楽や芸術は古くから多岐にわたって存在していた。1970年代後半以降に普及したビデオゲームは、プレイヤーの能動的な関与によるシステムとのインタラクションにより、フィクションの世界へより深く没入できる点に特徴があると言われている。本インタビューでは、美学の視点からビデオゲームを研究する松永伸司氏に、ビデオゲームの表象と受容における特色や、プレイヤーがどのような構造によって虚構と現実の狭間に存在するゲーム世界を体験するのかについて伺った。

美学の視点からビデオゲームを研究する理由

── まず松永さんのご研究内容について伺えればと思います。また、美学についての解説も簡単にお願いしてよろしいでしょうか。

松永:私の専門分野は美学で、その視点からビデオゲームを中心とした現代のいろいろな文化の特徴を考えるということをやっています。美学は哲学の一分野ですが、扱う対象が独特です。美学の対象としていちばんわかりやすいのは芸術ですね。美術作品や音楽作品、文学作品などを大まかにひとつのカテゴリーとして捉えたうえでそれら芸術一般の特徴を探究することもありますし、たとえば文学にまつわる哲学的な問題など、それぞれの芸術ジャンルごとのトピックについて論じる場合もあります。いずれにせよ芸術にまつわる様々な問題は、すべて美学の論点になります。

それとは別に、いわゆる感性が使われる文化全般も美学の対象です。これは専門的には「美的なもの(the aesthetic)」と言います。芸術はその典型ですが、感性が使われる文化は必ずしも芸術に限られません。「エスセティクス ウィキ(Aesthetics Wiki)」というサイトがわかりやすい例なのでお見せします。

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エスセティクス ウィキの「Cottagecore」のビジュアル一覧 
画像:「Aesthetics Wiki」ウェブサイトより

ここには「Babycore」や「Cottagecore」など、大量のキーワードのリストがあります。これらのキーワードは、個々のイメージやビジュアルが持つ独特の特徴というか、ある種のテイストを指すラベルです。インスタグラムやタンブラー(Tumblr)などの画像につけるタグを想定するとわかりやすいと思います。昔からこのようなジャンルやカテゴリー分けはありましたが、とくに2010年代以降のインターネットカルチャーのなかでさらに細分化が進んでいるようです。

いくつか例を見ると、たとえば「Babycore」とラベルづけされる画像はピンクを中心にした淡いパステルカラーとぬいぐるみ、みたいなかわいらしい感じですし、「Cottagecore」は田園風景や花畑などのモチーフを使った素朴でナチュラルな雰囲気です。「Cottagecore」というラベル自体は最近生まれたものだと思いますが、そのラベルが指すテイストは昔からあって、たとえばこのページの説明によると、19世紀のイギリスの風景画家ジョン・コンスタブルが描いた農村の絵などは「Cottagecore」の祖先と見なせるらしいです。映画『ミッドサマー』のビジュアルの感じ、などと言えばよりわかりやすいかもしれません。派生形として「Cottagegore」という「Cottagecore」を少しダークでおどろおどろしい雰囲気にしたテイストもリストに挙げられています。

このようにイメージやビジュアルには様々なテイストがあり、それに名前がつけられて分類されたりしているわけですが、何かを見てそれがしかじかのテイストを持つものであると把握するときは、頭で分析的に考えなくても、その文化に馴染んでいれば即座にそれとわかりますよね。そのように、言葉では説明しづらいけれど見る人が見ればすぐにわかる、ある種の「感じ」を、専門用語では「美的性質」と呼び、個々のイメージやビジュアルがどんな美的性質を持つかを判定することを「美的判断」と呼びます。

興味深い事実として、美的判断が自分と他人とで食い違うときに、論争が始まることがよくあります。論争になるのは、美的性質が単なる好き嫌いという主観の問題ではなくて、事物がある意味で客観的に持つものだとわれわれが考えているからなんですね。そういうわれわれが暗に持っている前提や考え方に注目するのが美学です。

美学は、美的判断の一般的な基準を示したり、個々の美的判断の理由付けをしたりするわけではありません。むしろ、美的性質とはどういう種類の性質なのか、美的判断の理由付けや正当化はどのようになされるのかなど、われわれの美的なものを巡る様々な実践をメタレベルから考える分野だと言えます。

美的なものについての学問がなぜビデオゲームにも適用できるかと言うと、ゲーム作品の批評にも似たことが言えるからです。ゲームレビューなどが典型ですが、ある作品の良し悪しや独特さを評価する際には、ある種の「感じ」が評価の理由にされることが頻繁にあります。たとえば、「これこれの感じがあるからこの作品はよい」みたいなことです。その「感じ」は完全に主観的なものではなく、ゲーム作品自体が持つ特徴から出てきたものとして考えられています。つまり、このゲーム作品はしかじかの特徴を持つおかげでしかじかのよさがあるのだ、という仕方で評価がされているわけです。

結果として、先ほどお話ししたような、意見が食い違ったときに論争が始まるということがビデオゲームについても起こります。「この作品はクソゲーだ」という意見に対して、「いや、それはお前がわかっていないからだ。これこれの特徴に注目したらよさがわかるよ」という反論がなされるというわけですね。その意味で、芸術やそのほかの美的文化と同じく美学的な視点からビデオゲーム文化を捉えることが可能だと考えています。

ナラトロジーとルドロジーとは何か

── 松永さんのご研究は美学をベースにしつつ、同時にゲームをアカデミックに研究するゲームスタディーズとしても位置付けられるものだと思います。ゲームスタディーズの潮流についての解説もお願いできますでしょうか?

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博報堂が発行する雑誌。「いいものをつくる、とは何か?」を思索する“視点のカタログ”として2019年にリニューアル創刊。クリエイティブディレクター/プロダクトデザイナーの小野直紀が編集長を務める。最新号の特集は「虚実」。