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120 SNS以降のサブカルチャーと政治

かつてあった政治性や反骨精神から切り離されたサブカルチャーは、1970年代以降の消費社会の進展とともに「自意識」と「冷笑」の時代へと向かっていった。そんな時代のサブカルチャー/ポップカルチャーの変遷を批評的にまとめたテキストユニットTVODの『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)では、’70年代以降の「サブカルチャー的メディア空間」を「政治や世間から切り離された遊び場」と呼び、現代においてはそれが「焼け跡化」してしまったと評している。一方で、2010年代に入ると、SNSをとおした市民による政治的な活動が活発に繰り広げられる状況が生まれていった。そんなSNS以降の日本において、サブカルチャーと政治のかかわりはどのような様相になっているか。TVODのコメカ氏とパンス氏が語り合う。


活発化したネット発の政治運動

パンス:われわれTVODは主に日本のサブカルチャーを中心とした話題を展開しているのですが、あらためて2010年代を振り返ってみると、サブカルチャー自体が様々な政治的な動きの影響を受けていた時代だとまとめることができます。TVODの『ポスト・サブカル焼け跡派』(百万年書房)もその流れのなかで生まれた本でした。議論の前提として、まずは当時起こっていた「市民政治」の側からざっと振り返っておこうと思います。2010年代の始まりに、それまでから打って変わって、無党派的な市民が政治運動に参加する動きが現れたんですね。大きなきっかけは、震災と原発事故です。その後の展開については2010年代以降、3つに分けられると僕は考えています。

①2011~2013年:福島第一原発の事故を受けて起きた反原発運動
②2014~2016年:安保法制など、第二次安倍政権の政策に反対する運動
③2017年~現在:反差別、マイノリティ、アイデンティティ・ポリティクス

当初から動きを見ていた僕の個人的な印象ですが、①〜③と進行するにつれ、参加人員は増えていったと思います。その都度ネットなどに「それまで政治に興味がなかった」人たちが参入するといった文言が現れているからです。さらに、これらの動きは主としてSNS上を中心に展開され、デモなどの街頭の運動に波及する構造になっています。上に挙げた3点それぞれの志向性についてはこれから話すことになると思います。

さて、サブカルチャーとの関係についてですが、前述の運動のなかには作家や映画監督、デザイナーやミュージシャンといった文化人も多く参加しています。とくに③以降は、議論される問題がアイデンティティや差別といったテーマになったことで、具体的な作品の表現手法の是非、俗に言う「ポリティカル・コレクトネス」や「コンプライアンス」(本来異なる意味ですが、日本では同列にされていることが多いのでふたつ挙げます)に大きな影響を及ぼし、現在に至っています。そして、このような変化を危惧するような声も多く、それらに関する議論もまたSNS上で展開され、「政治問題化」する流れが続いているのはおなじみの風景です。

つまり、「サブカルチャーと政治」の間には、現在もフリクションが起こっています。今回は、そんな現在に至るまでの潮流を見ていきましょう。

まず、2020年1月に刊行されたTVOD『ポスト・サブカル焼け跡派』は、先に挙げた構図で言うならば、執筆のきっかけは②にあり、内容的には③の要素を含むといったところかなと考えていますが、こちら、コメカ君から見ていかがでしょうか。

コメカ:『ポスト・サブカル焼け跡派』は、2015年前後の反・安倍政権的な運動の盛り上がりに触発されたことが、制作のきっかけとして確実にありました。あの本はざっくり言うと、’70年代以降の日本のポップミュージシャン十数人を「キャラクター」として分析することをとおして、社会とサブカルチャーの関係性や精神史をわれわれなりに捉え直すような内容でした。

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