22 価値を最大化する予算設定
予算は制約ではない。予算とは、価値を生むためのガソリンである。しかし、予算のあり方は最適化からほど遠い場所にある。前年度の決まりに従う慣例や年度末消化など、予算の硬直化が起きている。予算決定者とつくり手に距離があることも多いだろう。
時代の不確実性が増し、計画が意味をなさなくなる時代において、どのように将来の見通しを立て、予算を組んでいけばいいのか。いまこそ新しい価値をつくるべく、予算の考え方や仕組みづくりの変革が必要ではないか。
その課題をとらえるために、まずは歴史を学ぶ必要がある。いかにして「予算設定」の仕組みができあがったのか。その問題点はどこにあるのか。「計画」の有効性が問い直される時代において、予算設定はどこに向かうべきか。『会計の世界史』、『実学入門 経営がみえる会計』(ともに日本経済新聞出版社)などの書籍を手がける公認会計士の田中靖浩氏が解題する。
「予算管理」誕生から100年
「予算管理はいつ始まったのか?」。そう問われて答えられる人は多くないでしょう。1919年、シカゴ大学に勤めるマッキンゼー教授は、「管理会計」という名の新しい講座を発表しました。そこでは、会社の製造や販売部門を効率よく管理し、儲けを出すための仕組みが教えられました。
「予算管理」の概念が企業の経営に取り入れられるきっかけになったのが、この講座なんです。それから100年が経ちました。いまこそ予算管理のあり方を見直す必要があるとわたしは考えているんです。ちなみにマッキンゼー教授はその後、自らの名を冠したコンサルティング会社を立ち上げました。そう、マッキンゼー・アンド・カンパニーです。
なぜ、1919年から予算管理が始まったのか。それは時代背景と強く結びついています。当時のアメリカは第一次世界大戦後の好景気に沸いている時期であり、大衆消費社会の足音が聞こえてきた頃です。
人々は音楽に熱狂し、酒を飲み、“消費者”となっていきました。当時の花形産業といえば、自動車です。GM、フォード、クライスラーを筆頭に巨大な自動車会社が立ち上がり、その中心地であるデトロイトは全米でもっとも光り輝く都市でした。
国土の広いアメリカにおいて、自分の好きな場所に車を使って出かけられる革新性は、とても大きな意味があったでしょう。車の需要はありますから、量産化して価格を下げれば、そのぶん売れる。売上予測の精度が高まれば、製造にかかるコスト=予算の計算は簡単です。
それから約100年が経ち、当時の環境はいまに当てはまるでしょうか? これだけ車が普及した時代に新車は売れにくくなっています。当時に比べて、需要予測がしにくくなったのは間違いありません。多くの企業が、当時の成功体験をなぞることができるアジアやアフリカの新興市場に目を向けるのも、納得できますよね。
「計画する」「分ける」「評価する」
管理会計の世界では、「計画する」「分ける」「評価する」が3つの型として考えられてきました。需要予測が難しい時代において「計画」の難しさはお伝えしましたが、「分ける」ことも予算設定に大きな影響を与えます。
企業が大きくなるに連れ、組織のなかで分業と多角化が起きます。予算設定においても、事業別や地域別に採算をとることがあります。すると、各事業部で競争が起き、足の引っ張り合いに発展することがある。来年度の予算をほかの部署にとられないために「予算消化」を行なう部署も出てきます。
たとえば、ソニーはエレクトロニクスに始まり、映画や音楽、金融と、事業を多角化していきました。そのなかで著作権の問題で音楽とエレクトロニクス部門の対立が起きました。内部対立をしているうちにアップルがiPodを発売し、その市場を奪っていったのは記憶に新しいと思います。
「分ける」ことで、競合や課題が見えにくくなることがある。これからの予算設定において「分ける」から「くくる」「つなげる」がキーワードになっていくでしょう。
組織の難しさは、つまるところ評価の難しさでもあります。「計画しない」時代における最適な「評価」は、まだわたしのなかでも答えが出ていない難題です。
予算設定をフレキシブルにできない理由
硬直化した予算設定のあり方にメスを入れようとしても、立ちはだかる壁があります。業績予想の開示です。上場企業は、証券取引所の規制により、来年の売上や利益がどれくらいになるかを予想し、ズレが生じた場合は予測修正を出さなければいけません。
投資家からすればありがたいですが、その制度が企業の自由度を奪ってしまう。中期経営計画や毎年の予算に「動きを封じられる」会社があとを絶ちません。計画に縛られて臨機応変さが失われてしまう。アメリカ海兵隊に「計画と戦うな、敵と戦え」というモットーがあるそうですが、まさに日本企業の多くは敵と戦わずに計画と戦っています。
この時代に価値を生み出すための予算設定のあり方
様々な解釈があると思うのですが、管理会計において価値が高いのは、将来のキャッシュフローが増える会社です。企業価値を高めるために、お金を稼げる会社になる必要があります。計画による管理は有効でしょうが、現実がうまくいかないことも受け入れる。そんな会社が、これからの時代に価値を生むんだと思います。
100年間使われてきたものを急になくすことは難しい。わたしたちは「予算管理」のちからを弱めるなかで、それを補うものを考えていく必要があります。理想的な予算設定のあり方は組織の規模によって異なりますが、予算管理の誕生から100年という記念すべき年が、予算設定のあり方を考え直すきっかけになることを願っています。
続いて着目したいのは、「時代の不確実性」という大きな課題である。「予算管理」が次の100年へと進んでいくにあたって、「不確実」という言葉の意味をひも解き、この時代における組織設計と予算設定のあり方を考えるべく、『エンジニアリング組織論への招待 〜不確実性に向き合う思考と組織のリファクタリング』(技術評論社)の著者・広木大地氏を訪ねた。
不確実性に向き合うとは、どういうことか?
これからの予算設定を考える上で「不確実な時代」という前提と、それに対応するための「組織のあり方」を考えていく必要があるでしょう。不確実性が高まっている背景として、情報技術の発展により、場所や時間を問わずにビジネスの規模を一気に大きくできる環境が整ったことが挙げられます。
「不確実性」とは、人間にとってわからないことです。それは、つまるところ未来と他人なんです。未来は実際に訪れるまでわからないわけですから、わかると思うこと自体が錯覚だと理解したほうがいい。また、その人にはなりえないのだから、他人のこともわからない。
このふたつの視点から組織をとらえると、そこにかかわる人々の認識を揃えながら、わからない未来をわかる状態にしていく装置だと考えることができます。そもそも、組織とは人間が「不確実な社会」に対処するために生み出されたと言えるかもしれませんね。
不確実性を前提とした「組織設計」と「予算設定」
不確実な社会に対応するために、アジャイル開発(※1)やリーン開発(※2)を経営に取り入れる組織が出てきています。その根本理念には、ふたつのポイントがあります。まず、もっとも不確実性が高く、わからないことから検証すること。失敗することを前提に実験して学ぶという考え方をもつことです。段階的な実験が成功したら、その都度予算執行していくというイメージです。
しかし、多くの日本の大企業では、成功することを前提に成功確率の高い方法を試そうとする。昔は巨大な工場をつくり、大量生産するとコストが下がり、安くなり、そのぶんだけものが売れる時代でした。時代は変わり、ニーズがあるのか、ユーザーが感じる「不」を解消できているのか、という点がもっと重要になってきている。プロトタイプをつくり、そのコアになるコンセプトを低予算で検証していく必要が出てきました。
まだ実現できるのか判断できないアイデアに対しても、まずは小さく予算をつけ、仮説が検証されればさらに大きな予算をつける。段階的に検証していくことが大切です。多くの大企業では、たとえ1,000万円の予算であっても長大な事業計画書を出さなければいけなかったりと身動きが取りにくい。失敗する前提で予算を組んでいかなければ、蓋然性の低い領域、つまりは新しい価値を生むための投資はされなくなってしまいます。
また、期待値が高いアイデアは誰しもが思いつくことなんです。競争環境が激化するなかで、ほかの企業や人と横並びで蓋然性の高いことに挑戦すれば、大きな失敗もしないが、大きな成功もない。しかし、予算はたくさん必要になるという状況になってしまいます。
アジャイル、リーン、スクラム。すべてかつての日本企業を手本にしていた
価値づくりのための予算を組めている会社は、失敗による学びを前提とした組織設計ができている。成功するかわからない事業に取り組む際には、日本企業が導入してきたメンバーシップ型雇用は相性がいいんです。ジョブ型雇用の場合は、専門部署がなくなったら部署異動か辞めるしか選択肢がないですから。
メンバーシップ型雇用であれば、長く雇用する前提となり、新しいことに挑戦する不安が少ないはずです。ところが、多くの大企業は雇用形態はそのままに職能型の組織になり、生産や調達、販売といった自らの領域だけを見て、均質な文化形成が進んでしまいました。これがここ数十年での日本企業の失敗だと考えています。
しかし、躍進を続けるシリコンバレー企業が採用するようなアジャイル開発やリーン開発の歴史を辿っていくと、どれもかつての日本企業をお手本にしたものなのです。リーン開発はトヨタの「リーン生産方式」に行き着きますし、スクラム開発も世界的な経営学者である野中郁次郎先生による、日本企業の新製品開発研究に端を発しています。
1980年代後半から失われた20年、30年と言われますが、かつての日本企業から学び躍進を続ける世界の企業に対して悔しさを感じてきました。だからこそ、予算設定も含めた日本の大企業のあり方を変えていかなければいけないと考えています。
ユニークネスのポートフォリオを組め
そもそも「価値をつくる」とは、どういうことでしょう? わたしの考えでは、「ユニークネス」が価値だと思うんです。統率のとれた軍隊的な組織は、角の取れた人物をつくる装置であり、それは機械によって代替できてしまう。価値を生み出すのは、「価値がある」と認められていないことに取り組んでいる人です。
たとえば、ヒカキンが初めてYouTubeに動画を投稿した際には、YouTubeでマネタイズする手段は存在しませんでした。そのときに意味がないものに執着している人が、きっと価値を生む時代だと思います。
しかし、不確実な時代において、10件の新しい試みを行なったとしても9件は失敗する。企業はユニークネスのポートフォリオを組むべきだと考えます。そのポートフォリオがあれば、不確実な未来からユニークネスのどれかにスポットライトが当たるかもしれない。その状態は、ナシーム・ニコラス・タレブが表現するところの「反脆弱」な組織とも言えるでしょうね。
構成・文:岡田 弘太郎/写真:川谷 光平
田中 靖浩 (たなか やすひろ)
田中公認会計士事務所所長。三重県出身。早稲田大学商学部卒業後、外資系コンサルティング会社勤務などを経て独立開業。ビジネススクールや企業研修の講師をつとめる一方、落語家・講談師とのコラボイベントを展開するなど幅広く活躍中。最新の著書は『会計の世界史』(日本経済新聞出版社)。
広木 大地 (ひろき だいち)
1983年生まれ。株式会社レクター取締役。筑波大学大学院卒業後、株式会社ミクシィを経て、株式会社レクターを創業し、技術と経営をつなぐ技術組織のアドバイザリーとして多数の会社を経営支援している。著書の『エンジニアリング組織論への招待』(技術評論社)は、第6回ブクログ大賞・ビジネス書部門大賞、ITエンジニア本大賞2019・技術書部門大賞を受賞。
脚注
※1 アジャイル開発……開発・設計・要求の反復サイクルを繰り返しながら、ひとつずつ機能を追加し開発する手法。「製品開発」とも呼ばれる
※2 リーン開発……仮説をもとにプロダクトをつくり、ユーザーテストを通じてコンセプトを検証する手法。ユーザーのニーズに合わなければ、プロダクトの再構築を行なう。「顧客開発」とも呼ばれる。
_______________
この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。