サブカルチャーと冷笑
テキストユニット TVOD
『広告』文化特集号イベントレポート
現代における「冷笑」とは何か
小野:最初に、なぜ本日のテーマが「サブカルチャーと冷笑」となったのか。そこからお話しいただいてもいいですか。
コメカ:僕らは「サブカルチャーと社会・政治を並行して考える」ことを自分たちなりに続けてきたつもりなんですが、そのなかで冷笑みたいな問題がどうしてもつねに出てくるところがあるんですね。
パンス:TVODの活動は、2015年くらいに巻き起こっていた市民運動的なものの背景にあるカルチャーって何だろう、みたいなことをふたりで話すことから始まったんですけども、そこで「冷笑」がキーワードとして出てきた感じです。その頃から現在に至るまで「冷笑」って、真面目に運動的なものに携わっている人たちをバカにする、みたいな行動様式を指して使われていると思うんですね。そういう議論が展開するなかで、そもそもサブカルチャー自体にそういう冷笑的なものがあったんじゃないか、みたいなことを言う人が結構おりまして、わりとその歴史観が定着しているように見えるんですが、サブカルにうるさい我々としては、その辺を冷静に検証していく必要があるんじゃないかって考えてます。
コメカ:戦後日本サブカルチャー史のなかで、冷笑的な態度というものがどのような変遷を辿ってきているのか、それをどう解釈できるのか、みたいなことは、今回に限らずずっと考えていることではあります。
パンス:冷笑の定義みたいなところから話を始めたほうがいいのかなと思うんですけど要するに「シニシズム」の訳語ですよね。
コメカ:辞書的な意味では、「さげすみ笑うこと、あざ笑うこと」みたいな感じですかね。「冷笑を浮かべる」とか、「他人を冷笑する」というように使われるわけですけども。シニシズムという言葉自体は、ギリシア哲学のキュニコス派(犬儒学派)に由来しています。ものすごくざっくり言ってしまうと、社会的な規範や価値観、富や名声等を否定して、それらに捉われず自然のままに生きることから美徳を追求する……というような哲学学派であったと考えればよいかと思います。たとえばキュニコス派の哲学者だったディオゲネスは、野良犬のような生活を送ることでその時代の文明に徹底的に反発し、既成概念に捉われずに徳を追求しようとしたといわれています。
ただ、ではいま現在シニシスト的・冷笑的と言われるような論者で、なにがしかの価値観や美徳を徹底的に追求しているような人間が果たしてどこまでいるか、という問題があります。
パンス:そうそう。だから本来の意味だとね、ある種の美学的なものがあるんですね。でもいま言われているような「冷笑」は、もうちょっとお気楽なものというか、物事に対して斜に構えてちょっと馬鹿にするような態度を取るぐらいのカジュアルな使われ方になっているという感じですね。
コメカ:何かを追求するという命題が忘れられ、何かを否定するという部分だけが膨らんでいくと、昨今揶揄的に使われる「冷笑系」みたいな言葉のニュアンスと嚙み合ってくるのではないかなと。冷笑という言葉は、他人を嘲笑うような態度、というだけのニュアンスで持ち出されることが、いま現在は多いですね。
笠井潔さんと野間易通さんによる『3.11後の叛乱』という本のなかで、「1980年代以降、『マジ』や『ガチ』は長く冷笑されてきた。しかし、ポストモダニズムの懐疑論を引用して『消費社会の時代』に影響力を強め、『引きこもりの時代』を通じていたるところに瀰漫した冷笑主義(シニシズム)は過去のものと言わざるを得ない」と、笠井さんが書かれています。2016年段階で、笠井さんは冷笑という態度に対してこのような価値判断をされたわけですね。
パンス:笠井さん的には、要するにもう冷笑の時代じゃないぞっていうことを言いたいわけですよね。そうなんでしょうかね?
コメカ:もう冷笑の時代ではない、みたいな言い方・考え方は、2010年代においてそれなりに広く共有されたと思います。自分もそう思っていましたし、冷笑とは異なるやり方を実践したいといまも思っています。ただ、「1980年代以降、『マジ』や『ガチ』は長く冷笑されてきた」のだとして、個々人のそういう時代的な経験は消滅してしまうわけではもちろんなく、それも込みで各々の自己形成がなされている/いくわけですよね。ぼくも散々サブカルチャーに浸ってきたわけで、そういう冷笑的気分を纏った文化にも強く影響を受けています。
そして冷笑性みたいなもののなかにある本来的な……それこそディオゲネス的な……志向性、つまり既成概念のなかにある欺瞞を批判したり破壊したりする(ことをとおして美徳を追求する)ような志向性について、これまで自分が考えを深められていたかというと、まったく不十分だったなと。また、いま現在冷笑的態度を否定するような人々の多くが、そうしたかつての歴史=「1980年代以降」の歴史を一面的な形で斬ってしまっている部分も、正直大きいと思います。
そしてじゃあ戦後日本において欺瞞的とされるものっていったい何だったのか、ということになると、戦後民主主義というものがひとつ大きくあったと思うんですよ。いまではもはやこの言葉自体が忘れられてしまった節がありますが。
「マジ」や「ガチ」でありたいと思いつつ、一方で、サブカルチャーで育ってきた自分を切り捨ててなかったことにしちゃうのは、端的に嘘だよなと。今日のこの場では、戦後日本において冷笑的な文化・態度というものがどこから来て、どのように人々に受容され、どのようなタイミングで「時代に噛み合わない」とある種の人々から判断されたのか……みたいなところを、考えたり話したりしたいなと思っています。
「冷笑系」を生んだ日本のサブカルチャー
コメカ:僕らはふたりとも1984年生まれなんですけど、冷笑とかシニシズムみたいなものって、個人史のなかではどんな風に遭遇・受容しました?
パンス:シニカルなものと真面目なもの、どっちかにベットするかみたいな感覚が自分にはあんまりないんだよね。ただ学生時代の頃とか、友だちと音楽の話とかしていても、熱く語るよりも、もうちょっと斜に構えて何かを解釈するみたいなほうがなんとなくかっこいいとか、そういう雰囲気はすごく感じたけどね。でも実際にライブ行って生のものに触れたりすると普通に熱くなったり素直に感動しちゃったりするわけですよ。そういう経験をしていると、別にどっちがいいとか悪いとかじゃなくて、どっちにも転がれなくなるなみたいな状態になる。
小野:ちょっと口挟んでいいですか。僕も同世代で、大学のときハリーポッターとかミスチルとか流行ってたんです。そういうのを見たり読んだりしていることに対して、「あ〜……」みたいな空気感っていうのが、一部ではあって、僕は「あ〜……」って言いながら聞いてた感じなんだけど(笑)。そのときはクラブでノイズとか聞いてるような先輩たちが、ハリーポッターとかミスチル大好きみたいな人を揶揄するような雰囲気を出していた。
コメカ:僕らが大学生だった2000年代って、’80年代的な差異化……これはOK、これはNG、みたいな、文化的差異が細かく判定されていくようなプレッシャーというのはかなり弱まってきていたのではないかと。かつサブカルチャーもかなり歴史が蓄積されて、たとえばレアグルーヴ感覚であえてベタな歌謡曲やJ-POPを聴くだとか、メタレベルが何層にも折り重なって複雑化しはじめてたと思うんですね。インターネットが普及してきて、情報の流通のあり方も変わってきてましたし。これがダサい、と対象化して冷笑することが相対的に難しくなってきた時期というかね。
僕の場合は、ちょうどその頃に、’80年代のテクノポップとかニューウェーブロックがすごく好きだったんですよ。日本の’80年代ニューウェーブみたいな文化って、それこそシニカルというか、わかりやすく情熱的なことはやりたくない、やるべきではない、みたいな志向性があったと思うんですね。でも20年遅れぐらいの後追いでニューウェーブを好きになった自分は、そもそもそういう思想や美意識をあまりちゃんと理解できてなくて(笑)、単純に音とかビジュアルがヘンテコでおもしろい! ワクワクする! みたいな感覚だったんですよ。それで一生懸命その手のレコードを集めたりしていたから、シニカルな姿勢でつくられた音楽を情熱的に聴く、みたいな妙な構図になってしまって。学生時代にパンスにもそのことを突っ込まれた記憶があります(笑)。
パンス:大学時代にふたりでそういう話をしたよね。(※TVODのふたりは大学時代からの友人)
コメカ:すごく真っすぐに熱い気持ちでニューウェーブを聴いてるよね、みたいなことを、’80年代リアルタイム世代の先輩方に言われることも多くて。だから歴史を勉強していくうちに、自分のそういう後追い世代的なズレや誤解というのも、だんだん理解できていったんですけど。
やっぱり、2000年代ぐらいからこう、情報や文化体験の複雑化・多層化みたいなことは進行していったと思うんですよ。ただ同時に、たとえば2ちゃんねるに代表されるような、いわゆる「インターネットのノリ」みたいな文化圏も膨らんでいっていて、そこにはいわゆる「ネタ」化だったり茶化し・揶揄的な冷笑だったりが充満していたということもある。そういう時代状況を10代後半~20代前半に体感した年代からの視点であるということをあらためて言っておくと、我々の世代的リアリティというのもわかりやすくなるかなと思いました。
小野:シニカルにつくられたものを、シニカルに聞くっていうことのほうが当時は普通だったんですか?
コメカ:劇作家・演出家のケラリーノ・サンドロヴィッチさんが2000年代に受けたインタビューで、「80年代初頭はみんなシニカルっていうか、ちょっと真面目に何かやろうとすると、すぐ鼻で笑う感じがありましたね。当然、そうじゃない文化がマジョリティだったわけですけど、僕が活動していたマイノリティで閉鎖的なコミューンみたいな場所では、体育会系みたいな汗臭いものは徹底的にバカにされてましたから」(ばるぼら著、100%Project監修『ナイロン100パーセント 80年代渋谷発 ポップカルチャーの源流』所収)という発言をされていて。
ここでケラさんがおっしゃられているのは、青春ドラマとかニューミュージックみたいな’70年代っぽいヒューマンなノリっていうのは世間のマジョリティ感覚として持続してはいたけれども、当時のある種のサブカルチャー的な小さな文化圏においては、そういうヒューマニズムだったり体育会系ノリだったりを、クールに冷笑するような価値観・感覚が共有されていた……みたいなことかなと思います(そして同時に、そういうシニカルな場が、参加者たちにとって結果的に熱い青春の場になっていた、という側面もあると思います)。
もちろんサブカルチャー、ニューウェーブ、みたいな文化圏というのも多層的ではあったわけですから、そういうシニカルさとは違うものを志向する人々も当然いたわけですが(たとえばそれこそ、社会問題に正面から向き合おうとしたバンドもいました)。しかしケラさんがおっしゃられているような「体育会系みたいな汗臭いもの」を「鼻で笑う」感覚が、この時期の日本のニューウェーブ的あり方を象徴するものであるとはやはり言えると思います。
それはやっぱり、単に「ダサい」みたいな差異化判定だけじゃなくて、ヒューマンな世界観のなかにある欺瞞性への異議申し立て・反抗という面もあったと思うんですよ。で、そうなってくると、より大きな戦後日本のヒューマニズムの問題として、さっき持ち出した戦後民主主義みたいなテーマが出てくるわけですね。じゃあまあそもそも戦後民主主義って何なのか? という。
パンス:戦後民主主義ってのをひとことで定義するのは難しいんですが、そこをかなり大ざっぱに説明してしまうと……太平洋戦争以降、政治的にも文化的にもアメリカナイズされていったひとつの体制っていうものに対する、いろんな文化人や学者やが取った「距離感」みたいなものとして僕は捉えていますけどれども。自由主義、平和主義的なものに裏付けられた、それまでの帝国主義じゃない共同体っていうものをつくるにあたって、いろんな人が解釈していった一連の流れ、それ自体が「戦後民主主義」だと思います。明確なイズムがあるわけではない。
コメカ:そうですね。評論家の大塚英志さんが1994年刊行の『戦後民主主義の黄昏』という本で、「現在批判の対象となっている『戦後民主主義』とは明瞭な枠組や合理的な思考法からなる政治思想では当然ない。それはあくまでも戦後史の中で『大衆』たちに共有されるに至った感受性の一群であり、共通の心意をさしているはずだ」と、いまのパンスの説明に近いような言い方をしています。
パンス:「感受性」という解釈は、確かに納得です。
コメカ:たとえばスタジオジブリの作品のなかには、戦後民主主義的なそれこそ感受性が根差していると思うんですよ。戦後日本社会の基盤になったような感性や価値観……戦争の否定だとか、自由平等や民主主義を大切にしようだとかそういうレベルでの……の総体みたいなものが、戦後民主主義的なるものである、というような言い方でいいのではないかと思うんですけども。
そして同時に、ジブリ的なものとはまた異なるサブカルチャーの文脈、つまり戦後民主主義批判的な部分を強く持つサブカルチャーの文脈というのも、また脈々とあったのではないかと思うんですね。
パンス:戦後日本の文化や政治において、戦後民主主義的なものをアップデートするか、もしくはそれを批判して次のものをつくろうかみたいな問いが、保守/革新双方から出ていたってところがすごく重要で、僕は「日本のサブカルチャー」はそういった環境から出てきたものだと考えています。
1980年代:新左翼的な破壊性が流れ込む
コメカ:自民党の立党宣言にも「初期の占領政策の方向が、主としてわが国の弱体化に置かれていたため、憲法を始め教育制度その他の諸制度の改革に当り、不当に国家観念と愛国心を抑圧し、また国権を過度に分裂弱化させたものが少なくない」とあるように、保守派からの戦後民主主義批判というのは連綿と続いています。一方で、新左翼的なものからの戦後民主主義批判というのも、また別の文脈としてあるわけですよね。
笠井潔さんをまた引用しますが、外山恒一さんを聞き手に迎えた、すが秀実さんとの対談本『対論 1968』のなかで、当時、否定すべき戦後民主主義というのはどう捉えられていたのかという質問に対する答えとして「“まあまあ、話せばわかるよ”的な、敵対性を隠蔽し消去するような規範が大学社会から岩波・朝日的な進歩論壇にまで瀰漫していたわけです。そもそもは日教組的な戦後教育の理念かもしれないけど。当初はそういう不徹底性や欺瞞性を”戦後民主主義”と呼んで攻撃してたように思うけどね」と仰られています。
あとこれはまた別のところからの話なんですけど、苅部直さんの『丸山眞男 リベラリストの肖像』のなかで、丸山眞男の弟である丸山邦男が、「(丸山邦男は)大学紛争のころには新左翼と全共闘を支持し、東大教授(=兄の丸山眞男)の鼻もちならない『エリート意識、聖域意識』と、アジアに対する経済支配を批判しない『戦後民主主義』の欺瞞性とを攻撃した」と解説されています。丸山邦男はエリートとして生き戦後民主主義の旗手であった兄とは異なり、大学を中退して在野のジャーナリストとして生きた人です。
とくに全共闘的な感性のなかには、戦後民主主義のなかにある「不徹底性や欺瞞性」「鼻持ちならないエリート意識」をぶっ壊そうとするような、パンキッシュな破壊性みたいなものがあった。大づかみに捉えた場合、こういう破壊的な感性みたいなものが、その後の日本サブカルチャーの展開のなかにも強く流れ込んでいるのではないかと。そのプロセスのなかで、ある種のシニシズムのようなものが、いま現在の用法における「冷笑」感覚みたいなものにまで変化していく流れがあった、というような見方ができるんじゃないかと思うんですが、どうでしょう。
パンス:いわゆる大正デモクラシーの時代にあったような教養主義みたいなものは、戦後も長く権威的なものとして、東大の教授とかを頂点として存在していた。’60年代の大学闘争というのはそうした教授をつるし上げるっていうイベントだったわけですけれども、そこに参加していたような、もしくはカウンターカルチャーなどを含め周辺にいたような人たちが、破壊をしたあとに新しい「知の体系」をつくっていった。
加藤典洋さんの本で『敗者の想像力』という本でもそういった言及がされてます。具体的に名前も挙がっていて、たとえば松岡正剛さん、植草甚一さん、片岡義男さん、あとは山口昌男さん。彼らは学問の世界で非常に横断的な、それまでの西洋中心主義的ではない、東洋的なものであるとか、非常にジャンクなポップカルチャーみたいなものを取り入れた、新しい評論活動みたいなものを始めた。彼らの仕事はのちの日本のサブカルチャーに多大な影響を与えつつ、彼ら自身も主要なプレーヤーになるわけですね。
何が言いたいかというと、’60年代の破壊とそのあとのサブカルチャーの萌芽っていうのは地続きになっていて、その辺の人たちがいろんなメディアを始めて、そこから新しい文化が生まれた、というところが非常に重要なわけです。「サブカル」が政治の否定、政治の忌避として現れたという解釈を結構見かけるのですが、それは違うというのが僕の考えです。
そのなかで、今回のテーマ、「冷笑」がどういった形で作動していたのかっていうところも語らないといけないと思うんですけれども、実は’80年代の文献とかを読んでいると、冷笑っていう言葉はあんまり見かけない。なぜかというと、当時はレッテル張りとしての「冷笑」みたいなものは存在しない世界だったと思うんですね。ただし、その萌芽になりうるような表現はあるかもしれない。
評論家の呉智英が1981年に出した『インテリ大戦争』っていう本があります(と本を掲げる)。この本はサブカルチャー以降の知の体系の変化をよく示していると思っていて。非常にわかりやすいのが、まず表紙はギャグ漫画家の谷岡ヤスジが描いている。内容的には、当時のメディア上の権威になっている批評家たちを「インテリ」と名指ししてどんどん批判していくんですけれども、そこにユーモアがあるわけですね。非常に文章がうまくて、いまで言うとネットでおもしろい文章を書く人、くらいでもいいんですけど。
これをいま読み返すと、非常に冷笑的な感覚に近い。ただし、右派も左派も含めて権威的になってる存在を批判している。呉智英自身はもともと全共闘的なところにいた人で、評論家として活動を始めてからも、いわゆるメジャーな論壇誌みたいなメディアにはほとんど書かず、『ウィークエンドスーパー』『宝島』『ガロ』とか、そういうサブカルチャー的な雑誌のなかで活動をするっていうスタンスを貫いていた。あとマンガ評論家としても有名ですね。あまり語られないんですが、呉智英がいまの30〜50代くらいに影響を与えていた部分というのは結構大きいと思うんですよね。ネット上にいる年配のカルチャー好きみたいな人は、当時の『宝島』とか絶対チェックしていたはずだし。その辺の流れはもうちょっと可視化されるといいなと思ったりします。
コメカ:というのが、’80年代ぐらいまでの流れを無理矢理にウルトラ圧縮して眺めてみた景色になるかと思います。構図として、戦後民主主義という、日本国憲法を核とした平和主義的な価値観・感性が立ち上がり、しかしそれに対して自主憲法制定や愛国心を基盤とした主体の再形成を志向するような、保守側からの批判があった。そしてもう一方で、いまパンスが説明してくれたような、新左翼からの破壊的な戦後民主主義批判、そしてそういう破壊性以降の、新しい(サブカルチャー的な)知の体系の構築作業も生まれていった。
パンス:加藤典洋とかは、敗戦がなければそういった知の体系は生まれえなかったというような言い方をするわけですけどね。
コメカ:1984年に発売された川本三郎さんの『都市の感受性』という本で、「だから六八年学生叛乱は七〇年代に入って力をなくしたわけでは決してなく別の形で一般化していっただけの話なのである。その意味では七〇年代は完全に六〇年代の”子”であり、決して七〇年代は六〇年代と断絶しているわけではない。その証拠に六八年の学生叛乱のときに批判の対象となった『戦後民主主義的』なるものは七〇年代に入って出版界における(象徴としての)『世界』『中央公論』文化の沈滞によってその形骸化が進行中ではないか。かわって登場した『ぴあ』に代表されるサブカルチャアこそが学生叛乱時代の一般大衆の“子”なのではないか」と書かれています。
こういう、左側からの状況の変革や組み替えが、消費社会化される’80年代日本において結果的に実現されていく。そして繰り返しになっちゃいますけど、冷笑が云々、みたいな論点化はここまでさほど見かけないんですよ。
パンス:当時あったのは「冷笑」というより「相対主義」って言ったほうが近い。あらゆる権威的なものをなくし並列化させ、情報っていうものを順列組み合わせみたいなものでおもしろがっていくみたいな。
コメカ:はい。これが最初のほうで引用した、笠井潔さんの『ポストモダニズムの懐疑論』みたいな言い方にも繋がってくるわけですけど、ポストモダニズムとはなんぞや、というのをこれまたものすごーくざっくり言ってしまうと、近代的な前提や主体概念そのものを解体したり、再検討・再構成しようとする思想・志向……みたいな感じですかね。
パンス:ドゥルーズの「脱領土化」みたいな。根っこがいっぱいあって、中心点がないみたいな状態にしていく。
コメカ:それこそ、叛乱の時代としての「68年」の思想でもあるポストモダニズムが、日本では’80年代的な消費社会に「応用」されていく、みたいな流れがあったわけですね。「学生叛乱時代の一般大衆の“子”」たちとしてのサブカルチャー群にも、そういう性格があった。
1990年代:新保守的な論者の台頭とサブカルチャーの状況変化
コメカ:そして’90年代に入っていくとまたいろいろな変化があるわけですが、ひとつすごく素朴なレベルで、戦争との距離感という問題が出てきます。敗戦から50年ほどの時間が経ち、戦争経験者もだんだん亡くなられていき、それこそ戦後民主主義的な、とにかく戦争はダメだ、というようなコンセンサスがいよいよ磨耗してくる。一方でバブル経済が崩壊し、だんだんと景気が悪化して、さっき話したような新しい知の体系の展開……ニューアカデミズム的な文化圏だとか、好景気に支えられていた浮遊感覚みたいなものだとか、そういう’80年代的な状況が縮小していきます。
パンス:最近はなかなか言及されないけど、大きな変化として、’90年代は新保守的な論調が新しいものとして解釈されたっていう部分はあるんじゃないですかね。
コメカ:新保守的な論者、を簡単に説明するとどうなりますかね。
パンス:日本の保守論壇というのは、’70年代ぐらいから徐々に勢いを増していくわけですけど、’90年代にはもうちょっと若い世代から、その意思を継ぐような人たちが出てきたわけですね。たとえば佐藤誠三郎という人は保守の大家で、大平正芳から中曽根康弘にかけて首相のブレーン的な存在だったんですが、その息子で佐藤健志という評論家がいた。彼なんかが若手として、それまで何度も繰り返されてきた戦後民主主義批判というものを、結構ダイレクトな形でやるようになる。
そういった流れのなかでもっともポピュラーだったのは漫画家の小林よしのりです。いまではすっかり「リベラル」からは批判される存在ですが、彼が『ゴーマニズム宣言』で社会問題について書くという試みをはじめた当初は、むしろいまでいうリベラル的な論者として受け入れられていたんです。彼は1995年ぐらいに薬害エイズの問題で市民運動的なものに直接コミットするようになるんですけれども、いろいろと経緯があり、そういう運動とは決別するという事件が起こります。その後、急激に右方向に旋回するわけですね。そこで『戦争論』という本が出て、当時としてはかなり過激なアプローチをわかりやすく展開したらすごく売れちゃって、そういったものがネット上にも広がり、のちのネトウヨと呼ばれるようなものが生み出されるみたいな流れがあった。
コメカ:そうですね。僕はいわゆる人間の主体形成の問題みたいなものに強く関心があるんですが、右翼的であるということは、そういう問題に対して回答を出しやすい部分があると思うんです。自分の存在や、発する言葉の帰属先は国家である、愛国心である、みたいな言い方は、すごく簡単に主体の根拠みたいなものを明示することができてしまう。国家なり愛国心なりというもののなかにある矛盾や困難も無視して、とにかく国家がなければ自分はない、というような単純な物言いに自分を委ねることだって、やろうと思えばできてしまう。
ただ、新左翼からサブカルチャーへ、というような流れのなかでは、自分自身の主体のあり方について考えることは、なかなか難しいところがあったんじゃないかと思うんです。たとえば浅田彰さんの『逃走論』のような、「逃げろや逃げろ、どこまでも」「逃走を続けながら機敏に遊撃をくりかえす」といった、それこそナショナリズムや家父長制に依存するような鈍重な主体性を批判し、そこから「逃走」しつつ「闘争」するようなあり方の提示もありました。しかしこういうポストモダニズム的な戦略は、先述したような右派的な主体性よりも、理解・実践することの難易度が単純に高いと思います。あらゆるものから「逃走し続ける」ことより、「愛する我が国家があるからこそ、自分がある」ととりあえず構えてしまうことの方が簡単ですから。
しかし’80年代というのは、ポストモダニズム的な気分……消費社会を消費者として謳歌できる自由を楽しもう、というような気分が、とりあえずは広く共有された時代だったはずです。先ほど川本三郎さんの「だから六八年学生叛乱は七〇年代に入って力をなくしたわけでは決してなく別の形で一般化していっただけの話なのである」という言葉を引きましたが、たとえば糸井重里さんのような人は、「自己否定を拒否する」という戦略(抑圧的かつ暴力的な主体化要請そのものを拒否する)をとおして、「学生叛乱」的な破壊性・ラジカリズムを自滅的・他者糾弾的ではない形で応用し、記号消費社会における横並び=相対主義的な「革命」を推進したプレイヤーだったと思います。
しかしこうした気分・状況は、バブル経済が崩壊し、社会不安を煽るようなニュースが報道され続けた’90年代以降の時代のなかで、どんどん不安定になっていったのではないでしょうか。そうすると、ポストモダニズム的な浮遊感覚や記号的戯れよりも、自意識についてのメランコリックな煩悶の方が広く前景化してきてしまったのではないかというのが、自分の見方です。岡崎京子さんの’80年代後半作品から’90年代前半作品への変化のあり方を、そうした流れを象徴するようなものとして自分は見ています。また’90年代には「自分探し」とか「トラウマ」とか、人間理解のために用いられるような諸々のモチーフがかなり浅薄な形で流行したりもしました。
言ってしまえば、’80年代のポストモダニズム的な気分のなかでは、主体性みたいな鈍重な問題についてウダウダ考えることより、浮遊感覚のなかで消費社会的な自由を謳歌することの方が人々にとってとりわけ魅力的に映ったのではないか。しかし’90年代以降の状況のなかでそうした気分や自由は徐々に縮小していき、自意識の不安……それこそ、自らの実存の意味や主体のあり方についての葛藤が、再び身近な問題になっていったのではないか。そしてそこでは戦後民主主義的な世界観はすでに、そうした問題に対応しうる力を相当に失ってしまっていたのではないでしょうか。
漫画家・小林よしのりのようなサブカルチャー側からの右傾化というのも、そうした状況に対するカウンターパンチとして、つまりメランコリックな自意識に捉われない強い主体獲得の模索として効果があったのではないか。そして左側からのサブカルチャーみたいなものは、消費社会的な浮遊感覚の衰退に対するなんらかの対応策をうまく打てなかったのではないか、と思ったりするんです。メランコリーに沈み込んでいったり(フィッシュマンズの当時の楽曲に、僕はそういう感覚を感じます)、自意識を冷笑で防衛したり(初期の電気グルーヴは、そういう側面を強く持っていました)、あまり有効な対応が見い出せなかったというか。
パンス:自意識の問題になってしまったから、左側からのサブカルチャーというものは敗北したみたいな認識でいるという感じですかね。
コメカ:敗北と言っていいのかはわからないですが、たとえば現在ネット上でもよく見かける冷笑的振る舞いというのは、いま話したような自意識の防衛・温存が目的化している部分が大きいと思うんです。拠り所が自分の自意識しかない、というような。また最初に話したように、冷笑的であるというのは、追求すべき美徳や理念があればひとつの批判精神として機能するわけですが、その動機が自分の自意識を守るためということだけになってしまうと、とにかく「はい論破」と自動機械のように繰り返し口にし続けるような頽落に陥りやすいんじゃないかと思うんです。
もちろん、そもそも主体云々という問題設定自体がおかしい、詐欺的である、という言い方はあるでしょうけども。ただ、右翼のように国家を根拠に選ばないのならそれはそれで、自分の主体性の在り処みたいなものを何がしか模索しなければ、冷笑の無限反復や防衛的自意識から逃れられなくなる気がどうしてもします。
パンス:主体というのは、何かに所属していることから生まれるってこと?
コメカ:所属というよりは立脚のあり方というか、社会や世界に対する自分のかかわり方、みたいなことだと考えています。自分の言葉や行動がどんな事情や歴史に立脚していて、そして自分のその言葉や行動が他者に作用することを、どう考えるのか。それを考えた結果として、自分は一切何にも立脚しない、それこそ「逃走」を無限に反復するんだ、みたいな立場の主張があったっていいと思うんです。ただ、そういう立場や立脚点の問題そのものを考える必要自体はやはりあるだろうと。そういう志向が自他に対する暴力的・抑圧的な主体化要請に転化する危険は、もちろんつねにあるわけですが……。
2000年代:戦後民主主義がさらに衰退。ネットで “冷笑的”なものが盛り上がる
コメカ:2000年代以降について考えていきたいと思うんですが、この時期はそれこそ「ネトウヨ」という言葉が登場したりして、右傾化の傾向がさらに目立つ時期だった側面があります。戦後民主主義的なものはいよいよ衰退していったというか。
パンス:「九条の会」という、第9条を含む日本国憲法の改正阻止を目的として結成された団体がありまして。そういう動きが起こるくらい戦後民主主義的なものが危機的な状況といわれるようになっていた。なぜネット上で右派的なものが大きくなって、それまであった市民運動的なものはどんどん弱体化していったのかってことについてはよく考えますね。
コメカ:たとえば同時代のサブカルチャーでは、鳥肌実さんや椎名林檎さんのように、ある種の右翼的なビジュアルやイメージをサンプリングするような表現が人気を集めるようになったりもしました。
’80年代に戸川純さんがやっていたゲルニカというグループでは、大正ロマン・モダニズムを引用したような、戦前日本的なビジュアルイメージを展開していました。ただこれって、当時の状況においては、いわゆる戦後的なヒューマニズム、それこそ戦後民主主義的な世界観に対する「あえて」のカウンター意識というのがあったと思うんです。
ただ2000年代のたとえば鳥肌実のビジュアルイメージがアイロニーとして機能していたかというと、かなり危ういところがある。もちろんナンセンスな冗談として受け止めて笑っていた人もたくさんいたんだけれども、たとえば僕も当時鳥肌や椎名林檎がつくっていたイメージが好きだったんですけども、自分含め周囲でそういうものが好きな同世代というのは、みんなアイロニカルなものとしてそれらを見てはいなかったですからね。単純にカッコいいな! という気持ちで見ていたと思う。
それは最初のほうで話したように、自分がシニカルなニューウェーブロックを情熱的に聴いていたみたいなこととほとんど同じ話で、つまり戦後民主主義的なものに対するカウンターパンチみたいなアイロニー性というのは、2000年代にはもうあまり理解されなくなっていたんじゃないかと思うんですね。戦後民主主義が衰弱し過ぎていたというか。そういう時代状況があったように感じます。
パンス:いまの話を聞いていると、なんか右傾化っていうことに重きを置きすぎているような感じがするんですけれども。そもそも右傾化したようなアイコンを出すとなんで駄目なんだ、どこまでが駄目なんだみたいな、そういう細かい検証みたいなことを、これからはするタイミングなんじゃないかなと最近思いますけどね。
たとえばゲルニカに関しては、あのリファレンスは戦間期モダニズムで、実際の軍国主義とは開きがあると僕は思ってます。まあ「大政翼賛会とモダニズム」みたいな解釈をしてもいいのかもしれないけど、素朴に戦前を軍国主義一辺倒に見てしまうのはおおいに問題があると思ってまして、単純に「戦前」って時間が長すぎる。ちょうど現時点で、「明治から太平洋戦争敗戦」は「戦後」と同じくらいなんです。右傾化アイコンみたいな話題はたまに炎上するけど、何が問題で何が問題でないかっていうところをもうちょっと細かく考えるタイミングじゃないかなと。まあこれも「戦後民主主義批判」っぽい言い方なんですけど。基本的に僕はそういう立場です。
コメカ:この当時匿名掲示板・2ちゃんねるの管理人として有名になったひろゆきという人は、いまではポップスターみたいな存在になっていますが、匿名掲示板というのも、結局投稿者たちの主体のあり様がそこでは可視化されないわけですよね、匿名だから。あたりまえだけど。北田暁大さんは『嗤う日本の「ナショナリズム」』で、いわゆる「つながりの社会性」、それ自体が自己目的化したコミュニケーションが展開される場として2ちゃんねるを対象化しました。
2ちゃんねる的な冷笑性、皮肉・揶揄の感覚というのはそれこそひろゆきのスター化も含めいま現在にまで尾を引いているところがありますが、これは結局何か強い意志や目的を持った冷笑的振る舞いがあったというより、単にそういう振る舞いや物事の「ネタ」化の作法(=アイロニカルな視線)が、互いに繋がり合っているための方法になっていた、というのが、『嗤う日本のナショナリズム』で提示されていた見方かと思います。。2ちゃんねる的なコミュニケーションにおいては、たとえばナショナリズムというロマンですら、こうした繋がりとそれによって維持される実存のために下属される「ネタ」として利用されていた、と。
2010年代:戦後民主主義のリバイバルと冷笑的態度への批判
コメカ:ただ、2ちゃんねるで冷笑的なことを言い合って、匿名同士でワイワイみんなで繋がり合っていられるうちはまあそれもよかったのかもしれないけれど、2010年代以降は、ツイッターをはじめとしたSNS環境がどんどん前景化し、コミュニケーションのあり方が変化してきます。発言主体の問題としても、SNSではたとえ捨てアカであっても、誰もがとりあえずアカウントは取得しなければいけない。とりあえずひとまずは全員コテハンを強制されるようなものというか。一般層にもSNSが広く普及していくことで、実社会との距離感も変化してきます。そういう風に状況は変わってるんだけど、それでもかつての匿名掲示板的な、冷笑的なコミュニケーション作法に強く依存しているような層というのが、いまだ結構分厚くあると思うんですよ。悪意をすごく強く持ってそこに依存しているというよりは、そういう冷笑や「ネタ」化をとおした繋がり方しか知らないというか。
パンス:そうそう。自分たちの畑を荒らすな的な感覚なんじゃないかなって最近よく思いますね。それ以外に引き出しがないっていうか。
コメカ:これも結局、自意識の温存のための戦略ばかりが延々と続いている構図だなあと思ったりするんです。ただ同時に、2015年の安保法制に対する反対運動のなかで、SEALDsの活動がひとつ象徴的な効果を生み、その後のある種の文化的・政治的な流れをつくり出したところがあります。この流れのなかで、冷笑性やアイロニーみたいなものを強く批判する文脈が再び生まれてきます。
「2015年的なもの」がもしあったのだとしたら、それは戦後民主主義的なもののリバイバルだったのではないかと。SEALDsが主催していたデモや集会には、安保法案反対というシングルイシューで様々な立場の人が参加していましたが、極左は排除されていました。暴力革命を肯定せず、あくまで市民的・国民的・国家的・議会制民主主義的な範疇において行動・意志表明するという、戦後民主主義的な枠組みがそこにはあったと思います。
つまり新左翼からサブカルチャーに受け継がれていったような感性というのも、そこでは排除されていったのではないか。2015年以降に共有されていったある種のリベラルな感性というのは、このように戦後民主主義のリバイバルのような側面を強く持っていたのではないか。それはかつてそうだったように、別の立場からすれば、欺瞞的な共同幻想でしかないと言われうるものだとも思うんです。
僕自身は当時SEALDsの活動を強く支持していましたし、SEALDs主催のデモにも足を運んでいました。その活動が残したものはとても大きなものであると、いまでも思っています。そもそも僕自身、戦後民主主義的なもの・歴史に、自分の主体形成を強く依存してきました。欺瞞も含めて成立していた日本の「戦後」がなければ自分はいま現在ここでこうして生活したり言葉を発したりすることもなかった以上、そこに立脚した言葉を今後も模索するしかないだろうというのが、自分の立場です。
ただ、新左翼からサブカルチャーに流れていったような破壊的な感性というのも同時に自分の血肉にはなっていて、しかしそれを徹底して実践するような生き方は僕はできていない。このことを不徹底・欺瞞として冷笑されるのだとしたら、それ自体はある意味正当性はあると思うんです。冷笑なんてダメだ、「マジ」や「ガチ」でいかないとダメなんだ、と思いつつ、しかし人間それぞれに主体のあり方の実相というものがあり、使う言葉自体がなんらかの限界のなかにあり、自分自身もそのことからもちろん例外ではないということを考えていかないと、冷笑的なものには本当の意味では対抗できないんじゃないかと思うんですね。冷笑するにしろ「ガチ」でいくにしろ、それを実行する自分自身の主体のあり方が問われる。逆に言えば、冷笑とそれをとおした美徳の追及を徹底的に貫き切ることができる奴がいたら、それはそれこそ皮肉抜きに「すごいな」と思う。
パンス:そう、そのときにあるものに対して文句を言うってのは非常に簡単で、その背景には何があるのかっていう。冷笑っていう態度を取るか、文句を言うかっていうところでは大した違いがないけど、自分は何をつくっていくのかみたいなことを考えると、それはもうちょっとリスクの伴うものになるわけですよね。
コメカ:そして難しいなと思うのは、たとえば目の前で誰かが殴られたら、やめろよってすぐに反応して暴力を止めることが必要。ただ同時に、即反応してストップをかけるようなこととは別の位相、主体や美徳のあり方みたいな問題を時間をかけて考えていかないといけないような位相もある。とにかく文句を言い続ける必要があるような位相と、引き受けて構築的に考えていかなければいけないような位相とが、ネット等ではごちゃ混ぜにされやすい気がするんです。
パンス:それは場所がバーチャルかどうかって話じゃないですか。現場でよくないことが起こったら止めるか止めないかっていうのとはちょっと別の話っていうか。僕は基本的にネットで起こっていることは、非常に擬似政治的であると思ってます。バーチャルな空間でテキストでやり取りしているだけのものであって、結局観念的なところに終始しちゃってるんです。実現可能性みたいなものも顧みられないし。
いろんなリベラルアカウントみたいなものがありますけれども、そういったもののなかで、資本主義をぶっ壊すみたいなことを言っている人もいるじゃないですか。普段はすごく社会民主主義的な主張をしてるんだけど、急に何か飛躍してそういったものを全否定するみたいな。そういうのを見ていると、観念的であるゆえの問題というか、思想がないって思っちゃうんですよね。要するにテキストだからなんでも言えちゃうし、流れていっちゃうから適当なことが言えちゃう。最近よく「思想が強い」って揶揄を見かけますが、むしろ「思想が強い」っぽい人に「思想がない」ほうが問題です。
冷笑はやたら批判されるけど、実を言うと、「思想がない」人が「思想が強い」ように振る舞っているのもまた、シニシズムなんじゃないかなって思うわけです。簡単に言えちゃって、なんとなく怒ってるけど、ちょっとしたら忘れちゃう。刹那的で、何か次のものが来たら、ワーッて言うみたいな。冷笑という形式はとっていないけれども、そういったものは結局、現状に対して何も影響を及ぼしていないという点において、非常に近いんじゃないかなと思っていて。だから、冷笑系だけの問題じゃないって僕は思うわけですね。そういった時空間が続くのはいったい何なんだろうみたいなことを顧みずに、ただただ続けていくだけなのは、非常にシニカルな感じ。
主体性を伴った「冷笑」はありうるか
コメカ:僕の言葉で言うと、自分なりの主体性をつくるというのが大事なのかなと。
パンス:そういう定義なら理解できます。僕だと自分の思想を持つっていう風に言ってしまうけれども。生活とか労働とかすべて含めたうえで自分というものを確立するみたいなことっていう認識でいいですかね?
コメカ:そうですね。現状追認主義に負けるな、というような意志、理想・理念を追い求めて努力し続けるような意志というのは絶対に必要で、冷笑やアイロニーが全面化せざるをえない時代においても、やっぱりそれを諦めてはいけないんじゃないかと思います。ただ、そういう理念を「ネタ」のようにただ繰り返し消費するだけになっていくと、それがだんだん頽落していくんだと思うんです。そこでは情熱的な物言いそのものが、コミュニケーションの「ネタ」として弄ばれるようにもなりうる。
パンス:あと、冷笑的なものを批判するリベラルな人も結構冷笑してるじゃん、みたいなパターンもあるとよく思ってて。ツイッターなんかでよく見られますが、たとえば、少し前に、ビートルズのメンバーにエルトン・ジョンがいるって書いた人のことをすごい馬鹿にするみたいな出来事があって、それ見ててすごい嫌だったんですよ。勘違いをした人をすごい揶揄して盛り上がってる音楽好きリベラル派みたいな人たちがいっぱいいて。それって、人を揶揄して、それを仲間にシェアして楽しむっていう、人をからかってるだけですからね。まあ実際おもしろいし、からかいたい気持ちもわかるんだけど、普段冷笑批判してるんだったらそこはグッと堪えなさいよと思うんですけど、なんかやっちゃうんですよね。そういう全体的な傾向が嫌。
コメカ:きちんと批判をする・されるような、議論をちゃんと成立させるような構図自体はとても大切であるわけですよね。冷笑的な物言いを「ネタ」にして繋がりあうようなコミュニケーションから脱するために、やっぱり試行錯誤し続けるしかないんじゃないでしょうか。日本社会では形式主義的なコミュニケーションしか起こりえない、とは考えたくない気持ちがあります。
パンス:もうちょっと付け加えると、冷笑をやるんだったら、気合を入れてやろうという風に思います(笑)。それこそ、シニシズムってのは犬儒主義で、すべてのやつらに見放されても、そういう主義を貫けるんだったらやってもいいけど、いまその主流になっているのは、むしろ多数派におもねって、そのなかで盛り上がることでしかないっていうところだから。
コメカ:「ネタ」としての冷笑とか、「ネタ」としてのマジとかガチにならないようにしなきゃいけないというか。本当に気合を入れなきゃいけないというか。
パンス:そういうのはね、最近よく思います。結構気合とかが重要なんじゃないかみたいな(笑)。
小野:おふたりのお話をもっと聞きたいのですが、時間がきてしまいました。今日は冷笑ということを結論づけるっていうよりは、コメカさんパンスさんに冷笑の歴史的な経緯をたどっていただいたうえで、それがどこに向かうのか、それが何なのかっていうところを掘り下げていただきたいという動機があったので、それのスタート地点になったかなと思いました。ありがとうございました。
文:飯田 菜々子
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今回のトークイベントにご登壇いただいたTVODのコメカさん、パンスさんには、雑誌『広告』文化特集号でもご協力いただきました。現在、おふたりに寄稿いただいた記事を全文公開しています。