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139 過渡期にあるプラスチックと生活 ~ なぜ、紙ストローは嫌われるのか?

ゼロカーボン実現に向けた石油社会からの脱却、そして微細化したプラスチックによる海洋汚染問題。20世紀以降、私たちの暮らしを便利で華やかに彩ってきたプラスチックとのつき合い方が、急速に変化を求められている。カフェのテーブルでツイッターの画面を見ながら考えたこと。


ストローへの「愛と憎しみ」

執筆のきっかけは、ストローをめぐる一連のツイートだった。2020年1月。環境への配慮から、スターバックスコーヒー ジャパンが自社商品につけるプラスチック製ストローの廃止を発表、全店で紙製ストローへ切り替えていった。

同様の動きは外食産業を中心に国内で広まっていく。たとえば、日本マクドナルドもストローを紙製に切り換えたのに加え、ナイフやフォークといったプラスチック製カトラリーを木製に変更している。

スターバックスの紙製ストロー(左)と注文時にリクエストすればもらえるプラスチック製ストロー(右、カネカの生分解性バイオポリマーGreen Planetを採用)。筆者自身は紙素材にそこまでの違和感を抱かず、むしろホイップ類の口当たりと相性がよいと感じる。一方、新たなプラ素材は「慣れ親しんだ飲み心地」に近いが、以前のプラスチックと比べ、唇にやや「サラッとした感触」がある 画像:筆者撮影

ところが、こうした「紙ストロー」への評判がすこぶる悪い。この反響は無料だったレジ袋が、国内で原則有料化(2020年7月)されたときを上回る印象。有料のものより、無料のものへの反発が大きいとは。少しツイート検索しただけでも、残念がるツイートが多く出てくる。まとめると、こういったイメージだ。

「なんだか、ドリンクがまずく感じる」
「口当たりも悪いし、トイレットペーパーの芯を連想……」
「時間が経つと、だんだん湿ってきてブヨブヨになる」
「こんなにわずかなプラスチックを削減して意味あるの?」
「カップや蓋のほうが、よほど多くのプラスチックを使ってるのに!」

これらの意見を俯瞰すると、大きく2種類の不満があることに気づいた。まずは、これまで楽しんできた「食の体験」が損なわれたという声。「環境によければまずくてもよいのか!」と純粋な味覚にもとづいたクレームの場合もあれば、店でゆっくり過ごす時間を奪われたという意識も見え隠れする(ふやけやすい紙ストローの提供が「長居するな」というメッセージに感じるという極端な意見も)。ただし「曲がるプラスチックストロー」を提供していた店は、今後も障がいのある顧客に配慮してほしいとの指摘は、見過ごされるべきでないだろう。

2番目は、そもそも「環境問題への効果を疑問視」する声だ。ストローの素材を切り替えるという企業姿勢が単なるポーズ、いわゆる「グリーンウォッシング」であり、既存の経済システムの維持に加担しながらやり過ごす方策ではないか? という疑いの眼差しである。

しかし、プラスチックがもたらす体験が失われることに、なぜここまで抵抗感があるのか? そもそも、プラスチック製ストローの廃止は、環境にとって本当に効果がないのか?

夢の人工素材をめぐる半世紀

プラスチックはいつ私たちの暮らしに入ってきたのだろう。歴史をたどると、プラスチックの祖先にあたるのは1856年に生まれたセルロイド。化学合成したニトロセルロース(硝化綿)とクスノキから採れる樟脳(しょうのう)を合成した半人工樹脂であり、当時のビリヤード球に用いられていた象牙に代わる固形樹脂として1869年に実用化された。

その後、眼鏡フレームや万年筆、映画フィルムなど、様々な工芸品や日用品に使われていくが、非常に燃えやすいという欠点があり、数々の火災事故も引き起こした。

創業昭和33年。筆者も愛用する「金子眼鏡」のセルロイドフレーム。より安全性の高いアセテート樹脂が開発されたが、セルロイドには独特な艶や高級感があり、現代でも人気だ。タイマイ(ウミガメ)の甲羅を加工する「べっ甲」などとは異なり、半人工素材として生まれた、現代風に言えばバイオプラスチックである 画像:「金子眼鏡」ウェブサイトより

1907年にはベークライト(フェノール樹脂)が誕生。これは人類が初めて自らの手で生み出した人工合成素材だった。日本プラスチック工業連盟では、この年を「プラスチック生誕の年」と定めている。

1920年にドイツの化学者、シュタウディンガーが、分子量が1万以上ある高分子の化合物=重合体(ポリマー)は人工的に生み出せるとする学説を発表。偶然の連続も手伝い、ポリエステル、ポリ塩化ビニル、ポリスチレン、ナイロン、ポリウレタン、ビニロン(国産第一号の合成繊維)など、次々とプラスチックの仲間が開発されていく。

第二次世界大戦では軍需品の多くに採用されたため、いったん民間での使用は制限。米軍ではFRP(繊維強化プラスチック)によって航空機に搭載できる軽量なレーダーが開発され、戦況を大きく左右したと言われる。

戦後になると、これら夢の新素材によってこれまでの暮らしが一変していく。生活にプラスチックが入ってきたのは、このあたりからだ。大量製造に向く「押出成形」や「射出成形」の扱いやすさ、かつてない流線型のデザインをもたらす加工の自由度、部品単位での取り換えが可能という手軽さ。そして、なんといっても安価なこと。戦後に花開いたプロダクトデザイン業界は、プラスチックに熱狂していく。

戦後のプロダクトの例。上から1950年に登場したハーマンミラーの「イームズシェルチェア」(デザイン:レイ&チャールズ・イームズ。写真は現行品で産業廃棄物由来の100%リサイクルプラスチックを使用)、ブラウンのオーディオセット「SK5」(デザイン:ディーター・ラムス、1958年)、シトロエンのABS樹脂製オフロードカー「メアリ」(デザイン:ロラン・ド・ラ・ポップ、1968年) 画像:(上)ハーマンミラージャパン写真提供、(中)アイ・ネクストジーイー、(下)Stellantis ジャパン

団塊世代とジュニア世代の憧憬

かつての日本では、プラスチック製バケツが「嫁入り道具」のひとつに数えられるほど珍重された時代があった。高度経済成長期にかけ、そうしたプラスチック製商品が一気に身近な存在となっていく。娯楽の世界で言えば「フラフープ」(1958年)に「ダッコちゃん」(1960年)。国民的ブームとなった遊具や玩具がプラスチック製だった。

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