2 価値のものさし
人は、複数の「ものさし」で価値を測っている。様々なものさしを組み合わせ、使い分け、価値を判じている。当然、人によって持ち合わせている「ものさし」は違う。それが価値観の相違を生む。
世の中には膨大な種類の「価値のものさし」が存在している。文化や社会環境によっても異なる。そして、時代によって「ものさし」自体が変化したりする。
価値とは何かを問うのであれば、一度、どんな「価値のものさし」が存在し、それらがどう変化しているかを観察してみるのがいいかもしれない。価値、と聞くと普遍的なもののように聞こえるが、実際は不安定で流動的なものだ。なぜなら、それを測る「ものさし」が、私たちのなかでも社会のなかでも、絶えず変化しているからだ。
価値のものさしの全体像
「価値のものさし」とその変化をとらえるために、本稿では、それらを4つの種類に整理する。
まず、個の人間の“内”にあるものさしが2種類。ひとつは、私たちが身体感覚(五感)を通じて測るものさしだ。これを【体感指標】と呼ぶことにする。洋服選びでたとえるなら、こっちのほうが「暖かい」「肌触りがいい」といったことだ。
もうひとつは、私たちの頭のなかに存在する観念的なものさし。これは【情感指標】と呼ぶことにする。たとえば、「かわいい」とか「かっこいい」というものさし。実体がなく、概念であり、感情が伴うため人によって大きく尺度が異なる。
個の人間の“外”にあるものさしもある。ひとつは【スペック指標】。製品やサービスそのものに宿る指標だ。洋服であれば、「コットン100%でできている」といったことが該当する。これは製品に備わっている“ファクト”であり、多くはその製品の機能や性質を担保するものだ。
最後は【社会指標】。これは、世の中や市場におけるものさしだ。「高級ブランドの」「SNSで評判の」「あの有名人も着ている」など、非常に多様なものさしが存在している。
なお、「価格」は、需給バランスや市場によって決定づけられるものとして、本項では【社会指標】に分類した。人の価値判断に大きな影響を与える価格だが、絶対的なものではない。同じ価格であっても、人によって、あるいは状況によって、高い安いなどの感じ方は異なる。価格も、あくまで価値を測るものさしのひとつでしかない。
以上4つは、上図のように整理できる。横列は、「自分の外と内」。ものさしがひとりの人間の“外”にあるか“内”にあるかの違い。縦列は、「物理的・実在的」と「概念的・観念的」。それが物理的に測りうるものさしか、人(人々)の観念によって測られるかの違いだ。
ここからは、それぞれのものさしの実態と、起こりつつある変化を見ていきたい。
スペック指標:競争が激化し価値はオーバーフロー状態に
【スペック指標】は、つくり手によって意図的に与えられた、もの自体に宿るものさしだ。
商品には、様々な機能や性質が付加されている。そしてそれらは、改良されたり新しい商品が出たりするたびに、どんどん足されていく傾向にある。商品の競争・差別化の結果として、ものが持つ情報量は膨大になっている。
かつて、われわれがひとつの商品やサービスを評価する指標はそれほど複雑ではなかった。いまは多くの選択肢が存在し、多様なニーズに対応している。その一方で、あまりにも情報が増えすぎたせいで、生活者がもの選びをすることにストレスを感じ、「選び疲れ」してしまうという現象も起きている。
このような価値のオーバーフロー状態が、現在の私たちの消費行動にも影響を及ぼし始めている。レコメンドされた商品を選ぶ、サブスクリプションコマースで定期的に同じものを買い続けるといった、もの選びの判断を他者に委ねるサービスが人気を集めているのは、「選び疲れ現象」の現れなのかもしれない。
一方、スペック競争を繰り返しているなかで、突如としてまったく新しいものさしが出現し、そのカテゴリーの競争軸がガラリと変わることもある。たとえば、ロボット掃除機ルンバの登場で、これまでとはまったく別の競争軸としてロボット掃除機のマーケットができたというような現象がそれにあたる。
しかし、それらもまた、時間の経過とともにスペック競争に突入し、価値のオーバーフローを起こしていくようになる。
社会指標:民意の評価が勢いを増し、ものさし形成が高速化
【社会指標】は実に多様だ。そして時代とともに大きく変容する。情報・メディア環境、新しいテクノロジーによって、変化の速度はどんどん増している。
顕著に見られる変化のひとつは、ものさし形成の「オープン化」だ。かつてのように、情報の多くがマスメディアを通じてもたらされていた時代であれば、ミシュランガイドのような一部の人間で決める「権威による評価」が数少ない共通のものさし足りえた。いまはそれに加えて食べログのような「民意による評価」が新しいものさしとして加わっている。
情報環境が変わり誰もが発信できるようになったことによって、“みんなの意見”が可視化されるようになった。それが、あまりにも鮮明な「ものさし」であるがゆえに、その影響力は増すばかりである。
もうひとつは「アクチュアル&リアルタイム化」、つまり実数的で、評価の更新がリアルタイムに近づいていく変化だ。
たとえば、テレビの視聴率に対するYouTubeの再生数を考えるとわかりやすい。統計的に算出されるものではなく、実数がリアルタイムに増えていくようなものさし。そのコンテンツに対する評価が、目の前でぐんぐん伸びていく、そして自分自身もその評価者のひとりであることが実感できる、そんな体験はかつてはなかったものだ。「バズる」という現象は、この「価値の増加を目の当たりにできる」という新しい体験だ。このようにテクノロジーに支えられた新しいものさしが「価値の変化」を高速化している。
【社会指標】は大きく変化している。しかも、その変化の速度は上がっている。これからますます、価値のあり方に対して大きな影響を及ぼしていくだろう。
体感指標:身体の進化、環境の変化に応じてゆるやかに遷移
【体感指標】は身体感覚(五感)を通じて評価されるものさしだ。暑い季節であれば、冷たい飲みものに価値が出る。人種によって「うまみ」の感じ方が異なるから、味に関する好みも食文化も変わってくる。【体感指標】は、身体の特性や、環境から影響を受けるものさしである。
人が人である限り、【体感指標】は、その種類が大きく増えたりはしないだろう。かといって不変のものではなく、ひとりの人間のなかでは徐々に変化していく。成長の過程で、身体的な変化は起きる。また、環境により変わってしまうこともあるだろう。あるいは体験や経験の積み重ねによっても変化する。大人になれば、ビールの苦味をおいしさとして理解するように。
ただ、ものさしの種類自体がいきなり増えたり、その優劣が入れ替わったりすることはなさそうだ。だからこそ、もし【体感指標】が劇的に変化する可能性があるとしたら、と考えてみるのもおもしろいかもしれない。将来的に、多くの人がサイボーグのように身体機能を拡張するようになったら……。あるいは地球の温暖化が進み、平均気温がさらに上がったら……。そのとき【体感指標】も大きく変容するだろうし、私たちが生み出すものの価値にも大きく影響するだろう。SFのような仮説ではあるが、自分たちのものさしを疑うための思考実験としては有効だ。
【体感指標】は、私たちにとってあたりまえすぎるものさしだからこそ、そこに変化が起きたときのインパクトは大きいに違いない。
情感指標:個人の経験と感情の蓄積で形成され変化していく
【情感指標】は、人の頭のなかに存在する観念的なものさしだ。実体がなく、言語でのみ共有される。だから、たとえば同じ「かわいい」であっても、その尺度は人によって大きな差がある。私にとっての「かわいい」とあなたにとっての「かわいい」が、実のところはまったく異なっているように。
そして、時代とともに変化もしていく。「かわいい」という言葉も、概念が広がり、いままでとは違うニュアンスでも使われるようになった。時代や様々な環境の影響を受けながら、私たちのなかで新しいものさしが形成されていく。
【情感指標】は、好感や共感といった感情が伴うことも特徴だ。感情と直結しているがゆえに、自分の選択や価値判断に大きな影響を及ぼす。
私たち人間は、感情に動かされる生きものだ。私たちの価値判断は必ずしも合理的ではありえず、同じもの・同じ条件であっても置かれた状況によって異なった価値を見出す。
ノーベル経済学賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンの著書『ファスト&スロー』(早川書房)では、人間の意思決定における思考のモードを「ファストな(速い)思考」と「スローな(遅い)思考」に分けている。「ファストな思考」は、直感的で労力をほぼ伴わない思考回路で、いわば「感じる」に近い。一方で、「スローな思考」は、努力を伴う熟考であり、文字どおりの「考える」行為だ。そして、意思決定のプロセスにおいて「ファストな思考」の影響力は非常に大きいものとしている。
【情感指標】はこの「ファストな思考」に定着するものさしだ。【情感指標】による価値判断は、えてして直感的であり、印象・感覚・傾向によって行なわれるものである。これは、無意識に近い状態でも影響を及ぼす。
そして【情感指標】は、生まれ持ったものではない。経験とそのときの感情の蓄積で形成されていく。そのなかには、ごく個人的な感情に根差して形成されるもの(たとえば“懐かしさを感じる”かどうか)と、社会との関係性で形成され、変化していくもの(たとえば“イケてる”かどうか)がある。後者は、自分を取り巻く環境・社会から影響を受けたり、他者との価値観のすり合わせを通じて個人のなかで育ち、変化していくものさしである。これが個人の価値観とその時代や社会の価値観の相互関係を生み出している。
影響を及ぼし合う個人と社会のものさし
ものをつくる(=価値を生み出す)上での様々な判断は、4つの指標の変化に大きな影響を受ける。そしてそれらの指標は別々に存在しているわけではなく、互いに影響を与え合いながら、複雑に絡み合っている。
たとえば、個人があるものに価値を見出して、それを手に入れようとしたり、その価値を人に伝えようとしたりする動きのなかで【情感指標】は情報として積み重なっていき、やがて【社会指標】として可視化されていく。個人は、その【社会指標】に影響を受けつつ、経験とそのときの感情をさらに積み重ね、結果、その人独自の【情感指標】が育っていく。そして個々の【情感指標】の発露が、また【社会指標】に反映されていく。【情感指標】と【社会指標】は、このような再帰的な関係を持っている。
世の中の【スペック指標】はますます膨大になり、【社会指標】の変化はどんどん加速している。だが、【体感指標】や【情感指標】は劇的に変化する、ということはない。それゆえ変化が激しいこの時代において、私たちは自分の外にある(図の左側の)ものさしの変化に振り回され、そこばかりに向けたものづくりをしがちだ。
その反面、自分の内側にある(図の右側の)ものさし、とくに【情感指標】への向き合いをないがしろにしてはいないだろうか。つかみどころがなく、コントロールが利かず、揺らぎのある領域に向けたものづくりは、簡単なことではないだろう。しかし、前述のとおり、人が本質的に価値を感じ取るのは【情感指標】の領域である。
そこに向けて、どのような新しいものさしを提示していけるか、それを考えることが、新しい時代の価値観をつくっていくことにつながるはずだ。
個人の感情とその集積がいままで以上に可視化されやすい時代になったからこそ、【情感指標】と向き合うものづくりはますます重要になってくるだろう。
構成・文:谷口 晋平/編集協力:博報堂生活総合研究所 三矢 正浩/写真:川谷 光平
谷口 晋平 (たにぐち しんぺい)
monomビジネスデザインディレクター。博報堂入社後、コーポレート部門を経たのち、ストラテジックプラナーとして大手飲料・自動車・消費財メーカーなどを担当。新商品/事業開発、ブランド戦略立案など幅広い領域の業務に従事。現在、プロダクトイノベーションチームmonomで、事業開発・ビジネスデベロップメントをリード。
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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。