135 「共時間(コンテンポラリー)」とコモンズ ~ ミュージアムの脱植民地化運動とユニバーサリズムの暴力
はじめに
文化は誰のものなのか。本稿ではこの問いをミュージアムの領域から考えたい。「ミュージアム」という言葉が意味するところは国や地域、定義の仕方で様々に捉えられうるが、一般的には博物館・美術館だけでなく、公園や記念碑、動植物園や図書館なども含めて、モノを主軸として文化の保存や研究・教育に携わる公共的な施設を広く指す。後述するように、ミュージアムとは西洋近代の思想に起源を持つものであり、ゆえに現在でも欧米諸国を主軸としてその「中心」が構成されている。「中心」があれば「周縁」がある。序列化された非対称な構造の下、「中心」からのまなざしで文化のありようを定めるその体制がひび割れはじめている。ミュージアムとは、もとより非対称な歴史から生まれた存在なのである。
以下に引用した文章を一読してみてほしい。ルーブル美術館、メトロポリタン美術館やボストン美術館、ニューヨーク近代美術館やグッゲンハイム美術館など世界を「代表」する名だたるミュージアムが2002年に連名で出した「普遍的博物館の価値と重要性に関する宣言」の一節である。
この主張に何か問題を感じただろうか? 宣言のなかでは、文化財をミュージアムで研究し複数の文明を総合的に関係づけながらその価値を証明することや、ミュージアムに保存して文化遺産を後世へと永続的に伝えることが、社会の公益ひいては人類全体の普遍的な価値となるのだと主張されている。
実は、この宣言に対しては出された当初から大きな批判が集まった。それは一体なぜなのか。この小論では、「ミュージアムで文化を守る」という一見順当にも思える思想の問題点について解題しながら、ミュージアムの功罪について考えていきたい。ミュージアムとは文化にとっていかに厄介で、しかし同時に、いかに有益な存在なのか。ミュージアムについて批判的に考える研究理論を辿りながら思考を進めてみよう。
本稿は、近代という時代とミュージアムの関係をひも解きながら進めたい。前半では、帝国主義・植民地主義の歴史がミュージアムでいかに展開してきたのかを振り返る。それらと近代主義思想との関係について省察する。後半では、植民地主義を反省する博物館改革運動を取り上げて、ミュージアムが現在こうした負の歴史といかに向き合うべきなのかについて考える。
それらを分析する焦点として、「コモンズ」と「時間」という相関する概念を設定した。前者は、ミュージアムのモノはいかにして共有できるのかという、所有やその権利にかかわるもの。後者は、ミュージアムのモノはいつ誰のものと決まるのかという歴史にまつわるものである。これらの概念を手がかりにして議論を進めよう。
1. 衝突の現場──ミュージアムの政治学
はじめに取り上げたいのは、ミュージアムの政治学という考え方である。ミュージアムにまつわる中心/周縁構造のひび割れが起こっていると冒頭で述べたが、これはミュージアムの歴史の把握や現場そのもので、矛盾や対立が露わになってきたということを意味している。ここにおいては、比喩的な意味での「政治学」、すなわち、力学分析によってミュージアム文化を理解する方法が有効となる。
この視座ではとくに、ミュージアムのことを近代という時代とともに生まれ確立した存在、つまり近代思想の申し子とみなす。前近代における、教会や寺社といった信仰上のモノの集積や有力者や王侯貴族が極私的な意図で蒐めたコレクションなどは、「前ミュージアム」的存在である。一方、近代における「ミュージアム」とは、市民革命や共和制の成立などを通じて生まれた「人々が共有するモノ」の集積である。
ここにおいて「文化」は、国民国家を通じてミュージアムで管理されるようになった。「ミュージアム」は、このような近代化の過程で生まれた理念的な存在であり、制度/機構/装置/施設として国民国家や社会の近代化を支えてきたのである(※2)。
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