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113 断片化の時代の文学


0. はじめに

現代における文学の「居場所と存在意義」とは何か。文学は、言語を主たる素材とする芸術ジャンルである。人間が言葉によって思考しコミュニケーションする生き物である以上、われわれが広い意味での文学を必要としなくなる日は来ないだろう。しかし、社会や諸芸術のなかでの文学の位置づけや、その具体的な形式は、時代に応じて変化してきた。各時代における文学の「居場所と存在意義」は、時代を問わず一様なわけではなく、放っておけば自ずと明確になるわけでもない。むしろそれを明らかにするためにこそ私たちは言葉を費やすべきだし、その試み自体が文学という営みの一部でもある。

この問いの答えを探すべく、一橋大学教授で英文学が専門の川本玲子氏に話を聞いた。川本氏は、イギリスのモダニズム期(20世紀初頭)の小説を研究するのと並行して、「認知物語論」と呼ばれるアプローチを用い、「自閉症」という現象が文学研究にもたらす新たな視点について考察している。今回の記事のキーワードとなるのは、「物語の認知」と「自閉症」というこのふたつの言葉だ。

文学は多くの場合、物語を語る。これは演劇でも小説でも叙事詩でも同じである。ごく私的な心情を綴った抒情詩や短歌ですら、ある経験や出来事に書き手が表現と秩序を与え、物語化を施したものだと考えることができる。物語は人間が乱雑な現実とつきあうために必要不可欠な手段だが、その作品としての形式は、今日かつてなく多様化している。映画、漫画、アニメ、テレビドラマ……。さらには短い日記やツイッターの投稿だって、状況次第では充分立派な物語形式たりうる。

現代における文学を考えるために、まずこの「物語」の今日的なあり方を検討してみることが、有効な手立てになるだろう。そのうえで、いま人々が日々つくり出し摂取している物語に対し、文学はどのような特徴を持つ物語体験を提供するのか、と考えてみるのである。

文学はまた、今日しばしば次のような概念と親近性を持つものだと捉えられている──コミュニケーション、共感、内面、感情。たとえば、自分とは異なる他者への「共感力」を鍛えるという文学の「効用」が喧伝されたり、この登場人物はどのような「気持ち」でしょうという国語の試験問題がよく話題になったりしている(実際にそのような問題が出題されているのかは知らないが)。文学の歴史を振り返ると、豊かな感情や深い内面を中心とする人間像や、文学はそうした人間への共感を涵養すべきだという理念自体が、この300年ほどの近代文学との密接な関係のなかで定着してきたものだということがわかるのだが、今日ではそれがさらに、柔軟性や「コミュ力」を重んじる時代の要請と結びついて、強化されているようにも見えるのである。

そうした状況のもと、この2、30年、社会的にも学問的にも注目を集めてきたのが、ふたつめのキーワードの「自閉症」である。自閉症(正式には「自閉スペクトラム症」)は、相互的なコミュニケーションや意志伝達に困難を抱える発達障がい(※1)のひとつだが、2節で詳しく述べるように、この特性が注目されるようになった背景には、コミュニケーション力や柔軟性の偏重──自閉症的な特徴を排除し、障がいとして際立たせてしまうような社会の変化──があると考えられる。そしてこのことが、共感やコミュニケーションとひもづけられた文学のイメージの更新を迫る。自閉症的な物語認知を、単なる欠陥ではなく、もうひとつの異なった認知形態と捉えることは、現代の文学に裏側から光を当てる契機になりうるのである。

文学は空腹を満たしてはくれないし、病気を治してくれるわけでもない。しかし同時に、われわれは物語なしには生きられないし、言葉を使わずには生活できない。時代のなかで文学がどのような位置にあるかを考えることは、自ずと私たちが暮らす世界、人間として生きる私たち自身について考えることにつながるはずだ。だとすれば文学への問いは、文学好きか否かの違いを超えて、多くの人の関心事たりうるはずである。

1. 「文学」と「物語」の現在──物語の時間を拡張する

まずは現在の「文学」の状況やそれを取り巻く環境を、簡単に確認しておこう。

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