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73 音楽と流通 〜 変わり続けるポップミュージック

音楽と流通、両者の関係は密接だ。なぜならポップミュージックの歴史は、レコードやCD、MP3、ストリーミングなどの記録メディアと密接にかかわっているからである。トーマス・エジソンが蓄音器を発明して録音を可能にしたとき、初めて演奏は一過性のものではなくなった(※1)。そして時代とともにその記録メディアはアナログからデジタルへ、物体からデータへと移り変わり、流通方法やスピードも変わり続けてきた。同時に、もっとも原初的な音楽の流通形態である生演奏(ライブ)は姿形を変えながらその価値を保持し続けている。音楽と記録媒体、そしてその流通の変化が、どのように音楽に変化をもたらしてきたのか? そして変わらないものは何なのか? ポップミュージックの歴史とともにひも解いていこう。


イントロ:「ポップミュージック」とは何なのか?

ポップミュージックの定義は様々だ。狭義のそれは「ブルースとカントリーをルーツとしたロックの延長線上にある、様々なジャンルの要素を取り入れた大衆音楽」といえるだろう。しかし、いくら現在の音楽ビジネスの原型をつくり上げたのがロックとはいえ、それ以前から大衆のための音楽は存在していたし、その事実を無視してしまっては音楽の歴史が見えにくくなってしまう。

そこで本稿においては、広く「商業性を持った、大衆のための音楽」と捉えたい。古くは酒場で演奏された音楽も含まれれば、ジャズ、ブルース、カントリー、ロック、ソウル、ヒップホップ、R&Bはもちろん、クラブミュージックもその範疇となる。ただし、誌面やその他諸々の都合によりすべてのジャンルを網羅することはできない点はご了承いただきたい。

19世期:レコード以前のポップミュージック史、ふたつのルーツ

ポップミュージックを「商業性を持った、大衆のための音楽」と定義した場合、その大きなルーツは19世紀の欧米に2種類見ることができる。

ひとつめのルーツは“劇場型”とも呼ぶべきスタイルだ。1860年代にアメリカで最盛期を迎えた、白人が黒人に扮して音楽や寸劇を見せる「ミンストレルショー」(※2)。1852年にイギリスで創業した「カンタベリー・ホール」や、1889年に開店したパリの「ムーラン・ルージュ」のような、飲食を伴う大衆劇場「ミュージック・ホール」での音楽演奏。これらが大衆芸能としての音楽が成立した瞬間のひとつであり、現代につながるライブビジネスの起源ともいえるだろう。

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カンタベリー・ホールの内観スケッチ 画像:「HISTORIC UK」ウェブサイトより

そして、もうひとつは“出版型”だ。1501年に最初の楽譜が出版されて以来、16世紀にはすでにヨーロッパでクラシックの楽譜貸し出しや販売といった音楽出版が始まっていたことは記録されているが、それは貴族などごく一部の人たちのためのものでしかなかった。それに対し、19世紀のアメリカでは中流家庭の居間(パーラー)で演奏されるための音楽を楽譜として販売した「パーラー・ミュージック」が流行。

なかでも1890年代に活況を呈したニューヨークのマンハッタンに位置する「ティン・パン・アレー」と呼ばれる通りに軒を連ねる出版社は、作詞家と作曲家に楽曲を発注して楽譜を出版。同じ通りにある店頭で専任のスタッフが楽曲を演奏して楽譜を競うように販売していたことで知られている。1892年にチャールズ・K・ハリスが作詞作曲した「舞踏会の後に」は当時500万部以上の楽譜が売れたほか、ジャズのスタンダードナンバーとして現代でも親しまれる数多くの楽曲がここで生まれたことからも、この「ティン・パン・アレー」の楽曲制作と販売のシステムは、現代のレコード産業のルーツといえるだろう。

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パーラー・ミュージックの楽譜 画像:「メーン大学」ウェブサイトより

「レコードが生まれる以前、音楽は風のような存在であり、そこに価値は存在しなかった」。そんな音楽に関するロマンチックな言説があるが、それはどこまで時代を遡るか、どこまで対象を狭めるかによる。地域やコミュニティーに根差した労働歌や霊歌ならば確かにそうだったかもしれないが、ここまで説明してきたとおり、より広く聴かれる音楽としての「ポップミュージック」成立の背景には、資本主義の成熟とそれによる労働者の生活安定が不可欠だったと考えられる(一般市民がクラシック音楽を楽しめるコンサートホールが生まれたのも19世紀になってからだ)。そう、レコードが生まれる前から、大衆が自由に音楽を楽しむためには、お金と平和が必要だったのだ。

20世期:レコードの誕生と、ポップミュージックの流通、ユースカルチャーの勃興

世界で初めて音楽を録音する媒体として商業化されたのは、1877年にエジソンによって発明されたロウ管式蓄音機だ。紙筒に塗布したロウを記録媒体とし、その上を針でなぞることで音楽を再生できるようにしたこの機械は、当初ジュークボックスのように店舗に設置される業務用品としての色合いが強かったが、次第に家庭用にも普及するようになった。1920年代には現在広く知られるレコードに通じる円盤型のSP盤レコード(通称シェラック盤)が登場。同時代に起こったラジオの普及とも相まって、先述の「ティン・パン・アレー」も自ら出版した楽譜をオーケストラに演奏させ、それを録音したレコードを販売するようになり、産業としてのレコード制作・販売が立ち上がることになる。

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