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101 芸名の歴史とその特質

雑誌『広告』

映画『ボヘミアン・ラプソディ』のなかにこんなシーンがある。レコード会社からの連絡を受け、華々しいデビューが決まった主人公ファルーク・バルサラは、家族・友人らに向かって高らかに宣言する。「僕は今日からフレディ・マーキュリーだ」。移民の家系で育った少年はその後、世界的なスターとなっていく。

後年、彼のバンド「QUEEN」の曲から生まれたスターもいる。デビュー前の歌い手であった女性、ステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタは、QUEENのヒット曲「Radio Ga Ga」を歌う。このとき、プロデューサーが曲名を誤変換したメールを気に入り、自身の名前に冠したのがレディー・ガガだ。

芸名は、自分自身で決める場合、他者に与えられる場合とある。そして、本人の意思にかかわらず、慣例としてつける/つけられるケースも多い(短歌や俳句の世界では、号を持つことが慣例となっている)。そのうえで、芸名とは、個人が「なんらかのつくり手/演者となる」という大なり小なりの意思決定をもって、自分自身を世界に打ち出していく戦略の一端と言える。この主体性の点で、物心つく前から所与のものとして在る本名とは性質が異なる。とはいえ、芸名は虚構であり、本名こそが人間の実像……というものでもない。長い時間をかけて、その主従関係が逆転していくケースもある。本稿では、芸名の歴史やつくり手にもたらす特質について考える。

なお本稿では、号、屋号、雅号、筆名、ペンネームなど、つくり手が本名と別に持つ名称をすべて「芸名」として捉えることとする。


古代、本名は禁じられていた

日本史上屈指の知名度を誇る作家・紫式部の本名は、いまだ明らかになっていない。藤原氏の出であったため、生前は藤式部と呼ばれていたとわかっている程度だ。同時代を生きた清少納言も同様で、清原氏の出であったからそう呼ばれているに過ぎない(式部や納言は役職名)。二者とも並び称される『更級日記』の著者・菅原孝標女すがわらのたかすえのむすめも、貴族である父の名前がそのままつけられているだけだ。

こうした習わしは、なにも女性に限られたものではなく、天皇や貴族の面々も、歴史資料上に書かれている名前は本名でないことが多い。たとえば、「聖徳太子」も後世の尊称であり、厩戸皇子うまやどのみこ厩戸王うまやとおうという名が本名とされることも多いが、これも戦後に推定された名が広まったものである。同時代の文献に記されているわけではない。

これらは法学者・穂積陳重が定義した「実名敬避俗じつめいけいひぞく」と呼ばれる風習で、貴族や親など、目上の人間の本名を口にする、記すことを敬意をもって避けるものである。古代中国では、身分が高い人の本名は「いみな(=忌み名)」と言われ、口にするのもはばかられていた。本名で呼びかけることは、人物の本体、霊的な存在に働きかけてしまうと考えられていたためである。諱を避けるために生まれたのが「あざな」だ。これは、成人した際に実名とは別に自ら呼称用として設ける名前である(※なお、あだ名の由来とは異なる)。古代では、職務上の呼称が個人情報保護の機能を果たしていたのだ。

近世のつくり手たちを取り巻く「徒弟制度と芸名」

江戸時代、画家の屋号は、最初に学んだ流派の長、師匠から与えられるのが一般的であった。たとえば、北斎の初期の筆名である「春朗」は、師匠である勝川春章から「春」の字をもらったものだった。また、歌川派の祖とされる歌川豊春の2大弟子、豊広と豊国からは豊広→広重、豊国→国貞・国芳と続いていくなど、名前を通じて絵師の師弟関係をたどることができる。とくに後年になると、弟子の号の最初の文字は師匠の号の最後の文字であるということが、歌川派を中心にかなり定着していたようだ。

芸名はこのように、上下関係を補強・表現するものとして機能していた。一方、同時代を生きた俳人・松尾芭蕉(本名:松尾宗房)は、こうした慣習から自由な存在だったようだ。彼の名前は、庵に植えた草が成長し、弟子たちに「芭蕉庵」と呼ばれるようになったことに由来すると言う。後輩の発案を積極的に採用する、柔軟な人柄が感じられる。

ちなみに、葛飾北斎(本名:中島鉄蔵)は生涯のうちで名前を30回ほど変えている。

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2022年3月1日に発行された雑誌『広告』虚実特集号(Vol.416)の全記事を公開しています。

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