82 てのひらのなかの流通
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82 てのひらのなかの流通

東京・西荻窪で小さな雑貨店「FALL」を15年以上営み、近年では『雑貨の終わり』(新潮社)、『すべての雑貨』(夏葉社)等のエッセイ本も上梓している三品輝起さんに、ものを売るということにまつわる感情についてお話を伺った。本来であればインタビュアーからの質問も含めたインタビュー記事として構成するものであると思うが、三品さんからの回答にはインタビュアーの質問を飛び越えて広く深く彼の世界観が投影されており、聞き手側の存在はむしろ記事の内容に没入するためには異物となるのではないかと判断し、あえて三品さんの独白調でまとめることとした。本記事は彼自身が執筆したものではなく、彼の語りを聞き手である筆者が再構成したものである。


てのひらのなかの流通

僕のやっているようなスモールビジネスのいちばんの強みは、「売らなくていい」ということ。ちょっとでも売れなくなるとギリギリの、潰れる瀬戸際にいることになってしまうが、その反面、たいして売れなくてもやっていくことができる。

大きな会社だと最終的にお金にならないものは扱えないということになってしまうが、スモールビジネスの場合は綺麗事とか自己満足とかロマンのなかで商売が続けられる。それに加えて、社会運動のためにやってるという知人もいる。ものを売ってるんだけど、本人は社会のためにやっているつもりで、それも一種の自己満足の世界なのかもしれない。

雑貨屋を始めた頃、2005年から5年くらいの間はインターネットがまだ全面化してなかったので、並行輸入した海外のミュージアムグッズがすごい売れた。僕は個人的にフロイトが好きで、イギリスのロンドンにあるフロイトミュージアムで死ぬほどフロイトグッズを買ったことがある。それを買って帰ってきたときはすごい幸福だった。フロイトのマグカップを法外な値段で売っていた。

世の中、普通に歩いてる人のなかにフロイトっていうものに興味がある人がいるなんて嘘みたいだなって思いながら、売れたときは嬉しかった。そんな楽しかった時代もすぐネットのせいで終わってしまった。いまでは世界中のミュージアムグッズがネットで買えてしまう。なんでも売ってるんで夢がないな、と思う気持ちもある。

インターネットが出てきて、どんどん中間業者がいらなくなってしまった。雑貨屋なんて、自分で何もものを生み出してないからなおさら。「自分の感性でちまちま選んでそれを売る」という業態が、もうあまり機能しなくなってきている。雑貨のメーカーとか、輸入代理店とか、個人の作家さんたちも、自分で売るようになってしまった。そうなってくると、店をやる意味がどんどん失われてしまう。

リアルな店舗のほうがインターネットよりも優位なところは、いまはもうほとんど残っていない。もしあるとすれば、実店舗のほうが、ある一定の価値観に満たされた閉鎖空間をつくり込みやすく、そこに人々を招き入れて消費を促すことが可能だ、という点ではないか。

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三品さんが営む雑貨店「FALL」 画像:三品さん提供

インターネットの世界、たとえばアマゾンなどのショッピングサイトは情報の濁流の上に乗っかっているので、そのなかに入り込んである価値観に没入するという感覚はあまりない。出入りも自由だし、すぐに価格を比較したりしてものを買うということになってしまう。

一方で、「ある世界観のなかに人間を閉じ込めてものを買わせる場」として最たるものは、ディズニーランドだ。そこには、外の世界が何も見えない、ひとつの強力な価値観のなかで、夢を見させて――要するに我を忘れさせて、ものを買わせるような強靭な仕組みがある。ディズニーランドは、1980年代から、こんなにインターネットが広がってきても、なんら変わらずずっとトップに居続けて、チケットの売上だけじゃなく、園内で買われるお土産の量も率も増え続けている。

実店舗をつくろうとしている人が最終的にやろうとしているのは、まさにディズニーランドのようなある特定の強力な価値観のなかでものを買ってもらうっていうことに尽きるのではないか。それはあらゆる場所で応用されていて、たとえば旅館の「星のや」や高級ブランドのブティックなども同じ構造。それが実店舗が生き残っていく道なのではないかということは重々承知しているが、自分はこの内閉する実店舗の宿命とは別の道はないのかとずっと考えてきた。

うちの雑貨屋では、そもそも全体的に売れるものはなく、まばらにポロポロと売れる感じが続く。そして、まんべんなく要所要所に、買い手からすれば「おもしろいんだけど絶対いらない、欲しくはないもの」がないと売り場がおもしろくない。たまにそういうのが売れてしまうとまたそういうものを探してこないといけないから、あー売れちゃったと思う。この間も、デッドストックなのか、変なプラスチックでできたチーズのかけらみたいなものを結構いい値段で売っていたら、ついに買う猛者(もさ)が現れて売れてしまった。

ものが売れたときに感じるのは、「この人にこんないいものが手渡せた」という喜びよりも、申し訳ない気持ち。それが15年たってもぬぐえない。罪悪感があるのかもしれない。

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2021年2月16日に発行された雑誌『広告』流通特集号(Vol.415)。そのすべての記事を4月16日より順次公開していきます。各記事とも…

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