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著作の重量

今年3月に刊行された『広告』著作特集号。その誌面全体に渡って、記事の内容とは関係のないビジュアルが掲載されていたのを不思議に思った人も多いのではないだろうか。このビジュアルは、近年「写真の著作物性」に着目した作品を制作している美術家の原田裕規氏によるアートワークである。今回、このアートワークを制作した意図や背景について原田氏自身に解題してもらった。

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ある時期から、写真のせいで筋肉痛になるようになった。倉庫を兼ねたスタジオとして古いビルの5階の部屋を借りているのだが、そのビルにはエレベーターがないため、何かあるたびに1階と5階のあいだを何度も往復する羽目になる。数年前から写真がぎっしり詰まった箱を抱えてここを行き来することが増えて、そのたびに筋肉痛になった。あまり知られていないと思うが、実は写真はかなり重たい。

毎週末、品川区にある大井競馬場でフリーマーケットが開かれている。フリマといえば、ファミリーが交流する和やかな空間を思い浮かべるものだが、ここの場合は少し事情が異なる。稀に普通のフリマと勘違いして出店したファミリーが困惑してたたずむ様子を見掛けるほどに、ここには生活の糧を賭けた人々が集まっている。

そこは、まるで現代の闇市のような様相だった。売られているのは、使い込まれた食器、壊れたカメラ、斜めになった棚、汚れたCD、作者不詳の油彩画1ダースなど。それらが塊となり、誰かの家をひっくり返したみたいにどこまでも続いている。

写真を回収し始めたきっかけは、不用品回収業者や産廃業者らによって日々回収されているゴミのなかにおびただしい数の写真が含まれており、引き取り手もなく捨てられているという話を聞いたことだった。その実情を確かめるべく業者を取材してみたところ、現場では「売れる写真」と「売れない写真」が選別されており、前者は蚤の市やインターネットなどの市場に出され、後者はゴミとして捨てられていることがわかった。

気になったのは、そうした業者の多くがマイノリティの方々だったということだ。とくに親しくなったのは北関東に住むカメルーン出身のEさんで、プライベートでも連絡を取り合うほどの仲になった。Eさんの暮らしぶりを知るにつれて、そうした写真がまさに社会の「周縁」において日々ストックされていることがわかり、それは写真を集めている彼・彼女ら自身の「周縁」的な生き方とも重なって見えた。

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こうした写真に共通しているのは、家族写真としても売り物としても何かが決定的に欠けているということだ。現代アートの領域では、持ち主不在の写真の文脈をアーティストが編集して「作品」に仕立てるという話は珍しくない。しかしこれらの写真を見ていると、そうした営みほど白々しいものはないなと思う。そう考えるようになったのは、とある業者の倉庫を初めて訪問したときに、ある光景を目撃したからだった。

業者の運転する軽バンに先導されて辿り着いた倉庫は、外から見るとごく普通の一軒家にしか見えなかった。しかしなかに入ってみると、空間のそこかしこに複数の業者がかき集めてきた物が山積みにされている。民家というロケーションも相まって、ほとんどゴミ屋敷にしか見えない。その片隅に、うず高く積まれた写真の山があった。家族の愛情からも資本主義の欲望からも見放された写真の山は、社会の全方位に向けて不満を漏らす呪われた記念碑のように見えた。

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2020年3月に発売された『広告』Vol.414(特集:著作)にアートワークを提供した。タイトルは『One Million Seeings』。本稿はそもそもこのアートワークの解説としてオファーされたものだが、ここからようやく本題が始まる。

このアートワークのベースには、昨年つくった同名の映像作品がある。24時間かけて引き取り手のない写真を「ただ見る」様子を記録した映像で、『広告』のために映像から52枚の静止画を切り出し、誌面全体に展開するとともに、前後の見返し用にそれぞれ写真を撮り下ろした。この見返しの撮り下ろし写真は、業者の倉庫で目撃した光景を再現するイメージで、「誰にも見られていない写真の山」を朝と夜にタイマーで無人撮影したものだ。

ここで触れておくべきポイントは、この作品内で扱っている(見ている)ものが「写真」であるということだ。

そもそも、なぜ写真なのだろう?

何よりも「著作」というテーマについて考えるとき、写真ほどややこしい存在はないと思う。そのややこしさについては、特集に掲載されている弁護士・木村剛大氏によるテキスト「現代美術とフェア・ユース」でも詳しく言及されているので、興味のある方はぜひ読んでみてほしい。

その象徴的な事例が、マールボロの広告を再撮影したリチャード・プリンスの『Untitled (cowboy)』シリーズだ。こうした手法は、現代アートの領域では「アプロプリエーション」と呼ばれており、既存の素材を引用の範疇を超えて取り込み、自らの表現として再文脈化する点にその特徴がある。プリンス以外にも、ウォーカー・エバンスの写真作品を複写して発表したシェリー・レヴィーンの『After Walker Evans』などもよく知られた事例だろう。

これらの作品は共通して写真を用いている。なぜなら、望む望まないにかかわらず、写真には既存の何かを「写し込む」という側面があるからだ。日本国内でも2002年に雪月花事件という裁判があり、照明器具のカタログに掲載された写真に書の作品が「写り込んでいる」として、書家とメーカーのあいだで裁判になったことがあった(判決は無罪)。

こうした写真の特性については、日本のアーティストもこれまで盛んにテーマ化しており、1960年代から70年代にかけてその傾向はピークに達した。その顕著な事例は、美術家の高松次郎による『写真の写真』シリーズだ。

これは、その名のとおり「写真を撮った写真」のシリーズで、あいまいな写真の入れ子構造を利用しながら、それぞれの写真が語る「物語」を脱臭するかのごとく、鑑賞者の視線を印画紙の表面へと仕向けようとする作品だ。「写真によって写真の写真らしさを明らかにする」という自己言及性は、現代アートとしてはいかにも「正しい」問題設定だが、個人的にはその自己言及の過程で、写真にまつわる情念(いかがわしさ)が失われてしまっているように感じ、それを取り戻すことに課題があると感じていた。

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僕にとって写真は、忘却したくても忘却できない情念のようなものに近い。先ほど、業者の倉庫で写真の山と邂逅したときの印象を「呪われた記念碑」と書いたが、その「何か」は、触れることすら間違っているタブーのようなものだという実感がある。だから本来は、ゴミ同然に打ち捨てられたそれを引き取ることも光を当てることも「間違っている」のかもしれない。それでもなお、なぜだかそれを無視することができない。

あるときスタジオで写真の山を整理していたところ、同一人物の写真が大量に見つかったことがあった。最終的には、その人のあらゆる年代の写真が数千枚規模で見つかり、思いがけずその人の一生を追体験することになった。恐ろしいのはその数日後、夢にその人が登場してきたことだ。夢のなかでその人は旧知の知り合いのように振る舞っていたけれど、翌朝振り返ってみると、そういえば最後まで「声」を聞くことはなかった。

……と書いていてつくづく思うが、こうしたエピソードはとても「重い」(ほとんど怪談話だ)。その一方で、冒頭で写真の「重さ」について書いたことを思い出してほしい。このふたつの「重さ」は一見すると無縁なもののようでいて、実は関係しているものなのではないだろうか?

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先ほど、アートワークのベースには「24時間ノンストップで写真を見続ける」映像があると書いたが、実のところ「写真を見る」作業はとても疲れる。それもただ網膜に映すのではなく、きちんと一枚一枚に感情移入するという作業が何よりも疲れる。なぜそのような試みをしたかというと、写真の情念と向き合うために、その「重さ」に寄り添うこと、つまり身体的な負荷が必要になってくると考えたからだった。この記事の読者にも、その「重さ」を疑似体験していただくために、24時間ある映像を3分間に圧縮したバージョンを公開してみる。

そもそも「重さ」とは、頭で理解するものではなく、四肢で体感するものだ。特集では、著作に関する様々な論点が提出されることは予想できたが、その「重さ」を体感できる記事はほかにないだろうと思い、その役割を担うアートワークをつくりたいと考えた。

そこで、編集長の小野直紀さんと3名のデザイナー(上西祐理さん、加瀬透さん、牧寿次郎さん)と集まり、何度も繰り返し言葉を交わした。よくある予定調和的な会議とは異なり、全員がそれぞれ徹底的に言葉を交わし合ったことが印象的で、その身体的なプロセスなしではこの形には至らなかったと思う。「著作」というテーマについても、編集者やデザイナーという「手を動かす立場」から実感のこもったフィードバックを次々と受け取ることができ、最終的には、読者に「紙をめくってもらう」という形態を採用することにした。

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いま『広告』の現物がお手元にある方は、実際に雑誌を手にしながら、以下を読み進めていただくとわかりやすいかもしれない。

まず、雑誌の判型が縦位置であるのに対して、アートワークは90度回転した形で横位置にレイアウトされている。それをめくろうとすると、利き手の親指と人差し指でつまむような格好でページをつまむ形になるはずだ。その際に、めくり上げたページの裏面にビジュアル面がくることになる。

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90度回転した形で横位置にレイアウトされたアートワーク
“Untitled (Copy/Original)”, 2020 ©Gottingham Image courtesy of the collaborator and Studio Gottingham

これは、読者が能動的に紙をつまみ・めくることによって、ビジュアルが現れる形にしたいと思い導入した配置だった(つまり、「裏面」に画が配置されているということだ)。通常の本では、紙をめくって見えてくるのは、実際に指が触れていない方のページ(奇数ページ)になる。しかしこのアートワークでは、実際に指が触れている方のページ(偶数ページ)にビジュアルを印刷することで、読者自らが「写真を見ている写真」の当事者(つまり「見ている本人」)になってしまうような体験を演出したいと思った。

ページ割も、本文の折と折のあいだに8ページずつ等間隔でビジュアルページを配置することにした。それによって、本文のタイムラインとは異なるタイムラインが(忘れていたころに)さしはさまってくる仕掛けにし、「忘れたくても忘れられない(=向こうからやってくる)」写真の情念を誌面に置き換えようとしている。

そして最初と最後の見返しには、見開きのレイアウトで「誰にも見られていない写真の山」を朝と夜にタイマー撮影したものを配置した。先ほども書いたとおり、これは業者の倉庫に眠っていた写真の山を再現している。

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最初と最後の見返しに掲載された写真の山
“Untitled (Copy/Original)”, 2020 ©Gottingham Image courtesy of the collaborator and Studio Gottingham


このふたつのイメージ(朝と夜)のあいだにある104ページの「写真を見ている写真」は、始まりが午前10時32分のもので、終わりが翌日の午前10時35分のものである。つまり約24時間分あり、全体を一巡することで冒頭にループする仕掛けになっている。ここにも写真の情念が再帰してくる仕掛けを盛り込んだ。以上がアートワーク『One Million Seeings』の解説である。

写真を車で運んだり、スタジオで整理したりしているとき、ふと脳裏に浮かんでしまう情景がある。

それは、高速道路を走行中に軽トラの荷台の幌が外れ、道路に大量の写真が撒き散らされるという情景だ。写真に刻印された膨大な瞬間-瞬間が高速道路の上をひらひらと舞い、その何枚かは後続車のフロントガラスに張り付き、見知らぬ誰かと目が合った運転手は度胆を抜かしてしまうだろう。

また別の情景は、スタジオの床が抜けてしまうというものだ。写真はそもそも紙なので、それが詰まった箱はかなり重たい。突如として大きな音を立てて床が崩れ落ち、階下の空間は一瞬で写真によって占有されてしまうだろう。

そして数十年後には、写真の山は再び持ち主を失ってしまっているかもしれない。これらの写真の大半はありふれた記念写真に過ぎず、個々で見たときにはさしたる価値もないため、もはや引き取り手も存在しない。写真は再び業者の手にわたり、やがてほかの粗大ゴミとともに焼却炉に送られてしまうだろう。

こうした情景が「想起」されてしまう写真の群れから、その重さとともに、記憶でも情報でもなく情念を摘出してみたいと考えている。


文:原田裕規

原田 裕規(はらだ ゆうき)
美術家。1989年山口県生まれ。社会の中で「とるに足らない」とされているにもかかわらず、広く認知されている視覚文化をとり上げ、議論喚起型の問題を提起するプロジェクトで知られる。主な個展に「One Million Seeings」(KEN NAKAHASHI、2019年)、「心霊写真/ニュージャージー」(Kanzan Gallery、2018年)、主な著作に『ラッセンとは何だったのか?』(フィルムアート社、2013年)など。

【トークイベントのお知らせ】

美術家の原田裕規さんと写真家のGottinghamさんをゲストに迎え、『広告』編集長の小野とともに、オリジナリティや著作性について語り合うトークイベントを開催します。

著作特集号 トークイベント 第2弾
美術家 原田裕規 × 写真家 Gottingham
〜これからの時代のオリジナリティについて話そう〜“著作性”とは何なのか?


[日時]2020年6月12日(金) 19:00~20:30
[会場]WEB会議ツール「Zoom」を使用して実施
[チケット代]
 ①『広告』著作特集号オリジナル版+トークチケット ¥4,180(税込・送料込)
 ②『広告』著作特集号コピー版+トークチケット ¥2,200(税込・送料込)
 ③トークチケット ¥1,650(税込)
[詳細・お申し込み]下記のチケット販売サイトPeatixより
https://spbstheschool20200612.peatix.com/
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吉 「出船に船頭待たず」
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