見出し画像

103 『消費社会の神話と構造』と現代の消費 〜 記号学者 石田英敬 インタビュー

雑誌『広告』

フランスの思想家、ジャン・ボードリヤール(1929〜2007年)が『消費社会の神話と構造』を出版したのは、いまから半世紀前の1970年だった。ここで書かれた「記号消費論」は、世界でもてはやされ、日本でもバブル経済に浮かれていた1980年代から1990年代にかけて消費を理解するための理論として流行した。

「人々はものを消費するのではなく、記号を消費する」という概念は、いまの時代でも通用するように思えるが、そもそもこの理論はどのような背景から生まれたのか。そして、この半世紀に起きたメディアや社会構造の変化のなかで、消費はどのように変化したのか。

思想家・東浩紀氏との講義を収録した『新記号論』(ゲンロン)において、「消費を分析できないような理論は20世紀以降生き残ることはできない」と述べる記号学者の石田英敬・東京大学名誉教授に尋ねた。


資本主義の高度化のなかに現れたボードリヤール

── 今回、あらためて『消費社会の神話と構造』を読むなかで、ボードリヤールは、単純な行為としての「ものを買う」ということではなく、ある前提を置いて「消費」という言葉を使っているのではないかと感じました。そこで最初に、「消費」とはそもそもどういうことなのか、伺いたいと思っています。

石田:ボードリヤール的な文脈に戻って「消費」をどう考えているか、というところから答えましょうか。これをさかのぼっていくと、経済学において消費がどう考えられているかという話になります。

20世紀初頭に、人類学と経済学はどのような関係になっているのかという問い直しがありました。人類学というと、その当時の代表的な人類学者に、『贈与論』(1925年)を書いたフランスのマルセル・モース(1872〜1950年)がいます。彼は未開社会における「交換とは何か」を考えるなかで、「もの」も交換するし、「人」も交換するし、いろいろな「活動」も交換する。つまり「意味」を交換していると考えるべきだと言いました。

そして「意味」の交換すべてをコミュニケーションと大きく捉えて、経済もそのなかに入れて考えようという立場が出てきます。それが、マルセル・モースであり、さらに受け継いでいくのがクロード・レヴィ=ストロース(1908〜2009年)の構造人類学になります。

思想史的に言うと、これらの人類学者たちが構造主義(※1)をつくり、いわゆる合理的な経済活動を「限定されたコミュニケーション」と捉えようという話になっていく。ジョルジュ・バタイユ(1897〜1962年)たちがこれを「一般経済学」という広い枠のなかで捉えようとしました。

彼らは合理的な「経済人(ホモ・エコノミクス)」を想定する19世紀的な近代経済学のことを「限定経済学」と呼びましたが、近代社会以外にも経済や交換はあるわけですよね。そこで、未開社会と言われていたパプアニューギニアなども含めて経済や交換を捉えて、経済学の概念を大きくしていきます。

つまり、どんどん合理化していった近代の歴史というものがあって、アダム・スミスやジョン・メイナード・ケインズらが近代経済学をつくってきた。それを外して、経済活動をコミュニケーションの活動として一般経済学という形で問い直そうという、人類学と経済学を融合させる発想が生まれるわけですね。

そういう大きな風景のなかに立ったとき、財の交換やものの交換もあるけれど、もっと大きな「意味」の交換=コミュニケーションだという話になるわけです。

「人間は、合理的な計算する主体である」という近代経済学の基本にある考え方を乗り越えて、人は必ずしも合理的で経済的な計算によってものを買うわけではなく、それが楽しいから買ったり、もっと非合理的な欲望にもとづいて買うわけです。これらは様々な認知、意味にもとづく活動で、必ずしも所得水準に応じて買うという合理性では語れるものではない。

そういう風に経済思想の再定義があったんです。その後は、「経済人類学」という領域ができて、経済学も変わってくるわけですけど。

そうした大きな流れに根ざしているのがボードリヤールです。ボードリヤールがカール・マルクスの『経済学批判』を下敷きにして『記号の経済学批判』(1972年)を書きますが、「記号の」といったときには近代経済学の枠の外に出た物事を含めたコミュニケーションの経済学だという主張をしています。

こうしたなかで、「ものは消費されるためには記号にならなければならない」というボードリヤールの言葉は、ものは合理的に買われたり、売られたりしているのではなく、もっと大きな意味交換であり、意味交換の単位になっているのが記号である。そこから経済学をつくり直そうという思想なんですね。

20世紀前半の世界──ものが欠乏している社会においては合理性の理論はある程度機能しました。市場が飽和していないので、必要なものを買うという状況があるわけです。

しかし、日本で言えば高度成長期、ヨーロッパだと「The Golden Thirties」と言われる復興の30年において、資本主義が成熟して高度化していくと、市場が飽和するので、それに応じて欠乏の経済では見られなかったような消費が活性化していきます。そういう資本主義の高度化のなかに現れた経済学への新しいアプローチに位置付けられる社会経済学なんですよね、ボードリヤールは。

「差異」は消費の一側面を語ってきたのか?

── ボードリヤールが言う記号消費とは、消費の一側面なのでしょうか、それとも、「すべて」なのでしょうか。

この続きをみるには

この続き: 11,486文字

1記事あたり160円なので10記事以上ご覧になる方はマガジンを購入するとお得です。また、紙の雑誌もAmazonおよび全国の書店で引き続き販売しています。

2022年3月1日に発行された雑誌『広告』虚実特集号(Vol.416)の全記事を公開しています。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
雑誌『広告』

最後までお読みいただきありがとうございます。Twitterにて最新情報つぶやいてます。雑誌『広告』@kohkoku_jp