「価値あるもの」を生み出し続けるために
映画監督 塚本晋也 ×『広告』編集長 小野直紀
『広告』リニューアル創刊記念イベントレポート
雑誌『広告』リニューアル創刊を記念して、編集長の小野直紀が4回にわたり創刊号に縁あるみなさまとトークイベントを開催しました。ここでは、7月31日に無印良品 銀座店で行われた映画監督・塚本晋也さんとのトークの模様をお届けします。「いいものをつくるとは、何か?」。この新『広告』の全体テーマが生まれたのは、映画『野火』のドキュメンタリーで小野が目にした塚本監督の姿がきっかけのひとつでした。この日、初めて会ったふたりが語り合ったこととは?
塚本監督の姿勢に涙した小野編集長
小野:塚本さんとはもともと面識があったわけではなくて、僕が一方的に存じ上げていただけなんです。お忙しいなか、お越しいただいてありがとうございます。
塚本:先ほど初めてお会いしました(笑)。
小野:今日は、塚本さんと「価値あるものを生み出し続けるために」というテーマでお話しできればと思っています。まず、なぜ僕が塚本さんにお会いしたかったかなんですが、雑誌『広告』のいちばん最初のページに「いいものをつくるとは、何か?」という文章を書いたんです。この問いはリニューアル創刊した『広告』の全体テーマなんですが、そこに塚本さんが監督された映画『野火』と、そのドキュメンタリー映像について書かせていただきました。
塚本:編集部の方から「塚本さんのことを書かせてほしい」と連絡をもらった時は嬉しかったですね。『広告』も読ませてもらいました。難しいけど大切なことがたくさん書かれていて、その冒頭に「愚直な姿に打ちひしがれた」と僕の話が出てきて、そんな風に見ていただけたなんて光栄です。
小野:会場にお越しのみなさんならご存じかと思いますが、『野火』は太平洋戦争下のフィリピンを舞台にした戦争映画で、2015年に公開されとても話題になりました。ただ、僕は観るのが遅くて、『広告』の編集長就任が決まった2018年に渋谷のユーロスペースで観たんですね。そのころはいろんな人に会ったり、いろんな本を読んだり映画を観たり、たくさんのインプットをしようという時期で。塚本さんの作品は学生時代に拝見してどの作品も衝撃的だったんですが、『野火』も案の定衝撃的で戦争映画としてものすごく考えさせられました。で、映画の上映が終わったあと、塚本さんが『野火』を映画化するまでのドキュメンタリー映像が流れたんです。それを観ていて、なんだか僕は泣いちゃったんですよ。泣くようなドキュメンタリーではないと思うんですが。
塚本:そうですね。泣くような内容ではないですね。
小野:泣かないですよね(笑)。ただ、『広告』の全体テーマが「いいものをつくる、とは何か?」になったきっかけのひとつが、僕がドキュメンタリーで見た塚本さんが『野火』と向き合う姿だったんです。そういうわけで、今日はぜひ塚本さんとお話しさせていただきたいと思いました。
とにかく、いま撮るしかない
自撮りも覚悟した映画『野火』
小野:塚本さんが原作である大岡昇平さんの『野火』に出会ったのは高校生の時だったとうかがっています。そのあと、映画監督としてのデビューが29歳。
塚本:そうですね。『鉄男』(1989年公開)という、人が鉄になっちゃう映画で。
小野:それから多くの映画を撮っていくなかで、いつかは『野火』を撮りたいと思われていたんですよね。
塚本:わりと最初からそうだったんですよね。『鉄男』みたいなSF映画をつくっている時も、『野火』はずーっと頭のなかにあったんです。高校生くらいから考えていたのかもしれない。実際に撮り始めたのは50歳を過ぎてからで、公開できたのが55歳です。いまはもう59歳になりました。あとちょっとで赤いちゃんちゃんこ(笑)。
小野:実際には、 30代から『野火』を撮るためのアクションを起こされていたとか。
塚本:具体的に企画書を書いて、国際映画祭でプレゼンする場があったんですけれども、予算とやりたいことのバランスがよくないということでダメだったんです。40代でもプレゼンしてかなりいいところまで行ったんですけれど、最終的に規模と内容の折り合いがつかなくて。かなり本気になってつくろうと思っていたので、この挫折は大きかったですね。
小野:そのころに撮っていた映画というのがたしか……。
塚本:『ヴィタール』(2004年公開)という映画で、そのちょっと前が『バレット・バレエ』(2000年公開)ですね。
小野:そうですよね、たしか『ヴィタール』を撮られていて、そのラストシーンが『野火』とつながるんですよね。
塚本:僕はそれまで“都市と人”というテーマで映画をつくってきたんですが、『ヴィタール』のラストは浅野忠信さん演じる主人公が都市から自然へとくぐり抜けていくようなシーンになっているんですね。自分のなかでは、そのまま『野火』の舞台であるフィリピンの大自然につながっていくイメージがあったんですけれども、それが叶わなくて、結局10年くらい経っちゃったんです。
小野:そこから意を決して撮り始めたきっかけはなんだったんですか?
塚本:15年ほど前にフィリピンに戦争に行かれた方々にインタビューしたんですけれど、戦争の恐ろしさを充分に感じながらも映画は撮れなかった。それから8年が経って、インタビュー当時85歳だった戦争体験者の方が93歳になって、ほぼいらっしゃらなくなっちゃったんです。戦争の肉体的な痛みを知る人がいなくなると、日本はぐんぐん危ない方に傾斜していってしまうんじゃないか。そういう危機感が強くありました。世の中がどこへ行ってしまうのか、まるで糸の切れた凧のように思えてわからなくなっちゃったんですね。それをぐっと引き寄せたくて、「とにかく、いま撮るしかない」と。でも、そのころはいちばんお金がない時期だったものですから。そこで始めたのが、『野火』の長い長いドキュメンタリーに収められた、とんちを効かせてなんとか映画を撮っていくという話なんです。
まるで宿命のように淡々と
ドキュメンタリーに収められた塚本監督の姿
小野:ドキュメンタリーには苦闘する塚本さんのさまざまな姿が収められていますが、アニメにする案もあったんですよね。
塚本:当時はふたつ選択肢があって、ひとつはアニメーションですね。フィリピンの美しい自然を、力を込めて描こうと。タッチの検証なんかもしました。実写をアニメーションに置き換えたようなリアルなタッチとか。あとは、かわいいキャラクターのお腹から腸が出ちゃったり、脳みそがこぼれたりしていると、みんな複雑な気持ちになるんじゃないか。見やすさと残虐性の対比が際立つんじゃないか、とか。でも、ちょっと実験してみたらものすごく時間がかかるんですよ(笑)。描き終わるころには日本が戦争に突入しているかもしれない。そう思ったものですから、もうひとつの選択肢のほうを。
小野:もうひとつというのは?
塚本:わかりやすく言うと、自撮りですよね。兵隊さんの格好をした僕ひとりがフィリピンに行って、カメラを三脚に立てて撮るという。僕がどうしても撮りたかったのは、フィリピンの美しい自然のなかにボロボロの兵隊さんがいるという画だったんです。メインとなるイメージを僕ひとりでたくさん撮ってきて、あとはシーンをつなげるように日本で撮影すればいいじゃないか、と。フィリピンに撮影チームを率いて行くとお金がかかっちゃいますけど、ひとりで行けば飛行機代も浮くし、いくら撮ったってお金はかからない。そうやってお金がないなかでやっていたんですけれども、父親が亡くなって遺産が入ってきたので、迷うことなく(笑)。そこで助けられて、最終的にはスタッフも入ってくれて、僕が自撮りしなくてもよくなったんです。それでも、フィリピンでの撮影は日本のスタッフが僕を入れて4人、フィリピンのスタッフがふたりでしたけれど。
小野:そして、公開されたのが2015年。
塚本:ちょうど戦後70年ですね。国会の前にたくさん人が立ったり、そのなかに若い人も現れてきたりして、そんな時代の動きと映画の完成がちょうどシンクロしました。このグログロ映画を観に来てくれるお客さんはいるのだろうか、という心配もあったんですが、最初は『野火』原作者である大岡昇平さんのファンで高齢の方が多く来てくださって。映画館でうしろから眺めると、真っ白できれいなんですよ。スクリーンに浮かぶ白髪がタンポポの綿毛のようで(笑)。そこからだんだんと若い方も増えてきて、戦後71年、戦後72年、今年は戦後74年ですけれども、毎年終戦記念日には戦争のことをちょっと思い出して、近づかないようにというメッセージを込めて上映し続けています。
小野:僕は『野火』を戦争映画として観るという視点はもちろんありつつ、ものをつくるつくり手の視点でも観ていたんです。そしてドキュメンタリーに収められていた塚本さんの姿を見て、アニメにしてみようとか自撮りにしてみようとか、そんなことまで考えていたのかと思わされて、そこでウルっときたんですよね。先ほどの浅野忠信さんのラストシーンがつながっていくことだったり、じつは『KOTOKO』(2012年公開)が『野火』の第一弾なんだとおっしゃっていたり。自分が撮った映画すべてが『野火』につながっているんだと。しかも塚本さんは、そういうことを淡々と話すんですよ。情熱的にプレゼンするのではなく、さも当たり前のことのように。なんというか、これは『広告』の冒頭にも書いたんですけれど、まるで『野火』を撮ることをプログラムされて生まれてきたかのような。「撮らないといけない人なんだ」「撮ることが当たり前のように生きてきた人なんだ」と思って。その辺でまた目に涙がたまってきてしまって。
塚本:そこでウルっと来たという人は、やっぱり初めてですね(笑)。
小野:もうひとつグッときたのは、塚本さんは監督されたほとんどの作品に俳優として出演されているんですけれど、本来『野火』には俳優として出るつもりはなかったんですよね。でも、『野火』のあとにマーティン・スコセッシ監督の『沈黙 -サイレンス-』(2017年日本公開、原作は遠藤周作)に出演が決まったので、そこにつなげるために自分が出演する意味があるんだと。『野火』までがつながっていたのかと思いきや、さらにその先へもつながっていくという。つくり手であることをまっとうしようとしている姿を見て、僕は自分に疑問を持ってしまったんです。つくり手として、塚本さんのようにものづくりができているのだろうか、と。そう思った時に、自分自身が情けなくてくやしくて。だから、くやし涙みたいな感じでもあったんですよね。
映画は遊び
身支度を整え、泥にまみれる
小野:『野火』を撮り終えて、昨年に塚本さんは『斬、』を公開されました。一定の期間をおいてしっかりと作品を撮り続けられているモチベーションはどういったものなのでしょうか。
塚本:撮りたいものはいつも頭のなかにたくさんあるんです。ただ、そのなかには僕が撮りたいだけで、誰も観たくないかもしれない、と思えるものもあるんですよね。そうなると、どうもワクワクしてこない。僕以外の人にも必要とされる映画じゃないと。それは大きくみんなに必要とされているものかもしれませんし、あるいはもうちょっと水面下のレベルかもしれません。たとえば『鉄男』とかサイバーパンクなジャンルを撮っていた時は、水面下にそうしたもぞもぞとした動きがあったんです。同じように、自分もつくりたいし、それを汲み取れば多くの人たちの興味につながると思えたら、早く撮らなきゃっていう焦りにも似たモチベーションがわいてくるのかもしれませんね。
もうひとつ、映画を撮るという行為そのもので言うと、ずっと好きで好きでたまらないものですから、すべての作品に初期衝動的なものが必ず見つかるんです。初めて映画に夢中になったころの、遊びのような感覚というか。だからいつまでも遊んでいられるし、飽きがこないんですね。ずっと映画のことを考えていられるということも、僕にとって大事なことなのかもしれませんね。
小野:すごく印象的なお話です。塚本さんにとって、映画は遊びなんですね。
塚本:うまく言えないんですけれど、子どものころって泥まみれで無茶苦茶になって遊びますよね。同じことを大人になってやったらバカみたいなわけですけど、本当はしたいんですよ、泥んこ遊びが。その代わりが映画ですよね。映画って本当にみんなで泥まみれになって撮りしますし、名だたる巨匠たちがそこに心血を注いできた歴史があるんですね。ただ、ちょっとでも気を緩めると観るに耐えない泥遊びになっちゃいますから、そうならないように、真剣に身支度を整えて泥遊びをする。誰かに止められても、どうしてもやってしまう遊びなんですよね。
小野:遊べると思ったら、動いてしまう。
塚本:もう、どんどん動いちゃいますね。それを、ただただ繰り返してきたというか。『野火』の時は、なんだか虫が蠢くように長いことつくっていました。屋根の上に蜘蛛を放置しておくと、ものすごく壮大な蜘蛛の巣をつくりますけれど、あんな感じで。楽しい楽しくないではなく、ただただ毎日虫のように。
小野:ドキュメンタリーで話す塚本さんの姿は、まさにそんな感じでした。なんというか、鬼気迫るという感じではなく。
塚本:そうですね、鬼気は迫らないですね(笑)。
小野:鬼気迫らないと言われると、またなんだかつくり手のあり方を考えさせられてしまいます。
監督でありながらすべてやる
その姿勢はどこから来るのか?
小野:塚本さんは監督であり俳優であるだけじゃなく、ご自分で資金を集めた作品が多いですよね。プロフィールには監督、脚本、撮影、出演など、と書かれていますけれど、この“など”に含まれている部分はとても大きいと思うんです。普通の映画は分業されていて、相当な人数のスタッフにそれぞれの役割があって、監督はそれを指揮する立場ですけれど、塚本さんはすべてをやる。その姿勢というのはどこから来るのでしょうか。
塚本:8mmフィルムで映画を撮り始めたころは、プロフェッショナルではもちろんないので、自分で全部やっていたわけです。そのまま、カメラだけが変わっていったんですね。8mmが16mmになって、35mmになって、デジタルになって。映画の容器が変わっただけで、じつはずっと同じことをやっているというか。モチベーションだけは、中学生のころから変わらずに。
小野:それがデビュー作の『鉄男』の話ならわかるんですけど、基本的にずっとそのスタンスを続けてこられたのはすごいことだと思うんです。資金集めもして、脚本を書いて監督をして出演もされて、『野火』は配給もご自身で担当されたんですよね?
塚本:『野火』はもしかしたら誰も観てくれないんじゃないか、という心配もあったので、最初は自分でお金をかけずに配給せざるを得なかったんです。結果的にお客さんが来てくれて、2年目からはきちんと配給会社の方にお願いすることができました。
小野:そうだったんですね。
塚本:ただ、配給をお任せするにしてもお願いしっぱなしではなくて、映画をより多くのお客さんへ届けるためにポスターデザインまで関わらせてもらっているんですよ。これは僕の大好きな仕事でもあって、自分の映画をたくさんの人に届けたいという時に、どう影響していくかがわかるんですよね。お客さんがどのくらい入ったか、入らなかったか。すべての因果関係がしっかりわかる。劇場で毎日のように、「昨日は何人で、今日は何人だ」っていうのを最初から最後まで見ていくと、「次はこうしよう」という反省がしっかりできて、自給自足的ですごく気分がいいんですよ。自分で種を植えて、自分で売るような感覚というか。
小野:雑誌『広告』の場合、お金は会社から出るので資金集めはしなくていいし、かつ僕のお金ではないのでノーリスクなんです。これって、めちゃくちゃ贅沢なことなんですよね。だからこそ、「いいものをつくるとは、何か?」というテーマを掲げるにあたって、監督でありながらすべてをやる塚本さんの姿勢に心を打たれました。今回、『広告』を1円で売るということにしたんですが、価格の問題も含めていままでの流通に乗せられなかったんです。なので、自分たちでゼロから流通と販路を開拓しました。これは映画の配給に通じる部分があると思うんですが、編集部のスタッフに全国の書店さんをまわってもらって、「今週、何店舗まわる?」「書店さんの反応はどうだった?」っていう、実際の雑誌づくりではない部分もやって。僕らには1円で『広告』を届けたいという想いがありましたが、もちろん書店さんに迷惑はかけたくないんです。その上で、いっしょになって企んでもらいたかった。そうするためにはどうしたらいいのか、っていうのを考えて、賛同していただいた書店さんといっしょに実現できたわけですけれど、その作業もすごく楽しいものでした。
塚本:不思議に思ってたんですよ。1円だと消費税はどうなるんだろうとか考えてりして。この『広告』は7月24日に発売されて、もう数日経ってますけれど、どういった意見が多いんですか?
小野:「価値」を考えるきっかけになったっていうすごいポジティブな意見だったり、こんな本を1円で売るなんて紙の本を貶める行為だ! という意見だったり、賛否両論なんですが思っていたよりも否定的な意見は少ないんです。発売されてから毎日、1円という値付けに対する反応を追っているんですよね。あと、メルカリやアマゾンで転売もされていて、なるべくそうならないように工夫はしていたんですけれど、どうしても追いつかない部分がありました。これはある程度予測していたことでもあったので、そのままにするのではなく、じゃあどのくらいの冊数がどのくらいの価格で転売されてしまったのかをちゃんと記録していて、今後のためにレポートとして出そうと思っています。今回、実際にやってみて、塚本さんも先ほど「種を植えて、自分で売る」とおっしゃっていましたが、つくる以外の部分も大切で、楽しい作業なんだということがよくわかりました。
「価値あるもの」を生み出し続けるために必要なもの
小野:最後にお聞きしたいんですが、塚本さんの映画は世の中にとって意味がある、価値があるものだと思うんです。そういった作品を生み出し続けるために必要なものって、いったい何でしょうか。
塚本:難しいですね……。先ほども言いましたが、僕自身は時代の空気というか、いま必要とされているようなことに一所懸命にアンテナを立てているつもりなんです。そして、それになんとなく背中を押されているような気もします。時代のあと押しと自分のやりたいことがぴったり重なって、さらに自分の映画の系譜とか体験にシンクロするもの。かなり狭くなってしまうんですけど、それを見つけられた時は本当にもう、金の鉱脈を掘り当てたような感覚で、自分に歯止めが効かなくなっちゃいますね。
小野:何かが必要というより、止まれなくなっちゃうんですね。
塚本:映画を1本撮るのってすごく疲れるので、終わったらしばらく休もうといつも思うんですけれど、1日休んだだけでもう、「次の作品はどうするんだ!」と頭のなかが映画でいっぱいになるんです。そんなに急がなくてもいいじゃないか、って自分でも思うくらいに(笑)。でも、それがちょっと楽しいんですよね。そんなことを、ずっと繰り返し続けているということですかね。
文:増田謙治
塚本 晋也(つかもと しんや)
映画監督/俳優。1960年1月1日、東京・渋谷生まれ。14歳で初めて8mmカメラを手にする。’87年『電柱小僧の冒険』でPFFグランプリ受賞。’89年『鉄男』で劇場映画デビューと同時に、ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリ受賞。主な作品に、『東京フィスト』『バレット・バレエ』『双生児』『六月の蛇』『ヴィタール』『悪夢探偵』『KOTOKO』『野火』など。製作、監督、脚本、撮影、照明、美術、編集などすべてに関与してつくりあげる作品は、国内、海外で数多くの賞を受賞。北野武監督作『HANA-BI』がグランプリを受賞した’97年にはベネチア映画祭で審査員をつとめ、2005年にも2度目の審査員としてベネチア映画祭に参加している。俳優としても活躍。監督作のほとんどに出演するほか、他監督の作品にも多く出演。『とらばいゆ』『クロエ』『溺れる人』『殺し屋1』で’02年毎日映画コンクール男優助演賞を受賞。『野火』で’15年、同コンクールで男優主演賞を受賞。そのほかに庵野秀明『シン・ゴジラ』、マーティン・スコセッシ監督『沈黙 -サイレンス-』など。ナレーターとしての仕事も多い。
『野火』
第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなったなか、田村一等兵は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし負傷兵だらけで食料も困窮している最中、少ない食料しか持ち合わせていない田村は追い出され、部隊に戻るに戻れなくなったために野原を彷徨うことになる。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら、田村が見たものとは……。
監督:塚本晋也/原作:大岡昇平『野火』/出演:塚本晋也、リリー・フランキー、中村達也、森優作
2014年/日本/87分/PG12/配給:海獣シアター
【編集長の巻頭メッセージを全文公開】
雑誌『広告』リニューアル創刊にあたって設定された全体テーマ「いいものをつくる、とは何か?」は、塚本監督のつくり手としての姿勢に感銘を受けたことがきっかけのひとつでした。
いいものをつくる、とは何か?
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