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37 パクリと中国 〜 パクリ文化研究家 艾君(アイジュン)インタビュー

中国版のウィキペディアと言われる「百度百科」で「パクリ(山寨、シャンジャイ)」の項目を読んでいると、“艾君(アイジュン)”という人物の文章がたびたび引用されていることに気がついた。検索してみると、新聞記者や雑誌編集者などを経験し、“パクリ文化研究家”としても知られている人物と判明。中国の“著作”や“パクリ”について、どのように捉えているのだろうか。「微博(ウェイボー)」からメッセージを送ると、快く取材を受けてくれた。

取材場所として事務所か自宅を希望すると、北京市郊外にある別宅へと招かれた。最近、書斎としてマンションの一室を購入したという。

「パクリ」は中国語で「山寨(シャンジャイ)」と訳される。山中の砦を意味する俗語で、言わば“海賊版”ならぬ“山賊版”のような響きがある。パクリ品の多くが行政の目の届かない砦のような場所でつくられていたことから生まれた言葉だ。インタビュー中もアイジュン氏は「山寨(シャンジャイ)」という言葉を多用したが、どうやら彼は「パクリ」というより“オマージュ”、“パロディ”、“模倣”ぐらいの意味合いで捉えているようだ。便宜上、中国語の「山寨(シャンジャイ)」を日本語の「パクリ」として訳すが、アイジュン氏は“模倣”に近いニュアンスで話していることに留意してお読み頂きたい。

別宅はまだ改装中で、家具は膝の高さぐらいのテーブルとキャンプ用の折りたたみ椅子がある程度。中国茶を紙コップに注いでもらい、会話を始めた。アイジュン氏は、こう切り出した。

「パクリと聞いて思い出すのは、中国初の加湿器をつくった『亜都科技集団』の何魯敏(フー・ルーミン)のことだね。彼は1990年代に日本から加湿器を持ち込んで、分解して仕組みを調べ、同じような製品を生産することに成功したんです。当時は加湿器なんて見たこともない人がほとんどだから、『何だこのモクモクと煙の出るものは? 電気の無駄じゃないのか?』という反応でした。当時、私は新聞記者をしていたので、加湿器メーカーから試供品を譲り受け、『使ってみて欲しい、空気の乾燥を防ぐのに有効だと、読者に知らせて欲しい』と頼まれたんです」

いまで言うならば、インフルエンサーのような役割を担っていたのである。

「中国に加湿器を持ち込んだフー・ルーミンは、日本の加湿器を分解して構造を研究し、新たに中国で加湿器をつくったわけです。別に設計図を盗んだわけでもないし、技術を盗んだという証拠もない。これは二次創作と言えると思います。日本製のものより不格好でしたが、ブランド名も変えてありました。

’90年代の中国は、それはもう遅れた国だったんです。科学技術で日本に追いつこうなんて、笑い話にしか聞こえない時代でした。じゃあ、追いつくためにどうするかといったら、進んだ国の製品を分解して、研究するしかないんです。当時は“パクリ”という言葉はまだなく、“複製”とか“模倣”といった言葉で説明していました」

中国では1978年から“改革開放”が始まり、資本主義へと舵を切り出した。ゆっくりと社会変革が進み、10年ほどの時間をかけて、’90年代頃からようやく国全体に資本主義の地盤が整ったと言える。

「改革開放以前は、文系重視・理系軽視だったんですが、改革開放後は逆転しました。“理系の学問を修めれば、天下に恐れるものなし(学好数理化、走遍天下也不怕)”をスローガンに、理系の学生が増大したのです」

当時(1990年)の日本と中国のGDPを比較すると、10倍近い開きがある。現在の日本と10倍近い差がある国というと、パキスタンやナイジェリア、南アフリカなどだ。いまや経済大国としてアメリカと対峙している中国だが、30年前はアフリカ同然の“貧しい国”だったことは、パクリを考える上で重要なポイントだ。

「開発の遅れた国が発展するには、“パクリ”は絶対にとおる道なのです。パクリをせずに発展することは、あり得ないと言ってもいい。いまの中国は、ある部分では日本を追い越したところもありますが、それも“パクリ(模倣)”の成果だと思います。最先端を走る人と並ぶことができてから、初めてイノベーションが生まれるのです」

あらゆるプロダクトは、何かのパクリ

アイジュン氏が“パクリ(模倣)”をかなり肯定的に捉えていることは、インタビューを始めてすぐに気がついた。だが、そもそもアイジュン氏がパクリに興味を持ったきっかけは、何だったのだろうか。

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