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45 プロデューサーの著作性 〜 アゲハスプリングス代表 玉井健二インタビュー

「○○プロデュースによる期待の新人アーティスト」とはよく聞くキャッチコピーではないだろうか。しかし、考えてみれば「プロデューサー」とは一体どんな仕事なのだろう。アーティストのイメージをつくる人? それとも曲をつくる人?

おそらく明快にその定義をできる人はほとんどいないだろう。いまいち何をしているのか分からない仕事であるがゆえに、「プロデューサー」という言葉にはどうしてもちょっと怪しげなイメージがつきまとってしまう。

しかし、考えてみれば、それと同時に「アーティスト」とはどんな存在なのだろうか? 美術家としてのアーティストならば想像はつくが、ミュージシャンとしての文脈における「アーティスト」も、プロデューサー同様にはっきりとしない仕事ではないだろうか。

そもそも「歌手」とは違うのか? 「アイドル」は「アーティスト」なのか? 作詞作曲していれば「アーティスト」なのか? 歌詞だけ書いている場合は? 曲も歌詞も書いていない場合は?


「プロデューサー、多岐にわたりすぎ」問題

ザ・ビートルズを例に考えてみよう。アーティストはザ・ビートルズという4人組バンドである。そしてそのプロデューサーは“5人目のビートルズ”として知られているジョージ・マーティンだ。クラシック音楽の素養を持っていたジョージ・マーティンは、イギリスの港町に育った4人の若者たちに欠けていた音楽制作の技術や見識など様々なアドバイスを与えたほか、編曲をする際には楽器の演奏も手助けすることで、ビートルズの音楽を普遍的なポップミュージックへと昇華させた、紛れもない伝説的プロデューサーである。

しかし、その一方でビートルズのイメージづくりにもっとも貢献した人物はマネージャーを務めたブライアン・エプスタインだ。ジョージ・マーティン同様に“5人目のビートルズ”と呼ばれるこの男性は、リバプールの荒くれものだったビートルズを売り出すために、革ジャンにリーゼントという古めかしいロックンロールバンド然とした格好をそろいのスーツと中性的な髪型に改め、演奏の最後にはお辞儀をさせるようにした。このイメージ戦略は成功し、ビートルズは世界一の人気を誇るバンドへの道を歩むことになった。こうした功績からブライアン・エプスタインは「マネージャーとしての力だけではなく、プロデューサーとしての才能があった」とも称えられる伝説的存在となっている。

そう、このビートルズの例からもわかるとおり、ひと言で「プロデューサー」と言っても、音楽的な助言や最終判断をする者としての役割もあれば、アーティストのイメージづくりをはじめとしたプロモーション戦略を担う者としての役割もあるという、多面的な仕事なのだ。そしてそれらすべてをひとりで請け負う必要はなく、分野ごとにプロデューサーがいてもなんらおかしい話ではないのだ。

ここ日本に目を向けてみれば、故ジャニー喜多川のようにアイドルグループの結成からイメージづくりまでを行なったプロデューサーもいれば、それらの仕事に加えて作詞を一手に引き受ける秋元康のような例もある。1990年代のJ-POPをつくり上げた小室哲哉や小林武史は自らが楽器奏者であり、なおかつ作詞・作曲・編曲のすべて(あるいはそれらの組み合わせ)を行なう実質的な楽曲制作者だった。

また、クラブミュージックの世界においてはDJで培った音楽的知識を活かしたプロデューサーや、プロデューサー出身のDJも存在するし、ヒップホップの世界においてはラッパーがラップあるいは歌唱するためのビート制作者をプロデューサーと呼ぶ文化がある。

そして現在のポップミュージックには、それらクラブミュージックやヒップホップが密接にかかわり、その垣根は曖昧になっている。それと同時に「プロデューサー」の定義はさらに複雑化していると言えるだろう。

プロデューサーも「プロデューサー」に混乱している

では、実際に音楽業界で活躍するプロデューサーは、自らの仕事をどのように定義しているのだろうか? J-POPの世界において数々のヒット曲を手がけるトッププロデューサーたちが多数在籍する“プロデューサー事務所”とも言える会社「アゲハスプリングス」の代表であり、自らもプロデューサーとしてYUKIなどのトップアーティストを手がけてきた玉井健二氏に話を伺うことにした。

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