河合隼雄さんと「関西弁力」に迫る (土井元編集長イチオシ記事)
「なぜ関西人だけが、東京でも方言(関西弁)をでかい声で話すの?」「最近、関西弁を話す若者が、東京でも増えていないか?」「関西弁で話をされると、まるめ込まれやすい気がする」
関西弁の持つ特徴や計り知れないパワー=「関西弁力」について、臨床心理学者で文化庁長官の河合隼雄さんと話し合い、5つのキーワードで解き明かしてみました。
関西弁力 その一
ニュアンスで「まあるくする」力
編集部:今日は「関西弁力」について、お伺いしたいと思います。
河合:関西弁力は何ボルトで?
編集部:それは関西電力ですわ(笑)。先日、大阪の街角で「しんどい会社の処分品」と貼り紙して、倒産処分品を売っているのを見かけました。このように関西弁には、言葉を丸くする力があると思うのですが?
河合:それはもう、あらゆるところに、あるんじゃないでしょうか。「倒産」というのは、ひとつの概念がピタッとあるわけですね。ところが、「しんどい」は概念じゃなくて、体感の方から来るから……。
編集部:「助けてェ〜な」という感じがしますね。
河合:「しんどい会社」というと、ひょっとしたら倒れていないのかもしれないんですね。でも「倒産」と言ったら、絶対に倒れているわけですから、洒落にならない。関西弁は、こういった曖昧さや、さまざまなニュアンスを併せ持つ言葉なんです。そこにユーモアが出てくるんですね。
編集部:曖昧で、ニュアンスを持った表現のほうが、日本人にとっては、心地よいのでしょうか?
河合:言葉は概念だけでは、無理が生じてしまうんです。だいたい、自然というものは曖昧でしょう? 「本日より春になりました」って、そんなバカなことはあり得ないわけです。土地もそう。全部繋がっているのに、「ここからはおまえの土地」だなんて、本来、誰のものでもないはずでしょう。人間がそういうのを区分し、明確にすることをやり抜いたのが、西欧的な考え方ですね。その強さで今、世界をリードしているわけですが。
編集部:最近は、東京の若者も関西弁を日常的に使います。例えば、「めっちゃ」とか。
河合:関西弁なら、自分の気持ちを言いやすいからね。「めっちゃ」と「たいへん」とでは、ニュアンスが違うんです。「めっちゃ」のほうが、何だかユーモラスな感じになってくる。「たいへん立派な方です」と言うと、襟を正すような感じがしますけど、「めっちゃ偉いんですよ」と言うと、実際のところ、偉いのかどうかもわからない(笑)。関西弁は、常に何かニュアンスを伴うような、そういう言葉です。
編集部:「アホ」も、ずいぶん使われるようになってきました。
河合:「アホ」も増えたんですねぇ。「あいつはアホやァ」と言うたら、これはおもしろいという意味。「おもろないヤツとは、ちょっとつき合うのはやめとこ」となるけど、「アホやァ」言うたら、ちょっとつき合おうてみようかと思う。「アホ」のニュアンスは、ものすごい広いんです。親しみが感じられるときもあるし、やっぱり本当に悪い場合もある(笑)。
関西弁力 その二
わたしとあなたの「境界をなくす」力
編集部:大学生は、自分たちのことを「うちら」って呼ぶようです。これも関西弁がルーツかと。
河合:「わたくしが」と言うと、全責任が「わたくし」にかかってくるんですね。「うちらが」と言ったら、みんなちょっとずつ責任が入ってるみたいでしょう(笑)。
昔の言葉で「われら」というのがあります。自分のことを「われら」と言うんです。日本的な考え方をすると、一人称単数を使うこと自体がもう失礼なんですね。つまり、みんなで一緒にやっているのに「わたくしは」と言うと、自分だけがパッと違う立ち位置になってしまうでしょう。
編集部:日本人は建物でも境界をつくらないですね。「うち」だって、「ら」を付けて一人称に区切らないのと同じように。
河合:まさに、縁側がそうですね。縁側というは、家の外みたいな、中みたいなところ。そういう感覚が日本人は好きなんです。「うちら」の「ら」は縁側、という考え方はおもしろいね。
編集部:大阪では「あなた」のことを「じぶん」って言いますよね。
河合:はい。要するに、「うちら」で繋がってみたり、「じぶん」ということで繋がったりしているんです。「アイ」がこっちにおって、「ユー」が向こうというのは繋がっていない。「あなたは、お茶を飲むか」と言ったら、僕が飲むか、飲まないかは関係ない。でも、「じぶんも飲むか」と言ったら、僕も飲んでるかもわからんですよ。どこかでそういう繋がり方をしています。
関西弁力 その三
人間関係を「チャラにする」力
編集部:関西弁を使って助けられた、役に立ったことはありますか。
河合:一番効果があったのが、学生運動の団体交渉の時です。学生がヘルメットをかぶってワーッと来る。「河合、オイッ」というような時に、「その件に関しましては」と、ここまでは標準語で話します。ところが、その次に「せやけど、お前らもおかしいやないか」と関西弁で続けると、学生は「あ、あ…」と、拍子抜けしてしまう。あとは「というわけやから、知るかァ〜」と言って、それでもう終わりなんですよ(笑)。それを「君たちもおやりになっているように」なんて言ったら、殴られるかもわからんね。
関西弁でいくと、スーッと入るんやね。ところが、関西弁ばかり使うとダメだから、適当に標準語を使って「ここだァー」いう時に上手に使うんですよ。
編集部:関西弁は、人間関係を素の状態、つまり「チャラ」にしますよね。学生部長とヘルメットをかぶった学生という関係を。
河合:もう一瞬にして変えますね。学生たちも教授の気持ちを、本当にわかったら喧嘩にはならんわけでしょう。だから、気持ちを抑えて「これはどう思うのかァー」「ダメじゃないかァー」と言わないと喧嘩にならんのですよ。彼らも、笑ったら負けなんです。そやけど、つい笑ってしまうわけで。学生が一度、笑ってしまったあとで「ふざけるなァ〜」と言い返してきたって、「アカンでぇ、それは」と(笑)。
編集部:笑わせたら勝ちですよね。笑ったほうが負けですよ。
河合:ヘタなことを言うと、「まじめにやれェ〜」って殴られるかもわからんですから。その殴られるか、笑わせられるかの境目でやる快感、あれはピッチャーと一緒やと思うね(笑)。
関西弁力 その四
相手から「引き出す」力
編集部:ある精神医学の先生が「関西人のほうが、相手の気持ちを引き出す心理カウンセリングは上手」と言っていましたが。
河合:私は仕事柄、自分の存在とか、身体に結びついたような言葉を言わねばならないから、どうしても関西弁になります。東大でカウンセリングの講義をしたら、「先生のやり方はすごいけど、それは関西弁でないと、できないんじゃないんですか」と言われました。標準語を使うと、なんかちょっと突き放したような言い方になりますね。関西弁はきついことを言っているようだけど、繋がっているところがあるでしょう。ところが、標準語になっていくと、自分の心から、ちょっと切れるんです。そのかわりに、形は整うから、やりやすいところもある。でも、何かつくりごとになっていくんですね。その点、関西弁をそのまま使えば、自分の心と密着して話せますから。
編集部:心理カウンセリングと一緒にして失礼ですが、漫才のボケとツッコミも、相方から何かを引き出すことが基本ですね。
河合:ボケがおるからツッコミができるわけでしょう。ボケ役はすごく大事です。ボケが標準語を使ったら、全然ボケにならないね。
関西弁力 その五
切れたものを「繋げる」力
編集部:言葉と身体の繋がりについて、さらに伺いたいのですが。
河合:その人の生まれたところの言葉……特に関西弁は強いですよね。言葉というものは、ものすごく概念化されていく面と、非常に自分の身体的なものに結びついている面の両方あって、概念化されていくと「数」になるわけです。
編集部:言葉の持つ身体的な面への欲求が、若い人たちにも出てきたのでしょうか。
河合:出てきたんです。「追いつき、追い越せ」という時代は、身体から離れても、言葉をちゃんと言わないといかんという気持ちがあったでしょう。でも、ここにきて、(言葉と身体との間に)乖離があることに気づき始めたんですね。標準語は人工的につくられたものですから、便利なんだけど、人間存在というものからは、ちょっと切れていくわけですよ。
それと、日本人は経済では(世界に)追いついてしまったものだから、無理して堅いことを言わなくても、自分の気持ちをもっと表に出していいんじゃないの、と思い始めたこともあります。「追いつき、追い越せ」時代は横を見ているヒマがないから、話題がなくなるんです。ところが、今は、笑いが大事だと、みんながわかってきました。関西弁には笑いとかユーモアが入っているから、受け入れられてきたんだと思いますね。
編集部:関西弁が、東京進出している背景には、現代人の心理的な閉塞感もあるのでしょうか。
河合:今、日本人は、人と人とのつながりが非常に難しくなってきています。昔の日本だったら、仲良くなったら、もうベターッといつも一緒なんですね。そやからいっぺん、そのベターッとした関係を切らないかんわけです。家族でも近所でも、ベタベタひっつかれたら、たまったものやないで、と。それで、しがらみを切るということを考え過ぎて、切り過ぎてしまったから、みんな孤独になっているんです。今、改めて、どう繋がったらいいか、ものすごう難しいんですよ。変なふうに繋ぐと、またベタベタっと来られる。これは嫌でしょう。
言葉も同じです。標準語を使って繋がりを切っているうちに、繋がり方がわからなくなってきたんですよ。一方で、関西弁は、わりと曖昧さとか、繋がりとかを残しているわけです。だから、切れた部分を回復するのに便利なんですね。それこそ喧嘩になりにくい。対立しにくいところもあります。(関西弁の進出には)そういう意味もあると思いますよ。
まとめ
河合隼雄さんと考えた「関西弁力」とは
吉本系お笑い芸人の東京進出とともに、関西弁はかなりメジャーになってきた。彼らの功績はとても大きい。ただし、それゆえ、関西弁のおもしろおかしい側面ばかりが注目されるように──。今回のインタビューでは深層心理の視点からも、今、日本人が関西弁的なる力を求めていることが解き明かされた。
河合隼雄さんと話していて、ふと「トリックスター」という心理学の概念を思い出した。「神話や伝説の中で活躍するいたずら者で、壊すものであり、作り出すものである」トリックスター。普段は、とらえどころのない、いたずら者だが、ひとたび起爆すると、すべてを壊して新たな価値を生み出す。これは、かなり関西弁に似ているように思われる。
また、河合さんは、遊び心もあり、個人の立場から「関西弁公用語化」を提唱されているが、今や本気で考えるべき時かな、と思う。
いや、「公用語」として認定されなくても、関西弁は、その雑草的な力強さで、ますますはびこっていくだろう。
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首都圏における「関西弁」浸透度
首都圏における関西弁の浸透度を、定量的に検証した「おもろい」データを発見。関西学院大学の陣内正敬教授が実施した調査によると、関西弁の代表格である「うちら」「しんどい」「めっちゃ」などは60%以上の大学生に使われている。2000年実施の調査なので、その後の浸透スピードも考慮すると、現在では、 かなり市民権を得ていると考えられる。
また、10代20代の若者で、「会話の中で、関西弁を使えたら良いなぁ」と思うことがある人も過半数を超えており、「円滑なコミュニケーション手段としての関西弁」という河合隼雄さんの説を裏付ける結果となっている。
河合隼雄(かわい・はやお)
文化庁長官。京都大学名誉教授。臨床心理学者。1928年、兵庫県生まれ。1952年、京都大学理学部卒業。1965年、スイスのユング研究所よりユング派分析家の資格を取得、日本にユング派心理療法を確立した。著書に『ユング心理学入門』(培風館)、『昔話と日本人の心』(岩波書店)、『こころの処方箋』(新潮社)、他多数。最新刊は『心の扉を開く』(岩波書店)
取材・文:鈴木雄介 構成:山田祐規子 撮影:平野哲郎
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『広告』2006年6月号 vol.367
特集「ことばエネルギー」
▶ こちらよりご覧ください
※2006年4月26日発行 雑誌『広告』vol.367 特集「ことばエネルギー」より転載。記事内容はすべて発行当時のものです。