57 輸送進化論 〜 世界は輸送でできている
世界中どこからでもものが届く。それがあたりまえになりつつあるなか、2020年は特別な年になった。コロナ禍の影響を受け、人の移動だけでなくものの移動までもがストップした。輸入農作物が届かず野菜価格は高騰、部品が入ってこないメーカーは商品の発売が滞った。中国に輸入の7割を依存していたマスクは、数カ月にわたって品切れと価格高騰に悩まされることとなった。そこで可視化されたのは、いままで意識されてこなかった「ものが運ばれ、届くということ」、すなわち「輸送」の存在だった。
あらゆるものを完全な自給自足で調達して生活している人(おそらくそんな人は現代社会にはほぼいないが)でない限り、何かしらのものをどこかから「運んできて」暮らしていることになる。そこには「輸送」が介在しており、運び手の存在がある。「輸送」は人類にとって必須の活動であり、いざ目を向けると実に奥が深いことに気づく。
有史以来、人類はものを運ぶことで様々なことを成し遂げてきた。ピラミッドの石運びから宇宙探査船のサンプル回収に至るまで、人類史をひも解けば輸送が人間の文明のどれだけ重要なパートを担い続けてきたかがわかる。本稿ではそんな「輸送」についての歴史を振り返りながら、その実情や課題、今後の可能性について考察する。
輸送にまつわる身近なものたち
普段の生活で輸送を意識することは多くないかもしれない。しかし、物理的なものが介在するあらゆる商品に輸送はつきまとう。日本ロジスティクスシステム協会によると、日本の物流コストは約40兆円から50兆円。日本のGDP比で約10%もの値であり、日本経済にとってかなり大きなウェイトを占めている。輸送はわれわれの経済に欠かせない存在なのである。
そんな輸送には、貨物スペースや揺れ・積み下ろしによる破損リスク、輸送にかかる時間など様々な制約がある。まずは輸送について興味を持ってもらうにあたり、そうした制約から生まれた、身近にある様々なものを紹介していこう。
・スペースの制約から生まれたフラットパック
ものを大量に輸送するとき、輸送を格段に変える要素のひとつはものの大きさだ。ものが大きいとそのぶんスペースが必要となり、輸送費もかかる。そんななか、「組み立て式の家具」は実に画期的な発明だった(※1)。組み立て式家具を世界的に有名したのはIKEAだ。1943年に設立されたIKEAは1950年頃から「フラットパック」と呼ばれる、分解した商品を可能な限り薄い梱包でまとめることで輸送を容易にする商品設計で人気を呼んだ。
近年ではさらに意外なものまで「フラットパック」で販売されようとしている。イギリスの「OX」が主にアフリカ向けに開発している、箱詰めされた「組み立て式自動車」だ(現時点ではプロトタイプ)。箱詰めにすることで安価に船で輸送することができ、到着後は慣れた人が3人いれば12時間程度で組み立てることができるという。シンプルで丈夫な構造がアフリカの悪路の走破を可能にし、さらに組み立て式なので修理も容易だという。
OXの組み立て式自動車 画像:「For Ride」ウェブサイトより
・破損リスクから生まれたあのお菓子
日本に住んでいればおそらく一度は口にしたことがあるだろう、やおきんのロングセラー商品「うまい棒」。ひとつ10円というその劇的な低価格は、輸送における破損リスクを逆転の発想で乗り越えたうえで実現している。うまい棒の製品原価は7円程度といわれている。利益を出すためには輸送費を格段に落とす必要があり、大量のうまい棒をトラックに詰め込み、ひとつあたりの輸送費を1円以下に抑えている。その際に重要になるのがうまい棒の「穴」だ。穴がなければ輸送の過程で割れてしまうことがあるのだが、筒状になっていることで構造的に強度が増し割れにくくなる。食感にも貢献している「穴」だが、実は輸送費の削減にも貢献しているのだ。
・時間の制約から人気を博したあの飲み物
昔の輸送はとにかく時間のかかるものだった。そんな時間の制約によって人気を博したもののひとつに紅茶がある。その誕生には諸説あるが、その一説を紹介する。大航海時代、中国のお茶がヨーロッパに初めて伝わった頃、中国人にとってお茶といえば緑茶であり、烏龍茶などの発酵茶がわずかにあるばかりだった。しかし、緑茶はヨーロッパへの長い船旅で茶葉が劣化してしまう問題があった。そのため、劣化しにくい発酵茶が人気を呼び、さらに発酵度を高めるなど改良を加えた結果、「紅茶」という新しい茶のジャンルが誕生し、ヨーロッパで広く愛されるようになったのである。
・運ぶ間においしくなるもの
輸送においては一般的に「いかに商品の状態を保つか?」が重要視される。食品であればなおさらで、冷凍技術をはじめ多くの工夫が商品の鮮度を変えないために生み出されてきた。
しかし、輸送中に商品状態を“フリーズ”させてしまうのは、ものによってはもったいないことかもしれない。2006年、運搬時の船の揺れがワインの熟成を加速させると考えたフランスのワインメーカーがある実験をした。自社の所蔵する2万1,000本のワインを船に積み、世界一周の旅に送り出したのだ。翌年、無事に世界を一周して帰ってきたワインは倉庫に保管してあった同じ年のワインと比べて格段に味が向上していたという。
実は日本にも似た話がある(※2)。江戸時代、上方(大坂や京都)から江戸に運ばれた日本酒は「下り酒」と呼ばれた。初期は馬の背で運ばれていたが、のちに船での輸送に移り変わっていく。この際、最初は飲みづらかった酒が江戸に着く頃にはいつのまにか柔らかく丸みのある味になっていたという。こうして江戸で人気を博した「下り酒」だったが、なんと江戸まで運んだうえでそのまま上方まで持って帰ってきた「戻り酒」というものがさらに珍重されたというから驚きである。
アラビア商人が羊の胃袋でつくった水筒に乳を入れて運んでいたとき、いつのまにか分離して固形になったものがチーズの始まりだという逸話もある。「輸送」を単なるコストとしてではなく、より創造的なものとみなすことで広がるものづくりの可能性もあるかもしれない。
輸送の人類史
歴史を振り返ると、人類にとって輸送は重要な活動であった。あるコミュニティとあるコミュニティが輸送路によってつながると、それぞれで余っているもの(かつ、もう片方にとって足りないもの)を交換できるようになる。たとえば海辺の村と山裾の村が海の幸と山の幸を交換する。こうして交易が始まると、互いに得意なものに集中していく、というのが古典経済学で知られる「比較優位」の原則だ。すなわち、ものを届け交換しあうことができれば、分業が成立するのである。
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