48 独占か、共有か。特許とITの50年史
テクノロジー企業は、つねに特許と戦いながらビジネスをしている。特許はビジネスを阻む盾であると同時に、攻めるための矛でもある。ただし、特許そのものの価値や扱いは時代とともに大きく変化している。とくにIT技術は特許戦略の変遷とともにあった、と言っても過言ではない。テクノロジーと企業、そして特許のあり方とはなんだったのか、ここで歴史を振り返ってみよう。
いかに「結果を得るか」。企業の利益は「特許」で大きく変わる
特許(パテント)の歴史は古い。近代特許制度は15世紀に登場したと言われており、18世紀末から19世紀初頭の産業革命を支えたのも、19世紀末から20世紀初頭の「発明の時代」を支えたのも、特許によって新技術開発の価値が保護され、開発競争が加速したためだ。
先に開発し、申請したものが利益を得るという古典的な状況は、開発するものが複雑化していくと同時に、様相を変えていく。特許で守られた技術をいかに別の手法でかいくぐるか、という戦いが広がっていくからだ。
そうした展開のなかで、もっとも有名かつ鮮烈な例は、米ゼロックスによるコピー機特許をかいくぐったキヤノンの例が挙げられる。
ゼロックスは1960年、乾式静電印刷に写真の技術を組み合わせた「乾式複写」を用いた普通紙への複写機、すなわち現在のコピー機の原型となる「Xerox 914」を発売した。年配の方だと、その昔はコピーのことを「ゼロックス」と言ったことを覚えているかもしれない。「セロテープ」や「セメダイン」、「ホッチキス」のように、特定企業の製品がそのジャンル全体を指すようになってしまうことはよくあるが、ゼロックスとコピー機の関係はまさにそれだった。そのくらい、当時はゼロックスがシェアを独占しており、その理由は「特許戦略」にあった。
600にもおよぶ強固な特許を保持していたために、他社の参入する余地がなかったのだ。コピー機を実現するためにひとつでも侵害すると巨額の賠償金を請求される。シェアは100%に近く、そこからはファクスやレーザープリンターなど、いまでもお馴染みの関連製品が生まれていった。そしてそこもまた、ゼロックスの商圏となった。
1960年にゼロックスが発売した複写機「Xerox 914」 引用元:『プロジェクトX 挑戦者たち 17 壁を崩せ 不屈の闘志』(NHKプロジェクトX制作班編、日本放送出版協会、2003年)
だが、そこに対抗した企業がいた。キヤノンが1968年に、ゼロックスの特許を使用しない、別の仕組みによるコピー機「キヤノンNPシステム」を発表したのだ。ゼロックスは当然キヤノンの方式を調べ、ゼロックス方式との類似点を見つけ出し、キヤノンの特許を無効とする訴えを起こした。しかし結果的にはこの訴えは退けられ、キヤノンの特許が成立する。
「キヤノンNPシステム」の発表から2年後の1970年、ついに初の国産技術によるコピー機「NP-1100」を発売。キヤノンは「普通紙に、ほかの紙に書かれたものをコピーする」という結果をコピーしたものの、その過程である特許はコピーせずに実現した、ということだ。
これによって、コピー機を巡る特許を有するのはゼロックスだけではなくなり、独占状態は崩れた。このエピソードは、NHKのヒット番組『プロジェクトX 挑戦者たち』でも取り上げられ、現在に至るまで、キヤノンが特許重視の戦略を選び続けるルーツとなっている。
だが、コピー機=ゼロックス、という図式を崩したのは、なにもキヤノンの存在だけが理由ではない。ゼロックスがアメリカで独禁法違反に問われたのだ。1975年に和解したが、結果的に、コピー機製造のための特許を他社にライセンスしなくてはならなくなった。そこから数年でゼロックスのシェアは落ちていき、1980年代には10%台になってしまう。これは、キヤノンの特許とその特許の他社へのライセンス、そして独禁法対策によるゼロックス自身のライセンス供給による「ノウハウの拡散」こそが、ゼロックスの独占状態を終わらせたのである。
このエピソードは、特許の強みと最終的な壁を示す、興味深いものと言える。
アマゾンを勝利に導いた「1-Click特許」
時代はそこから十数年が経過する。’90年代になり、ついにインターネットが一般家庭に入り始める。
1994年に設立、1995年にオンライン書店としてビジネスをスタートしたのが、ご存じ「Amazon.com」だ。世界を統べる大手ITプラットフォーマーの一角であるアマゾンだが、その勝利にも「特許」が大きく関係している。1999年、アメリカでひとつの特許が認められた。それは俗に「1-Click特許」と呼ばれるものだ。
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