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激動の音楽業界をとおして見るコンテンツ流通の未来

映画・音楽ジャーナリスト 宇野維正 × ビートインク宣伝担当 白川雅士 × 編集者・ライター 照沼健太
『広告』流通特集号イベントレポート

リアル店舗からネット店舗、フィジカルメディアからデジタルデータなど、流通形態をほかの業界より先んじて変化させてきたとも言える音楽業界。そんな音楽業界でいま起こっていることは、数年後に様々な業界で起こるのではないだろうか? そんな仮説をもとに、コンテンツ流通の未来を考えるオンライントークイベントを去る3月3日、東京・下北沢の本屋B&Bの主催で開催しました。ゲストは『広告』流通特集号の「69 『韓流ブーム』から『アジアで独り勝ち』へ」という記事を寄稿していただいた映画・音楽ジャーナリストの宇野維正さん、音楽レーベル・ビートインク宣伝担当の白川雅士さん。そして流通特集号の「73 音楽と流通」「74 CDとレコードと、曽我部恵一の音楽」というふたつの記事で執筆をいただいた音楽・コンテンツ領域を得意とする編集者/ライターの照沼健太さんにモデレーターとなっていただき、それぞれのお立場から議論を交わしていただきました。

実は、CDはまだまだ売れている?

照沼:コロナ禍以降、コンテンツ業界、音楽業界は激変したと思います。本日はそうしたお話を伺っていければと思うのですが、その前段階として、ストリーミングやサブスクリプションサービスの登場によって音楽の現場にはどのような変化があったのか。もしくは実際は違うところに変化のきっかけがあるとしたらそれは何なのか、伺えればと思います。まず、ここ日本のCD売り上げは1998年にピークを記録し、それ以降右肩下がりが続いてきました。おふたりはCDの売り上げが落ちていく実感はありましたか?

宇野:もちろんです。とくに洋楽に関してはほとんどのレコード会社が壊滅的な状況に陥りましたよね。海外はNapsterをはじめとする違法サイトを経て、Spotifyなどの定額制ストリーミングサービスへと主な“市場”が移っていきました。それによって海外ではレコード会社ではなくアーティストが主導権を握るようになって、新曲や新作を配信でサプライズリリースするのがあたりまえとなり、ボーナストラックを収録した「日本盤」を売るという従来のスキーム自体がほぼ壊滅してしまいました。そして、日本の熱心な音楽ファンに関しては、定額制ストリーミングサービスが始まる前から、SoundCloudなどのフリー音源サイトや、ときには違法サイトなどからも新しい音楽をディグする方向に向かっていました。ラップのミックステープなんかはそういう領域で始まったカルチャーですから、そもそもいちばんアツい場所がインターネットになったともいえます。

白川:音楽消費は2000年代から「所有からアクセスへ」という方向に進み続けていますが、いちばん大きな変化はストリーミングサービスが普及した2010年代ではないかと感じますね。ただ、日本は特殊な市場なので、ストリーミングサービスに最初に飛びついた方々は、それまで輸入盤を掘っていたような音楽マニアでした。逆にライトユーザーにとっては、いまだに有料課金のサブスクはハードルが高いのではないでしょうか。実際、CDは売れにくくはなっていますが、まだまだヒットするCDはあるんですよ。うちのようなインディーレーベルでも、日本で愛されキャラとして浸透しているサンダーキャットのように配信含めて5万枚とか8万枚売れるものもありますから。ですので、レーベルとしてはまだ「CDは売れる」という実感はありますね。

照沼:現在、CDはどのような人たちに売れているのでしょうか?

白川:1990年代中盤以降にCDを買っていた40代以上の方と、ニッチなものが好きな音楽ファンですね。

照沼:やはり販路はアマゾンがメインでしょうか?

白川:アマゾンは全体の35%くらいで、意外と強いのがタワーレコードですね。

照沼:音楽ファンの多くは「配信とアナログの2択」と思っているのではないかと思いますが、オールドメディアとして扱われそうなメディアや小売店がまだまだ根強いのですね。

白川:近年ですと、ペプシコーラのCMで使われたThe HeavyというバンドがTwitterで話題となり、よく売れました。まだまだテレビも強いと思いましたね。

宇野:ただ、白川さんのいるビートインクは日本のレコード会社でも異端ということは指摘しておきたいですね。現在、日本は世界のポップミュージック市場のなかで明らかにポジションが低下していますが、エイベックスがブルーノ・マーズの版権を持っているなど局所的には存在感を発揮しています。そのうちのひとつが、アーティストのマネジメントや興行も手がけることでアーティストと密に独自の日本盤を企画できるビートインクだと思います。

白川:ストリーミングサービスの普及が始まった2010年代から、レコード会社のマネタイズの仕方がマネジメントや配信にシフトしてきました。その流れに乗れているか乗れていないのかは、ゲームメイキングの要素として大きいと感じます。

「サブスクではなく、YouTube」という現実

照沼:SpotifyやApple Musicなどの定額制ストリーミングサービスが世界中で普及するなか、音楽は変わっていったと思われますか?

宇野:洋楽邦楽の違い含め、いろんな局面があるので単純には言えないですね。ただし日本に関していえば、ストリーミングよりもニコニコ動画やYouTubeの影響力が大きく、それによりチャートミュージックが入れ替わった感じがあります。長い間、秋元康系、ジャニーズ系、LDH系のグループがチャート上位を独占するような状況が続いていましたが、米津玄師の国民的アーティスト化を経て、最近は歌い手やボカロP出身アーティストやTikTok発のシンガーがメインストリームを占拠するようになってきてます。そうした様相からも、日本の音楽のドラスティックな変化に寄与していたのは、ストリーミングサービスではなくニコニコ動画やYouTubeやTikTokなどの動画プラットフォームだったという現実があると言えます。

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白川:
ビートインクでインターンをしている若い子に話を聞くと、「いちばん音楽をチェックする場所はYouTube」と答えますね。無料だし、下手したら違法なものも含めてストリーミングより曲数が多いし、『鬼滅の刃』のようなMAD動画も増えてるしで、YouTubeはもっとも接しやすいメディアなんだと思います。

宇野:日本の音楽業界がなかなか人気アーティストの楽曲をApple MusicやSpotifyに解禁しなかったことにより、両者の成長が遅れ、まだ大半の映像が無許可アップロードだった時代のYouTubeや別の違法サービスが若者にとってのインフラとなってしまいました。それが地下のマグマのように熱を持つようになり、メインストリームではない市場ができたのではないでしょうか。しかし、最終的にはそれら歌い手やボカロ出身のアーティストも多くがメジャーと契約しています。インディペンデントやアンダーグラウンドの才能とファンダム、それらを最後に刈り取ったのはメジャーレーベルで、なかでもソニーは「うまいことやったな」と感じますね(笑)。

白川:そうですね。もはやソニーはナンバーワンのコンテンツ企業じゃないでしょうか?

宇野:YouTube発ヒットの登竜門チャンネル「THE FIRST TAKE」を運営してるのもソニーだし、AV機器メーカーとしてもすっかり復活しましたからね。

照沼:近年、竹内まりやが海外で人気を獲得しているように、YouTubeがきっかけで日本の音楽が世界中で“発見”される例は少なくありません。白川さんはレーベルの立場としてYouTubeはどう捉えていますか?

白川:まさに、どこでどう火がつくかわらかないという点で、YouTubeはとてもおもしろいですね。MVでおもしろがって、その後サブスクで聴いてもらえたらマネタイズにもなりますし、どうしてもモノで欲しい人にはアナログやCDがある。そうした選択肢がたくさんあるという意味では、いまは恵まれた時代だと感じますね。あとは、メディアやSNSで「こういう作品があるよ。こういうところで聴けるよ」という道筋をつくってもらえれば、みんながいい方向に動くのかなとも思っています。

失われるメディアと、それを代替した「フェス」

照沼:2000年代以降、CDの売上の右肩下がりと入れ替わるように、フェスは右肩上がりを続けてきました。

白川:1996年にフジロックが始まったときは、「山のなかまで行って大変な目にあって、どうなんだろう?」と疑問でしたし、実際その年のフジロックはCDの売上や流通に影響しませんでした。でも、2年目の1997年に豊洲でフジロックを開催してハードルが下がったことにより、フェスへの注目が集まりはじめましたね。そこからフェスブームが盛り上がるにつれて、2000年の中盤までは「フェスに出演するアーティストの予習をするためにCDを買う」という流れが実際にありました。ただ、それ以降はフェスの楽しみ方が変わり、音楽よりも自然環境やその場の雰囲気を共有する“体験重視”になり、あまりセールスに影響しなくなってきています。

宇野:2000年代に入ってからは、海外アーティストが日本でファンベースを築く上で単独公演とフェス出演のセットがマストになってましたよね。レコード会社がそれをうまく組まなかったアーティストは、世界中で人気なのに日本でだけ人気がない、という状況になりがちでした。2000年代以降、雑誌などの洋楽メディアがほぼ死んでしまったので、フェスがある意味で最大にして唯一のメディアとして機能したんですよね。

照沼:まさにそのとおりだと思います。

宇野:それ自体はいいことだとは思うのですが、その仕組みがつくれないアーティストが全然日本では認知されないという問題があって難しいですよね。ジャーナリストの立場からすると国内フェスのラインナップについて、海外フェスとのギャップがずっと気になってきました。なかでもブラックミュージックについては、日本と海外とで致命的な温度差ができてしまいました。フジロックを運営しているスマッシュにせよ、サマーソニックのクリエイティブマンにせよ、基本的には白人のロックやビートミュージックに強いプロモーターでしたからね。逆に、かつて1980年代や1990年代に素行不良なラッパーを日本に呼んでいたプロモーターは継続的な経営ができなかった。その結果、こうした状況になってしまったのだという感覚が強くあります。

照沼:なるほど。

宇野:そうなってくると海外アーティストも日本のマーケットを重視しなくなってきます。実際、ビヨンセは2000年代はワールドツアーを日本から始めていたんですよ。東京ドームあたりの会場で。でも、いまはそんなの夢のまた夢です。2007年頃のビヨンセといまのビヨンセだとアーティストパワーが10倍くらいになっていると思いますが、一方で日本のマーケットでのビヨンセの存在感は当時の10分の1くらいになっていて。おそらくいまビヨンセが来日しても、東京ドームは埋まらないでしょう。この“ねじれ”をつくったひとつの要因は、フェスしかメディアとして機能しなくなった状況だと認識しています。

照沼:そうした流れは音楽に限らず、映画にも当てはまると思いますか?

宇野:日本における“人気アーティスト”や“映画スター”が1990年代頃の認識で固定化されているのは、同じ現象ですね。ブラッド・ピットとかジョニー・デップ、下手すればトム・クルーズで止まっているという。まあ、流石にここ3〜4年でオーディエンスやリスナーが世代交代したという印象もありますが……。しかし、どちらにせよ映画の場合、音楽より深刻です。洋楽は歌詞対訳がなくても聴けますが、海外映画は字幕つけて宣伝してくれないと存在しないようなものですから。それがこのコロナ禍で加速しているのが本当に悩ましいですね。

また、プロモーション来日もシビアで、振り返れば2011年の東日本大震災がターニングポイントになっていました。あのときに来日を辞めた役者が多く、当時は一時的なものかと思っていたのですが、そこから途絶えて“昔のスター”しか来なくなりました。みんな中国や韓国では一生懸命プロモーションするけれど、日本には寄らずに帰ってしまう。このコロナ禍も、あとから考えるとさらに溝ができる“きっかけ”だったということが起こると思います。

白川:ただ、マーケット規模で言えば中国は圧倒的ですから、「そりゃ日本は外すわ」とも感じますけどね。韓国もNFLのハーフタイムショーに広告を打ったりするくらいですから、その判断は正しいと思います。

宇野:とはいえ、韓国は日本より人口が少ないですからね。しかし、日本人が平均すると年間1〜2回くらいしか映画館に行かないのに対し、韓国の人は年間平均で10本くらいは映画を観ます。こうしたデータからも「日本は文化を愛していない国だ」と捉えられても仕方ないと思います。音楽に関しては、ストリーミングサービスの再生数をとおして、ほとんどのアーティストがそれをはっきりと認識したのではないでしょうか。日本よりもシンガポールで楽曲が再生されていたら、日本は飛ばしてもそっちに行きますよね。切ない話ですけど。

照沼:白川さんは「Spotifyの再生数で来日するかどうかを判断する」という現象について、実感はありますか?

白川:うちは扱っている音楽が特殊でエッジーなものが多いので、ビートインクで取り扱っているアーティストを中国ツアーに回すかというと、それはまた違いますね。ですので、それについてはなんとも言えないです。

宇野:ビートインクみたいな会社がほかにもいっぱいあればいいんですけどね。なくなってしまう会社も多いですし。

白川:うちは古いスタイルのレコード会社でもあるんですけど、しっかりと“動いている”ということをSNSでもなんでも見せていかないとマズイと思っています。「このアーティストの新作、出てたの?」ということが平気で起こるようになりますから。

照沼:近年、そういう状況がすごく増えている気がしますね。そこそこ有名なアーティストの新作なのに、出ていることが知られていないというパターン。

白川:「ほかのインディーレーベルも頑張れ」と言いたくなってしまいます。

宇野:ただ、僕はここ数年フェスの現場に行って、若い世代にすごく期待していたんですよ。2018年のサマーソニックにビリー・アイリッシュが出演したとき、出番はお昼でした。当時すでに世界的な人気からするとあり得ない時間帯ではあるのですが、アジアから観に来た子たちに混じって、日本の子たちもしっかりいたんです。その子たちが世代交代をしていってくれれば、いろんなことが変わるのではないかと期待を寄せていたのですが、新型コロナウイルスでいろんなことが変わってしまいました。

コロナ以降、失われた未来

照沼:コロナ禍はレコーディング作品のリリースよりも、ライブやフェスに大きな影響を与えました。実際、ビートインクもサンダーキャットやスクエアプッシャーの来日公演を延期しています。

白川:非常に苦しいですよね。みなさんライブに行きたいと思っているはずなのですが、政府が会場キャパの50%までしか入れてはいけないなどと言っている。とはいえ、うちも「そんなの関係ない」なんて言うわけにはいかないですし、どうしたらいいのか……という状況です。

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照沼:
最大50%の動員では、やはり赤字にしかならないのでしょうか。

白川:赤字です。

宇野:ビートインク的に、興行は収益のどれくらいを占めているのでしょうか?

白川:50〜60%くらいですね。

宇野:それは大変ですよね。

白川:リスクは大きいのですが、人気のあるアーティストに育ててツアーを回すというのがうちの考えなんです。通常、キャパ設定も8割集客でペイできるように組むと思うのですが、うちはそれ以上入ってペイできるように値段設定でお得感を出しています。ですので、早く普通にライブできるようになってほしいというのが本音ですね。

照沼:アーティストはこの状況をどう考えているのでしょうか?

白川:幸いにも、うちでブッキングしているアーティストに関しては「日本に行きたい」と言ってくれています。サンダーキャットも2週間隔離で呼ぶ予定ですよ。「それでも日本に行きたいから」と言ってくれたので。でも、国と国との関係もあるし、いろいろとハッキリしないといけないと思い断念しました。個人的にはオリンピックはどうでもいいのですが、オリンピックをやることによって人の往来ができるようになるなら来日公演の可能性も大きくなるので、レーベルとしてはやってほしいという思いもあります。

宇野:ライブは海外に限らず大変ですよね。本当に「コロナで風景が変わってしまったな」と思います。さっきも言ったように、去年まではいろんな意味で期待していたんですよ。洋楽がマニアだけのものになっていたところに、若い世代によってまた復活する流れみたいなものを感じていたので。実際、ビリー・アイリッシュもすごく売れたし、開催予定だったフェス「スーパーソニック」ではポスト・マローンが大トリの予定でしたから。それってエポックメイキングなことですよ。さらにはライブネイションが力を入れて、日本を興行マーケットとして再定義する動きもありました。それらの動きから「これは海外のポップカルチャーに関して、新しい時代が来るのかな」と思っていたのに、全部なくなってしまいましたからね。短期的にフェスやライブが中止されるだけではなく、もっと大局的なところで“大きな流れ”が変わった気がして、僕自身いろいろ考え直さないといけないなと感じています。

それでも新しいものは生まれていく

照沼:もちろんライブが開催できないのは悲しいことですし、何よりそこで働いている人たちにとっては大きな死活問題ですので、国もしっかりと補償をして欲しいと思います。ただ、その一方で、あえて無責任なリスナーという立場に立つのなら、「アルバムをリリースして、1〜2年ほどツアーを回る」というルーティンから解放されたミュージシャンがどんな音楽を聴かせてくれるのかという期待感があるのも事実です。

白川:そうですね。この制約のなかで、“何か”を見つけた人がゲームチェンジャーとして伸びる気がしますよね。

照沼:近年の日本のチャート上位にいるアーティストの移り変わりも、それに似た「これからどうなるのだろう」というワクワクがあります。

宇野:ミスチル、スピッツ、宇多田ヒカル、椎名林檎といった感じで、1990年代から近年まで、日本ではメインストリームのプレイヤーがほぼ変わっていませんでした。そんな国なんてほかにはないのですが、ここ数年でそこがガラッと変わってきた。そこにはやはり興奮はありますね。僕がいちばん嫌いなこの国の文化として、CMで若い役者やモデルに昔の歌を歌わせるっていうものがあるんですよ。あれはカルチャーハラスメントなんじゃないかって。

白川:でも、民放のテレビを観てるメイン層が喜ぶのはそういうものなんだと思いますよ。

宇野:もちろん正解は正解なんですけど、それが正解であることを見せられると苛立つんですよね。

照沼:(笑)。

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宇野:
でも、『鬼滅の刃』にしろ『花束みたいな恋をした』にしろ、いまの映画館は若いお客さんで成り立っているのはおもしろいなと思います。もちろんこういう状況なので、映画の興行収入全体の数字は落ちていますが、ヒット作は若いお客さんを集客している映画という状況ができている。いまやテレビが老人のメディアとなり、映画が若い人のメディアであるという逆転現象はおもしろいです。海外のカルチャーが止まっちゃっているのは憂鬱なんですけど、カルチャーの主役が世代交代していることに関しては前向きに捉えています。

小野:みなさま、そろそろお時間がきてしまいました。最後に、ひと言ずつ今日のトークイベントの感想などいただければと思うのですが。

照沼:僕としては、おふたりのお話をお聞きできてよかったです。とくに白川さんは去年からレーベルとしてはもちろん、ライブもすごい大変な状況だと思うんですけど、そのなかで戦っていらっしゃるというのをお伺いできて、自分もまだまだ頑張らなきゃなと思ったし、何かお手伝いできればと思いました。

宇野:ビートインクのアーティストって同業者から尊敬されるというところが大きいと思うんですね。それって今後より重要になっていくんだなと思います。作家から尊敬される作家、監督から尊敬される監督、そういう人たちが生き残っていく。たとえばいまって、テレビの音楽番組でも「今年よかった音楽」というのを決めるとき、明らかに批評家を排除しているんですよね。音楽家、プロデューサー、アーティストで決める。一般の人もそのほうが受け止めやすくなっている。そういうなかで、同業者の評価も大事だけど批評家も頑張りたいなと思ってます(笑)。

白川:音楽は出し続けないとなくなってしまうじゃないですか。情報の波に埋れてしまって、どうやってもたどりつけなくなってしまう。そういった意味では、CDやLPはいまやオールドメディアかもしれないけど、教示として「こういうものがあるんだぜ」と、埋もれないように発信し続けたいと思いますね。

小野:音楽業界のこれからというところに対して、お三方の熱い思いをお聞きできて僕個人的にも大変満足度が高い回となりました。本日はありがとうございました。


文:照沼 健太

宇野 維正 (うの これまさ)
映画・音楽ジャーナリスト。1970年、東京生まれ。『集英社新書プラス』『MOVIE WALKER PRESS』『メルカリマガジン』『キネマ旬報』『装苑』『GLOW』などで批評やコラムやインタビュー企画を連載中。著書『1998年の宇多田ヒカル』(新潮社)、『くるりのこと』(新潮社)、『小沢健二の帰還』(岩波書店)、『日本代表とMr.Children』(ソル・メディア)。最新刊は2010年代の海外ポップカルチャーを総括した『2010s』(新潮社)。
白川 雅士 (しらかわ まさし)
青山で十数年クラブを運営後、音楽レーベル、音楽イベントの運営を行なうビートインクおよびCD/レコードなどの制作・輸入・販売を行なうビート・レコードの宣伝を担当。音楽と酒と登山をこよなく愛す宣伝マン。
照沼 健太 (てるぬま けんた)
編集者・ライター・写真家。合同会社ホワイトライト代表。音楽メディア『AMP』編集長を2014年から2016年まで務めたのち、音楽やカルチャーほか、ビジネス、テクノロジー、広告等の幅広い分野にてコンテンツ制作全般を請け負っている。


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今回のトークイベントに参加いただいた宇野維正さんと照沼健太さんには、雑誌『広告』流通特集号でもご協力いただきました。現在、おふたりに寄稿いただいた記事を全文公開しています。

69 「韓流ブーム」から「アジアで独り勝ち」へ
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