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生活をとりまく「価値あるもの」へのまなざし

『暮しの手帖』編集長 澤田康彦 × 『広告』編集長 小野直紀
『広告』リニューアル創刊記念イベントレポート

雑誌『広告』リニューアル創刊を記念して開催された、編集長・小野直紀によるトークイベント。今回は、7月27日に京都の恵文社で行われた『暮しの手帖』編集長・澤田康彦さんとのトークをお届けします。リニューアル創刊号において「花森安治の『紅いバッグの話』」という記事を寄稿してくださった澤田さん。『暮しの手帖』初代編集長の花森さんの伝説的なエピソードや、「価値あるもの」を見極めるうえで大切なことなど、ていねいな暮らしを提案し続けてきた雑誌編集長ならではの視点で語っていただきました。

『暮しの手帖』編集長が常に意識する、花森安治さんという存在

小野:本日はお越しいただきありがとうございます。
7月24日に『広告』のリニューアル創刊号が発売されて、翌25日に『暮しの手帖』の新世紀号が発売されました。この不思議な偶然がこのイベントを開催するきっかけにもなったのですが、『暮しの手帖』と『広告』にはほかにも共通点があって。創刊が同じ年なんですよね。

澤田:どちらも1948年創刊。驚きました。

小野:『暮しの手帖』は100号ごとに1世紀、2世紀と表現するんですよね。7月25日に発売されたのは5世紀めの第1号。『広告』リニューアル創刊号では、そうした独特のルールを決めた『暮しの手帖』の初代編集長である花森安治さんの「紅いバッグの話」というエッセイを掲載していて、そこに重ねる形で現編集長である澤田さんに寄稿していただきました。

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澤田:花森安治さんと大橋鎭子さん、このふたりが1948年に立ち上げたのが『暮しの手帖』です。大橋さんはNHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」のモデルになった方ですね。
表紙は、創刊号から亡くなるまで花森さんがずっと描いていました。花森さんは絵を描いてデザインして、原稿も書いてとなんでもできちゃう方。ここまでできる人なんていませんよ。

小野:普通、編集長がやることじゃないですよね?

澤田:そうだと思います。花森さんは1911年生まれで、戦争に出たけれど途中で体を悪くして戻ってきて、大政翼賛会に入ってポスターをつくったりキャッチコピーを書いたりしていました。そのころ、マガジンハウスの前身である平凡出版の創業者・岩堀喜之助さん、清水達夫さんと一緒に働いていたらしいです。

小野:澤田さんは『暮しの手帖』の編集長になられる前は、マガジンハウスにいらっしゃったんですよね。何か繋がっている気がしますね。

澤田:縁を感じますね。片や広告を一切取らずに庶民のためにつくり続けた生活情報誌と、片や大衆芸能誌からスタート、のちに広告をいっぱいとって利益を出す雑誌をつくった会社で、タイプはまったく違うんですが、それぞれの出版社の創業者が実は一緒のところで働いていて、僕はそのどちらにも属することになったなんて奇跡だなと。

花森さんは1978年に亡くなったんですが、まだ生きている気配が編集部に漂っていて、花森さんだったらどう考えるかな? これをやったらどう言うかな? 怒られるかな?……とか今でも考えるんです。僕以外の編集長も、そんなふうに試行錯誤をしてきたんじゃないかな。広告会社の人を前にして言うのもなんですが、間違って広告を入れたらドヤされると思います(笑)。その前に世間から思いっきりタタかれるでしょうが。

広告を入れていないから「これがいい」と言い切れる

澤田:雑誌『広告』にも、広告は入ってないんですよね。

小野:『広告』という名を冠しているものの、広告は入れていないんです。広告について扱うことも稀ですし。

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画像提供:暮しの手帖社

澤田:広告を入れない一方で、花森さんは宣伝の名手で、キャッチコピーもうまかった。『暮しの手帖』を宣伝する広告に、こんなものがありました。「こんどの暮しの手帖に、おもしろいことがでています」とだけ書かれた超シンプルな中吊り広告。「天ぷら油とサラダ油はじつはおなじものではないだろうか」という問題提起型もありました。今では珍しくないかもしれないけれど、こんな広告は当時なかったと思います。

小野:ものすごいインパクトのあるキャッチコピーだし、デザインですよね。

澤田:その才能は記事づくりにも生かされています。これは商品テストの様子を伝える写真。ベビーカーのテストで、みんなで何kmもベビーカーを押しながら歩いて、どれが一番丈夫なのかを検証するという。

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澤田:でも実際の商品テストは、いつも写真のようにやっていたわけじゃないんです。一列に並ばずにみんなバラバラと出て行ったと思いますし、もっと歩きやすい格好をしていたでしょうし。雑誌でおもしろくアピールするために、パフォーマンスとしてこうした撮り方を指示して、かなりおしゃれに見せているわけで。

小野:やり方としては非常に広告的ですよね。

澤田:次はいかがでしょう。「焼いた食パン4万3千88枚」。

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画像提供:暮しの手帖社

澤田:自動トースターのテスト記事なんですが、これだけ食パンを焼くのは大変だったと思います。こんな度胆を抜くカットは見たことがない。これも、魅せるためにやっていますよね。僕、メイキングの写真も見たことあるんですが、パンに針金を通して積み上げる様子を、すごく厳しい目で花森編集長が見つめているのが残っていて。

小野:めちゃめちゃパンク。

澤田:そうなんですよ。パンクだと思います。過激です。

小野:パフォーマンスとして見せることも意識しながら、記事のなかではひとつひとつのトースターをきっちりテストして、これはよかった、これはダメだったと紹介しているわけですよね。

澤田:早めに壊れたとか真ん中しか焼けなかったとか検証されています。結論のひとことがいいですよ。「どれもチャチすぎる」(笑)。1962年には編集部に隣接して研究室がもうけられて、電気釜、アイロン、食器洗い機など、多くの家電がテスト対象となりました。社員には理系の人を多く採用したらしいです。正確なデータを取るために。

小野:家電メーカーがライバルメーカーを研究するくらいの、雑誌の一企画をつくるとは思えないくらいの意気込みでやっていますよね。広告を取らないというスタンスがこういうところにも表れているんですね。クライアントに気を遣わない。

澤田:そうです、忖度なし!いいものだけを紹介する。

小野:新世紀号でも、バターナイフを比較する企画で、いくつかある商品のなかから「これがいい」と言い切っているじゃないですか。普通は「これもあれもいいよ」と言わないといけないけれど、『暮しの手帖』では「今回紹介したなかではこれがいい」と結論を出している。すごいなと思いました。僕ら広告会社はクライアントがいっぱいいるので、めちゃめちゃ忖度が必要なんです。「これがいいです」と言い切っているのを見て、この雑誌、おかしいと思いました(笑)。

澤田:どっちがまともなんです?(笑)

小野:本当にそうなんですけど。僕が普通と思っていた雑誌がおかしかったのかもしれないと考えさせられました。

澤田:僕が言うのもなんですけど、こうしたことを繰り返してきたから、今も『暮しの手帖』が世の中で高い信用度を誇っているんだと思います。

特集は「価値」と聞いて、最初に思い浮かんだ
歌人・奥村晃作さんのこと

澤田:今回の『広告』でも書かせてもらいましたが、特集が「価値」と聞いて一番に頭に浮かんだのが、僕の大好きな歌人の奥村晃作さんでした。とても真っすぐに歌を詠まれるんです。

“ボールペンはミツビシがよくミツビシのボールペン買ひに文具店に行く”

このきっぱり感!

小野:リニューアル創刊号で、澤田さんの寄稿は書き出しがこの短歌なんですけど、なんて意思のはっきりした人なんだろうと僕も思いました。こんなにはっきりとした意思を持って生きている人って少ないんじゃないでしょうか。

澤田:言われてみれば当たり前やんっていう歌。でも詠もうとしても詠めない。奥村さんは日常の出来事をじーっと見つめて、発見して、言葉に定着させるんです。ほかにもいくつか奥村短歌を紹介させてください。

“次々に走り過ぎ行く自動車の運転する人みな前を向く”

“カンニング許すまじ生徒怪しきは走り行き横にいつまでも立つ”

“「ロッカーを蹴るなら人の顔蹴れ」と生徒にさとす「ロッカーは蹴るな」”

小野:ロッカーを蹴るなというメッセージをすごく過激に伝えていますよね。

澤田:一言一句、徹底的に熟考してつくるそうです。すでに83歳ですが、いまなお価値観のブレが全然なく、きっぱり言い切る姿勢に憧れます。花森さんもそうだったと思います。

人の価値観に踊らされずに生きるには
「自分の暮らしを大事にすること」

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澤田:『暮しの手帖』に込められた大切なメッセージ、それは「二度とこの悲惨な戦争を繰り返さないようにしよう。日本が戦争で悲惨なことになったのは、ひとりひとりが自分の暮らしを大事にしなかったからだ」ということでした。
自分の暮らしを大事にしたら戦争にならないというのは、一見よくわからないかもしれないですが、「自分の暮らしや家族を守ること。それは自分たちの美しい町や村をつくることに繋がる。それができなかったから、この戦争になってしまった」という意味なんです。

96号となる1968年の夏号で、連載をすべて取りはらって戦争の特集が組まれました。読者に戦争体験を書いてくださいと募って、その体験談だけでつくられたんです。

人類の歴史はほとんど戦争の歴史で、英雄の記録や、国境がどんな風に変わっていったかとかの記録は数多く残っています。でもそこで必ず被害に遭っているであろう庶民の記録は残っていない。そんな自分たちの具体的な体験を、自分たちの手で書いて残そうという特集でした。

小野:『暮しの手帖』の創刊が戦後3年の1948年。その誕生には、日々の暮らしを大事にしていれば戦争が起こらなかったんじゃないかという、戦争に対する強い思いがあったんですね。『暮しの手帖』には強い芯があって、それが96号で体現されたということでもあるのかな。

澤田:第1世紀96号が出たのは終戦から20年くらい経ったころで、それなりにみんなが戦争を客観的に見られるようになった時期だと思います。

去年、僕は『戦中・戦後の暮しの記録 君と、これから生まれてくる君へ』(暮しの手帖社、2018年)という本をつくりました。約50年ぶりに読者に戦争の体験談を募ってつくったのですが、全部で2,390通のお手紙が届きました。

なぜ戦争の話をしたかと言うと……今の日本は、あの大戦後の何もなかった時代からいろんなものが出てきて、いろんな価値観に振り回されて、リセットされることなくきてしまった。誰も「ちょっと待った」とやらずに、動き出したら止まらない、でっかい機関車のようになっているなと。でも、どこかでいったん立ち止まって、原点に帰らなければならない。そのためにも、毎日の暮らしをしっかり見つめていくこと、自分たちの暮らしを大事にすることが必要だと思うんです。

本当に価値あるものを見失わないために

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小野:『広告』リニューアル創刊号の記事についてお話ししたいんですけれど、今回、花森安治さんの「紅いバッグの話」という1952年に書かれたエッセイを掲載させていただきました。その最後の一文です。

「お金を上手に使うことの第一歩は、正札と、そのもののほんとうの値打との違いを、はつきりと知ることではないだろうか。」

これは、今こそ意識的でいなければ危険なことだなと思いました。

澤田:1952年にすでに、資本主義がこれからどうなっていくのかと危惧していたんですよね。

小野:エッセイに書かれているのはこんな内容です。

親戚一同が集まった場で、子どもたちがいろんなバッグを持っていて、どのカバンがいいかという話になり、子どもたちの中で○○ちゃんのバッグがいいと決まった。子どものひとりが母親に「○○ちゃんみたいなバッグが欲しい」とねだった。でもそれは手づくりのバッグだったので、母親は娘に「あれは手づくりのバッグよ。あなたのは***という高級なお店で買ったいいバッグなのよ」と言ったという話。

それに対して、本当にそうなのか? と問題提起をされています。本当のものの値打ち、本当に美しいものをわかっているのは女の子なのか、母親なのか、という問いかけが、すごくグサッときました。

澤田:大人の場合、たとえばそれがハイブランドのバッグだったら価値があると捉えるけれど、子どもの目で見るとそうとは限らない。それは手づくりだからいいとか、ブランドだから悪いということではなくて、それを見る目ですよね。それをちゃんと持っていますか? という問いかけです。

小野:『広告』リニューアル創刊号は1円(税込)で販売していて、SNSでも反響をいただいているんですが、多くが「1円の価値があるかないか」という基準で書かれているんです。でも、価格は価値をはかるひとつの指標でしかないんですよね。本当は価値あるものに価格がつくのであって、価格によって価値が決まるというのは変な話。そこに自覚的でいないと、価値あるものを見失ってしまうんだろうなと改めて思いました。

澤田:たとえば今回の『広告』が1万円だったら、それはいいものだと思って買う人もいそうじゃないですか。高いからいいものだと思って。

小野:そうですよね。そんな方にこそ、この花森さんのエッセイをとおして伝わるものがあるといいなと。僕自身、普段はお金で価値をはかってしまいがちです。数字ってわかりやすいですし。それがなかったときに、「これがいい」とはっきり言えるのか……。澤田さんの寄稿にも登場される歌人・奥村さんのように、自分の価値観をはっきり持って、いつでもブレずに「これがいいんだ、ミツビシなんだ」と言えることの大切さを考えさせられました。

「価値あるもの」を見極めるには
日々の暮らしにしっかり眼を向けること

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澤田:最後に、もう少し花森さんの言葉を紹介させてください。

「美しいものは、いつの世でもお金やヒマとは関係がない みがかれた感覚と、まいにちの暮しへの、しっかりとした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番うつくしいものを、いつも作り上げる」。

永遠に『暮しの手帖』に息づく、創刊号の言葉です。絶対的に目指すのは美しいものだということですね。

僕も新世紀号で「美しい未来に向かって── 『暮しの手帖』第5世紀が始まります」と序文を書きました。これを書いているとき、花森さんの魂が降りてきたなと思いました(笑)。

小野:美しいという言葉は、美術的な美しさという意味だけではなくて、もっといろんな意味を含みますよね。リニューアル創刊号では、特集の「価値」を語るうえで、「価格」「新しさ」「無用」「コスト」「評価」という5つのテーマに分けているんですが、最初は「美しさ」もあったんです。でも途中で抜きました。美しさというテーマは価値と同じくらい大きくて、難しくて、とても扱いきれないなと思って。

澤田:捉えどころもないですしね。

小野:試行錯誤するなかで「美しい」という言葉の大きさを改めて感じました。でも、花森さんはそこをあたりまえのように見抜いていたんですね。

澤田:こういう一文もあります。

「毎日の暮しに役立てる色々な道具の美しさは、決してその飾りや何かによるのではなく、その道具がしっかり役に立っているというそのことがとりもなおさず美しいと言えるでしょう」

役立つものが美しい、それはそうですよね。でもなぜか飾りにばかり目が向いてしまうのが人間の不思議なところ。そこを見極められるかどうかなんでしょうね。

小野:これ結構すごいことを言っている。なかなか気づかないですよね。

澤田:どういうものが美しいのか。それを見極めるには、日常生活にしっかり向き合って、眼を養っていくしかないと思います。いつもいつも考えて、迷いながら見つけていく。

小野:僕の個人的な感想なんですけど、今回雑誌をつくるなかで、花森さんや澤田さんと出会いがあって、すごくそれがつくり手としての自分の財産になりました。「美しさ」や「価値」ということを考えながら過ごすうちに、ものづくりをするときに何が大切なのか、新たな視点を発見できた気がしています。みなさんのなかにも、ものづくりをされている方とか、もしくはものを使う側として、いいものと出会いたいという方がいたら、ぜひ「美しさ」や「価値」ということを頭に置いて生活をしてみると、また世の中の見え方が変わるのかなと思いました。

澤田:今日はお呼びいただきありがとうございました。久しぶりに京都に来られて、あとは広告会社の方に「広告なんて入れなくていい」なんて言えたことがうれしい(笑)。

文:飯田菜々子

澤田 康彦(さわだ やすひこ)
『暮しの手帖』編集長。1957年、滋賀県生まれ。上智大学外国語学部卒。マガジンハウスに編集者として30年の勤務後、フリー編集者(兼主夫)を経て、2016年より暮しの手帖社へ。最新エッセイは『ばら色の京都 あま色の東京――『暮しの手帖』新編集長、大いにあわてる』(PHP研究所)。


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