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46 組織著作のアイデンティティ 〜 プリキュアはなぜ愛され続けるのか

プリキュアらしさとは?

プリキュアのすごさについて語ればきりがない。2004年の放送開始から15年以上続くテレビアニメシリーズであり、女児向けアニメに肉弾戦を取り入れるというチャレンジを成し遂げ、メインターゲット以外の親世代や男性ファンまで虜にするほどの人気を得た。もちろん『サザエさん』をはじめ、『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』など、より長い歴史を持つアニメはほかにも複数あるが、プリキュアはオリジナルタイトルのため、アニメに流用できる豊富な原作ストックを持ち合わせていない。

また長寿アニメの多くがキャラクターの名前をタイトルに冠しているのとは異なり、プリキュアはシリーズに登場する戦士の総称に過ぎず、主人公は毎年のように変わっている。それゆえに作品のアイコンであるキャラクターをアイデンティティの拠り所にすることも不可能だ。さらにシリーズごとにテーマやモチーフも違っており、ディレクターやプロデューサーなどの制作陣まで入れ替わっている。

そんな移ろいやすい状況にありながらも、プリキュアらしさというものは確かに存在しており、視聴者はその片鱗をどこかに感じながらアニメを楽しんできたはずだ。もしかしたらプリキュアを見たことがない人たちの間でも、テレビや街中の広告を通じて、プリキュアらしさが漠然と共有されているのかもしれない。なぜプリキュアは毎年変わり続けながらもアイデンティティを保ち続けているのだろうか。その答えを導き出すには、プリキュアを手がけているアニメ制作会社・東映アニメーション(旧・東映動画)に触れなければならない。

東映アニメーションは“リサイクル企業”

1956年に発足した東映動画は「東洋のディズニー」を目指し、1958年に日本初のカラー長編アニメ映画『白蛇伝』を制作した。そして1963年に『狼少年ケン』でテレビアニメに進出して以降、半世紀にわたって膨大な数のタイトルを送り出している。東映アニメーションの特徴をひと言で表すならば“リサイクル”だろう。意欲的なオリジナルタイトルを発表する一方で、既存のコンテンツを再アニメ化することによって、往年のファンのみならず新たな視聴者を獲得し続けてきたのだ。

その最たる例が『ゲゲゲの鬼太郎』である。1968年にテレビアニメがスタートした『鬼太郎』は、1970年代から2010年代まで、すべての年代で新たなシリーズが制作された唯一のタイトルだ。第1期の続編である第2期を除けば、実に4度にわたって世界観が一新されており、2008年には原作初期のダークな作風を再現した『墓場鬼太郎』もオンエアされた。2018年から放送中の第6期では、ねこ娘のデザインが頭身の高い美少女キャラ風になったことで注目を集め、本編ではブラック企業やYouTuber、移民問題など、現代の要素も巧みに織り交ぜることで、チャンネルを偶然合わせた人でも関心を抱きやすいようにしている。

誰もが知っているタイトルを時代に合わせてリニューアルするという手法は、豊富なコンテンツを擁する東映の得意技だ。2010年代だけでも『美少女戦士セーラームーンCrystal』や『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』など、再アニメ化されたタイトルは数多い。その志向は、創立60周年企画の一環として2016年に『タイガーマスク』の新作『タイガーマスクW』を制作したことが端的に示している。さらに2020年秋には『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』が約30年ぶりに再アニメ化される。そもそも『白蛇伝』が中国の民間説話を下敷きにしていたことを思い出そう。東映アニメーションはコンテンツを再利用することで無限の作品を生み出す究極のリサイクル企業なのである(※1)。

ただし再アニメ化の場合、数年から数十年のスパンを経て制作されることがほとんどで、キャラクターが変わることは少ない。そのため毎年途切れることなく新作が放送されるプリキュアをリメイクの一種として捉えるのは早計だろう。むしろ少女たちが敵と戦うという構造を踏襲したジャンルと考えたほうが適切のように思える。そう考えたときに私の脳裏に浮かんだのは、東映動画の親会社である東映が打ち出した任侠路線によって生まれた一連の作品たちのことだった。そう、プリキュアは任侠映画と似ているのだ。

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