_DSC1420久保道夫氏

アートディレクターとして込めた思い、編集長として託した思い

雑誌『広告』歴代編集長インタビュー|第10回 久保道夫

平成以降、雑誌『広告』編集長を歴任した人物に、新編集長の小野直紀がインタビューする連載企画。最終回となる第10回は、昭和63年1月~平成3年12月に編集長を務めた久保道夫さんにお話を聞きました。昭和から平成へ、時代の変わり目に『広告』を世に送り出した久保元編集長。アートディレクターを本職とする久保さんが表紙に込めた想いとは。そして、全幅の信頼を置く編集部員へ託した想いとは。

昭和から平成のタイミングで表紙を一新。

小野:本日は奈良からご足労いただきありがとうございます。

久保:奈良まで来てもらうのはちょっとね。生駒市というところなんですが、もの凄い遠いでっせ(笑)。

小野:生駒市ですか。僕は出身が大阪の枚方なんですが近いですよね。

久保:ほー。僕が心配したほど都会人やないな。よかったよかった、田舎者や(笑)。

小野:そうですそうです(笑)。久保さんは今、おいくつですか?

久保:85歳。石原裕次郎といっしょですね。

小野:今は奈良にお住まいで、『広告』編集長に就任された当時も関西にいらっしゃったんですか?

久保:そうなんですよ。僕はもともと博報堂の大阪支社でアートディレクターをやっていたんです。もうすぐ定年退職という時期に突然「編集長をやれ」と言われて、東京に来たんですよ。

小野:アートディレクターとして編集長に就任したのは、久保さんが初めてだったんじゃないですか?

久保:最初だと思います。僕は広告制作のプロであっても、雑誌の編集経験なんてなかったんですよ。だから「できない」って言ったら、会社は「雑誌の中身はベテランの杉本くんにまかせろ」と。僕の次に編集長になった杉本進くんが当時すでに編集部にいたから。でも、そうはいかないよね(笑)。

小野:当然そうですよね(笑)。

久保:そこで、条件じゃないけど要望を出したんです。中身は杉本くんと編集部のみんなに全幅の信頼を置いてまかせるとして(笑)、表紙くらいはアートディレクターとして自分の色を出したい。自由にやらせてくれないかと。というのもね、当時の表紙は漫画だったんですよ。でも、 就任1年目は「あかん」って言われた(笑)。

小野:急に表紙は変えられないと(笑)。

久保:僕が疑問に感じたのは漫画そのものに対してではなく、『広告』という雑誌に漫画の表紙はどうなん? ということだったんですよね。雑誌の目的と表紙が一致しているのかと。そこで、1年経った昭和64/平成元年1・2月号の特集「多価値化社会へようこそ」(『広告』vol.272)から表紙を写真に切り替えたんです。

小野:まさに、昭和から平成へ時代が変わるタイミングでのリニューアルですね。よく見ると、『広告』のタイトルロゴも変わりましたね。

久保:これはね、編集部の女の子が表紙のコピーに失敗して、ゆがんだやつを持ってきた。それがきっかけです。「こっちのほうが面白いじゃないか」と。『広告』の書体は前のを踏襲して、ちょっと大きくして斜めにしてね。あんまり変えてしまうのは具合が悪いけど、こっちのほうが新鮮でしょ。

思い入れの一冊と、
アートディレクターとしての戦い。

小野:久保さんにとって、いちばん思い入れのある号はどの号ですか?

久保:それを聞かれると難しいんですけど、じゃあこの『広告』vol.281 特集「動き出すシルバーメディア」にしておいてください。表紙が気に入ってるんですよね。

久保元編集長が選んだ“渾身の一冊”は、平成2(1990)年の7月に発行された『広告』vol.281 特集「動き出すシルバーメディア」
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小野:缶の写真が表紙の号ですね。

久保:この写真にはね、使った意味がきちんとあるんです。昔の缶はプルタブがとれたでしょ。それが海岸なんかに落ちてしまったら足に大怪我をする。鋭利で、しかも曲がってるからね。それは危ないので、飲料業界で外れないようにしようと。それがこの写真に写っている下の缶なんですよ。

小野:昔のプルタブは外れてましたよね。なるほど、写真を表紙にするにしても、業界のトピックですとか、その時代に生まれた新しい視点や発明をビジュアルにされたということですね。

久保:そうですね。『広告』という雑誌の表紙として、意味のある写真を使おうと。でも、この雑誌は今も昔も広告を載せてはいけないということになっているでしょ。特定の商品を宣伝することになりますから。だからね、商品の写真を使うと、「お前のところの雑誌は広告を載せないと言ってたのに、表紙に商品の写真が載ってるじゃないか。ウチのも載せろ!」と大騒ぎになったんですね。まぁ、それは上手いことかわして(笑)。

小野:かわしつつ、戦いながら。

久保:そう、戦いながらね。初めてやることには揉め事がつきものですよ。他にも特集「シリコン・サウンドの時代」(『広告』vol.269)という号はね、電子音とか合成音を特集してるんです。今は「お風呂が沸きました」とか電子音は当たり前だけど、この頃はあまりなかったんですよね。だから、本を開くと「ピヨピヨ」っとヒヨコの鳴き声がするようにしたかったんだけど……。

小野:揉めちゃったんですか? 面白い仕掛けなのに。

久保:表紙を開いただけで音が鳴ってしまうと、本屋さんが困ると(笑)。結局、ボタンのような部分をつくって、そこを押したら鳴るようにしたんですけどね。

小野:いろいろと揉めて戦いながら、アートディレクターとしてチャレンジされていたんですね。

イチオシ記事は、
30年前のシルバーメディア特集。

小野:雑誌の中身のデザインについてはいかがですか?

久保:僕が東京へ来る時に、周囲の大阪の人間にこう言われたんですよ。「この雑誌は活字好きな人がつくってる。だけど今の時代、活字好きはあんまりいない。そこんとこよろしく」と(笑)。

小野:じゃあ、そこはデザインで工夫しながら。

久保:広告をやってると、短い言葉でピタンとやるでしょ。だから雑誌の中身もね、キャッチフレーズというか見出しというか、そこを大きくわかりやすくする。文章を読む前に目に入ってわかる内容を何割かにしてあげると次に進みやすいじゃないですか。そういう意味では工夫はしていました。

小野:まさにアートディレクター的なアプローチですよね。企画の内容に関してはどうでしょうか。思い入れの一冊の中で、特にイチオシの企画はありますか?

久保:これもひとつ選べと言われると困るんです(笑)。ただね、この号の特集は面白いですよ。注目したのが割合早いと思いますね。

小野:特集「動き出すシルバーメディア」の記事ですよね。たしかに、平成2年にシルバーメディアを特集するのはめちゃくちゃ早いと思います。

久保:今だったら当たり前だけど、30年近く前ですからね。日本とアメリカの事情を比較して、これからはシルバーメディアが増えると。この当時、すでに詳しく特集しているんですよ。

小野:この特集テーマは久保さんが決められたんですか?

久保:そういうことにしておきましょうか(笑)。でも内容に関してはね、先ほども言いましたが、支えてくれたのは杉本くんですから。

小野:杉本さん、そして編集部のみなさんに想いを託して任せられたということですよね。

編集長時代を振り返って。
もう一度、編集長をやるなら。

小野:編集長時代を振り返って、大変だったことはありますか?

久保:やっぱり打ち合わせが難しいね。なかなかまとまらない。

小野:広告の打ち合わせとも違いますよね。

久保:編集の仕事は決めることが多いんですよ。しかも、編集部の中で全部やるのではなくて、有名な人に原稿を書いてもらわないと読み物にならないでしょ。そういう人に交渉して、気分良く書いてもらうというテクニックも必要ですからね。あとはいろんな人が読むわけだから、その都度新鮮な人に出てもらわないと。メディアに出すぎている人もなんだし、新しすぎる人だと読者にはわからないかもしれないし。人選も難しかったですよね。

小野:編集長をやる前とやった後で考え方などは変わりましたか?

久保:若い時ならまだしも、定年退職が見えてきた時期に、あまり得意じゃないことをやるのは厳しいなとは思いましたね。でも、経験して初めてわかったこともありましたから、それはありがいことですよ。それに、雑誌を支えてくれた杉本くんの人格がね、穏やかできちんとした人でしたから。荒っぽい人だったら大変でしたよ(笑)。

小野:やはり一緒に雑誌をつくる仲間は大切ですよね。では、これが最後の質問です。今、再び『広告』の編集長になったとしたら、どんなテーマで雑誌をつくりますか?

久保:それは……、ちょっと半年くらい研究しないとわからないね。というのはね、僕が編集長の時代はクライアントの部長や課長に配ることが目的だったけど、今はどうなのか。本屋さんでお金を出して買ってくれる人が何に興味を持っているのか。その辺を調べてからじゃないと。

小野:難しいですよね。ただ、どんなテーマにするにしろ、表紙はビシっと。

久保:そうですね。あとはね、アートディレクターとして気になるのは、『広告』は編集長が変わるたびに判型(誌面サイズ)が変わるでしょ。バックナンバーを揃える時に本棚で収まりが悪いんです(笑)。そんなの一緒でいいんじゃないのと思うんですよ。「何も変えるな」ということではなくてね、どうでもよいことを変えて、肝心なことをおろそかにしちゃいけない。何がいちばん大事なのかを忘れてはいけないですよね。

小野:肝に命じます。変えるならば意図をしっかり持って、ということですよね。

久保:そういうことです。まぁね、どのようなテーマにするにしても、また編集長をやるなら杉本くんに一緒にやって欲しいですね(笑)。

久保道夫
博報堂関西支社でアートディレクターとして広告制作に携わった後、昭和63年に雑誌『広告』編集長に就任。平成3年までに24冊の『広告』を世に送り出した。
撮影:柏木善郎
フリーランスフォトグラファー。昭和46年、博報堂写真部入社。平成20年に博報堂を定年退職した後はフリーランスとして活躍し、商品撮影、車の広告撮影を多く手がける。同年より、日本大学芸術学部写真学科非常勤講師。雑誌『広告』では昭和53年の復刊記念号『広告』vol.211 特集「テレビCMはどこへいくか」、昭和64/平成元年の『広告』vol.277 特集「70万人専修学生に注目」の表紙撮影を担当し、コマーシャル撮影とは違う自由な雰囲気を楽しみながらシャッターを切った。

インタビュー:小野直紀 文:宮田 直

【久保元編集長 渾身の一冊を無料公開】

インタビューにてご紹介した杉本元編集長 渾身の一冊をオンラインにて無料公開します。

『広告』1990年7・8月号 vol.281
  特集「動き出すシルバーメディア」
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さらに、その中のイチオシ記事をnote用に再編集しました。

動き出すシルバーメディア 2000万部のシルバーマガジンに学ぶ(久保元編集長イチオシ記事)
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