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12 「新作」はもういらない? 〜 映像の場合

「好きなことで、生きていく」。2014年、Googleの広告で描かれた最先端の生き方──YouTuberは、いまや「小学生がなりたい職業」の上位にランクインするようになった。初めは驚きをもって迎えられたニュースだったが、状況は変わった。動画コンテンツは日に日に存在感を持つようになり、YouTubeは老若男女が楽しむプラットフォームになった。

NetflixやHuluをはじめとした、サブスクリプション型の動画配信サービス市場も拡大の一途を辿っている(2018年の動画配信市場規模は、2,200億円。前年比約119%。一般財団法人デジタルコンテンツ協会『動画配信市場調査レポート2019』より)。外資サービスに負けじと、民放各局もここ数年、独自の配信サービスを始めた。

国内/海外、映画/ドラマ、フィクション/ノンフィクション……様々な選択肢があるなかで、いま動画における「新作」は、どのように見られているのか?

「動画ネイティブ」が見ているもの

スマホやPC、タブレットがあればいつでもどこでも、無数のサービス、コンテンツにアクセスできる。この環境で生まれ育つ子どもたちにとっては、ヒカキンのYouTubeチャンネルも、昭和のアニメも同じ土俵にあると言える。

「4歳になる娘が、YouTubeで『パンダコパンダ』を見ています」
「1980年代の作品、『おーい!はに丸』をなぜか見てますね」
「5歳と3歳の姉弟で『パワーパフガールズ』にハマっていました」

こう語るのは、いずれも2000年代に生まれた子を持つ親たち。YouTubeとともに大きくなった世代にとっては、オート・サジェストで出会う作品こそが「最新」だ。2017年、博報堂生活総合研究所が発表した調査データ「こども20年変化」でも、動画に関するヒアリングが行なわれている。同項目を担当した上席研究員・酒井祟匡氏は次のように話す。

「いつでもどこでも、無尽蔵のアーカイブへアクセスできる環境で育った彼らにとって、時系列的な新しさ自体には価値がありません。あくまで、自分にとって新しいことが大事。調査でも、小学4年生の男の子(当時)が、『キョンシーが好き』と語ってくれました。『新しいものがいいものだ』という価値観は、世代が進むほど薄くなっていくのでは」

若年層ほど、つくり手の意向に左右されず、受け手の都合で作品をとらえている。一方、こうした傾向は世代にも性別にも関係がない、という信念で運営されているプラットフォームもある。

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提供:フリー素材ぱくたそ

「視聴行動に新旧は関係ない」膨大なデータから生まれたNetflixの哲学

Netflixには「視聴ランキング」がない。地上波のテレビ番組であれば視聴率、オンラインのLIVE番組であればView数などが指標として出てくるが、Netflixには視聴回数も、星の数で表されるような評価欄もない。継続的に同社への取材を続けているフリージャーナリスト・西田宗千佳氏は語る。

「Netflixは、ほかの配信やレンタルビデオ店には必ずある『新着作品』『What’s New』のようなコーナーを大きくアピールしていないんです。その作品が新しいか古いかは関係ない。基準として上位に置かれるのは、あくまでも『あなたへのおすすめ』なんです」

従来のメディアの常套句であった「最新作をチェック!」は、思えばつくり手側の押し付けだった。Netflixがつくり出したユーザー本位のプラットフォーム設計は、それを根本から覆している。

「同社は、膨大な過去データの分析の結果、ユーザー一人ひとりの嗜好に年齢やジェンダーは関係がなかったという結論も出しています。

その上で、リコメンデーションに特化したAI企業を買収するなど、様々な技術分野へ投資。パーソナライズの精度を上げ続け、現在では世界中のユーザーの75%が“次に見る”サジェストに従って視聴しているんです。人間が覚えていられる作品数には限度があり、作品と出会う場はリアルでもオンラインでも有限。そのなかで最適な作品を提示するため、同社はつねに最新のデータを集めているんです」

圧倒的なリコメンデーション技術がつくる未来

Netflixは最新作を優先しないが、オリジナル作品をつねに生み出してもいる。矛盾しているようだが、それは従来のメディアがとらわれている「新作の呪縛」によるものではなさそうだ。

「競合他社も、Netflixの技術に追いつこうと躍起です。この流れが進んでゆく未来、作品の価値は『時系列的な新しさ』よりも、『個々人にとっての新鮮さ』へ変化していくのでは」

現在、世界中の映像クリエイターが抱えているのが「新作はどこでつくり、出すべきか?」という問題である。これまでつくり手は、どちらかと言えばTV局や映画会社からアサインされる側だった。しかし、テレビや映画だけでなく、YouTubeやストリーミングサービス……無数の選択肢が広がっているいま、立場は逆転している。メディア側は、より魅力的なプラットフォームとしてつくり手にアピールしなければならない競合環境に晒されている。

つくり手/受け手双方の支持を得るためには、場のクオリティを維持し、信頼をキープしなければならない。つくり手に「発表の場」を与え続けることで、場はリフレッシュされ、ユーザーにとっては選択肢の幅が広がる。広い観点で見れば、新作は映像市場そのものの新陳代謝を促進し、受け手の期待を担保する役割を果たしている。

プラットフォームの都合からすると、オリジナル作品の独占配信は効果的にユーザーを囲い込み、最新のデータを取得できる。新しいデータから、よりよいプラットフォームをつくりたいNetflix社と、新作を生み出したいつくり手、そしてそれを見たいユーザーという、三者の幸福な依存関係が見てとれる。

イチ生活者の感覚としては、Netflixが映画よりもドラマ作品に比重を置くのは、ユーザーに中毒状態をもたらしやすく、契約を長引かせやすいからだと考えていた。もちろん、同社の企業都合には違いないだろう。

しかし、同社の思想に触れた上であらためてサービスに触れると、月額料金のとらえ方が少し変わる。より深く自分自身の嗜好を理解してもらい、よりよい作品に出会わせてもらうためのコンサル料とも感じられるのだ。それは自分自身が保守化せずにいるための、魂のアンチエイジング投資とも言える。

サービス側からすれば、私たちはお金と時間、そしてデータを捧げる滑稽なモルモットにも見えるのだろうか? それでも今夜もNetflixを立ち上げる。好奇心を満たすため。自分自身を保守化させない、魂のアンチエイジング投資のため。と、言い訳をたてながら。

文:村山 佳奈女

西田 宗千佳 (にしだ むねちか)
1971年、福井県生まれ。フリージャーナリスト。得意ジャンルは、パソコン・デジタルAV・家電、そしてネットワーク関連など「電気かデータが流れるもの全般」。主な著書に『ポケモンGOは終わらない』(朝日新聞出版)、『ソニー復興の劇薬』(KADOKAWA)、『ネットフリックスの時代』(講談社)などがある。

村山 佳奈女 (むらやま かなめ)
プランナー。カルチャー誌編集者などを経て、2015年博報堂入社。『登美丘高校ダンス部×「グレイテスト・ショーマン」|This Is Me~これが私~』、『名探偵ピカチュウ』「#ピカチュウ感電チュウ」、世界初のハリウッド映画銭湯「地終嵐湯」などを担当。

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この記事は2019年7月24日に発売された雑誌『広告』リニューアル創刊号から転載しています。

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