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90 なぜ人はSFに魅了されるのか

「SF」という物語のジャンルがある。一般的にはサイエンス・フィクションの略とされることが多いが、スペキュレイティブ・フィクション(思索的小説)の略であるとか、はたまた藤子・F・不二雄による「すこし・ふしぎ」の略であるとする説など、大喜利的にも様々に解釈されてきた言葉である。日本語では「科学小説」「空想科学小説」と翻訳されることもある。

SFと聞いてパッと思い浮かぶものと言えば何だろう。広大な宇宙だろうか、それとも車が空を飛ぶ未来都市だろうか、はたまた時間移動などの未知のテクノロジーだろうか。SFは様々な世界観を包含する厳密な定義が難しいジャンルだが、ひとつ言えるとすれば、完全に独立した空想上の異世界を描くファンタジーとは異なり、なんらかの現実的な価値観や概念から地続きの階段を登った先にある物語だということだ。現実にある技術、あるいは現実から一歩進んだ近未来、あるいはまだ星空のなかのひとつの点として観測されるだけにしかすぎない遠い惑星、あるいはいままさに研究が進んでいる物理学──そんな「私たちの世界」に根ざした様々なものを起点にしながら、SFはまだ見たことのない世界を垣間見せてくれる。

地続きの階段でつながる「現実」と「虚構」──それこそがSFの大きな魅力であるのではないかと考え、本稿では、SF作家・小川一水氏と心理学者・小山内秀和氏への取材をもとに、「SF」という物語の魅力について考察する。

そもそも、SFとは何だろう?

冒頭でも述べたように、SFとは厳密な定義が難しいジャンルだが、SFの定義が話題になるたびに取り沙汰される概念に「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれるものがある。これはSFを読んだときに得られるある種の感動を示す概念で「呆然とし、その後、高揚する、脅威の感覚」や「科学実験を初めて見る11〜13歳前後の子どもの心」などと語られることが多い。物語の世界に没入するなかで、作中のある転機によりそれまで信じていた概念が崩壊し、世界全体がまったく新しい構造へと組み変わってしまったように感じられる、その瞬間にだけ得られる特別な興奮──お察しのとおり、この概念自体も明確な定義のない茫漠としたものだが、SFファンの間では「センス・オブ・ワンダー」を体験として得られるか否かで「(良質な)SF」かどうかを定義するということがしばしばある。

「センス・オブ・ワンダー」と呼ばれる体験はどのようにして生まれるのだろうか。『思考する物語──SFの原理・歴史・主題』(東京創元社)を参考に、この名状しがたい体験について説明を試みてみたい。

まず、人間のもののわかり方、つまり人がある言葉を認識する仕組みを人工知能学者のマーヴィン・ミンスキーが提唱した「フレーム」という考え方で説明してみよう。

ある概念を規定する言葉──たとえば「犬」という言葉を起点に、「4本足の動物である」「人間によく飼育される」などの付随情報がスロット(穴)へと埋められていく。これらの付随情報が組み合わされて、人は「犬」が何なのかを認識する。ミンスキーは、このようにいくつものスロットが結びついて統合された知識を「フレーム」と呼んだ。そして、いくつもある情報不足で埋まらないスロット──たとえば「犬」の場合は、犬種や飼い主についてなど──には適当なもの(デフォルト値)が挿入され、人間は漠然とその言葉を認識することになる。

小説などにおける言葉による描写というのは、基本的にこのフレームを提示し、そのスロットを適宜満たしていく作業であると言える。作者は、必要だと思ったスロットには適切な情報を入力し、読者が適宜想像したままでかまわない部分にはデフォルト値を置いたままにすることができる。

人間のこの概念認識の仕組みでは、ただ「犬がいる」と書かれていてもとくに認識に破綻はきたさない。しかし、たとえばそのスロットのひとつに「象のような大きさだ」という(一般的な「犬」という概念からすると乖離が大きい)パラメータが入力されると、人間はその認識にかなりの修正を要求されることになる。

物語をこの「概念認識のためのフレーム」の連なりとして考えたとき、たとえばファンタジーは、物語の構造を定義するフレームのいくつかのスロットに「現実とは異なる嘘」が導入されているが、その嘘の影響がほかのフレームにはおよばないものであると言える。魔法が使える設定でも、ドラゴンが登場しても問題ない。作者はいくらでも自由に現実と異なる嘘を導入することができ、同時にそれらの間には必ずしも整合性や関連がある必要がない。

これに対し、SFはひとつのフレームの逸脱がほかのすべてのフレームと関係し、影響が次々に広がってもっとも大きなフレームである世界全体におよぶものであると言える。まるでバタフライ効果のように、ひとつのきっかけやボタンの掛け違いから、次々に現実にはない大きな出来事や壮大なクライマックスへと物語が展開してゆく。そして、連鎖する因果の鎖の果てを目の当たりにするとき、私たちは鳥肌が立つように心が震え、驚愕し、センス・オブ・ワンダーを体験することになるのだ。

人間は、自分自身の固定観念を覆す予想外の事実に直面したとき、その固定観念を構築していた自分自身の知識体系そのものを大きく修正しないといけなくなる。おそらく、その強制的な「修正」に伴って得られる快楽こそが「センス・オブ・ワンダー」なのではないだろうか、と本書では考察されている。

もちろんSF作品に描かれているものは現実ではない虚構だが、その世界に没入するなかで「価値観が強制的に改変される体験」を擬似的に獲得することで、人間はえも言われぬ感動を得てしまう。

一方、SF作家の小川一水氏は「センス・オブ・ワンダーとは、自分の知識の体系から離れたものと自分の知識が突然壁を破ってつながった瞬間に得られる感覚」と規定したうえで、「SFじゃなくても日々の暮らしのなかで突然感じ取ったりすることもある」と語る。

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